氷の世界に潜むモノは
「……ほれ、どうじゃ?」
「……ッス」
「……スミマセン」
若いハンター、バルドークとギルザの表情には不満の感情がわかりやすく表れていた。
それはネルガの治療に対するものではなく、ケガをしたという事実に対する不満であった。
戦闘による負傷ならまだ納得したのかもしれないが、彼らのケガは遺跡の扉に触れたときのものだ。
「まぁ……指輪の効果で快適だからな。俺も油断してやらかしてたかもしれん」
ふたりへのフォローのつもりだろうが、もちろんベテランであるホークアイは、そもそも迂闊に周囲に触れるマネはしない。
状況とメンバーに応じて、レンジャーやマジシャンの意見を必ず待つし、仮に自分が何かを探る必要があれば素手ではなくナイフを使うようにしている。
(残念ですが、これ、基礎なのですけどねぇ。ハンターたるもの、ナイフのひとつは懐に忍ばせて。なければ木の棒でもなんでも。とにかく手で触れるなと)
呆れ、ではなく冷めた視線。
もとより彼らへの評価は低かったサラステリースは、今回の探索でバルドークとギルザについて一切の期待を排除することに決めたらしい。
以前からやんちゃではあったが、それは笑って許せる程度だった。
しかし、クラスCが見え始めたあたりから態度が悪くなりトラブルが増えていたのだ。
そしてデュランの、温水湖までの護衛依頼の一件が……多くのハンターにとって決定的なものとなる。
あの時点でギルドに対し、彼らや彼らのパーティーへの協力の拒否申請を提出した者もそれなりにいたくらいだ。
(最後のチャンス……クラスDに対しては不適切な高難易度の依頼に放り込んで様子見。しかし態度は改まらず、ですかぁ。街に戻ったらわたくしのパーティーにも拒否申請の用意をするよう、忘れずに伝えましょうかぁ……)
遺跡の扉に刻まれた術式にネルガが霊気を通す。
ゆっくりと開いていく扉の内側から、強烈な冷気が溢れ出して5人に襲いかかる。
指輪の効果で凍えるようなことはないが、ネルガ、ホークアイ、サラステリースの3人の表情は険しいものとなる。
「コイツは……また。いくら陽の光が入らないとはいえ、外と気温が違いすぎるな。霊気の……いや、違う。魔獣の妖気でもない。ジイさん、どう思う?」
「さてなぁ。ワシもあちこちのダンジョンには遊びに行ったし、遺跡系にも何度もお邪魔したものだが……このような気配は知らんわい。新たな発見という意味では楽しいものだがね」
言葉通り、ネルガの口角は上がっている。
未知なるナニモノかとの邂逅という楽しみと、それにデュランの話していた内容に真実味が増したことに対する面白さ。
高齢でありながら好奇心の衰えを見せぬ術師は、楽しんでいるという雰囲気を全く隠すつもりはないらしい。
一歩、足を踏み入れた感想は“まとも”であった。
他の遺跡ダンジョンと同じように、人の手が加えられ整った通路が奥に伸びている。
「よし……それじゃ先頭は俺が務めよう。バルドークとギルザは左右の警戒を。ジイさんはふたりのフォローを。サラ、後ろは任せたぞ」
なるべく安全なポジションを若手のふたりに、視野の広いネルガを中心に、危険な前後をホークアイとサラステリースが。
おそらくはハンターなら誰もが実行するであろう隊列であったが―――
「待てよ。術師ふたりを後ろに固めてどうすんだよ。背後からの奇襲に備えんのは、術師には不向きだろ?」
「ホークアイさんが先頭なのはともかくとして。俺たちが後ろを守りますよ。誰かのせいで人手不足ですからね」
彼らの言い分も正しいものである。
襲撃に対して、式陣を展開する必要のある術師よりも戦士のほうが素早い反撃が可能であるからだ。
しかし。
「いや、お前たちは遺跡ダンジョンの探索は初めてだろう? それにここは普通じゃなさそうだからな。それに、サラはたしかにマジシャンだが、あれで接近戦もなかなかだぞ?」
たとえ定石だろうとも。
能力、経験値ともに大きく離れているふたりに背中を任せるわけにはいかない。
まして今回のような状況では尚更のこと。
「隊列は決まりでよろしいですねぇ? それでは中へ参りましょうかぁ」
広い通路、小部屋は無し。
正面と後方への警戒はホークアイとサラステリースに任せ、ネルガは術式による光源、そして魔力と霊気によるワナの探知を行いつつ……。
