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ザフロンディに向けて2


 ヘンドリックはリディアを抱きしめたままキスをした。何度も、何度も、欲望に素直に従って深いキスをする。そして抱きしめていた腕を(ほど)きリディアの体を(まさぐ)った。リディアは撫でられるたびにざわざわと落ち着かなく体が震え、我慢できずに荒い息を吐いた。

 クラクラと目が回るようで覚束なく、リディアは思わずヘンドリックの腕にギュッとしがみついた。ヘンドリックは唇を離すとヒョイと抱き上げ、ベッドへと移動した。


 その夜、ヘンドリックはリディアと初めての夜を過ごした。王太子を剥奪され、城を追い出され、これからの不安も全てを忘れるように、刹那的な快楽の中で、ただただ甘い夢に溺れて何度もリディアを抱いた。

 そうして力尽きたように、朝方二人は眠りについた。



「リディ、おはよう」


 ヘンドリックはまだ布団に(くる)まって幸せそうに眠るリディアの額にキスをした。リディアは薄く目を開けたがヘンドリックを押し退()けると、再び夢の中へと戻ろうと布団を引っ張り上げた。


「リディ、もう起きないと次の町へ出発できないよ。それともここでもう一泊するかい?私はそれでも構わないよ」


「え?やだっ!起きます」


 リディアはその言葉でパチっと目を開けた。布団から出ようとして昨夜のことを思い出し、慌てて布団に(くる)まり直した。


「昨夜は初めての夜だったのに、抑えが効かずすまなかった。でも素晴らしい夜だったよ。体は辛くないか?湯を溜めているから入ってくるといい。歩けるか?」


「あ、ありがとうございます。あたし、あの、ガウンを取って下さい」


「どうして?そのままで行けばいい」


「あ、の、恥ずかしいから」


「恥ずかしがってるリディもいいね。朝の光で、そのままのリディを見たいな」


 ヘンドリックが意地悪な笑みを浮かべた。

 リディアは真っ赤な顔をシーツで隠そうとしたが、情事の跡が残るシーツは、ヘンドリックに夕べのリディアの痴態を生々しく思い出させた。リディアが自分の物だと強く感じた。


「でも、そうだな。時間もないことだし、特別に私が連れて行ってあげよう」


 ヘンドリックはリディアをヒョイと抱き上げると、こめかみに軽くキスをして浴室に運んだ。

 輝くようなスラリとした肢体、しっとりと手に馴染む白い肌、乱れたピンクブロンドの髪、真っ赤になって恥ずかしがる様子も、抱き上げた重さも、身を委ねる柔らかさも、これこそが完璧な幸福だと思った。

 この日の朝を、この瞬間を絶対に忘れるもんかとヘンドリックは腕に力を込めた。


 リディアが湯浴みを終えドレスに着替えるが、侍女がいないためヘンドリックが支度を手伝った。細かい作業が多く思った以上に時間がかかった。


「今日はまず、お互いにもっと簡単に着られる服が必要だな。これでは毎日支度だけで大変だ」


 ヘンドリックは慣れない作業にため息を吐きながら、額の汗を袖で拭った。リディアは嫌がらずに支度を手伝ってくれるヘンドリックに胸が一杯になった。


「ヘンリー、あたし、あなたが好きよ」


「ああ、私もだ」


 ヘンドリックは力強くリディアを抱きしめた。柔らかいピンクブロンドの髪に口づけてリディアを見つめた。


「リディ、昨夜は私を受け入れてくれてありがとう。今回の事に(ようや)く気持ちの整理がつきそうだ。私はこれからはリディと二人で生きていく。リディもそれでいいかい?落ち着いたら結婚しよう」


