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アルトワ男爵家の晩餐会


 毎日の生活に追われるうち、あっという間に晩餐会の日がやってきた。

 リディアは朝から支度をするのに大わらわだった。ヘンドリックが日課をこなす間も、髪の手入れやドレス選び、それに合わせた装飾品や靴を、あれでもないこれでもないと、引っ張り出してきては吟味している。


 結局リディアはシンプルな青いワンピース風のドレスを選んだ。ラウンドネックの開きが深く、胸元や袖のレースが繊細で上品に見える。髪はハーフアップにして、ドレスと同色の青いリボンを結んだ。旅先で買った青い宝石の耳飾りやネックレス、指輪を身につけて準備を終えた。最後にクリーム色のショールを手に取ると、ヘンドリックに声を掛けた。


 ヘンドリックはゆったりとした袖の白いシャツに青いクラヴァットを結び、濃紺のトラウザーズと夏用の丈の短い白のジャケットを着た。


 町で馬車を拾い、アルトワ男爵の屋敷に向かう。

 アルトワ男爵の屋敷はザフロンディを見下ろす小高い丘の上にあった。町から馬車に乗り、三十分程で到着した。


 広い庭園を抜けた先に屋敷はあった。呼び鈴を鳴らすと執事が出てきて、玄関ホールに案内された。

 そこには先に来ていたサイラスやサーニン達の他に数人がいて、晩餐の準備ができるまで談笑しながら待っているようだった。


「ようこそお越し下さいました、ヘンドリック様」


 声をかけられて振り向くと、アルトワ男爵が立っていた。


「やあ、ディラン卿、久しぶりだな。今日は会えるのを楽しみにしていたよ。私の婚約者を紹介しよう。リディアだ」


 リディアはヘンドリックの隣でペコリと頭を下げた。


「ああ、貴女が噂の婚約者殿ですか。ディラン=アルトワです。お見知りおきを。いやあ、それにしてもリディア嬢は、なかなかお綺麗な方ですね。ヘンドリック様が道を違えられたのも・・・おっと失礼しました」


 ディランがうっかりといった様子で、口元を手で覆った。リディアはピクッと肩を竦ませ、ヘンドリックの後ろに隠れてその腕にしがみついた。ヘンドリックは気色ばみ、ディランを睨んだ。


「失礼。ディラン卿、それはちょっと言い過ぎでは?」


 男爵の後ろから、浅黒い肌の目つきの鋭い年配の男がにこやかに笑いながら声をかけてきた。


「ああ、そうですな。失礼致しました。仕事を最後までご一緒できなかった故の愚痴ですよ。どうかお気になさらないで下さい」


「それは、私も残念に思っていた。だから今日は声をかけて貰いありがたく思っているよ。ところで、そちらは?」


「ああ、我が領一番の商社を経営するネイサン=ケイティ準男爵です。ネイサン卿は平民出身ながら仕事を通して国に貢献し、数年前に准男爵位の称号を賜ったんですよ。他にも、今回の交渉に携わってくれた者達を呼んでいるので紹介致しましょう」


 そう言って、ディランは数人をヘンドリックに紹介した。今回の交易に関しては、ヘンドリックは現地には出向かず、アルトワ男爵を通じて手紙のやりとりで交渉の指示をしていた。それも殆どがウィリアム達に任せていたので、初めて聞く名前が多かった。


 リディアはロザリンに手を引っ張られ、男爵夫人やロザリンの妹のヴィオレッタ、そしてパートナーとして来ていた女性達に紹介されたが、リディアはこういった会は初めてで、ぎこちなく挨拶をした。


 挨拶をしている時から、リディアは中年の女性達に値踏みするような目で見られて居心地の悪い思いをした。特にレイラ=ケイティ准男爵夫人は傲慢な態度でリディアをあからさまに見下していた。傍にいる女性達はレイラの取り巻きのようで、レイラより半歩ほど下がって立っている。


