すれ違い4
ロザリンを誘い休憩をするつもりだったが、ヘンドリックの返事を父に伝えるために早退すると決めたロザリンは、急いで事務室に行ってしまった。
ロザリンを見送った後、ヘンドリックはリディアと食堂に行き、不機嫌な様子を隠しもせずに休憩を取った。
「ねえ、何か怒ってるの?あたし、何かヘンリーの気に障ることした?」
「何をしたのかわからないのか?本当に?君は、私の面目を潰したんだよ」
「どういうことかわからないわ」
「そうだろうね。わかってやっていたら許さないよ」
「・・・ごめんなさい。あたしが、悪かったわ」
「何が悪かったんだい?」
「それは・・・・・・」
「わからないのに謝るのか?」
「だって、ヘンリー、ものすごく怒ってるんだもの」
「もういい。これからは私が話している時に出しゃばらないでくれ。私を庇うのも、だ。わかったな。君は私が弱いと思ってるのか?それとも何も出来ない情けない男に見えるのか?」
リディアは慌てて首を振った。
「違うの。ヘンリーが蔑ろにされてると思ったの。ヘンリーの事をもっと大切にして欲しかったし、それにロザリン様と二人きりになって欲しくなかったのよ」
「そんな・・・」
ヘンドリックは、リディアのあまりにも身勝手な考えに言葉を失った。
「リディが私を大切に思ってくれている事はわかった」
「ヘンリー!!」
リディアはパッと目を輝かせてヘンドリックを見つめた。
「だが君は、騎士としての私を貶めた。それに婚約者としての私の事も信じられないと言ってるんだ」
「あっ!」
リディアは目を見開き、口元を両手で覆った。
「あ、あたし、そんなつもりじゃ」
「ああ。そんなつもりじゃなかったんだろう。だが、君がした行為はそういう事だ」
「あ、あ、ごめんなさい。あたし、ロザリン様が怖かったの。ヘンリーが取られるんじゃないかって思ったら、もう止まらなくなっちゃって」
「私が信じられないのか?」
「信じたいと思ってるわ。でも、不安なの」
「・・・そろそろ休憩は終わりだな。続きは帰ってから話そう。私も少し冷静になる必要がある」
ヘンドリックはそう言うと、席を立って食堂を出て行った。残されたリディアは泣きそうになりながら、その後ろ姿を見送った。
「帰るのが怖い。ヘンリーがあんなに怒るなんて思わなかった。あたし、どうしたらいいの?」
その後はそれぞれ与えられた仕事をするうちに帰る時間になった。その頃にはヘンドリックの気持ちも落ち着いたようで、表面上は普段通りに見えた。
リディアが出てくるのを待って、いつもと同じように夕食の買い物をしながら家路についた。
家でも普段と同じように会話をしながら夕食を終え、リディアも漸く緊張が解けてホッと一安心した。食後のお茶を手に、二人はソファに腰掛けた。ヘンドリックはカップを持ったまま、浮かない顔で考え込んでいる。リディアはヘンドリックの肩にもたれかかり、甘えた声を出した。
「ヘンリー、あたし、あなたの事が大好きよ。これからもずっと。あたしが死ぬその時まで」
「ああ」
きっと、その気持ちは本当なのだろうとヘンドリックは思った。
(でもそれは私がリディを大事にし、尊重しているからだ。ではリディはどうだ?私を大事に思ってくれているが、尊重はしてくれているのだろうか?)
(ロザリンを守って欲しいと言うサイラスの言葉は、私の腕を信じて言ってくれたものだ。貴族同士ということもあるだろう。だが私という存在が認められたのだと思う。アルトワ男爵からの申し出もそうだ。今までしてきた事が認められた結果だと信じられる。思惑があるかはわからないが、素直に嬉しいと思える)
「リディは私にどうあって欲しいんだ?」
「あたしと、あたしの家族を大切にして欲しいの」
「それは、大切にしているつもりだが」
「だったら、ロザリン様の護衛はやめて欲しいの」
「なぜだい?」
「だって、あたしを大切に思ってたら、他の人の護衛なんてしないでしょう?普通は」
「どうしてそうなるんだ?」
「えー、だって他の人を守ってたら、あたしに何かあった時にどうするのよ。助けられないじゃない」
ヘンドリックはリディアの言い分に頭を抱えたい気持ちになった。
「リディ、私は王太子だった人間だ。騎士としての矜持もある。今は平民の暮らしをしているが男爵位を持つ貴族だ。私にはリディのように自分本位に物事を考えられない」
「どういうこと?」
「私はリディとの生活も守る。それと同じくらい、いや、それ以上に大切なのが、貴族としての義務だ」
「なによ、それ?」
「社会的責任と義務だよ。授業でも習っただろう?自分達の利益を優先する事のないように、社会の規範となるよう振舞いなさいと、事あるごとに教授に言われたじゃないか」
「ああ、あれね。おかしいなって思ってたの。普通は誰だって自分達を優先するでしょう?」
「いや、私は幼い頃から王族としての責任というものを叩き込まれたよ。物事を決める基準は、自分の事より国民にとって良いか悪いか、正しいか否か、必要かどうか、だ。それに社会的弱者を助けるのも大切だと教わった。だから、強い立場のアンジェリカからいじめられていると聞いて、リディを助けたんだ。」
「そうね。あたし、助けて貰って感謝してるわ。本当に辛かったもの」
「ああ。なら私が言いたい事はわかるな。私は騎士として淑女を危険から守るし、従業員として上司に従いロザリン嬢と仕事をする。当たり前だろう」
