小さな綻び3
サーニンは抱えている箱をテーブルの上に置いた。
「何が入ってるの?」
リディアの問いにサーニンはニヤリと笑い、そのうちの一つの箱を開けて見せた。中には小さな小さな宝石がたくさん入っていた。
「うわぁ、この箱全部宝石なの?」
「ああ、宝石とはいっても値段のつかないくず石さ。特殊な加工を施して、服や小物に縫い付けたり、髪飾りなどの装飾品の飾りにするんだ」
「へえ、面白そうね」
「まあな。じゃあ、行こうか。リディアも持てるだけでいいから何箱か持ってくれ。ヘンドリック様にも声を掛けよう」
「待って!!あたし、今ヘンリーに会いたくない。顔見たら泣いちゃいそう」
サーニンは仕方がないなと言いながら、リディアの頭をポンポンと撫でた。リディアは肩を落として項垂れている。
「ごめんね、サーニンお兄ちゃん」
「構わないさ。だけど仕事場でお兄ちゃんはダメだぞ」
リディアはうんと頷いた。
事務室を出て店の裏口から外に出た。倉庫の近くに二頭立てのカートが止まっている。
「オリー、カートにくず石の入った箱を四箱積んでくれ。納品は全部で十箱だ。記帳しておいてくれ。帰ったら確認する。それと先日仕入れた布も持って行くから三箱全て積んでくれ」
サーニンは荷台に箱を置くと、倉庫で作業をしていたオリーに指示を出して、残りの荷物を一緒に運んだ。全て積み終わると、荷が動かないよう固定してカートの御者席に乗り込んだ。そして隣に座るようリディアに手を差し伸べた。
「ヤガの工房に納品に行ってくる。遅くならないと思うが、念のためヘンドリックさんには帰るまで待つよう伝えてくれ」
リディアが隣に座ったのを確認すると、ヘンドリックに伝言を残して出発した。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
オリーの声が追いかけてきた。
しばらく何も言わずにカートを走らせた。町の大通りを抜けて街道を行く。主な町の間には街道が敷かれており、馬車だけでなく行き来はしやすい。隣町のヤガまでは約一時間程で着く。
「風が気持ちいい」
「そうか?」
「ねえ、サーニンお兄ちゃん。あたし、間違ってるのかな?」
「そうだな。俺には貴族のことはわからんが、もしリディアが婚約者の立場だったらどう思うか想像してみたらいい」
「あたしがアンジェリカ様の?」
「ああ、俺は仕来りなんかは知らんし、貴族と平民ではどう違うかもしらん。だけど心ん中は同じだろう?」
「アンジェリカ様の心の中?」
「ああ。お前たちのことは突然だったし、何があって婚約破棄したのかもわからん。それじゃあお前たち二人にロマンスも親近感も何も感じない。婚約者がいる王子様を誑かした悪女にしか見えんさ」
リディアは間違ってないと、負けずに頑張れと背中を押してもらいたくて不安を口にしたのに、サーニンから返ってきた言葉は両親と同じような言葉だった。
「あたし、学園でアンジェリカ様にいじめられてたのよ。ヘンリーに付き纏うなって言って。あたしがアンジェリカ様の立場だったら、嫉妬して相手をいじめるよりヘンリーを大切にするわ」
「ふーん、どうだろうな。リディアは昔っからこうと決めたら譲らない性格だったなあ。おじさんがよく優しくなれってリディアに言ってたのを思い出したよ」
「あたしには優しさで相手を包んでやれって言ってたわよ」
「ああ、それはある程度大きくなってからだろ?お前が五歳くらいの頃かな?よくマックスや周りの子達と喧嘩してた時期があったんだ。覚えてるか?」
「あんまり覚えてない」
「そうか?色んな事で喧嘩してたぞ。同じリボンをしてるだとか、真似をした、遊びに勝手に入ってきた、自分を見て笑っただとかどうでもいい事がほとんどだったな」
「そんなの知らないわ」
「子供の時にはよくある理由だからな。その度におじさんやおばさんは同じで良かっただろうとか、些細な事だから許してやれとか諭してたよ。優しい気持ちを持てってな。本当に覚えてないのか?」
「なんとなくそんな事があったかも、くらいにしか思い出せない」
「お前はそれでもずっと怒ってたよ。やり返したりもしてたんじゃないか?昔から気性が激しかったんだな。そういや俺のお嫁さんになるとも言ってたな」
サーニンはククッと笑いながら、リディアの頭を撫でた。
「そんなの、忘れちゃったわ」
「そうか?かなりしつこかったぞ」
サーニンはさも可笑しそうに声を出して笑った。
「後をついて回って、早く大きくなるからお嫁さんにしてって。指切りしたのも忘れたのか?薄情な奴だな」
「ごめんなさい。もしかしてサーニンお兄ちゃんが結婚してないのは、あたしのせい?」
サーニンはリディアの頭をクシャクシャッと撫でると、大笑いして言った。
「そんなわけないだろ。そんな大昔の約束を守るほどロマンチストじゃないさ。リディアは自惚れ屋だなあ。ただ良い縁がないだけだよ」
「そうだよね。でもサーニンお兄ちゃんて優しくてかっこいいのに彼女もいないなんて不思議。モテないの?」
