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後編

 立成19年6月の頃であった。


『空の宮市内に巨大イノシシ出没 三名ケガ』


 というニュースは、星花女子学園の生徒を多かれ少なかれ恐怖に陥れた。山から降りてきたと思われるイノシシが住宅街のど真ん中に出没して三人にケガを負わせたのだが、うち一人は足の骨を折る重症であった。警察と猟友会が捜索したもののイノシシは見つからず、市民に警戒を呼びかけていたが、星花女子学園でも教職員による学校周辺のパトロールや集団下校などといった対応に追われた。


 パトロールには風紀委員も参加したが、一人だけやたらと気合の入っている委員がいた。


「うわ、何あれ。引くわー」

「指をさしちゃダメだよっ」


 他校の生徒が早足で去っていく。他の通行人もジロジロと見ては関わりたくない、といった感じでそそくさとその場を後にしていった。


「学園前西交差点、異常なし」


 風紀委員、須賀野守(すがのまもり)は一人呟き再び歩き出した。銃剣がついた陸上自衛隊の89式5.56mm小銃――のエアガンを携えて。


 しかも守は制服を着ていなかった。代わりに着ていたのは迷彩服。頭にはヘルメットを着用している。その姿は歩兵以外何者でもなかったが、ここはいち地方都市の市街地。悪目立ち以外何者でもなかった。


 高祖父は日露戦争を戦い抜き、曽祖父は旧日本海軍で艦隊の提督を務めた将官である。祖父は元航空自衛官パイロットで、父親も現役陸上自衛官であり精鋭部隊として知られる第一空挺団に所属している。綿々と受け継がれる軍人のDNAを守は良くも悪くも受け継いでいた。


 彼女は決してふざけてこんなことをしているのではない。父親のスパルタ教育で「常在戦場」の心構えを徹底的に叩き込まれた末に、兵士の魂が守の人格の中に練り込まれたためである。今、彼女はパトロールを行う風紀委員ではなく、基地侵攻に備えて警備をする歩哨である。


「あの、須賀野さん」

「誰かっ!」


 守は後ろから声をかけてきた生徒に対して勢いよく振り返り、エアガンを突きつけて「誰何(すいか)」した。


「ひぃっ!? と、とりあえずその物騒なものを下ろしてもらえないかしら……」


 生徒は両手を挙げたが、


「誰かっ!」


 守はより大きな声で問うた。ちなみに自衛隊の「歩哨の一般守則」では三度誰何しても返事がなければ捕縛、または刺・射殺することになっている。当然、星花女子学園風紀委員には適用されない規定だが、身も心も歩哨と化していた守には関係のないことである。もう一度誰何して返事が無ければ容赦なく引き金を引くつもりでいたが、そうなる前に相手が返事した。


雪川静流(ゆきかわしずる)よ! 風紀委員長の!」

「司令官!? これは失礼いたしました!」


 守はようやくエアガンを下ろし、敬礼した。


「あのねえ……毎日顔を合わせているのになぜいちいち名前を聞かれなくてはいけないのかしら?」

「司令官に成りすました敵軍のスパイかもしれませんので」

「敵軍て……あなたはいったいどこの何者と戦っているの。それに司令官ではないから普通に雪川委員長か、雪川先輩とお呼びなさい」


 氷の女王と恐れられた静流の目は、どこか哀れみを帯びていた。


「用があって来たのではないですか?」

「ええ。学校に苦情が入ったのよ。軍人のコスプレをした生徒がうろついていると!」

「何ですと! くそっ、敵国の工作員の仕業か!」

「私でも苦情を入れてるわ! さっさと着替えてフツーに見回りをしなさい! これは命令です! エアガンも没収します!」

「うぐっ……司令官のご命令とあらば致し方ない……武装解除に応じましょう」

「だーかーらっ、私は司令官ではありません!」


 まったくとんでもない生徒が入学したものね、という独り言は守には聞こえなかった。


 結局この日はイノシシは出ず、下校時刻になって風紀委員たちも帰路についたのだが、守は自宅方面に向かう私鉄の上り線ではなく、下り線に乗った。


「あれ? 須賀野さんこっちだっけ?」


 車内で声をかけてきたのはクラスメートの緩鹿(ゆるか)リタである。歩哨モードではない守は普通に応対した。


「ああ。今日は縁楼寺駅前の剣道場に用があってな」

「須賀野さん、道場に通ってるんだ。何で部活に入らないの? 武道系の部活から熱心な勧誘を受けてるのに」

「部活程度ではぬるいからだ。私はもっと厳しい稽古を積みたいのだ」

「へー、さすがストイックだね。私には真似できないや」


 褒められても、守は表情を変えなかった。


 車内はそこそこ混んでいたが、大型ショッピングモールがある六礼駅を降りたところで一気に人が捌けた。リタは遠慮なく空いた座席に座ったが、守は立ちっぱなしのままだった。


