波乱の顔合わせ3
「リディ、初めて話した時のこと覚えてるかい?」
「もちろんよ!ペア活動の時じゃなかった?確か乗馬の」
「そうだ。挨拶する時に転んだんだ、私の目の前で。助ける間もなくて驚いたよ」
「もう!あの時は緊張してしまってぇ、礼をしようとして足がもつれちゃったのよ!もう忘れてぇ!」
「ハハハ。それで怪我をしてないか声をかけたら、次はピョンと飛び上がって、じゃなくて立ち上がったんだ。リディの動きが狩りの時のウサギみたいだったよ」
「あたし仕留められちゃったね!!」
リディアはヘンドリックの腕にピョンと飛びついた。ヘンドリックは声を上げて笑いながらそうだなと言い、リディアの頭をよしよしと撫でた。
「立ち上がるなり頭を下げての挨拶がカミカミで。なんだったかな?どうじょよろちくお願えしましゅ?だっけ?アッハッハッハ」
「いやだぁ、もうやめてよ」
「顔を上げたら鼻の頭や額が泥だらけで。フハッハハハ。本当にびっくりしたよ。あんな女の子は初めてだった」
「もう!!『学園生は皆等しく』って校訓があったけど、まだ入学したてで身分を口にする生徒が多かったのよねぇ。フフ、お嬢様達はヘンリーに夢中でぇ、ペアになりたくて牽制合戦が凄かったのよ。平民のあたしは眼中になかったみたい。でも教授の鶴の一声であたしになったのよねぇ。平民だから政治的に問題がなかったんだろうけど、指名された時やったぁ!って思ったわ」
「そうだったか?覚えてないな」
「うん。ヘンリーの前で思いっきり転んだでしょう?あれで令嬢達から同情されて、ペアになってもライバルとは思われなかったみたい。酷い顔だったのよねぇ、きっと。身分違いに、出来なさすぎて、土俵にも上がらせてもらえなかったの。結果それが良かったんだけどね」
「それに馬に乗ったのは初めてですごく怖かった。でもヘンリーが一緒に乗ってくれて嬉しかったわぁ!」
「鞍や鎧の付け方も知らず、怖がって馬の側にも来れなかったからな。心配にもなるさ。令嬢の中にも乗れない人はいるがリディは酷かったからな」
「本当にリディは勉強は出来るのに、運動の方は全然ダメだったよね。音楽も、声は良いのに楽器はからきし」
「そりゃあ、楽器は習ったことなかったしぃ、運動もそう。道具を使うスポーツはしたことなかったしぃ、ダンスなんて町のお祭りの時に踊るダンスしか知らなかったわ。もちろん乗馬もよ」
リディアは初めて馬に乗った時のことを思い出した。
乗れないと言うと、先に馬に乗ったヘンリーが馬上に引き上げてくれ、手綱を持つ両腕の中に閉じ込める形で馬を走らせたのだった。バランスがうまく取れず落ちそうで怖く、ヘンリーにしがみつくように背中に手を回したのを覚えている。
「リディア、目を開けて周りを見てごらん」
ヘンドリックがリディアを見つめて言った。
「そうそう、ヘンリーはそう言ったのよねぇ。その言葉で目を開けたの。風景が飛び込んできたわ。馬場を走っただけだけど、世界が変わって見えたのを覚えてる。素敵だった。振り落とされそうなくらい速く感じたけど、今思えばゆっくり走ってくれてたのね」
「顔も洗わず、ハンカチでパパッと拭いただけだったから額や鼻にまだ泥がついていて、そのくせ満面の笑みで嬉しそうにしていたよ。面白い子だなって思ったのを覚えてる」
「フフ、懐かしい。あたしはその時にヘンリーのことを好きになったんだわ。最初はあたしとは別世界の人だから見てるだけで幸せだった。でも色々と教えてもらったり話しているうちに、あたし、好きになってしまったの」
「そういえばいじめられてなかったかい?泣いてた姿をよく見かけたよ」
「そりゃあ、少しはあったわよ。嫌味を言われたり辛く当たられたり。でもあたしも言い返したしやり返したわ。勉強が出来たから、あまりしつこく言われなかったしね」
「そうだったのか?ウィル達も始めはリディに同情的だったから、四人でよく慰めたよね」
「ええ。うれしかったわぁ」
「そういえば図書館でのことは覚えてる?ウィル達を撒いて一人で隠れるように本を読んでいたんだ。長期休暇前だったかな」
「長期休暇に家に帰らないかって聞かれたこと?」
「ああ」
「あたし、町で短期で働く予定だったから帰らなかったのよねぇ。そういえば働いていた食堂にウィリアム様達と一緒に食べに来てくれたでしょう。ちょうど星祭りの日で露店がたくさん出てたよねぇ。終わるまで待ってくれて、五人で祭りを楽しんだのも懐かしい思い出よぉ」
「あの時ウィル達と逸れて二人で回ったな。お金を持ってなかったから何も買えず、結局リディに飲み物を買ってもらって星の見える場所に移動したんだ」
「フフ、そんなこともあったわねぇ。とっても星が綺麗だったのを覚えてる」
「あの時星を見ながら話したことが、私にとっての転機になったんだ。リディが話してくれた身分のない平等な世界。それに惹かれたんだ。人に貴賤なく、仕事に貴賤なし、だったかな?競争がなく貧富の差もない。教育に力を注ぎ、国全体が豊かになる。理想だな」