 アルトワ男爵夫人やロザリン、ヴィオレッタは他の招待客に挨拶しに行ってしまい、残されたリディアは一人で、学園の令嬢達とは違う、のし上がってきたからこその威圧感を持つ、大人の女性を相手にしなければならなかった。

 

「あなたがヘンドリック様の婚約者のリディアね。初めまして、レイラ=ケイティよ」


 扇で口元を隠しながら、レイラが確認するように訊ねた。

 若い頃はモテただろう面影が残る肉感的な美人だ。胸元の開いたえんじ色のドレスがよく似合っている。

 レイラの言葉を皮切りに女性たちから次々とあけすけな質問が重ねられていった。


「噂通り可愛いわね」


「可愛いけどパッとしないわよ」


「そうねえ、平民丸出しね。垢ぬけないし。そこが魅力なのかしら?」


「ヘンドリック様もどこがよかったのかしらねえ?」


「わかんないわねえ」


「私達は平民だけど、こういった場に来ることもあるから最低限の礼儀作法は学んだんだけど、あくまでも最低限よ」


「そうそう。その私達から見ても、ねえ」


「ええ。あまりにもお粗末だわ。なに?あの礼の仕方。もたもたしてみっともない」


「本当、吹き出すのを我慢するのが辛かったわね」


 クスクス、クスクス


「ねえリディア、老婆心ながら一言助言しますけど、これからもヘンドリック様の横に立つつもりなら、もう少し礼儀作法や所作を勉強した方がいいわよ?」


「ええ、レイラ様の言う通りよ。礼の仕方も挨拶も、あれではパートナーの恥よねえ。ロザリン様をお手本に練習した方がいいわよ?」


「あら、それは名案ね!それがいいわ!ね、そうしなさい。それがあなたのためよ」



「ヘンドリック様のためでもあるわね」


「そうよ。結婚したら男爵夫人になるんでしょう?いくら平民の暮らしだとしても、貴族なんだから礼儀作法は必要よ。今のままじゃあ、恥ずかしくてどこにも連れて行けないわね」


「全く、レイラ様の言う通りよ。そんな作法でよく来れたわね」


「本当。私だったら恥ずかしくて辞退するわね」


「私もだわ。この後のテーブルマナーは大丈夫なの?」


「手掴みで食べちゃダメよ」


「まあ、ホホホホ。失礼、笑っちゃダメね。下手な冗談はやめてちょうだい。」


 女性達はリディアを嘲り笑い合った。リディアは目に涙を溜め、ヘンドリックの姿を探した。


「あら、どなたかお探し?」


「ええ。自分では反論できないから、泣きつく相手を探してるんでしょう?」


 リディアはその言葉にハッとしてレイラを睨んだ。


「どうして、あたしをいじめるんですか?」


「いじめてなんていませんよ。助言だって言ったでしょう」


「あたしをバカにして!ヘンリーに言いつけてやるわ」


「ふん、学園でも自分では手を汚さずに、そうやって男の影に隠れて過ごしていたのね」


「おお、怖い」


「アバズレね」


「何を言ってるのよ!!」


「脅せば怯むと思ってるの?ホホホ、キャンキャン吠えてみっともない」


「みてなさいよ、ヘンリーにやっつけて貰うから!!」


「いい加減にしなさい。今のヘンドリック様にそんな力がない事もわからないの?」


「何ですって!!」


「試しに言いつけてみたらどう?」


「ホホホホ!!」


 レイラ達は扇を広げて可笑しそうに笑い合っている。


「何でこんな事するのよ」


「あら、面と向かって言われた事ないの?あなたの周りは優しい人ばかりだったのね」


「本当に。サイラス様のご家族は優しいですものね」


「アルトワ男爵様もね」


「リディア、わからない?あなたのことが嫌いな人間もいるんですよ。それなのに、恥知らずにもこんな場所にやって来るんだもの。言いたくもなるでしょう?」


「レイラ様は、婚約破棄の事を知ってから、お相手の女に対してずっと怒ってらしたのよ」


「ええ。筋を通さない恥知らずがどんな子か見てみたかったけど、思った通りバカな子供だったわね。あなたの実家とは取引がないけれど、うちは絶対に取引はする気はないわ。よく覚えておきなさい」


