アルトワ男爵家の晩餐会2
「おお、ヘンドリック様はヴァイオリンがお上手だとか。どうせならロザリンと二重奏はいかがですか?」
「ええ、いいですよ。ロザリン嬢はどうだい?」
「ええ、光栄ですわ。何を弾きましょうか」
「ふむ。ではヴァイオリンソナタ三番の第一楽章を。しばらく弾いてないので指が動くかわからないが、好きな曲で何度も繰り返し弾いできたのでね。さて、覚えているかな?」
「まあ、その曲は私も好きなんですの!少しお待ち下さい。今楽譜を探して参りますわ」
ロザリンは急いで部屋を出て行った。ディランは執事に命じてヴァイオリンを用意させ、ヘンドリックに手渡した。
ヘンドリックは弓を絞り、ヴァイオリンを顎に挟むと、ヴィオレッタとピアノで音合わせをした。そして指を慣らすため、思いつくままに様々なメロディを弾きながらディラン卿とたわいのない話をした。
「やあ、なかなかの名器だね」
「ええ。私の祖父が買い求めたのだと聞いております。私も若い頃はヴァイオリンを習っておりましたのでね。今でも気が向くと鳴らす事もありますよ」
「やあ、それなら私よりディラン卿の演奏を聴いてみたいな」
「いえいえ、滅相もない。私の演奏なんて恥ずかしくて披露できませんよ」
しばらくしてロザリンが楽譜を抱えて戻ってきた。その頃にはヘンドリックも初めて持つヴァイオリンに少し慣れてきた。
「お待たせ致しました」
ロザリンは楽譜を並べると、曲の出だしを軽く弾いてみた。それから丁寧に布で鍵盤を何度も拭いた。
ヴィオレッタがそっとレモネードを差し出すと、ロザリンはありがとうと言ってゴクゴクと飲み干した。
「さあ、用意できましたわ」
「そうか。ではこのテンポで」
ヘンドリックは出だしからしばらく弾いた。それにロザリンが音を合わせて確認をする。
「ええ、わかりましたわ」
二人は手を止めると、頷き合い、呼吸を合わせて弾き始めた。
憂いを帯びた美しい旋律で始まり、ピアノに持続される低音が悲壮感を漂わせる。不安を訴えるように高く細く響くヴァイオリンの音に、ピアノが不安を煽るように強く激しく追い立てる。追い立てられるままにヴァイオリンが駆け抜けると、宥めるようにピアノが寄り添う。そしてヴァイオリンの美しい旋律はそのままに、拭えない不安を抱えたまま静かに演奏が終わった。
十分にも満たない時間の中で、行き場のないエネルギーを発散させたような二人の演奏に引き込まれた。曲の持つ不穏な空気をヘンドリックの身の上に重ねて聴いた者は、演奏が終わった後もその余韻に浸った。ロザリンが椅子を引いて立ち上がると、皆ハッとしたように拍手をした。
「いやはや、素晴らしい演奏でした。思わず聴き惚れてしまいましたよ」
「全くですわ。二人で練習でもされたんですか?息もぴったりで本当に驚きましたわ」
溜め息の後、皆、見事な演奏に対する賞賛を惜しみなく送った。
「いやあ、何度もロザリン嬢に助けられたな。やはり楽器は普段から弾かないと腕が落ちるね」
「とんでもない!素晴らしかったですわ!!私の方こそヘンドリック様に引っ張られて力以上の演奏ができましたわ。まだドキドキしています。ありがとうございました」
ロザリンは頰を紅潮させて、感動の余韻のままヘンドリックの手を握りしめた。
「私も久しぶりに楽しかったよ」
もう一度最大な拍手が鳴り、二人は手を繋いだまま深々と礼をした。
その姿をリディアが爪を噛みながら、じっと睨みつけていた。
演奏後の華やかな余韻と和やかな雰囲気の中で、皆は思い思いに過ごした。ヘンドリックはディランやネイサン達と式典や今後の交流についての話をした。
そして交流の一環として開催される剣術大会の話になった。
「私も久しぶりに思い切り剣を振りたいと思っているんだが。ディラン卿、出場することは可能だろうか?」
「ええ!参加されるおつもりですか?」
「ああ。勝ち上がっていくのも楽しいだろう」
「それはまた、自信がおありなんですね」
「おお!そりゃあ、いいですな。私も久し振りに参加するのも面白そうだ」
「えっ?ネイサン、年を考えろよ」
「何を言うか、サイラス。俺はまだまだ若い者には負けんぞ。それよりお前は出ないのか?」
「うちはマックスが出ますよ。私が荒事が苦手なのを知ってるくせに」
サイラスは恨みがましい目でネイサンを睨んだ。
「ワッハッハッハ!!そうだったな」
「俺も出ようかなあ」
「サーニン、お前まで何を言うんだ」
「おお、出ろ出ろ!!若い奴らとやり合うのも楽しそうだ」
「ネイサン、煽るのはやめてくれ」
「父さん、いいじゃないか。これも親善の一つだよ」
「まあまあ、サイラス殿。サーニン殿の言う通りですよ。ヘンドリック様もネイサン卿も、皆で参加して盛り上げて下さいよ」
「はああ。無責任な事を・・・でもアルトワ様が仰るなら仕方がありませんね」
「ではディラン卿、参加できるように手配をお願いするよ」
「ええ、ええ、お任せ下さい。ヘンドリック様」
「そういえば、辺境で続いている隣国との小競り合いに、新たに人員を募集していると聞いたんですが、実際のところどんな状況なんですか?ネイサンは何か知ってるかい?」