「はい、ヘンリー」


 ヘンドリックは何度目かの約束をし、その度にリディアも嬉しそうに(うなず)いた。


 二人は荷物をまとめて食堂に向かった。遅めの朝食を食べているとジョバンニがやってきた。


「おはようございます、旦那様。いつでも出発できるよう準備しておきますんで、お好きな時にいらしって下さい」


「ああ。支払いは任せた。今日はカンノウジに行こうと思う。あの辺りの歴史ある教会や町並みを観光して、今夜はジュウリンジに泊まる。そのつもりで」


「へい、わかりました」


 ヘンドリック達は用意された朝食を食べ始めた。フルーツヨーグルトにオレンジジュース、野菜のポタージュにハムやウィンナー、香草サラダ、薄く切ったライ麦パンにはクリームチーズといちじくのジャムが添えられている。


 リディアは美味しそうにお皿の食べ物を次々と口に放り込んだ。とてもお腹が空いていたようだと、ヘンドリックはニヤついた。リディアの一挙手一投足が昨夜の痴態に(つな)がって、ついニヤニヤとしてしまう。


「やっぱりここの料理は美味しい!いくらでも食べられちゃう。…でももうお腹いっぱいだわ、残念だなぁ」


「それは良かった。でもカンノウジに着いたら昼食にするから程々にしないと、ってもう遅かったな。私も満腹だ」


 ヘンドリックはリディアが食べる様子を楽しげに見ていたが、自分も思った以上にお腹が空いていたようで、つい食べ過ぎてお腹が一杯になってしまった。


 二人は宿を出て馬車に乗り込んだ。睡眠不足の上、満腹になったからか、どちらともなく眠り込んでしまった。


 昨日同様、ジョバンニが馬車の壁を叩くとヘンドリックはハッと目を覚ました。思った以上に疲れていたようだ。


「リディ、そろそろ着くよ」


「う、うーん。もう着いたの?」


 リディアは大きく伸びをすると、窓の外を見て欠伸(あくび)をした。釣られてヘンドリックも欠伸(あくび)をし、御者席にいるジョバンニに声を掛けた。


「聖ナツギ大聖堂に馬車を止めてくれ。お祈りをしてから少しその辺を散策する」


 二人は馬車()めで降りると、少し先にある教会を目指した。かつて王都であっただけあって、天に向かって高くそびえる二本の尖塔(せんとう)、重厚な石造りの外観は思わず(ひざまず)いてしまいそうな威厳と、訪れる人を選ぶような厳格さがあった。

 巡礼に訪れる人の(かず)は少なくないが、冷んやりとした厳かな空気が漂い、人々の話す声も遠慮がちで、辺りは驚くほど静かであった。


「なんだか緊張するわ」


「そうだな。さすが聖ナツギ大聖堂だ。前にも来たことがあるが、中のステンドグラスがとても美しいんだ」


 ヘンドリックの言う通り、内装は圧巻の一言だった。色鮮やかなステンドグラスが宗教画を描き、太陽の光を受けて内部を照らすと、(きら)めく光の幻想世界へと(いざな)った。祭壇に彫られた数々の彫刻は繊細で、華やかでありながらも気品に満ちている。


「うわぁ、すごく綺麗。こんな所で結婚式を挙げたかったなぁ。この場所に負けないくらいのドレスを着て王子様と。まるで物語みたいに。女の子の憧れよねぇ」


 リディアは祈るように胸の前で手を組むと、はしゃいだ声を上げ、潤んだ瞳で感動を表した。


「リディ、すまない」


「あ、ごめんなさい。非難してるんじゃないの。ただの夢物語なの。女の子なら小さな頃に一回は見る夢。だから気にしないでねぇ。それに王子様と結婚できるあたしは、夢を叶えたんだからぁ」


 リディアは首を振り、さらに胸の前で両手を振りながら、慌てた声で言い訳をした。ヘンドリックは一瞬、自虐的な笑みを口の端に浮かべると、リディアをエスコートして祭壇の前に進んだ。

 

