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本題の前に前振り④  すべての始まりは勘違い  うわ!ごめんなさい!2749文字。 でも、やや謎解き的内容だと思うんだけど。

 ボクがこの連載を始めたきっかけの1つは、ある感想を目にしたことでした。


 まあ……書いた方のスタンスやら感想の主旨やらにボクの勘違いが多分にあったのですが(恥笑)


 その方には色々とご迷惑を掛けました。

 謝罪と共に辛抱強く相手をしてくださったことに感謝します。




 ボクが反応したのは、


{読者には批判をする権利があります。

 それは作家の表現における権利の裏表にあります。

 感想とは作品に対する読者のレスポンスに過ぎず、批判も称賛もその意味では同じです。}


 これです。

「え? 弥宗が何に反応したのかわからん」って人が大半ですかね。

 この論の間違い……の指摘は無いかなぁ(笑)


 ボクが反応したのは“権利”という言葉を持ち出されたこと。

 それと、これが書かれた『なろう』という場所……でしょうか……。


 以降、

{少しだけ気持ちはわかるけど──}と少し寄り添うな言葉の後に、『なろう』で書き手として開き直りが必要であるという意見に続き

{というか、そもそも批判を覚悟せずに作品を発表していない作家ってどうかしてると思います。

 質が低かろうが覚悟をして発表して、やはり批判されて、それでも書き続けるんだ、というのが、作家としての基本姿勢だと思うんですけど。

 もちろん、褒められたいから書いている人は、すぐ辞めると思いますよ。でも、書くってそういうことじゃないと思います。}

 以後、書き手としての意識の持ちよう……という内容判断で良かったかな?


 今になって客観的に見直して、冷たく断じるような内容でもなかったと思います。



 ただ、この感想の始め(ここに引用してませんが、ご本人には伝えてます)の言葉の選択にボクが過剰反応してしまって、思い込みで以降を読んでしまった……というところでしょうか。


 そもそも感想を寄せた彼女(ですよね?たぶん)、物語作品への投稿はしないタイプ。

 主張なり論が投稿された時に感想というアクションをとる方。


 物語作品への感想と論など主張作品への感想は、そもそもがいろいろと違ってくるとボクは思っています。




 でも、彼女の論のすべてに賛成でもないんです。


 違和感はやはり残りました。




 そうですね、やはり“権利”という言葉の選択でしょうか?

 この辺りの感覚、ニュアンスをどう伝えるかは難しいんですが、“権利”という言葉が選ばれたことに、ほとんどが占められます。


 なんというか……難しいなぁ……つまり、書き手と読み手の間において、読み手には何かしらの権利や権威が与えられてると感じてるのではないか?という不安。


 そして、たぶん、ほとんどの人が同じ感覚なのではないか?っていうこと。

 だって、彼女の論には異論はなかったでしょ?

 ボクだって異論は無いんです。


 ただし、作家と読者の関係においてなら……ですかね。



 『なろう』の作品において読み手の“権利”という言葉……。

 ちょっと怖いなぁ……と。


 これは、書き手は本気じゃないってことじゃないんです。

 また、耳辺りの良い言葉だけ書き手には伝えてくれってことでもないんです。

 批評無しに書き手は成長できにくいです。

 特に『なろう』では。

 だって、担当編集者というアドバイザーがいませんからね?

 必要なんです。


 ただ……、『なろう』はそもそも投稿も読むのも無料です。

 んー……、だからかな?

 ボクの認識では『なろう』はたくさんの作品が寄せられる、プロへの扉も開かれますけど、【交流サイト】なんです。


 んー……一般的な交流サイトを長く利用してないので記憶も感覚もないのですが……そこで「登録者は、あなたがコメント欄を開放している以上、あなたのブログに感想を書く権利があります」って言葉が使われている状況……具体的なイメージはできませんが、客観的に見てあまり良い状況を想像できません。


 っていうか、怖いかな?


 そもそも交流の現場に“権利”って相手の反論を封じる武器的な言葉は出ないでしょ?



 作家としての心構えや姿勢の話は、ワイドショーなどで使われる“有名税”って言葉の感覚に近いかな?

 ボクには。


 間違っちゃいない。


 間違っちゃいない考え方なんだけど、あの言葉は同じ立場にいる者が慰めたり諌める為に使う言葉で、そうじゃない周囲の者が使う時の残酷さとか、対極的な(つまり感想を書く立場ですね)立場の者が使うことを想像した時のゾッとする感覚は、ボクの暴論でしょうか?



 指摘の内容が正しいかどうかが良く感想については論じられますが、そもそも交流として言葉が交わされる状況やスタイルとして色々なことが正しければ、ボクが不安に思うようなことは起きないのではないか?とボクは思います。


 そこがクリアできてるものは批評批判としても、まあ、だいたい問題無いのではないか、と。


 それでも色んな論を広げて、「書くということ現実というものは、そんなに甘いものではないのだから」とか受け入れさせるものがあるとすれば、ボクはそこにスタンフォード監獄実験の実験の続行を望んだ看守役たちと同じイメージを見ます。


 つまり、与えられた権利権力を手放したくない意識というか……。



 ここは、たくさんの作品が寄せられる交流の場。

 その意識って、意外と希薄なのではないのかな?




 あとで本題として論を展開して、その続きでちゃんと語りますが、ボクが無礼失礼侮り嘲笑い茶化して連載してきたのは、読み手の方の中に、権利や権威の意識を持っている方がいた時のための、“権威意識の破壊”が目的の“1つ”です。

(詳しくは、またずっと後で)


 今さらとか、他に方法はあっただろうと思われるかも知れませんが、一人の人間として互いに向き合ってもらうためです。


 ……やり過ぎましたかねぇ……





 ボクの感覚が過敏でしたでしょうか?


 んー……もしかしたら、どこかでヤラカしてるかも知れませんが、ボクね、あんだけ失礼無礼に論を展開しながら、『書き手には書きたいものを書く自由と権利があります』という言葉、使ってない……と思うんです。

 あんなに感情的に無礼失礼なのに。



 え?無いですか?

 『なろう』ですよ?

 公序良俗に反しない限りは権利と自由がありますよね?


 “権利”とか“自由”とか、主張する場、主張を争う場で相手に反論を許さない有無を言わせない武器として使われがちな言葉です。


 でも、ボクは使いませんでした。


 そーゆー争い方には意味が無いと思ったからです。


 そもそも、互いの権利と自由は必ずしも噛み合うものではありません。


 ボクが前半で展開した『なろう』を批判する人への批判……冷静な方は気づいてますよね?

 そもそも、『なろう』を批判することは、彼らの権利であり自由です。

 だから、ボクはその美醜を嘲り茶化す連載で始めました。


 これも、ボクが失礼無礼に連載してきた理由の1つです。


 詳しくは後で語りますが。



 だから、ボクが権利という言葉に反応して語ったことを、詭弁だと思わないでください。

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