螺旋2
リディアは腰に手を当て仁王立ちになると、嘲りを含んだ笑みを浮かべてロザリンに話しかけた。
「おかえりなさあい、ロザリンさまぁ。ヘンリーとのデートはいかがでしたぁ?ヘンリーに優しくしてもらってぇ舞い上がっちゃいましたぁ?でもそんな気持ちは捨ててよねぇ。ヘンリーは、あ・た・し・の・も・の、なんですからぁ」
「も、もちろん、ぞ、存じてますわ。」
「だったらぁ、あたしが何を言いたいかもぉ、わかるでしょう?」
リディアはロザリンにゆっくりと近づいた。ロザリンはリディアから離れようとするが、壁際に追い込まれてしまった。
「な、何か、しら?」
ドンと壁に片手をつき、至近距離でロザリンを睨みつける。その瞳はほの暗い光を灯し狂気が垣間見えた。
「ヘンリーと一緒に行動するのをやめてちょうだい!!婚約者のいる男と二人っきりで何をしてるか勘繰られてもおかしくないわよねぇ。あたしはぁ、ロザリン様のお名前にぃ、傷がつくんじゃないかってぇ、心配してるのよぉ?わかってくれますよねぇ」
「え、ええ。でも、サイラスのさ、采配ですし。へ、ヘンドリック様も、し仕事の、パ、パートナーとして、接してく、下さってるだけ、なので。リ、リディアさんが、き、気にされるような事は、なな、何も・・・」
「当たり前でしょう?何かあってからじゃ遅いのよ!!そんな事もわからないのぉ?ねえ、仕事を辞めて欲しいんだけどぉ。もし辞めないならぁ、ロザリン様が婚約者のいる男にちょっかいを出してるってぇ、町中に噂を流してもいいのよぉ。匿名で学園の噂好きな新聞部の、誰だっけ?二年生のナタリーだったかしら?彼女に送ってもいいんだからぁ」
「そ、そんな!!や、やめて下さい。お、お、お父様の、め、命令、なので、辞める事は、で、でで出来ま、せん」
ロザリンは両手で口を覆い、顔面蒼白になった。
「そうねぇ。辞めれないんだったらぁ、二人っきりじゃなくってぇ、誰か他の人も一緒に行くようにしたらいいじゃない。そうよ!!あたしがダメでもぉ、マックスならいいかもしれないわぁ!ロザリン様からサイラスおじさんに訊いてみてよ!ねぇ、わかったぁ?」
リディアはさもいい考えだとばかり、手を叩いてみせた。
「あたしからもマックスにお願いしてみるからぁ、ロザリン様もお願いねぇ」
リディアは嬉しそうに、にっこりとロザリンに微笑みかけた。
「そおだ!それとぉ、なんか、式典の間、だっけ?あなたの家に泊まるってヘンリーから聞いたんだけどぉ、絶対に泊まらないからねぇ。フフ、男爵様にちゃあんと伝えといて下さいねぇ」
「え、ええ。その事は、ヘ、ヘンドリック様からも、う、伺っていますわ」
「そうなのぉ?ヘンリー話してくれたのね。フフ、あたしの言う通りにしてくれたんだぁ」
リディアは花が咲いたような笑顔を浮かべた。そして人差し指を顎に当てて、片方の眉を上げてロザリンを見下すと、念を押すように言葉を続けた。
「そうそう、わかってると思うけどぉ、この事は誰にも言わないでよねぇ。もし言ったってわかったらぁ、みんなの前でロザリン様がヘンリーに横恋慕してるぅ〜って言いふらしてやるんだからぁ。わかったぁ?」
ロザリンが何度も頷くと、リディアはホッとした笑顔を浮かべて足どり軽く更衣室から出て行った。
ロザリンは腰が抜けたようにその場にへたり込み、リディアが出て行った後の扉をじっと見つめた。
リディアは上機嫌で階下に降りて行った。荷物を運ぶヘンドリックを見かけると、満面の笑みで手を振り駆け寄った。
「ヘンリー、お疲れさまぁ!!」
ヘンドリックは額の汗をタオルで拭いながらリディアに目を向けた。
「どうしたんだ?リディ。何か良い事でもあったのか?」
「うん、ヘンリーの働いてる姿が格好良くってぇ。見てるだけで幸せなのぉ」
「何を言ってるんだ?」
そう言いながらも、ヤキモチを拗らせて暴走したり、落ち込んで暗い顔を見せていたリディアが上機嫌に笑いかけてくるのを見て、ヘンドリックも、もやもやとした気持ちが晴れていくように感じた。
「まだ仕事中だろう?終わったら一緒に帰ろう、いいね」
「わかったぁ!仕事に戻るね!!ヘンリーも頑張ってね」
「ああ」
リディアは足取り軽く店舗に戻った。程なくして終業時間になり、売り子達はそれぞれがキリのいいところで仕事を終わらせ更衣室に戻った。リディアは皆とかち合わないよう時間をずらして更衣室に戻った。
更衣室にはまだ数人が残っていたが、誰もリディアに関心を払う者はいなかった。リディアはさっさと帰り支度をすませると、急いで待ち合わせ場所に向かった。
「やあ、リディお疲れ様」
「ヘンリー!」
リディアはヘンドリックに飛びついた。それを軽々と受け止め抱き上げると、リディアはヘンドリックの首に手を回して甘えた声を出した。
「今日は帰りに食べて帰ろう!」
「ああ。リディは機嫌がいいな」
「うん、そうなの!やっぱりヘンリーにはわかっちゃうね」
「何かあったのか?」
