小さな綻び2
朝礼の時に、ヘンドリック達は前に呼ばれて皆に紹介された。店内は一斉にざわめき、サイラスが何度「静かに!」と大声を出しても、その声が掻き消されるくらいだった。
「静かにしろ!!」
何度目かの呼びかけに、ようやく店内は静かになった。ヘンドリックが進み出て挨拶をする。
「ヘンドリック=アシュレイだ。慣れないがよろしく頼む」
「リディアです。ヘンドリックの婚約者でぇ、落ち着いたら結婚するつもりです。どうぞよろしくお願いします」
リディアがペコリと頭を下げた。ヘンドリックも騎士の礼をする。
ヘンドリックの仕草を見て、女達は一様に頬を染めボーッと見惚れ、リディアを見てはヒソヒソと隣同士で囁き合っている。男達は好奇の目でリディアとヘンドリックを交互に見ては、特にリディアを見てニヤニヤと笑った。
(サイラスおじさんの言うように、あまりいい雰囲気じゃないわね)
リディアは内心舌打ちをしながら、顔はにこやかに笑顔で挨拶をした。
そして、サイラスから二人がこの店で働くようになった簡単な説明があり、くだらない噂は信じず二人を暖かく見守り支えてあげて欲しいと話が続いた。
皆は静かに聞いていたが、歓迎されていないとリディアは感じた。
開店の十分前になり、皆はそれぞれの持ち場に散った。リディア達もサーニンに呼ばれ、仕事の指示を受けた。
「今日は王都の店や取引先へ送る荷物が到着するから、中身を確認して店ごとに仕分ける作業をお願いしますよ」
「ええ、任せといて!」
「あの、さっきの朝礼でもわかるように、しばらくは色々と言われると思いますが気になさらんように。商店の中での噂がまあまあ酷かったんでねえ。なので、できるだけ二人で行動するようにした方がいいですよ」
「ああ、配慮感謝する」
ヘンドリックは噂のせいでリディアが傷つくのは避けたかった。自分に矛先が向けばいいが、妬みや嫉みといった悪感情はより弱い者であるリディアに向くだろう。だが下手に手を打つより、二人の幸せな姿を見せつけて黙らせる方がいいだろうと考えた。
開店してしばらくすると、大量の荷物が裏の倉庫へと運び込まれた。それを一つ一つ紐解き、リストを見ながらチェックをして送り先ごとに仕分けていく。
送られてきた品物は様々だった。一流品から雑多なものまで。絨毯や家具などの大きな物や、服や靴、ガラクタの様な安物の宝飾品など多岐にわたっている。
高価な物は、サーニンやマックスの立ち合いのもと、開封してチェックを行った。
「ねえねえ、ヘンリー!これ、あたし達が泊まったカヤンドウのあの宿屋の名前じゃなあい?使われてたカップって、輸入品だったのねぇ」
「ああ、そうだな」
「それに、ほら!リストに載ってる名前見て!ジェイド=ブランフール侯爵ってぇ、アンジェリカ様のお父さんじゃない?何を買ったんだろう?」
「リディ、やめないか」
リディアはヘンドリックの止める声を無視して箱を開けた。中には布やレース、リボンなどが入っていた。
「うわぁ!!綺麗な生地!光沢があってスベスベして柔らかい。刺繍も細かくて素敵!それにこっちの生地は透き通ってるのねぇ。素敵!手触りも柔らかくてフワフワしてるわぁ。ねえ、グレアム様の目の色じゃない?グレアム様って瑠璃色だったわよねぇ。下級生が騒いでたの覚えてるわ」
「ああ、確かにグレアムの瞳の色だな」
「きっとドレスを仕立てるのねぇ。夜会か何かあるのかしら?」
ヘンドリックはこの生地で作ったドレスを纏うアンジェリカを思った。ハニーブロンドの髪と透き通るような白い肌に、この深い青はとても映えるだろう。きっと素晴らしく綺麗だ。そう思った時、針で刺されたような痛みを感じて、ヘンドリックは胸を押さえた。
「どうかしたの?ヘンリー?」
「いや、何でもない。気のせいだ。それより仕事を続けよう」
ヘンドリックは生地をそっと抱えて箱に入れた。まるで大切な物を抱きしめるように、優しく。
リディアはその様子を不安気に見つめたが、ヘンドリックがそれに気づくことはなかった。
♢♢♢♢
仕事を始めてしばらくは、リディアと共に行動していたが、慣れてくるとお互い別の用事を頼まれるようになった。すると、二人でいる時には聞こえなかった陰口が、リディアの耳に入ってくるようになった。
リディアがたまたま更衣室に忘れ物を取りに行った時、少し開いた扉の向こうからヘンドリックの名前が聞こえてきた。中に入るのを躊躇っていると、話の内容が洩れ聞こえてきた。
「ねえ、ヘンドリック様って、噂の王子様でしょう?」
「きっとそうよ!だって見た目から王子様だもん。あんなにかっこいい人は見た事ないわ」
「じゃあ、リディアさんが王子様を誑かした悪女って事?そんな風には見えないけど、でも婚約者がいるのに手を出したんだったら、人としての常識がないんじゃない?」
更衣室には休憩を取っている女が三人いたが、リディアに気づかず噂話は続けられた。
「人間じゃなくて動物ってこと?キャハハ!そうかもね」
「盛りのついた猫みたい、アハハ!」
「ねえ、ヘンドリック様は将来この国の王様になる人だったんでしょう?リディアさんて好きな人の未来を潰しておいて平気なのかなあ?私ならそっと身を引くわ。ヘンドリック様かわいそう」
「ほんとほんと。まさか王妃にでもなるつもりだったりして!でも平民が王妃なんてありえないけど」
「ヘンドリック様の未来を潰したとも気づいてないかもよ」
