螺旋
食べ終わったマックスは、リディアを置いて食堂を出た。それと入れ違いにロザリンが慌ててやって来て、厨房の奥に向かって話しかけた。料理人達はバタバタと働き始め、しばらくして袋を二つロザリンに渡した。
ロザリンが急いで扉に向かう途中を待ち構えて、リディアはぶつかり尻もちをついた。
「痛い!ロザリン様!!」
「えっ?」
ロザリンは持っていた袋が床に転がったのを拾う事もせず、ただ驚いた顔でリディアを見下ろし立ち尽くした。リディアは慌てて転がった袋を拾うと、それを抱えて泣き出した。
「わああぁん!なんであたしを突き飛ばすんですかぁ?先日の夜会の事を怒ってるのぉ?それとも、あたしが邪魔なのぉ?」
「え・・・と」
食堂にいた人は少なかったが、皆が好奇心を露わにして事の成り行きを見守っている。ロザリンは何が起きたのかわからず、咄嗟に両手で口元を覆うと、ただオロオロとしていた。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
サーニンがやって来て、座り込んで泣いているリディアとロザリンを交互に見た。リディアはハッと顔を上げて涙を拭い、静かに首を振ると答えた。
「なんでもないのぉ。邪魔だからって突き飛ばされただけ。でもぉ、あたしがロザリン様の通り道にいたのが悪かったのよ。」
「ち、ちが!そ、そんな事してません。リ、リディアさんがぶつかって来て、そ、そそ、そのまま転んだんです」
ロザリンは慌てて言い訳をしたが、皆が非難の目で見ている気がして焦りと不安を感じた。
「とりあえずロザリン様は出発の時間ですから、急いで行って下さい」
サーニンはリディアの抱えている袋を取り上げてロザリンに渡した。ロザリンは袋を受け取ると慌てて食堂を出て行った。
「さあ、リディア。何があったか聞かせてもらおうか」
サーニンはリディアの手を取り立ち上がらせると、そのまま手を繋いで事務室へ向かった。食堂にいた何人かが眉を顰めてその様子を見守り、ひそひそと互いに囁き合った。
「さて、何があったんだい?」
サーニンはやれやれとばかりソファーに腰を下ろし、リディアにも座るよう促した。リディアは項垂れた様子でソファーに腰かけて小さな声で答えた。
「何もないわよぉ。ロザリン様の通り道に立っていたあたしが悪かっただけ」
「そうか。リディア、ロザリン様の事が気に入らないのはわかるが、相手は貴族だ。お願いだからもめ事を起こすのはやめてくれ」
「そんなつもりじゃないわ。ただ、あたしはぁ、ヘンリーとの生活を守りたいだけよぉ。それの何がダメなのよぉ?サイラスおじさんがあたし達の間に波風を立てようとするのが悪いんでしょう?ねえ、ペアで仕事させるのはやめてよう。お願いだからぁ、あたし達の仲をかき回すのはやめて欲しいのぉ」
サーニンは眉間にしわを寄せてリディアの訴えを聞いた。
「かき回してるつもりはないよ。ただね、リディア。アルトワ様はロザリン様に施政について少しでも学んで欲しいと思っておられる。ヘンドリック様は幼い頃より帝王学を学ばれてきた方だ。ただ一度大きな過ちを犯したとはいえ、今まで学んできたものがなくなる訳じゃないだろう?一ヶ月間程だが学ばれるのにいい機会だと考えられたんだ。だから父さんにお願いしても無駄だよ。やめさせて欲しければ、アルトワ様にお願いするんだな」
「アルトワ様にだなんて、そんな事言える訳ないじゃない!!」
「だったらロザリン様が学園に帰られるまで我慢するんだ。どうせ二ヶ月も経てばで元の生活に戻れるさ」
サーニンはこの話はこれで終わりだというように立ち上がった。
「待って、サーニンお兄ちゃん。それでもイヤだって言ったらどうするの?」
サーニンはしばらく考えてから口を開いた。
「そうだな。たぶん、父さんならお前達を解雇すると思うぞ」
「そんなぁ。そうしたらあたし達どうやって生活していけばいいのよぅ」
「心配しなくてもケイティ様が拾ってくれるさ。ヘンドリック様がこの領に来られたと聞いた時、もしこの地で定住されるようならケイティ様にお任せしようって話になってたんだ。それなのにうちの店の門を叩いたから、そりゃあ方々大慌てしたさ」
リディアはそれを聞いて、飛び上がりそうになるくらい驚いた。
(それはダメよ、絶対ダメ!ケイティ夫人はダメ!もう二度と会いたくないわ)
リディアは俯いたまま黙ってしまった。
「さあ、この話はこれでしまいだ。もう店は開いてるぞ。うちの店のモットー『笑顔・元気・親切に!お客様第一の接客を!』だ。しっかり働いてくれよ」
サーニンは立ち上がり、リディアに手を差し出した。リディアがその手を握ると立ち上がらせ、軽く背を押すようにエスコートして店舗へと送り出した。
「兄貴、お疲れ〜!」