「座らないの?」

「私は構わん」

「私だけ座ってたら具合悪いじゃん。座ってよ」

「わかった。そう言うなら失礼する」


 守はゆっくりと腰を下ろした。上の荷棚に白い日傘が置かれていたが、忘れ物だろうと気に留めなかった。


「気を悪くしたらごめんだけど、須賀野さんってもっと怖い人かと思ってた」

「ん?」

「私よりも体格がガッシリしてるし、自分に厳しいしさ。でもこうして見ると一人の女子高生だよね」

「確かに私の身分は女子高生だが、心構えは武人でありたいと思っている」

「あはは……武人ねえ」


 どう反応して良いのかわからず、とりあえず笑っておこうという態度がリタから見えていた。


『間もなく縁楼寺駅です。左側のドアが開きます』


 自動アナウンスの音声が流れて、電車の速度が少しずつ落ちていく。ホームに差し掛かったところで、守は立ち上がった。


「では、失礼する」

「うん、また明日ね」


 守がドアに向かおうとしたところで、ホームから何やら騒がしい声が車内にまで聞こえてきた。『近づかないでー!』という、恐らく駅員がメガホンで叫んでいるであろう声もする。


「何だろう? 誰か倒れたのかな」

「いや、来るぞ……敵が」

「は!?」


 リタが口をポカンと開ける。しかし守には見えていた。ホームにいる客が何かを避けるように右往左往しているのを。


 ドアが開いた瞬間。


「ぐわああっ!!」


 降りようとしたサラリーマンの体が空中に弾かれて、身を一回転させて腹から地面に落ちた。


 いったい何が起きたのか。それを知ったリタが悲鳴をあげた。


「いっ、イノシシだ!!」


 小さな子どもなら背中に乗れそうなほどの巨大なイノシシが闖入してきて、車内は一気に恐慌状態に陥った。


 イノシシはブヒブヒと鼻を鳴らして、守たちの方に向いた。前足で床をゴリゴリと掻いているが、次の獲物はお前たちだと言っているようである。


「こんなところでイノシシに遭遇しちゃうなんて最悪だ……」


 リタは下手に逃げるよりも、突進の被害を少しでも減らそうとする方を選び、通学カバンを抱えて身を丸めた。


 だが守は、イノシシの前に立ちふさがるようにして仁王立ちになった。


「須賀野さん、危ないよ!」

「我が国の領土を犯す侵略者を駆逐する」

「はあ!?」


 武人のDNAが発動した守は、すっかり国境を守る兵士と化していた。リタから見れば気が狂ったとしか思えなかったのだが。


 エアガンが没収されていなければ、イノシシを撃って追い返すことができたかもしれない。だが結局は野放しのままで、新たな犠牲者を生むだけである。だから、ここで確実に仕留めておく必要があった。守は荷棚の忘れ傘を見やる。


「ぶぎぃー!!」


 イノシシが咆哮して突っ込んできた。リタは惨事を覚悟して目をつむった。しかしそれよりも、守の動作が遥かに俊敏であった。跳躍して傘を掴むと、


「キエーーーーッ!!」


 猿叫めいた声を発して、石突の部分をイノシシの額めがけて突き刺した。


「ぶぎっ!?」


 イノシシの動きが糸の切れた人形のように止まる。守が傘を抜くとそこから一筋の血が流れ出して、イノシシは斃れた。


「のこのこと出てこなければやられずに済んだものを」


 瞑目合掌でイノシシを弔う守。リタはもはや力なく笑うしかなかった。


 ちなみに電車は死体の始末やら警察の調査やらがあって一時間ほど遅延した。


 *


「須賀野さんのおかげで助かったけど……」


 始業前、リタはスマホでネットニュースの記事を見ながらつぶやく。『空の宮市に出没していたイノシシ、女子高生が駆除』というニュースはたちまち日本中を駆け巡り、SNSのトレンドにまで上がった。半ばふざけてではあるが守のことを恐れ崇める内容の書き込みがたくさん見られるが、リタは本気で恐がっていた。巨大イノシシを傘で屠る女子高生は恐怖の対象でしかなかった。


 リタはスマホをカバンの中にしまい、窓の外を見やった。このときのリタの席は窓側であった。昨日の動揺がまだ収まりきってなかったから、外の風景を見て落ち着かせようとしていたのだが。


「失礼する」


 何と、守の顔がいきなりひょこっと現れた。


「う、うわあっ!」


 リタは椅子ごと倒れそうになり、当然ながら他のクラスメートも驚いていた。守は靴を脱ぎ、窓から教室の中へと入っていった。


「ここ二階だよ!? いったいどうやって来たの!?」

「登ったに決まっているだろう」

「登った」


 下からワン、ワンと犬の鳴き声がしている。どうやら野良犬が敷地内に入り込んできたらしかったが、守はそっと下を覗いて野良犬の様子を伺っている。顔色がどこか悪いのを、リタは見逃さなかった。


「まさかとは思うけど……犬から逃げてきたとか?」

「そっ、そっ、そんなわけないだろう!!」


 声が裏返っている。実にわかりやすい。


「巨大イノシシは平気で二階までよじ登っていく力もあるのに犬が怖いって、わけわかんないよ……」


 守にも弱点があることを知ったリタは少しホッとして、かすかな笑みを浮かべたのであった。


 ちなみに守は後日警察から感謝状を貰い、その成果は学園の宣伝に大いに寄与することとなった。

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