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新しい生活の始まり2


 武具屋から出て町の中央に向かう。


「ヘンドリック様ありがとうございます。明日の早朝、家に行きます。よろしくお願いします。じゃあ姉さん、僕は帰るよ。父さん達の様子はまた教えるから」


「ええ、お願いするわ。じゃあ明日ね」


 ルイスは二人と別れ、足早に去っていった。ヘンドリック達もまた、色々と買い物をして早々に家路に着いた。



 翌朝、ヘンドリックは剣術の稽古をつけるのが楽しみで、早くに目覚めた。王都から持って来た剣は鞘に収めて寝室に置いていたが、やはり自分は騎士なのだと、昨日剣を振るいながらしみじみと感じた。

 リディアを起こさないようそっとベッドを抜け出して、朝の身支度を簡単に済ませ、ルイスが来るのを素振りをしながら待った。ルイスは息を切らせて走って来た。そしてヘンドリックの邪魔をしないよう、素振りが終わるのを息を整えながら待った。


「おはよう。今日は剣の構えと素振りを教えよう。それと剣を振るうためには基礎体力がいる。そのための鍛錬の内容を決めよう。走り込み、それに薪割りは毎日行うこと。打ち込みも教えるから毎日するように。スクワット、腕立て伏せ、腹筋、背筋は負荷をかけて。それらを組み合わせてやっていこう。薪割りはいい鍛錬になるからな、私も頑張るよ」


「はい。よろしくお願いします」


 毎朝のルイスとの剣術の稽古と鍛錬がこの日から始まった。


 ♢♢♢♢


 一方リディアは、ヘンドリック達の鍛錬の間は眠っており、目覚める気配は一向になかった。

 ヘンドリックは鍛錬の後は薪を割り、井戸から水を汲み(かめ)に移す。そして台所でお茶の準備をしてから井戸で汗を流すのが毎朝の日課になった。


「おはよう、ヘンリー。今日も早いのね」


「ああ、今日で一週間になるが、ルイスは日常生活の中で体作りがで出来ていたようだ。体力もあるし勘もいい。そろそろ剣術の稽古を始めようと思う」


「そうなの?ルイスが聞いたら喜ぶわ!ねぇヘンリー、あたしにもお茶を淹れてちょうだい。すぐに朝食の用意するわ」


 ヘンリーはリディアのカップに並々と茶を注いだ。リディアは井戸に顔を洗いに行ってからお茶を一口飲み、朝食の支度を始めた。基本はパンにハムかウィンナーに目玉焼き、サラダ。時々前日のスープの残りが並ぶ。


 二人とも毎日が楽しく幸せだった。

 リディアは家を整える事に精を出した。足りない物やファブリック類、また気に入った物を見つけては買い揃えていった。庭に植える木の苗や花の種を揃え、手入れにも力を入れた。

 家の中はリディアが町へ行く度に家具が増え、庭も花や木の種類が増えていき、テーブルやベンチも置かれた。


 天気が良い時、二人は町で買ってきたケーキやお菓子を広げて庭でお茶を楽しんだ。時にはルイスやキャロルを交えてお茶会を開き、お喋りに興じた。

 雨が降ればベッドの中で雨音を数えたり、取り寄せた本を読んだり、カードゲームをしたり、それぞれが好きな事をしながら、ゆったりとした時間を楽しんだ。



 また、ヘンドリックはルイスに稽古をつけたり、自身の鍛錬を始めてから毎日に張り合いが出来た。早朝から二、三時間程度だが、体を動かし剣を振るうと、城での日課を思い出し懐かしく感じた。ルイスに教える事で気づきもあった。


 リディアと町へ行き、書店に寄ったり、輸入された商品を色々と見て回ったりもした。リディアは買い物が好きで、家具や飾り、服や装飾品も、飽きる事なく見て回り、気に入った物があるとすぐに買った。

 サイラスの店は珍しいものが多数置いてあり、リディアはよくここで買い物をした。

 