「薄情なだけじゃなく失礼な奴だな。モテるぞ。でもピンとくる女性がいないんだ。今は仕事が面白いしな」
「まあ、そんな話はおいといて、お前はかなり利かん気の強い子供だったよ」
「あたしの昔話から逸らしたつもりだったのに戻っちゃった」
「お前と仲の良かったシンシアを覚えてるか?二歳上の」
「うん」
「俺のお嫁さんにどっちがなるかで掴み合いの大喧嘩したことがあっただろう?お前は俺にシンシアと喋るなって言ったんだ。それに相手のイヤなところや悪いところを延々と話してきたんだぞ。五歳の女の子が」
「すっかり忘れてるわ」
「他人の悪口を言う奴は嫌いだって言ったら、それからお前は一切、シンシアの悪口を言わなくなったんだよ」
「すごいなあって感心したのを覚えてるよ。まあ、卒業するのを待ってた訳じゃあないが、リディアが帰って来て、まだ俺のことが好きなら申し込もうとは思ってたよ」
「え?あたしのこと好きなの?」
「可愛い妹みたいに思ってるよ。商売人にとって意志の強さは長所だ。融通が効かないのは考えもんだがな。リディアは明るくて素直で美人だろ?そんな子を嫁にしてもいいかなと考えてたのさ」
「そうだったの?なんか、ごめんなさい」
「ハハ、別に謝る事じゃない。お前とは縁がなかったんだ」
「そう?そっか。妹みたいって、それだけの感情なのね」
「ん?なんだ?」
「ヘンリーもアンジェリカ様のこと、妹みたいだって言ってたから。障害があればすぐに諦められるくらいの感情なのかなと思って」
「ああ?男としてはそうかもな。でもな、妹みたいってのは家族に近いって事だ。それだけ大切な人だと思うぞ。俺だって、リディアを女として見れん事はないからな」
「ちょっと、それどういう意味?女として見てるの?見てないの?」
「今は見てない。不毛な事はしない主義なんだ。それに俺は跡取りだからな。誠実で働き者の、店にとっても役に立つ女を嫁にするよ」
「ふーん、そういうもんなの?ま、あたしが好きなのはヘンリーだけだからね」
「ああ、別に口説いてるんじゃないよ」
「そうよ。口説かれたって靡かないけどね」
サーニンは笑いながらリディアの頭を撫でた。
「もう、サーニンお兄ちゃんは昔っから人の頭を撫でるのが好きよねぇ」
「そうだったか?」
「そうよ。いっつも誰かの頭撫でてたわよ。昔はその手が大好きで、お兄ちゃんに見てもらいたくて一生懸命だったな。でもヘンリーの前ではやめてよね」
「そうだな、気をつけるよ」
サーニンは苦笑しながら頭を掻いた。
「さて、そろそろヤガに着くぞ」
少し先にヤガの町が見えてきた。ザフロンディと大して違わないが、店よりも工房が多く立ち並んでいる。
大通りに面した一角に工房はあった。カートが着くなり、中から職人が出て来た。
「よおサーニン、待ってたぜ。どんなもんかチェックするから、しばらく待っててくれ。おや、このお嬢ちゃんは初めて見る顔だな。サーニンのこれか?」
親方風の少し年配の男が小指を立て、ニヤけた顔で聞いてきた。
「まさか!こいつは妹みたいなもんさ。それにこいつには婚約者だっているんだからな。邪推しないでくれよ」
「そうかそうか。それはすまんかったな、嬢ちゃん。サーニンも残念だったな。ハッハッハ」
リディアは笑っていいえと言い、サーニンに少し散歩をしてくると言ってその場を離れた。
ヤガの町は、ザフロンディの西側に位置した小さな町だ。ザフロンディとは違い観光業は盛んでなく、服飾品に関わる職人が多く住む、職人の町だ。中にはヤガからザフロンディに働きに来ている者もいるが、それはごく少数だった。
リディアは町をブラブラと歩きながら、サーニンとの話を思い出していた。
「もしあたしがアンジェリカ様だったら?そんなの考えられないわよ。だって貴族じゃないし、育った環境が全然違うじゃない」
「でも、もしヘンリーにちょっかいかける人が出てきたら?そんなの決まってる。相手を叩きのめすだけよ。あたしの男に手を出したら許さないんだから」
「店で噂されてたように飽きられたら?そんなの考えたくない。でももしあたしを捨てようとしたら?あたしはどうするんだろう?」
「ヘンリーを殺してあたしも死ぬ?」
陰口を言われるのもイヤだ。祝福されないのも、父さんや母さん、みんなに間違ってるって言われるのにも疲れた。誰も知らない所で、二人だけで暮らせたらいいのに。
そうしたら誰からも何にも言われない。二人だけの甘い世界で、ずっとそのまま、死ぬまで。
その考えはひどく甘美で、抗い難い誘惑として、胸の中をじんわりと侵食していくような気がした。
でもリディアは頭を強く振って、その考えを追い出した。
ダメよ。そんなことしたら負けよ!!アンジェリカ様がそれみたことかと高笑いするわ。王様も、ウィリアム様達も。
そんなことダメ。あたしを笑うなんて許せない!
「そうよ、あたしは絶対に死なない。ヘンリーも死なせない。あたしは幸せになるんだから。誰よりも幸せに。そんな未来が来ないようにするだけよ!」