本題の前に前振り③ こんな実験を引用してくるのはトンチンカンで卑怯だと思う方のほうが多いでしょうが
作品を批評する人を「何様のつもりなんだか(笑)」と嘲り笑い者にする。
作家の成長には批評は不可欠だと言う。
ちぐはぐに感じられる主張。
その理由を語る前に、ある実験を思い出してほしいと思います。
「こじつけだ」と怒る人もいるでしょう。
「は? 言いたい意味がわからん」という怒り方もする人もいるでしょう。
ええ、まるっとそのまま『なろう』やネット社会に当てはまるものではありません。
当てはまらない部分の方が多い。
起きたことの程度に関してもそうです。
ただ、ボクがこの話を引っ張り出してくるのは、そこにある“人間というものが持っているもの”の“匂い”を理解してほしいからなんです。
ボク自身が詳しくない分野のことで情報の誤りや視点の間違いがあったら、申し訳ありません。
『 スタンフォード監獄実験 』
誰しも1度は聞いたことのあるだろう話。
タイトルで思い出せない人には、
“心理学の実験で看守役と囚人役に別れてもらって観察してたら、人間関係が暴走してしまって、慌てて数日で中止した”(スゲー幼稚な説明 笑)と言えば思い出してもらえるでしょうか?
えーっと、知識の少ないボクが慌ててネットで調べたことを付け足すと、
特殊な地位や肩書きを与えられたことによって、その役割に合わせて行動してしまうことを確かめようとした実験。
バイト代を支払って看守役と囚人役に別れてもらって観察していたら、看守役が“職務”を越えて囚人役を虐待し始めて慌てて中止した。
あと、ボクの心に残ったのは、2つ。
1つは、
この実験を紹介してるサイトの解説。
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が狭い空間で常に一緒にいると、力を持つ側が次第に理性の歯止めが利かなくなり暴走してしまう。
(もしかしたら“しつけ”と称する虐待も同じ根っこかも知れませんね)
2つ目は、
実験の補足情報。
この実験は6日間で中止されたが、看守役は「話が違うじゃないか」と実験の続行を希望した。
特に2つ目は怖いですね。
中止したというのは、客観的に見て異常、危険だと思える状況だったと思うんです。
それなのに“力を与えられた側”は、“約束(契約?)”を盾に“力を与えられた立場”の継続を願ったってことですよね?
もちろん、ネット社会で起きていることや、小説投稿サイトでの読み手と書き手の関係、まんま一緒ではありません。
起きていることの程度も。
ただ、ボクが言う“人間というものが持つもの”の“匂い”を感じ取ってほしいという言葉の意味、ご理解いただけますか?