 三ヶ月後には新しくシャルナ王国との交易が始まり、この町や周辺は更に活気づくだろう。その時までに何か仕事に就きたいとヘンドリックは思っていた。



 この町に来て一ヶ月が過ぎた頃、ヘンドリックはそろそろ仕事を探そうと思うとリディアに伝えた。


「そうねぇ。家も思うように整え終えたし、生活費にと持ってきたお金も少なくなってきたしぃ、そろそろ働いてくれたら嬉しいわぁ」


 リディアはにっこり微笑みながら、サイラスおじさんに会ってお願いすれば見つかるはずだと言った。


 仕事を紹介してもらおうと、ルイスとの朝稽古の後にサイラスの店に行ったがすげなく断られ、近隣のどの店も手が足りてるからと断られた。

 それから何度か町へ行き、サイラスの店や通りの店に声をかけたが、どの店も理由も言わず首を横に振るだけだった。


 買い物の時とは違い、仕事の話になると皆一様に言葉を濁す事にヘンドリックは苛立ちを感じた。


 理由がわかったのは昨日、ルイスの話でだった。

 いつもの朝稽古の後、ルイスは帰る素振りを見せず何か言いたそうにしていたので、ヘンドリックは一緒に朝食を取らないかと声をかけた。食後のお茶を飲んでいる時にルイスが町での、特に商店の人達の噂をポツポツと話し始めた。


「ヘンドリック様、町でヘンドリック様と姉さんの事が噂になってるんです。その、だいぶん前に父さんが二人の事をサイラスさんに相談したみたいで」


「姉さんも知ってるでしょう?サイラスさんは王都の商人とも取引のある人で、王都にも時々行ったりしてるんですよ。それで、王太子が廃嫡になった事を知ってたようなんです」


「それで……姉さん達はこの家をサイラスさんから買ったでしょう?その時はわからなかったらしいんですが、父さんの話を聞いて、ヘンドリック様が王太子殿下だって気付いたそうなんです。それで大変だって大騒ぎになって……」


「……買い物なら客として扱えるけど、仕事を探してるって聞いて、商店のみんながどう対応していいかわからず困ってるそうです。王太子殿下を雇う事で無礼があったら大変だって。たぶん皆んな関わり合いになりたくないみたいです」


「ええ!じゃあ、どこもヘンリーを雇ってくれないって事?そんなぁ、それじゃあ生活できなくなるじゃない」


「姉さんの事も言われてるよ」


「なんてよ」


「王太子殿下を惑わせた悪女だって噂になってる」


「ええ?なんであたしが悪者になってるのよぉ」


「だって姉さんの所為(せい)でヘンドリック様は王太子廃嫡になったんでしょ?自覚あんの?」


「あたしはヘンリーと恋愛しただけじゃない。ただ愛しただけよ。みんな寄ってたかってあたしを悪者にしてぇ」


「リディ、私はそう思っていない。愛してるよ」


 ヘンドリックはリディを慰めるように声をかけた。

 ルイスはヘンドリックのその言葉に顔を(しか)めそうになったが懸命に(こら)えた。


 信じられないが、二人のした選択が周りを混乱させ、二人にとって悪い方へ進んだ事に全く気付いてないんだと悟り、ルイスは複雑な気持ちになった。


「ありがとうヘンリー、あたしも愛してるわ。」


 二人は自分達だけの甘い世界に浸っている。その様子を見ながら、ルイスは脳内お花畑の恋愛脳の似たもの同士なんだと、気が重くも納得してしまった。姉さんはともかく、ヘンドリック様はかっこいいのに残念すぎる。


「それで、ヘンドリック様も姉さんもどうしますか?」


「どうって言われても、どうしたらいいかわかんないわ」


「そうだな。誤解を解く事ができればいいんだが」


 誤解も何も、実際その通りなんだけどな、とルイスは思ったが口には出さなかった。


 何の打開案も浮かばず、三人は途方に暮れた。

 とりあえずは仕事がないか聞き続けるしかないという結論に達し、それから毎日町へ行き三日経ったが、どの店からも色よい答えが返ってくる事はなかった。

 ヘンドリックは先が見えないトンネルに入った気がして、どうにも憂鬱になった。


 今日も朝食後、サイラスの店に向かったが、ヘンドリックが来ると、裏から店を出て行き顔すら合わせなくなった。青ざめた顔でオドオドする店員に頭を下げてサイラスの行き先を聞くが、知らぬ存ぜぬと逃げられる。