「うちもですよ」


 レイラとその取り巻き達は、口々にリディアを非難する言葉を連ねた。

 リディアはバカにされた事より、ヘンドリックに力がないと言われ、ショックのあまり言葉も出なかった。



 そうするうちに晩餐の用意が整ったと知らせがあり、一同は食堂に移動した。晩餐とは言っても、式典に向けての顔合わせのようなもので、比較的アットホームな雰囲気だ。


 マホガニーのダイニングセットに銀の燭台や食器、ガラスが並べられ、野菜のポタージュ、香辛料の効いた魚介のトマト煮、蜂蜜とマスタードのソースで味付けしたスペアリブには焼き野菜を添えて。そして林檎を使ったデザートなどが運ばれてきた。


 夫人達はリディアをチラチラと見てきたが、気付かないふりをして、隣に座るヘンドリックと時々言葉を交わしながら食事をした。美味しいはずの食事も、自分に向けられた敵意を感じると、味わうより早く帰りたいとしか思えなかった。


 一同は出された料理に舌鼓を打った後、歓談を楽しむため広間に移動した。広間にはお酒や飲み物、お酒に合うデザートなどが用意されていた。


 ディランが前に出て、コホンと咳払いをした後に娘達を側に呼んだ。


「今日は楽団も呼んでおりませんので、お耳汚しではございますが、娘達のピアノ演奏をお聴き下さい」


 ロザリンとヴィオレッタはお辞儀をすると、ピアノの前に並んで座った。


 目を合わせ軽く頷くと、二人の手が軽やかに音を紡ぎ始めた。彼女達が選んだ「四手のためのソナタ」は、ユニゾンや交互にメロディーとハーモニーを奏でたりと、連弾の魅力が詰まった曲だ。華やかな冒頭部から始まる快活で明るい曲想。難しさを感じさせない親しみやすい曲を、二人は楽しそうに弾いた。


 曲が終わると二人はお辞儀をした。皆は拍手と共に口々に二人を褒めそやした。ヴィオレッタは下がり、ロザリンはそのまま一人で椅子に座り直して鍵盤の上に手を置いた。


 「ふたつのラプソディ一番」は、力強い始まりから、激しく、天空を駆け抜けるような躍動感が情感を沸き立たせる曲だ。ロザリンは普段の優しくおっとりとした性格とは異なり、力強く、滑らかに鍵盤を叩いた。そして激しさが一転して消える中間部を経て、再び激しく荒々しい勢いで畳み掛けるように頂点へと上り詰めた後、静かに終わった。


 ロザリンは余韻を残したまま、静かに立ち上がりお辞儀をした。皆は惜しみなく拍手を送った。


「今日の会には合わないかなと思ったんですが、好きな曲なのでこれを選びました」


 ロザリンは恥ずかしげに頰を染めて説明した。


「いやいや、素晴らしい演奏で溜息が出ますよ」


「全くです。また上達されたんじゃないですか?」



「リディアさんも一曲弾かれたらどう?聴いてみたいわ」


 誰からともなく声が上がった。

 リディアは声のする方を見たが、誰が言ったのかわからなかった。


(私に恥をかかそうとするなんて酷い!何で私がこんな思いをしなきゃいけないのよ。もう帰りたい)


 リディアはヘンドリックの服の裾を摘んで、イヤイヤをするように首を振ると、涙を溜めてヘンドリックを見上げた。


「リディアの代わりに私が演奏しよう」


 リディアを庇うようにヘンドリックが進み出た。


 


 





 



 

 










ピアノ曲

一曲目はモーツァルト

二曲目はブラームスです。個人的にはブラームスとチャイコが大好きです。


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