「リディ、私ヘンドリック=アシュレイは、リディアを妻とし、生涯愛することを誓います」


 ヘンドリックはリディアの額にそっとキスをした。ヘンドリックの真剣な眼差しにリディアは頬を染め、小さな声ではいと返事をした。とってもロマンチックだった。


 二人は大聖堂を出て馬車止めに向かい、乗り込むと町に行くよう指示した。町の食堂で昼食を作ってもらい、再び馬車の人となる。


「リディ、ジュウリンジに行くまでに美しい湖の公園があると聞いた。そこでランチにしよう」


 馬車で一時間余り行った場所に目指すカヴート湖はあった。そんなに大きな湖ではないが、木立に囲まれた奥にひっそりと澄んだ水を湛えていてとても美しかった。

 水面(みなも)が鏡のように輝き、空や岸辺に生える木々や湖の中程にある小島に佇む四阿(あずまや)を、余す所なく映し出していた。岸近くに水蓮が群生しており、まるで完成された一服の絵画のようだった。


「素敵!とっても綺麗な場所だわぁ。ねえヘンリー、あたしあの四阿(あずまや)に行きたいわ」


「どこへでもお供しますよ、お姫様」


「フフ、そこでお昼を食べましょう」


「喜んで」


 四阿(あずまや)に着くとリディアは昼食を広げ、並んでベンチに腰掛けた。昼食に用意されたのは、生ハムと野菜、卵、クリームチーズとベリーのサンドイッチ、スパイスを効かせたミルクティー、マフィン、クッキー、葡萄とオレンジ。


「リディ、食べた後に話したいことがあるんだ」


「なあに?食べながらじゃダメなの?」


「ああ、大切な話だからね」


 二人は湖についてや今夜泊まる町、明日行く町の話などをしながらゆっくりと食事をした。

 食べ終わって後片付けを済ませると、ヘンドリックがリディアの手を繋いで話し始めた。


「ねえリディア、怒らないで聞いて欲しい。私は、子供は作らないつもりだ。王族の一員として、私は後の火種を作りたくはないと思っている」


「そんな!あたしは欲しいわ、ヘンリーの子供。きっともの凄く可愛いわよ!」


「ダメだ。父上も言ってだだろう。巻き込まれたら一族郎党皆処罰される。そんな危険は冒したくない」


「でも巻き込まれなければいいじゃない。ヘンリーは平民になったんだもの。もう王家とは関係ないでしょう?」


「巻き込まれないという保証はない。私は第一王位継承者だったんだ。廃嫡されていても私が生きている限り利用価値はあるだろう。今の世情は安定してるが、いつ何が起こるかわからない。その時に謀反の旗印に掲げられる可能性は、極力少ない方がいい。私も、子供も」


「それは、、、わかるけど。でも子供は欲しいわ」


「ダメだ。これが約束されなければ、残念だが結婚はできない」


「そんな!嫌よ、結婚できないなんて!」


 リディアは夢見ていたヘンリーとの幸せに、小さなヒビが入ったのを感じた。まだ修復できると、暗くなる気持ちに蓋をして、努めて明るい声を出した。でも一縷(いちる)の望みを捨てることは出来なかった。


「わかったわ。でも、もし出来てしまったらどうするの?」


「それは、その時に考えよう。だけど、そうならないようにしようと思う」


「そっか。あたし達に平凡な幸せはないのね」


「すまない。だが平穏に生き延びるためには隙を与えない事が一番なんだ。リディ、それが王族なんだよ。君は王族と結婚するんだ。しかも道を踏み外し廃嫡された元王子とね」


 ヘンドリックの瞳は仄暗さを宿し、自嘲めいた笑みを浮かべた。リディアはハッとしてヘンドリックを見たが、それは一瞬のことで、すぐに優しい労るような、そして申し訳なさそうな顔が自分を見つめていた。


「気のせいかな?」


 リディアはヘンドリックから視線を逸らして湖を振り返り、凪いだ湖面を見つめながら小さく呟いた。


 どうか幸せになれますようにと。









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