リディア2
「おーい、降りて来ーい!!客が来てるぞ」
階下から大きな声が響いた。売り子達は慌てて食器類を片付けて、バタバタと食堂を出て行った。
「ロザリン様、名残惜しいですが失礼しますわ」
エマが悲しげにロザリンを見つめ、もう一度手をギュウッと握りしめてから頬擦りをした。
「エマ、いい加減にしなさい。ほら、行くわよ」
「ロザリンさまぁ・・・、今度こそ、名残惜しいですが、本当に失礼しますぅ。次は頭をなでさせて下さいねぇ!!ヘンドリック様も次はぜひ一緒にお茶しましょう。できれば三人だけで、飲みにでもいいですよぉ。それで・・・」
エマは片手をロザリンの方に伸ばし、切なげに言葉を続けるが、無情にもサリアに腕を掴まれて引き摺られながら出て行った。
残った男達もロザリンに声をかけてから、午後からの仕事のため三々五々食堂を出て行った。
「ハハ、嵐のようだったね。大丈夫かい、ロザリン嬢?」
「え、ええ」
ロザリンはすっかりエマの毒気に当てられて立ち尽くしていた。
「じゃあ、そろそろ私たちも行こうか」
「あ、ええ、そうですね。フフフ、エマさんて面白い方でしたわ。でも、私、明日から大丈夫でしょうか?」
「さあな。でも皆が助けてくれそうで良かったじゃないか」
「ええ。こんな情けない私を受け入れて下さって、本当に嬉しいですわ」
「そう卑下する事はない。ロザリン嬢はかわいらしくて努力家で、魅力的な女性だよ。反対に私はなかなか認めてもらえないがな」
「まあ、過分なお言葉を頂き恐縮ですわ。私の事よりヘンドリック様こそ女性から声をかけられているのを何度も見ましたわよ」
「おや、私の誉め言葉は受け流しましたね。いやいや、残念だ、本当の事なのに」
「もう、からかうのはおやめ下さいませ」
「ハッハッハ、すまん、すまん。まあ、女性は王子様に弱いらしいからな。元王太子の私が珍しいんだろう。受け入れてくれるのはありがたいが、男達にこそ仲間として認めて欲しいと思ってるよ」
「そうですわね」
「私がした事は些か人道に外れていたんだろう。父上にも咎められたし、ここでも遠巻きに言われていると聞いている。まあ、重く受け止めてはいるが、私は後悔しないと決めたんだ」
「そうなんですね。では私は受け入れてくれたお礼を、ヘンドリック様は認めて貰えるよう一生懸命に働きましょうね」
「ああ、そうだな。ロザリン嬢の言う通りだ。がんばるよ」
そうして午後からの仕事も滞りなく終わり、ヘンドリックは帰りにリディアのために町で評判の、甘いクリームを挟んでいる焼き菓子を買って帰った
「ただいま、リディ。気分はどうだい?少しは良くなったかな?」
「ヘンリー、おかえりなさい」
リディアはヘンドリックにギュッとしがみつくと、不安そうな顔で見上げた。
「今日もロザリン様とお仕事してたの?」
「ああ。それがどうしたんだい?」
「あたしの事、何か言ってたかなぁって?」
「ん?リディの具合はどうかと訊かれたな。心配してたぞ」
「そう、ならいいのぉ。あたし、明日から仕事に行くねぇ」
「ああ。もう大丈夫なのか?」
「うん。だいぶんマシになったんだぁ。それより、その手に持ってるのはなあに?」
「これか?リディが元気になればいいなと思って」
「なあに?ケーキの箱みたいだけど、開けていい?」
「ああ、もちろんだ」
リディアは箱を開けて中を覗き込むと目を輝かせた。
「うわあ、美味しそう!食べてみたかったお菓子だぁ!!ありがとう、ヘンリー!!」
「元気になったかい?」
「うん!元気出たぁ!あのねぇ、あたし、ヘンリーの気持ちが嬉しいのぉ。明日からがんばる!」
「ん、仕事をがんばるのかい?」
「ううん!ずーっとヘンリーの隣にいられるようによぉ、決まってるじゃない!」
リディアは首を横に振りながら答えた。
「そうか」
本来なら嬉しいはずのリディアの言葉に、素直に喜べない自分がいる事にヘンドリックは戸惑った。
リディアは身分関係なく自分自身を愛してくれていると信じていた。だが本当にそうなのだろうか?未だに王子として扱う事を示唆する言動に不安が湧いてくる。
(本当にたまにだが、自分の知る優しくて愛情深く、朗らかでかわいらしいリディアとは違い、強かで狡猾な、まるで舌なめずりをして獲物を狙う獣のような顔が見える気がするのは気のせいだろうか)
ヘンドリックは身震いをして、美味しそうに焼き菓子を食べるリディアを見つめた。
私はーーーー、
そこでヘンドリックは考えるのをやめた。
(考えても仕方がない。考えたからといって過去が変わるわけではない。私は今を生きてるんだ。明日には明日の風が吹く。明日のことは明日考えればいいさ)
そう結論づけると、ヘンドリックはお菓子をヒョイと頬張った。安っぽいクリームは旨味がなく、ただ甘いだけで胸が悪くなりそうだった。
「私には少し甘すぎるな」
指についたクリームを舐めながら、ヘンドリックは小さく呟いた。
♢♢♢♢
翌日、リディアは仕事が始まると、客の接待をしながらロザリンがどこにいるかを注意深く見ていた。
ヘンドリックとロザリンは、見かけるたび楽しそうに、仲良さそうに談笑している。