「ううん、別に何かあった訳じゃないよぉ。ねえ、それよりどこのお店に行く?何が食べたい?今日はヘンリーの食べたい物を食べよう!」
「ありがとう、リディ。でもリディが食べたい物が私の食べたい物だよ」
「やだぁ、ヘンリーったらぁ」
ヘンドリックは笑みを浮かべてリディアの質問に答えた。
リディアが屈託なく笑っていると、ヘンドリックは単純にかわいいと思い幸せを感じた。
(時々リディとすれ違ってるように感じるのは、きっと生まれ育った環境や価値観が違うからだ。初めから同じ価値観で過ごすのは楽だろうが、私達の場合はこれから育んでいけばいいだけだ。愛情はあるのだから、きっとやっていけるはずだ)
「んー、じゃあ、ザフロンディに到着した日に食べた海鮮焼きのお店『リイジュウ亭』はどう?」
「やあ、まさしく私もそこを思い浮かべてたんだよ、リディ」
「やっぱりあたし達、同じ事を思ったなんて運命なのね!フフフ」
二人は手を繋いでリイジュウ亭へ向かった。
「リディ、アルトワ男爵家で過ごす話は断ったよ」
「本当に?よかったあ!あたしねぇ、ロザリン様とヘンリーが一緒に過ごすようになったのってぇ、誰かの陰謀かなって思うのぉ。だから断ってくれて嬉しい」
「どうしてそう思う?」
「だってぇ、令嬢達は婚約者のいる男性と過ごすと噂になるから嫌がるでしょう?なのに男爵様の命令だからってぇ、そんな事するかしらぁ?下手したら名前に傷が付くのよぉ?あたしが貴族の令嬢だったらイヤだわぁ。それにねぇ、なんだかヘンリーとあたしの仲を壊そうとしている気がするのぉ」
ヘンドリックはリディアの指摘にはたと気づいた。
「確かにその通りだ。私も仕事だからと唯々諾々として従ったが、ロザリン嬢の事を思えば配慮が足りなかったな。だが、すでに承諾してしまったから反故にはしない。私にとって約束は守るべきものだからな。でも私達を別れさせて得をする人間はいないだろう?だから別れさせたいっていうのはリディの杞憂だよ」
「そうかしら?」
(ヘンリーったら呑気なんだから。もしかしてアンジェリカ様の差し金?まだヘンリーの事が諦めきれないとか?あたしに復讐とか?なんて考えすぎね。どうせ離れてるんだしこれ以上の事は出来ないでしょ。それにロザリンの事は向こうから断られたらいいのね。これはじっくりと、わかってもらえるまでお願いしなきゃダメね)
「ねえ、そういえば王族と一緒に使節団を迎えるって言ってたけど、王家から誰が来るの?」
「ああ、グレアムとアンジェリカが来るそうだ」
「ええっ?アンジェリカ様が?」
「ああ。たぶんグレアムの婚約者として来るんだろう」
「あ、ヘンリー、大丈夫なの?」
「何がだ?」
「だってぇ・・・」
リディアは言葉に詰まった。二度と会いたくないアンジェリカが来るなんて思ってもいなかった。
「あんな別れ方をしたからか?」
「うん。あたしはちょっと気まずいなぁと思ってぇ」
ヘンドリックは少し考えてから言葉を続けた。
「そうだな。だが、そこまで気にする必要はない。貴族同士の婚約は、利害がなくなれば破談する事も珍しくないからな」
「そうなの?」
「ああ」
「そっかぁ。ねえ、ヘンリーもそう?自分に利がなくなったからアンジェリカ様と婚約破棄したのぉ?それならぁ、もしかして、あたしとも破棄することがあるのぉ?」
リディアは前から気になっていた事を思い切って訊いた。ロザリンがヘンドリックの前に現れてから、いつか破棄されるのではないかと不安で仕方がなかった。その上アンジェリカも来る。気持ちが移ったら?戻ったら?不安がリディアを追い詰めていく。
「リディ、何を言ってるんだ?私が婚約破棄をしたのは、リディを愛したからだ。利よりも愛を選んだんだ。リディと一緒になる道は私には障害しかなかった。忘れたのか?」
「あ、ううん。忘れてないわ。でもそう、ヘンリーもあたしと同じで愛が一番大切な人だったぁ」
(そうよ、だからこそ心配なの。もしあたしよりロザリン様を好きになったらって考えたら、あたしはどうすればいいのかわからないもの。その上アンジェリカ様の事も)
「それに私は聖ナツギ大聖堂でリディアを生涯愛すると誓っただろう?結婚式ではなかったが、私はその場限りのことは言わないよ」
リディアはヘンリーを正面から見た。
「ええ。あたしも誓ったわ」
二人は立ち止まり、手を取り合って互いを見つめた。
お互いを唯一と感じ、純粋な愛情だけで繋がっていた時と違い、愛執や意地、義務や責任などがが芽生え、それぞれの思いを複雑にしていた。
「あたし、今も変わらずヘンリーが好きよ。ううん、前よりもっともっとヘンリーが好き」
「ああ、私もだよ」
リディアは繋いだ手をギューッと握り、ヘンドリックへの思いをどうにかして伝えようと必死に訴えた。ヘンドリックはその勢いに呑まれてそっと身を引くと、リディアの瞳に映る自分に言い聞かせるように短く答えた。
二人はそれぞれの思いに蓋をして、この刹那を楽しもうと、運ばれてくる料理に感嘆し、大袈裟に笑い、喋り、ただ甘いだけの時を再現しようと努めた。