「私はリディの中に理想を見たんだ。私の目指す国の形が見えたと思った。そんな国を目指したいと話したら、リディが言ってくれたんだ。私になら出来ると。私を認めて貰えたようで嬉しかった」
「反発が大きいこともわかっていた。貴族達は今の社会の恩恵を受けているからな。でも私の目指す国の理想としてウィル達に話したんだ。それからさ、リディと一緒にいるのはやめろと言ってくるようになったのは」
「そうだったの?最初はウィリアム様達も優しかったのに睨まれるようになったのよねぇ。でも、それって政治的な事だったのかしら?」
「それだけじゃないけどな。それにしてもリディはなんでこんな思想を持つようになったんだい?」
「どこの国の人だったか忘れたけど、子供の頃にひと夏だけ町に来ていた外国の人に教えてもらったの。船で世界を旅していて、そんな国に寄ったことがあるって言ってたわ。その人の話は物語のように面白くてぇ、リイジュウ亭に泊まってたから、よくお話をねだりに行ってたの」
「実在する国なら行ってみたいな」
「そうね。でも今思えば、本当の話だったのか物語だったかはわからないけどね」
「そうか。私もその人に話を聞きたかったよ」
「うん。私もどこの国の話か覚えてたらよかったのに」
「リディ、そういや、よくウィル達の目を掻い潜って一緒に過ごしたよな。図書館や庭園、食堂。行事の実行委員会を一緒にしたこともあった」
「そうね。一年の間はペア活動で一緒にいたけど、二年になってクラスが別れて寂しかった。それでも三年になってアンジェリカ様が入学するまでは一緒にいるのが当たり前みたいに思ってたわ。令嬢達の嫌味も気にしなければ大したことないままだったし、幸せな学園生活だった」
「私もウィル達の嫌味も聞き流してたよ」
「フフ、一緒ね。でもあたし、ヘンリーに婚約者がいるなんて知らなかった。アンジェリカ様が婚約者だって聞いた時は胸が張り裂けるかと思ったわ」
「ああ、アンジェは大切な妹みたいなものだったよ。一緒にいるのが当たり前で、大事にしなくてはいけない女性だった。だけどアンジェよりリディの方が大切になってたんだ。義務としてアンジェの相手をしないとダメだってわかってた。でもどうしてもリディのことが気になって、アンジェを疎かにしてしまった」
「それにあんなに嫉妬深いとは思わなかったんだ。婚約者である自分を大切にしろとプレッシャーをかけてきたり、リディを呼び出して暴言の数々を吐いたり、ウィルやグレアム達と結託して説教してきたり。さも自分が正しいんだという風に私の全てを否定してくる。我慢できなかったよ」
「あの頃のヘンリーは、ずっとイライラしてたよねぇ。あたしといる時でも溜め息を吐くことが多かったわぁ。アンジェリカ様と会った後は必ず不機嫌になるからぁ、二人でいるところを見かけたら引き離すのに必死だったのよ」
「アンジェと話していると、正しすぎて疲れたんだ。自分が無能のように感じられて辛かった。だけど、そうか、リディは助けてくれてたんだね。ありがとう」
「フフ、どういたしまして。ヘンリーは真面目に頑張りすぎたのよ。たまには息抜きも必要だしぃ、手を抜くことも覚えなくっちゃ。体も心も壊れてしまうわ」
「それにあたしねぇ、アンジェリカ様に嫉妬してたの。だってとっても綺麗で愛らしくて、まるでお人形さんみたいに可愛くって。それに賢くて凛としてて清楚で、あたしとは正反対の女性だって思ったからぁ。ヘンリーがアンジェリカ様を選んだらどうしようって、とって心配だったの」
「フフ、光栄だなあ。リディに嫉妬して貰えたなんて」
「もう、ヘンリーったら。本当に本当に大好きだったのよ。誰にも渡したくないくらいにぃ、だからあたし……」
「だから、どうしたんだい?」
「ううん、何でもない」
(だからあたし、アンジェリカ様の言葉を少しだけ大袈裟に伝えたのよ。だって、あたしの王子様を取られたくなかったんだもん!でもあたしの言葉を信じたのはヘンリーよ)
「アンジェも昔はあんな奴じゃなかったんだけどなあ。天使みたいに優しくて、私の言うことは何でも凄いですねって、流石ですって言ってたんだよ。可愛かったな」
「ヘンリー、アンジェリカ様のことをそれ以上褒めたら、あたしヤキモチ焼いちゃうわ」
「ハハハ、ごめんよ。私が一番愛してるのはリディだ。それはこれから先も変わらないよ。大切にする」
「本当に?」
「ああ、約束するよ」
「じゃあ許してあげるわ」
「それは深謝致します、リディア嬢」
ヘンドリックはふざけて、舞台俳優のように手を広げて大袈裟にお辞儀をした。
「そろそろ家に着くわ。今日はこのまま寝ましょう」
「奥様のお望みのままに」
「もう、いつまでもふざけないで。今日はもう遅いしぃ、荷物の整理は明日しましょう」
「わかったよ。フフ、それにしても奥さんみたいだね」
「みたいじゃなくてぇ、奥さんになるのよぉ!」
家の目印のようなミモザの花が月明かりにぼんやりと浮かび、とても幻想的に見えた。ヘンドリックはリディアの肩に手を回してうっとりと眺めた。
「私たちの家だ」
ヘンドリックはリディアの髪にキスを落とした。そして顎に手をかけて上向かせると、宝物にするように優しくキスをした。