事務室の奥からマックスが出てきた。
「ああ、全くリディアの我が儘も困ったもんだ」
「そうだなぁ。俺は昔っからよく振り回されたけど兄貴はさすがだな。あしらいが上手いや」
「まあ、よく面倒を見ていたからな。昔から気分屋で感情が全て顔に出るからわかりやすいがな。それにしても昔に比べて可愛げがなくなってきたなぁ。さてさて、ロザリン様に対してどう出るかが心配だ」
「ああ、そうだな」
二人は顔を見合わせて溜息を吐いた。
♢♢♢♢
店舗に戻ったリディアは、モットーなどお構いなしに暗い顔で接客をした。休憩時間になると、他の売り子達に挨拶もせずに抜け出して、店の裏手にあるベンチに座ってボーっと考え込んだ。
ヘンドリック達はどこに行ったのか、店舗の周辺にも気配さえなかった。
「よお!リディアじゃないか。しけた面してどうしたんだ?」
急に声をかけられてハッと顔を上げたリディアは、相手を見てすぐに興味を失いそっぽを向いた。
「なあんだ、マックスかぁ」
「なんだとはなんだ!失礼な奴だなあ」
「だあって、マックスじゃあねぇ」
「はあ、もういいや。忠告するぞ。食堂での事が噂になってんだから下手に動かない方がいいぞ」
「ええ、どんなぁ?」
「怒んなよ。俺が言ったんじゃないからな」
「何よ!勿体ぶらないで言いなさいよぉ!!」
怒んなよと、何度も念を押してからマックスは噂を教えた。
「悪女の次のターゲットはロザリン様だって。そんで噂を楽しんでる奴、怒ってる奴、呆れて嫌悪してる奴らが面白おかしく話しまわってるぞ」
「なんでよぉ!なんでそうなるのよぉ」
リディアは狙い通りにならず、返って自分の価値を下げる結果に地団駄を踏んだ。
「お前さあ、悪女だって言われてるの知ってんだろ?噂になるような事してここに来てんだかさあ。ちっとは自粛しろよ。ヘンドリック様やお前んちに迷惑がかかる事になんぞ」
「なによぉ、脅かすの?」
「脅しじゃねえよ。心配して言ってんだよ!そうなって困るのはお前らだろ?」
「お説教は聞きたくなぁい」
「は!それにしてもここまで女を虜にさせておかしくしちまうなんて、ヘンドリック様はすげえ人だな〜」
マックスは頭の後ろで手を組むとニヤニヤ笑った。
「変な感心の仕方はやめてよねぇ!もういい!自分で何とかするからぁ」
「だから何もするなって言ってんだよ。お前さあ、エマって知ってるだろ?」
「知ってるわよぉ。お色気おばさんでしょ?」
「おばさんじゃなくてお姉さんだよ。お前にはあの人の魅力がわかんねえのな」
「そりゃあ、同性だもん」
「ハッ!あの人は同性にもモテんだよ。まあ、それは置いといて、エマってさあ、無類の可愛いもん好きなんだよな。その人がロザリン様にメロメロだかんな。下手に手を出すとこっぴどく返り討ちにされるぞ!」
「それってぇ、誰からの情報なのぉ?」
「その場にいた奴らの話だから確かだよ。お前なあ、ロザリン様に手を出すと、本当に、この店にいられなくなるぞ」
リディアは思うようにいかない事にイライラして爪を噛んだ。
「その癖、みっともないから止めたんじゃなかったのか?それに爪が変形するんだろ?」
「マックスうるさい!」
「はいはいはい。俺は忠告したからな。邪魔するってのは出来る限りやってみるから、稽古の話は忘れずヘンドリック様に頼んでくれよ。必ずだかんな」
マックスが立ち去ると同時に、リディアも休憩を終えて店に戻った。
(あたしが被害者に見えるように振舞ったはずなのにどうして通じないの?どうすればロザリン様が悪く見えるようになるの?わからない。どうすればいいのよぉ)
リディアが気になるのはその事ばかりで、少しも仕事に身が入らなかった。接客も適当にしてミスを犯し、お姉様方に注意をされたが、それすら気にもしなかった。
終業間近、普段と違い店の表が慌ただしく活気づいた。男達が呼び出され、大きな荷物を抱えて裏の倉庫に運んでいく。異国に行っていた船が港に帰って来たのだろう。次から次へと荷物が倉庫に搬入されていく。その男達の中にヘンドリックの姿を見つけたリディアは駆け寄ろうとして、ロザリンがいない事に気づき足を止めた。
(今なら二人きりで話が出来るかもしれない)
リディアはそう考えると、まずは更衣室からロザリンを探すことにした。まだ終業時間前だったからか更衣室には誰もいなかった。リディアはロザリンにあてがわれている荷物置き場に鞄がないことを確認し、トイレか事務室にいるかもしれないと目星をつけた。どちらから確認しようか迷っていると、ガチャリと音がしてロザリンが入ってきた。
「あら、リ、リディアさん?ま、まだ仕事中、ですよね?どど、どうか、されたんですか?」
ロザリンは緊張から少しどもりながらリディアに声をかけた。リディアは唇をなめると、鋭い目つきでロザリンに近づいた。