「ああ、サイラスも気になってるのか。アルベニス王国との国境にある白鳥山の領有権についての小競り合いだろ。詳しくは知らんが、あの国は少し前に代替わりして若い王になったんだが、白鳥山に埋蔵されている鉱物を目当てに領有権を主張してきたんだ」
「鉱物だって?初耳だが、何が見つかったんだい?」
「ロートリンゲン王国側の山奥で、金が見つかったんだよ」
「なんと!麓の村は確かロートリンゲン王国の村じゃなかったかい?。税金もこっちに納めてるはずだが」
「ああ、サイラスの言う通りだ。だから、その村までがロートリンゲン王国で、その先はアルベニス王国だとあっちは言ってるんだ。反対にロートリンゲン王国は山全体が自国のものだと主張している」
「なるほど。ところでその鉱物はどうやって発見されたんですかな?」
「砂金らしい。白鳥山は山岳信仰のある山だろう。女人禁制だし、人は滅多に足を踏み入れないと聞く。その山奥の川で見つけたんだとよ」
「ネイサン卿、その情報はどこで?鉱物の種類は極秘だったはずだが、驚いたな」
ヘンドリックは驚いて口を開いた。
「ハハッ。蛇の道は蛇、ですよ、ヘンドリック様。商人の情報は早いですからな」
「ほほう、なるほど。それを見つけたのがアルベニス王国の奴だったのか」
サイラスが得心して手を打った。
「ああ、そういう事だ」
「それで?」
「私の知ってる限りでは、村や山中を避けたアルベニス王国側で戦ってると聞いている。ブラサンガ辺境伯の警護が厳重なおかげで、今はまだ本格的な戦にはなっていない。あちら側も様子見といったとこだ」
「ああ、ヘンドリック様もご存知だったんですね」
「もちろんだ。城を出る前から議題に上がっていたからね。小競り合いを一掃して不可侵条約を結ぶのが最善の策だと考えている。あちら側の麓にも村があり、白鳥山から流れる川に沿って村や町がある。水源を差し止めて警告するのは大変だ。欲をかいて戦争になる前に叩いておいた方がいいだろう」
「小競り合いも長く続くと警護にも隙ができるでしょうし、辺境伯領が疲弊すると国にも影響を及ぼしますからな。全く、早く終わるに越したことはないですな」
「ええ、ええ。アルトワ様の仰る通りです。兵士の募集をしてるとなれば、今度の剣術大会でも目ぼしい者には声が掛かるかもしれませんね。サーニン、マックス、適当にやればいいからな」
「父さん、何を言ってるんですか。出るからには最善を尽くすに決まってるでしょう」
「いやいや、万が一辺境に連れて行かれたらどうする」
「行きませんよ。断ります」
「ふむ。サーニン殿やマックス殿は腕に覚えがあるようだな。対戦するのが楽しみだ」
「俺のは我流ですが、喧嘩なら負けませんよ」
「兄さんよりオレの方が強いぜ」
「マックスまでやめろ。ヘンドリック様も煽るのはやめて下さいよ」
「ハハ。サイラス殿、すまないな」
男同士で国の情勢について話していると、ヘンドリックは王太子に戻ったような錯覚に陥った。かつてウィリアムやスチュアート達と様々な案件に対して意見を交換し、解決を探ってきた日々を思い出した。それが今は、噂話でしか関われない事に気づき、少なからずショックを受けた。
(自分のやりたかった事は何だったんだろうか?)
かつて理想を語り合った王太子としての思いが頭をもたげた。一時の熱情に流されて放り出してしまったとチクリと胸が痛んだ。だが、ヘンドリックはその考えを振り払うように頭を振った。
(いや、一時の熱情じゃない。ちゃんと考えて出した結論だったはずだ。私はリディとの未来を選んだんだ。忘れたら駄目だ)
ヘンドリックは揺れ動く気持ちを見ないようにした。少しずつ、少しずつ積もっていく思いに比例するように、自分の選んだ道に対する責任と義務が芽生えてくるのを感じる。
(この思いは危険だ。考えるな。心の奥を覗き込んでは駄目だ)
ヘンドリックは片手で口元を押さえ、思案するように目を閉じた。
「それはそうと、グレアムはいつ頃来るんだ?」
「グレアム様でしたら確か開港式に合わせてだったはずです。婚約者になられるアンジェリカ嬢もご一緒に来られますよ。1ヶ月程滞在される予定でしたかな」
「そうか。久しぶりに会えるな」
「夜会も開く予定ですのでヘンドリック様もぜひお越し下さい。改めて招待状を送りますので。それと、厚かましいとは重々承知しておりますが、その、ロザリンのファーストダンスのパートナーをお願いできませんか?」
「ロザリンの?パートナーはいないのか?」
「ええ。婚約者も、パートナーを頼める身内もおりませんでね。どうしたもんかと頭を悩ませていたんですが、今日のお二人の演奏を聴いて閃いたんですよ」
「ふむ。パートナーは無理だが、ダンスだけなら構わないだろう」
「そうですか。ありがとうございます。はあ、やっとここ数日の悩みが解決しましたよ」
ディランはやれやれとばかり、ホッと胸を撫で下ろした。
「では、私はちょっと席を外して婚約者のご機嫌伺いに行ってくるよ」
そう言うと、ヘンドリックはディラン達の輪を離れてリディアの元へ向かった。
ヘンドリックとロザリンが弾いた曲もブラームスです。