本題の前に前振り① 読み手が書き手を育てます。 あなたの声は無力ではない。
読み手が書き手を育てると思っています。
これは真実です。
特に『なろう』では。
これは揺らぎません。
さあ、あなたはどう思いましたか?
ボクの正気を疑いましたか?
「“読み手が書き手を育てると思っています”には、あたりまえだと思うけど、おまえ(弥宗志之助)のここまでの投稿と真逆じゃん?
おまえ、ここまでにどれだけのことをほざいてきたんだ?
あ?(怒)」と。
あたりまえですね?
ボクの論調。
その嘲りを含んだ傲慢な、否定的力説。
そりゃー当然です。
その反応、いたって正解。
いたって正常。
怒りの感情があるなら、その考えは正論です。
なぜ、こんなことを?
そのことを語る前に“読み手が書き手を育てると思っています”を、具体的に考えてみたいと思います。
あたりまえ過ぎて深く考えたことがない方も、もしかしたら、いらっしゃるかも知れません。
お付き合いを願いたい。
まずは精神面。
ボクは『一人称小説バンザイ』という連載の『仮面ライダー電王』を考察する項で、(ボクだけかも知れない)災害被害の感じ方を述べました。
被害者の数は、ボクにとって重くのしかかるような想いではあるが、悲しみとは少し異なること。
「災害被害者の中には、例えば、こんな方がいました」という個人がクローズアップされることで、数字が悲しみに変わってくる、“実感”に変わる……と。
作者にとっての“感想”も同じだと思っています。
“感想”によって、“数字”が実感に変わる。
または、“数字”の感じ方が変わってくる……と。
だから、この連載を読んでくださってる方、『なろう』の作品に関わらずジャンルを問わず、「好き」な気持ちは、できるだけ伝えてあげてください。
「確率的に、自分の声が読んでもらえるとは思えない。
すでにたくさんの人に評価されてるんだから、わざわざ自分が声をあげる必要もない」なんて思わずに。
あなたが声をあげた時、あなたの声は作り手の“実感”になります。
それは、作り手の意欲や充実感となって作り手を後押しします。
あなたは好きな人と一緒に、その人が作り出す世界を作り出してる、作り出す力を生んでいるんです。
決して、あなたの声は、無力でも無価値でも無い。
「今までの弥宗の論調からすれば、それは、“書き手にとって心地の良い、肯定的な意見”は、ってことじゃないのか?」
そう思う方もいるかも知れません。
では、次は、技術的(という言葉の選び方が正しいか自信はありませんが)なことに触れましょうか。