 ヘンドリックはまた来ると言って店を出た。


「くそっ!頭を下げて一週間。もう我慢の限界だ。王太子であった私が?一体いつまで頭を下げ続けなければならないんだ?くそっ、くそっ!」


 ヘンドリックはひどく腹を立て、家に戻ると寝室に閉じこもった。リディアは驚いたが、扉の外から声を掛けた。


「ねえヘンリー、どうしたの?大丈夫?」


「うるさい!放っといてくれ」


 ヘンドリックは怒鳴り、寝室からは物が割れたりひっくり返る音がした。リディアはヘンドリックの剣幕に恐れ(おのの)き、初めて吹き荒れた嵐が早く去るのを願った。

 しばらくして寝室のドアが開き、ヘンドリックが弓を背負い剣を履いて出できた。リディアはビクビクしながら様子を伺った。


「すまない、怖がらせたな。悪いが片付けてくれ」


「え、ええ。わかったわ。ヘンドリックもあまり怒らないで。そのうち仕事も見つかるわよ」


「ああ、そうだといい。私は少し出かけて来る。帰りは遅くなる。いや、今日は帰らない。ルイスにはこちらから連絡するまでは、日々の鍛錬をしておくよう伝えてくれ」


「どこに行くの?」


「狩りをしてくる。もうこれ以上頭を下げ続けるのは我慢ならない。いや、そうじゃない。少し頭を冷やしてくる」


「……そう、気をつけて。早く帰ってきてね」


 ヘンドリックの混乱する様子に、リディアは慰めも希望の言葉も掛ける事が出来なかった。


 ヘンドリックは台所で携帯できる食料を用意し、水筒に水を汲み、物置小屋で山に入るのに必要なものを用意すると、マントを被りそのまま何も言わずに家を出た。

 リディアは不安を感じたまま、ヘンドリックを見送った。



 ヘンドリックは家を出ると東に向かって歩いた。しばらく行くと北へ向かう分岐点に差し掛かった。北へ行けばグレース男爵領だが、ヘンドリックはそのまま東を目指した。道はだんだん狭く険しくなっていった。このまま進めばエイト子爵領の山岳地帯に入る。いつしか道は山道に変わり、周りの風景も鬱蒼(うっそう)とした、昼でも光が届かない深い森になった。


「くそっ!私は、私の思い通りにならなくて腹が立つのか?それとも貴族としての矜持(きょうじ)が貶められていると感じるからか?城を出てまだ一ヶ月半だ。焦る事はないと分かっている。だがリディの両親にも反対され、仕事も。くそっ!出口は一体どこにあるんだ?」


 ヘンドリックは苛立った気持ちのまま、行く先々の枝を剣で薙ぎ払いながら歩き続けた。国内の主要な地図はおおよそは把握している。この先には川があり、少し登ればそんなに大きくはない湖があったはずだ。今夜はそこで野営をしようと考えた。水音が聞こえてきたので、川を探して休憩を取る。川幅は狭く流れは早い。


 ヘンドリックは川縁(かわべり)の大きな石に腰を下ろすと靴を脱ぎ、冷たい川の流れに足を浸した。


「ああ、気持ちがいい」


 川に流れ込んでいる湧水を見つけて、(から)になった水筒に補給する。そして木々に切り取られた空を見上げて、町よりも涼しい山の空気を胸一杯に吸い込んだ。苛立ち(たかぶ)っていた気持ちがスーッと引いて行くのを感じた。


 ヘンドリックは今まで一人きりで行動をする事があまりなかった。だが今は獣の姿すら見られない山の奥深くに、護衛も側近も、相談できる者も、誰一人自分の側にはいない。たった一人で決め、行動しなければならなかった。


「私の周りには誰もいなくなった。リディだけしかいない。はっ、なんだか無様だな」


 自嘲気味に呟き、靴の紐を締め直した。

 あまり遅くなると野営の準備が出来なくなる。ヘンドリックは川を外れ、水音を確認しながら再び山道を登った。


 














 






 








 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 丁寧に描かれていて引き込まれます。 [一言] ヘンリーは婚約者にだけは甘えて、都合が悪い分厳しかったので、もっと酷い男かと思いましたが、 かなり冷静ですね。 それだけに人物にリアリティ…
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