「うわっ!それ最低!!自分のことしか考えてないんじゃない?まあ、人の男に手を出すような王妃なんて、尊敬も何もできないよねえ」
「ヘンドリック様も本当は後悔してたりして。騙されたって思ってるかもね。所詮、貴族と平民って上手くいかないって。ほら、前に町外れの石造りの家に住んでいた親子、覚えてる?」
「覚えてるわ。確か貴族の愛人でしょう?息子と一緒に住んでた」
「そうそう、あの親子。急に引っ越したけど、あれ、本妻の奥様が刺客を送ったらしいわよ。詳しくは知らないけど、跡取り問題で何かあったらしいって。それで慌てて別の場所に移ったって出入りの業者から聞いたわ」
「へえ。人の不幸の上に自分の幸せを築いちゃダメよねえ。あの人達、今も生きてるのかしら?あの男の子って確か十歳にもなってなかったんじゃない?」
「たぶんね。ま、あの女は子供がいるから貴族様に囲われてたけど、リディアさんには子供もいないからね。早々に捨てられるんじゃない?」
「飽きられてね」
「それに、ヘンドリック様って、もしかしたら平民の女が好きなのかもよ?でないと、婚約者のアンジェリカ様よりリディアさんを選ぶわけないじゃない?」
「そうかあ、平民の女が好きなのかぁ。変わってるよね」
「フッフッフ、じゃあリディアさんが捨てられたら、後釜に立候補しようかしらん」
「あら、あなたぐらいの容姿じゃあ、ダメなんんじゃない?」
「エマやサリアが狙ってるって知ってる?」
「ひどい!って言おうと思ったけど、あの二人が狙ってるんだったらやめとくわ。だって狙って落ちなかった男はいないって言ってたもん。私なんかじゃ無理だわ!」
「ギャハハハハ!!」「アッハッハッハ!」
リディアは聞いていられなくなり、耳を塞いでその場から逃げ出した。店の裏口から外に出ようと、階段を駆け降りていく。
(あたし、あんな風に言われてるの?何で?みんな、あたしに嫉妬してるだけでしょ?ヘンリーはあたしを未来の王妃にしようと思ってたのよ。あんた達と違って、あたしはバカじゃない。勉強も頑張ったし、成績だって良かったんだから。あんた達なんて進学もしてないバカじゃない!!)
(それにエマもサリアもそんなに美人じゃないわ。貴族の令嬢達はもっと綺麗だった。その中でもアンジェリカ様は誰よりも綺麗だったのよ。そのアンジェリカ様にあたしは勝ったんだから!!あんた達にバカにされる筋合いはないわ!)
リディアは心の中で、大声で反論した。でも、涙が溢れてくるのを止める事は出来なかった。
階段を降りきって角を曲がった時、硬いものにぶつかってリディアは尻餅をついた。
「大丈夫かい?リディア」
尻餅をついたまま座り込んだリディアの前に手が差し出された。リディアが見上げるとサーニンが立っていた。リディアが大きな手を握ると、ぐいっと引き上げられた。
「ありがとう、サーニンお兄ちゃん」
「何かあったのか?」
サーニンはリディアの頰に流れている涙を親指でそっと拭うと、慰めるようによしよしと頭を撫でた。
リディアは大丈夫と言おうとしたが、余計に涙が溢れて止まらなくなった。
「落ち着くまで中で話そう」
サーニンはリディアの手を握ったまま、事務室の扉を開けた。そしてリディアをソファに座らせると、事務室の奥にある給湯室でお茶を淹れて戻ってきた。
リディアにお茶を勧め、自分も一口飲んだ。
リディアはひとしきり泣いた後、少し冷めたお茶を飲んだ。サーニンがリディアのために淹れてくれる、少し甘くて優しい味にまた涙が出そうになる。
「サーニンお兄ちゃん、ありがとう。ちょっと、色々言われてるのを聞いてしまってぇ」
「そうか。辛かったな」
「あんな風に言われてるなんて知らなかったから」
リディアはだんだん声を落とし、カップを持ったまま項垂れた。
「リディアは幸せなんだろう?ヘンドリック様といて」
「うん」
「ヘンドリック様にも何か言われてるのか?」
「ううん、何も」
「ヘンドリック様の事が信じられないか?」
「ううん」
「だったら周りの言う事は気にするな。リディアは普通とは違う道を選んだんだ。それも謗りを受けても仕方がない道を。障害が大きいのは当たり前だろう?それともそんな覚悟なしに一緒にいるのか?」
リディアは項垂れたまま黙って聞いている。
「どうして、」
ーーーーどうして王子に恋なんかしたんだ。下級貴族ならまだしも、王族とだなんて不幸になるに決まってるだろうに。
サーニンは言いたい言葉をグッと飲み込んだ。
「どうして、ってなに?」
「いや、何でもない。少しは落ち着いたか?」
「うん、ありがとう」
リディアはもう一口、コクンと飲んだ。
「おいしい。サーニンお兄ちゃん、あたし、これからもずーっと言われるのかなぁ」
「さあな」
サーニンはそれに肯定も否定もしなかった。答えることができなかった。
「落ち着いたら、仕事に戻ったほうがいいと思うが、どうする?ここで帰ると、また何か言われるぞ」
「帰りたい。でも帰ったら明日から来れなくなりそう」
「そうだな。じゃあ、今日は俺の補佐をするか?」
リディアはパッと顔を上げた。
「いいのぉ?」
「ああ。ちょうど装飾品の工房に行くつもりだったからな」
「行きたいわ」
「じゃあ、用意するから、ちょっと待っててくれ」
そう言うと、サーニンは事務室から出ていった。そして暫くして小さめの木箱を何箱か抱えて戻ってきた。