「何あれ。何であんなに仲良くなってんの?」
リディは爪を噛みながら睨むように二人の姿を見ていたが、ロザリンが一人になると急いで後を追った。
ロザリンは更衣室の自分の荷物の置いてある場所にいた。リディアも続いてそっと中に入った。仕事中でもあり更衣室には二人以外誰もいなかった。ロザリンは鞄を掴むと急いで部屋を出ようとしたが、扉の前で通せんぼするようにリディアが立っている。
「リディアさん、すみませんが急いでるので退いていただけませんか?」
「ロザリン様に話があるの」
リディアはロザリンの言葉を無視して話し始めた。ロザリンは重ねて声をかけようとしたが、リディアはそれを無視して話を続けた。
「ねえ、あたし、この前言ったよね。他人の婚約者に馴れ馴れしくしないでって。もう忘れたの?今日も、あたしに見せつけるように親しげに笑って話してたけど。あたしが許すと思ったの?」
リディアはロザリンを強く突き飛ばした。ロザリンは尻餅をつき、驚いた顔でリディアを見上げた。
「あんた邪魔なのよぉ!!お嬢様なんだから仕事なんてしなくてもいいくせに何で仕事に来たのよぉ!あのまんま家に閉じこもってれば良かったのにぃ!」
「あ、リディアさん、ど、どうして・・・」
「はあ?何惚けてんのよぉ。バカなのぉ?ねえ、耳あんの?聞こえてますかぁ?」
「あ、の。な、馴れ馴れしくなんて、しし、してませんわ」
「婚約者のあたしが、馴れ馴れしいって言ってんの。わかった?それとももっと痛い目に遭わないとわかんない?」
ロザリンは立ち上がりスカートの埃をパンパンと叩いた。そしてリディアを無視して部屋を出ようとしたが、鞄を奪われ、中身を床にぶちまけられた。
「ロザリン様はぁ、これからどこへ行くのかしらぁ?」
ロザリンは慌てて床に散らばった小物をかき集めた。
「これからどこへ行くかって訊いてるのよ!」
リディアが声を荒げた。怖くなったロザリンは小さな声で答えた。
「ヤ、ヤガに。に、荷物をと、届けに行くの」
「へぇ、そうなのねぇ。ねえ、ロザリン様はここから出ないでね。ヤガにはあたしが代わりに行くからぁ」
「そ、そんな、わ、私の仕事ですから、私が、行きます」
「何回も言わせないでよ!!あたしが行くって言ってるでしょう。あんたは急に体調が悪くなったのよ、今!!だから家にでも帰ったらいいわ。わかったわね」
そう言い置いて、リディアは更衣室を出て行った。
ロザリンは床に座り込んだまま、呆然とリディアの後ろ姿と、閉まっていく扉を見つめた。
リディアは走ってヘンドリックのところに行き、後ろからギュッと抱きついた」
「ヘンリー、ロザリン様急に体調が悪くなったみたい。ヤガにはあたしに行って欲しいって!すぐに出るのぉ?」
「なんだって?」
ヘンドリックは驚いて腰に回った手を解くと、振り返り戸惑った顔でリディアを見つめた。
「まだ足が痛むから歩くことは控えたいんですってぇ。あたしに代わりに行って欲しいって。ね、行こう?」
「リディ、何を言ってるんだい?ロザリン嬢はすっかり回復していたし、小走りで荷物を取りに行ったんだ。急にぶり返すわけがないだろう?」
ヘンドリックはリディアの肩を掴むと脇に避けて更衣室へ向かおうとした。
「あ、ヘンリー待ってぇ!ねぇ、あたしの言う事が信じられないのぉ?前はすぐに信じてくれたのに」
リディアが慌ててヘンドリックの服の裾を掴んで引き留めた。
「リディ、私は自分で見たものを信じるよ」
ヘンドリックはリディアの手を払うと、更衣室に向かって歩き出した。
「ヘンリー、待って!待ってよぉ」
リディアが後を追うが、ヘンドリックは構わず歩いた。
ロザリンは、更衣室の前で途方に暮れた顔をして立っていた。
「やあ、ロザリン嬢。遅いから迎えに来たよ」
「あ、ヘンドリック様!お待たせしてすいません」
ロザリンは俯いたまま小さな声で答えた。
「どうしたんだい?」
「いえ、あの」
「ねえ、ロザリン様、足が痛むんですよね」
ヘンドリックの後ろからリディアが顔を出した。
「そうなのか?」
「え、いえ。あの」
ロザリンはどう返事をしようか迷う素振りで、リディアとヘンドリックを交互に見た。
ヘンドリックは溜め息を吐いた。
「わかった。ならサーニン殿に了承を得て、今日はこのまま私が屋敷まで送ろう。もし男爵がいらっしゃるなら、そのまま先日の話の続きを聞かせてもらうが、いいか?」
「あ、はい。父がいるかはわかりませんが、お待ちいただいて大丈夫です」
ヘンドリックはロザリンに手を差し出すと、リディアに向き合った。
「リディ、今話した通りだ。今日はこのままアルトワ家に行く。帰りは遅くなるから夕食はいらない。先に休んでいなさい。いいね」
ヘンドリックはロザリンをエスコートして事務所へと階段を降りて行き、リディアはその後ろ姿を呆然とした面持ちで見送った。二人の姿が消えた後、リディアはその場にペタンと座り込んだ。
「え?何が起こったの?どうしてあたしがこんな目に遭うのよ?なんで?」
リディアは一人取り残された事が信じられず、なかなか立ち上がる事ができなかった。