(扱いが不満か。だろうな。少なくとも彼らは実力が認められて同行を許されたと思うておるだろうし)
ふたりの評判があまりよろしくないことはギルドも把握していた。
たが、ギルドはハンターをサポートするための組織。
余程のことがなければハンターを切り捨てるような対応をすることはなく、今回の依頼もギルドなりに苦渋の決断である。
変則的な依頼ではあるが、発案者のネルガならば欲目に惑わされてハンターたちを死なせることはしないだろう……そういう信頼がなければ実行されなかった。
普段の態度が悪くても、危険な依頼の中でならベテランたちの意見を素直に聞くかもしれない。
これで以前のような真面目さを取り戻せば、他のハンターたちもチャンスをくれるかもしれない。
そんなギルドの親心、それを理解しているからこそホークアイは彼らの監督約を引き受けたのだ。
……サラステリースはすでに見限ると決めたらしく、もはや気にかけてはいないようだが。
(人間だものなぁ。私情に流されるのも……たまには仕方ないとはいえ、デュラン君には非がないからのぉ。そうでなくても、依頼の最中くらいは苛立ちを抑えられんようでは、あまり好評価は報告できんし……)
気に入らない相手は自由行動を当たり前のように許された。
それに腹が立つのも理解できるが、別行動中の4人は始めから自由意思でここにいる。
生きるも死ぬも自己責任、それをお互いに承知の上。
この程度の出来事などハンターたちの世界では珍しくもなんともないのだ。
そして非常に残念なことに、この辺りのやりとりについてはクラスDに昇級するときに説明されている。
ホークアイはともかく、術師のサラステリースはそのことも含めて容赦なく報告するだろう。
やがて通路が終わり開けた場所に出る。
それはただ広いだけの空間ではなく、遺跡ダンジョンらしく彫刻が施された壁や柱が並ぶ、その場所が意味を持つことを予感させる空間であった。
「思ったよりも明るいな。装飾の一部に蛍石が使われているのか……デュランが言うにはずいぶん昔の遺跡のはずだが、それでも光を失っていない、か」
ホークアイの霊気が鋭さを増す。
遺跡ダンジョンの仕掛けとして灯りがあるのは珍しくないが、それらは普通、霊気を通わせて起動しなければ光を宿すことはない。
少なくともホークアイは例外を知らなかった。
後ろにいるネルガやサラステリースはもちろん、仮にデュランがどこかで仕掛けを動かしたのならその霊気が伝わるはず。
つまりは……何かが、いる。
先頭を歩くホークアイの変化に合わせ、ネルガとサラステリースも臨戦態勢となる。
「ふーん。思ったよりも普通な感じだな。魔獣の気配とかも全然しねーし」
「あー、あっちが奥に続く通路かな? わざわざこんなところまで来たんだし、エーテルウェポンとまでいかなくても何か武器とか落ちてないかなぁ」
「だな! 店売りの安物じゃなくてよ~、ハンターらしく儀礼武器とか使いてぇよ」
「……はぁ。お前らなぁ、いくらなんでも油断し過ぎだ。気持ちはわからなくもないが、宝探しが目的で来たんじゃないんだぞ?」
「わーってますよ。調査、調査でしょ? 別にそんな心配しなくても大丈夫だろぉ? 妖気も全然なんだし。そりゃ、奥はどうなってるかわかんねぇけどよぉ~」
「そうですよ。まだまだ入り口なのに、そんなに緊張してたら体がもたないんじゃないですか? ……やれやれ、誰かさんが適当なことを言うから余計な心配が増えるんだ」
「……あのなぁ」
まさに頭が痛い、という気分であったろう。
経験値不足。
彼らは他の遺跡ダンジョンを知らない。
それなりに遺跡ダンジョン攻略の経験があるハンターならば、この地の異質さ異常さに警戒もするだろう。
しかし比較できる知識も体験も持たないバルドークとギルザには、この遺跡ダンジョンが……それこそ、ここに至るまでの氷剣吹雪がもはや異常であったことがわからない。
それに加えて、今の彼らはクラスAハンターのパーティーですら手を焼いていたダンジョン―――彼らはそういう認識である―――にいるという状況に完全に自惚れていた。
口で説明したところで、果たしてどれほどの効果があろうか?