「そんなことないわ。サイラスおじさんに出来ないって言えばいいじゃない。おじさんだって、ヘンリーが断れば引くと思うの。だってあたしはイヤよ。ヘンリーがロザリン様と二人きりになるなんて」
リディアはいやいやをするように、首を横に振った。
「リディ、いい加減にしてくれ。こんな事でもめたくない。もう決まった事だ」
「反対してもするんなら、あたしに訊かないでよ」
ヘンドリックはこの話に関しては、いつまでも平行線になると感じた。そもそも価値観が違うのだ。上手く言えないが、リディとは思考の根本が合っていない。学園で受けた授業もリディの心には響かなかったらしい。
今後、互いに相手に合わせる事は難しいだろうと思い、ヘンドリックは大きく溜息を吐いた。
そしてこの話を終え、ロザリンの話で疑問に思ったことを訊いてみることにした。
「じゃあ、これからはリディに訊かずに決めることにするよ。それと、今日ロザリン嬢と学園の話をしていたんだが、アンジェリカがリディをいじめているとは知らなかったそうだ。とても驚いてたがどういう事かな?リディは皆が知っていると言ってたはずだが」
「ええ、そうよ。皆が見ている場所でも言われたりしたわ。でもそれはあたしたちの学年の場所が殆どだったから。一年生は知らなくてもおかしくないんじゃないかしら?ヘンリーだって、一年生の事はあまり知らないでしょう?」
「ああ、そうか。確かにそうだな。ロザリン嬢が知らなくても不思議ではないのか」
リディアは内心、大袈裟に言ってた事がバレたらどうしようかと焦ったが、ヘンドリックはその説明で納得したのか深くは訊かなかった。
そうよ、アンジェリカ様は衆目の的となるような場所での注意はあまりしなかった。いつも人目のない場所にあたしを呼び出して嫌味や注意をしてきたのよ。本当に、いい子ちゃんぶったイヤな令嬢だったわ。みんな表の顔に騙されてるだけよ!
ヘンドリックはリディと話すのに疲れてきた。二人だけの生活では感じなかった価値観の違いに初めてぶつかり、どうやってもその溝を埋める事が出来なかった。それならばと深く追及するのをやめた。そんな事をしても無駄な時間が過ぎるだけだ。
「そういえば、ロザリン嬢からリディも晩餐会に招待されたけれど、どうする?一緒に行くか?」
「え?あたしも?」
「ああ、私の婚約者としてだ」
「まあ、嬉しい!行きたいわ。でもドレスも靴も、装飾品も何も持ってないわ。買っていい?」
「ああ、好きなのを買えばいいが、晩餐会は近いうちに開かれるから間に合わないかもな。そこまで畏まる必要はないだろうから、持っているものでいいよ」
「そうなの?でも急いで探してみるわ」
リディアは嬉しそうに笑った。ヘンドリックはそんなリディアを以前ほど可愛いと思えなくなっているのに気づき、焦りを感じた。
翌日になり、ヘンドリックは晩餐会の招待状を受け取った。週末の休息日だった。ヘンドリック達の事を気遣ってか、畏まらなくていいと一言添えられてあった。
「ヘンドリック様、この日の晩餐会にはサイラスとサーニン、マックスも呼んでいますから、どうぞ普段着でお越し下さいませ」
「そうか。アルトワ男爵の配慮に感謝する。喜んでお伺いすると伝えてくれ」
ヘンドリックは事務室で返信を認めてロザリンに渡した。
「ありがとうございます。父に伝えますね」
この週はリディアからの横槍も入らず、ヘンドリックとロザリンは順調に仕事をこなした。お互いにだいぶん打ち解け、口調も気安くなった。
ヘンドリックにとって、ロザリンはヴィヴィアンやアンジェリカと同じ妹のような存在になった。当たり前だが、ロザリンも幼い頃から貴族としての教育を受けており、言わなくても通じる部分が多くてヘンドリックは一緒にいて楽だった。
「ロザリン嬢は、領地の視察に行ったことはあるかい?」
「ええ。何度か父と一緒に回ったことがありますわ。敷地はあまり広くはありませんが、港があるおかげで色んな商売が盛んですの。王都にも早くて四日程で行けますし、材料を輸入して領地で加工してから輸出している物もあるんですのよ。アルトワは外に開かれた土地なんです。活気があって良い所だと自負しておりますわ」
「ロザリンは領地の事になると一気に饒舌になるね」
「まあ!話し過ぎましたか?失礼しましたわ」
「いや、自分の事も話してくれたら嬉しいんだけどな、ハハッ」
ヘンドリックの言葉にロザリンは顔を赤くした。
「でも、面白い話は出来ませんから」
「ハッハッハ!面白い話を期待してるわけじゃないよ。ロザリン嬢の事をもっと知りたいと思っただけだよ」
「まあ!!そんな事仰られたら困ります」
ロザリンはさらに顔を赤くして慌てた様子で答えた。
「フフ、冗談だよ」
ヘンドリックは気安い笑いを返した。ロザリン嬢との時間は、ヘンドリックが王太子であった頃を思い起こさせた。平民として馴染もうと無意識に気を使っていた心が軽くなるのを感じる。
「もう!冗談が過ぎますわ」
ロザリンが拗ねた様子でそっぽを向いた。
「ハハハ。いや、ロザリン嬢といると、妹のヴィヴィを思い出してね。つい揶揄いたくなるみたいだ。別に他意はないよ」
「まあ!ヘンドリック様がこんなに砕けた方だなんて思いませんでしたわ」
「おや、幻滅させてしまったかな?」
「いいえ。畏れ多いですが、お兄様がいたらこんな感じなのかしらって楽しいですわ」
「それはよかった」
二人は仕事を終えると、たわいのないお喋りをして過ごした。