すれ違い2
二人がサイラスの店で働くようになって、約一ヶ月程が経った。
ヘンドリックのほうは仕事にも慣れ、人間関係もそれなりに築く事が出来たが、リディはそうはいかなかった。女性従業員から陰口を叩かれたり嫌がらせを受けたりと、学園にいた頃以上に嫌な思いをする事が多かった。
それでもへこたれず強くいられたのは、ヘンドリックが愛してくれていると信じていたからだ。
シャルナ王国との交易を約一か月後に控えた週末、サイラスは朝礼で、交易の祝賀会が始まるまでの間、社会勉強のために働く事になったアルトワ男爵令嬢を紹介した。
プラチナブロンドの髪をハーフアップにして、紺のリボンを結び、赤みがかったブラウンの瞳は、光の加減で金色に見える。貴族らしい白い肌は羞恥心のためか、ほんのりにピンク色に染まっている。
緊張をはらんだ瞳は警戒心が宿り、口元は引き攣った笑みを浮かべている。オドオドと目が泳ぎ、落ち着きなく両手を組んだり解いたり、スカートを強く握ったり離したりする様子は警戒心の強い小動物のようで、見ている側にも緊張を強いた。
クリーム色の、あまり華美でないドレスを着ているが、これから仕事をする服装としては適していなかった。そのドレスのスカートを軽く摘んで淑女の礼をする。
「……ロザリン=アルトワと申します。あの、あ、明日から、一か月と短いあ、間ですが、りょ、領と、国の為に、べ、勉強したいと思っております。あ、あの、よろしくお願い致しますわ」
ロザリンはか細い声で挨拶をすると、もう一度淑女の礼をして、もじもじと所在なげに俯いた。
オロオロと自信なさげに立つロザリンを見て、守ってあげたい、助けてやろうと固く決意する男の従業員は多かった。ヘンドリックもアンジェリカと同い年だと思うと、彼女に対する罪悪感から、またサーニンから頼まれたこともあって、ロザリンが有意義に過ごせるよう手助けしようと思った。
続けてサイラスから、ロザリンはヘンドリックの補佐として仕事をしてもらうと伝えると、女性従業員から小さく不満の声が上がった。だが領主の娘とどう接すればいいかわからない彼女達には、ロザリンを使うのも難しかったので、不承不承だが納得して不服を申し立てる者はいなかった。
朝会が終わると、リディアはサイラスを追って事務室に向かった。勢い込んで扉を開けると、仕事の説明を受けるヘンドリックと目が合った。
「リディ、どうしたんだい?ノックもせずに」
「あ、ごめんなさい。サイラスおじさんに話があるの」
「ああ、リディアちゃん、ちょっと待っておくれ。ヘンドリック様、先程朝会でも紹介しましたが、こちらがアルトワ男爵令嬢のロザリン様です。仕事の時は他の従業員と同じように扱って欲しいと領主様から頼まれていますので、そのつもりでお願いします。それとロザリン様、こちらがアシュレイ男爵ヘンドリック様です」
「ロ、ロザリン=アルトワでございます。よろしくお願いいたします」
ロザリンは慌てて淑女の礼をした。流れるような所作は先程よりスムーズで美しかった。
「ヘンドリック=アシュレイだ。こちらこそよろしく」
「それと最初に言っておきますが、ロザリン様も仕事中はロザリンさんとお呼びしますのでそのおつもりで。あと客相手の店ですので、ロザリン様の護衛の方には送迎時のみでとお願いしていますよ。まあ、危険な事はないと思いますが、万が一の時はヘンドリック様に守っていただければありがたいんですが……」
「おじさん!ヘンリーは王族なのよ。なんで護衛なんかさせるのよ。ヘンリーに何かあったらどうするのよぉ?」
リディアがサイラスの話を遮るように口を出した。
「リディ、黙って。それに私はもう王族じゃない」
ヘンドリックは羞恥に頬を染め、口出しするなとリディアを睨んだ。
「でも、あたし、心配で」
「私が弱いと思ってるのか?」
「そんなんじゃないわ。ただ……」
「ただ、何だい?」
「あの、すみませんが、そういった話は家でやって貰えますかねえ」
サイラスが困惑顔でヘンドリックを見た。ヘンドリックの横ではロザリンも、オロオロと落ち着きなくリディアとヘンドリックを交互に見比べている。
ヘンドリックはフイとリディアから目を逸らすと、ロザリンの方を向いた。
「見苦しいところをお見せして申し訳ない。彼女は婚約者のリディアです。彼女が失礼なことを言ってすまなかった」
「とんでもございません。あの、これからよろしくお願いしますわ。アシュレイ男爵様、リディア様」
ロザリンは頭を下げて礼をした。そして俯いたままヘンドリックの言葉を待った。
「私の事はヘンドリックと呼んでくれ。私も貴女をロザリン嬢と呼ばせてもらおう」
「もちろんです。ロザリンでも、ローザでもロゼでも、お好きにお呼び下さいませ」
「ではロザリン嬢、頭を上げて下さい。私は貴女と同じ男爵位ですのでかしこまる必要はありませんよ」
「は、はい。でも……」
「ここでは皆からヘンドリックと呼ばれています。ですからロザリン嬢もそう呼んで下さい」
「あ、あの、わかりましたわ。ヘンドリック様」
ロザリンは真っ赤になりながら答えた。リディアはその様子を忌々し気に見ていた。
「ロザリン様、ヘンリーにはあたしがいる事を忘れないで下さいね」
「リディ、いい加減にしろ!恥をかかせないでくれ」
「だって」
「もういい。帰ってからゆっくり話そう」
ヘンドリックはこめかみを抑えながらリディアを見た。リディアは目に涙をため、今にも泣きだしそうな様子で項垂れた。それを見るとかわいそうに思ったが、これから何かあるたびに口出しされたら堪らないと、ヘンドリックは謝罪も慰めもせず黙っていた。
「ではすみませんが、ヘンドリック様。この店の案内と、その後は在庫確認と荷物の仕分けをお願いしますよ。それが終われば後はサーニンに聞いて下さい。今日は初日ですので、ゆっくりで構いませんから仕事場の雰囲気を見て回って下さい」
サイラスが見かねて、ヘンドリックに部屋を出るよう促した。ヘンドリックはロザリンに手を差し出し、ロザリンは恐縮しながらその手を取った。
「ヘンドリック様、よろしくお願い致しますわ」
ヘンドリックは頷くと、そのままエスコートして部屋から出て行った。
「リディアちゃんの用事は何かな?」
後を追おうとしたリディアを止めるようにサイラスが声をかけた。リディアは後ろ髪を引かれる思いで一瞬顔を歪めたが、サイラスに向き直ると、両手を組んで甘えた口調でお願いをした。
「あ、あたし、ロザリン様とヘンリーを一緒にしないで欲しいって言いに来たの」
「そうか。でもリディアちゃんの頼みでも、それは聞けないなぁ」
「どうしてよぉ。お願い、サイラスおじさん。もし無理ならあたしも一緒に三人で働かせて欲しいの。ダメ?」
「うーん、遊びじゃないからなあ。悪いけど、リディアちゃんには接客をお願いするよ」
「どうしてもダメ?」
「ああ。アルトワ領のお嬢様だからわしらでは対応が難しくてね。ヘンドリック様と一緒にいて下さるのが一番だと思うんだよ。サーニンと相談して決めたから、あれに頼んでも無駄だよ」
「サイラスおじさんのいじわる」
「ハッハッハッ。リディアちゃん、もう子供じゃないんだから聞き分けておくれよ」
サイラスはリディアの背中をバンバン叩きながら笑ってこの話を終わらせた。
リディアは不安でしょうがなかった。ロザリンはアンジェリカ様を彷彿とさせる。彼女の所作は貴族のそれで、リディアにはないものだ。学園でこそリディアの素朴な良さが浮き出ていたが、庶民の中ではロザリンの美しい所作がとても目を引く。
「ああ、ヘンリーが以前の生活を思い出して、ロザリン様の方がよくなったらどうしよう」
「後で話そうって言ってたけど、何を話すのかしら?あたし、何かしてしまったの?」
リディアは泣きそうになりながら、店内に戻り客が来るのを待った。
♢♢♢♢
ヘンドリックは店を案内しながら、サイラスの仕事の手腕に舌を巻いた。リディが思っているような、ただの気のいいおじさんではない。人が好いだけではここまで大きな商売はできないだろう。サイラスについては注意しておいた方がいい気がしたが、肩を竦めて考えるのをやめた。
所詮、自分は政治に関与できる立場ではないし、そこから逃げ出した人間なのだから。いいように使われないように用心だけしようと考え直した。
そしてサイラスに言われた仕事をしようと、ロザリンを連れて倉庫に向かった。
ロザリンはヘンドリックがよく知る貴族らしい令嬢だった。お淑やかで従順そうな可愛らしい少女で、妹のヴィヴィアンやアンジェリカを思い出させる。
ヘンドリックはまず三階から順に店の中を案内していった。とはいえヘンドリックも働き始めてまだ間がないので、二人で確認しながら回ることにした。
四階は宝石など貴重品を置いてある部屋と、各店舗や工房の過去の帳簿など重要な書類を保管してある部屋があり、この二か所はサイラスが厳重に管理している。その他、繁忙期などに寝泊まりできるように用意された部屋があったが、サイラス達以外の従業員は滅多にこの階にはやって来ない。
三階は女性従業員の更衣室と食堂があり、昼食は外の店にも食べに行けるが、大抵はここで済ます者が多い。
一階の店舗には洋服や服飾品、小物など女性が好きそうな物が色々と置いてある。そして奥には事務室があり、ほかにシャワー室があった。二階の店舗部分には絨毯や家具類、食器など、生活で必要なものを中心に、高価な装飾品などもガラスのケースに入れて置いてあった。
裏手には大きな倉庫があり、荷物の大半はここに大切に保管されている。その他にも第二倉庫と第三倉庫、厩舎や馬車置き場が少し離れた場所にある。
「思った以上に広いんだな」
「ええ、サイラスの店はアルトワでも有数の商社なんです。手広く商売を展開していて、かなり繁盛しているようです。このような場所で働くなんて、私に務まるかしら」
ロザリンは眉を下げて溜息混じりに呟いた。