(まぁ、な。ギルドの連中の思惑にゃ、こんな流れはなかっただろうからな。吹雪がヤバいとはいえ、まさか精霊なんて関わってくるなんざ思わなかっただろうし)
何はともあれ調査は必要。
フロアをぐるりと一巡りしたが、特に目ぼしい物は無し。
次のエリアに向かおうか、という話題に切り替わったとき。
「……たすけ……て、くだ……さい………」
それは、おそらくは年若い、弱々しい少女の声であった。
「あらぁ。皆さまの様子を見る限り、わたくしの幻聴ではなさそうですねぇ?」
「ワシの衰えた耳でも聞き取れたからな。さて、声の出所は奥からのようだが……」
「おいッ! なにノンビリしてんだよッ!! 助けてって聞こえたんだろッ!?」
「声からしてかなり弱ってそうだ。バル、急ごう」
「おい、待てッ! 勝手な行動を―――」
「勝手な行動!? それならあのデュランとかいう術師だってやってんだろうが!!」
止める言葉を振り切って、ふたりが進んだ先では―――ボロボロの服装を纏い、体のあちこちに鎖のようなものが巻き付いている少女がいた。
ふたりの姿を見つけたことに安心したのだろうか、泥のような何かで汚れた少女の顔に安堵らしきものが浮かぶ。
「おい、アンタ、大丈夫か?」
「これは……ヒドイな。まずは鎖をなんとかしないと。バル」
「おう! 待ってな。こんな鎖、今すぐブッ壊してやっからよ」
鎖を掴み、霊気による身体強化を更に高める。
もとよりハンターとして、前衛役としての能力はクラスDとしてはかなり優秀であったふたりである。鎖は容易く破壊され、少女の四肢は自由を取り戻した。
「ありがとう……ございます……」
「気にすんな。よし……歩けるか? なんなら向こうまで運んでやるぜ? 治癒の術式が使えるジイさんもいるからな」
「いえ……大丈夫、です……ゴメンなさい、手を……貸していただけますか?」
「わかった。ほら、つかまって……おっと」
少女が素手であることを見たギルザがグローブを外し、バルドークもそれに倣って素手になる。
前衛職の装備するグローブ類は概ね防具として“ゴツい”ものが多く、少女の小さな手を取るには不適切だと考えたのだろう。
ふたりの少年の手が、ひとりの少女の手と重なる。
そして。
「ありがとう。本当に。わたし、とてもお腹が空いていたの」
「あん? なんだ、飯が食いたいな…ら…が……あ? あ、あぁがぁああがぁぁッ!?」
「バルッ!? キミは―――お前ッ!? なにを……ぎょ…あ……ばぁ……がぁぁぁッ!?」
「―――疾ッ!!」
「きゃッ。もう、酷いじゃないですか……腕を切り落とすなんて。せっかくの、久しぶりの食事だったのに」
ホークアイの双剣が両腕を切断したというのに、ソレはまったく痛がる様子もなく、むしろ楽しそうに微笑んですらいる。
断面から血液のようなものが滴ることはなく、何か……それは、泡沫のような、水晶のような、そのようなモノが張り付いている。
「ジイさんッ! ふたりをッ! サラッ!!」
「“並び立つ紅蓮の障壁”ッ!!」
サラステリースの飛ばした術式符から式陣が展開され、炎の壁が出現する。
ソレは笑みを絶やすことなく、どこか落ち着いた様子で距離をとった。
「これはイカンな。“穏やかなる生命の領域”!」
瀕死、であった。
ふたりは霊気が枯渇しており、生命の源である魔力すらも消耗している。
さらにはアレと接触したときに指輪が破壊されたらしく、いきなり極低温にさらされて体の表面が凍り付き始めていた。
霊気による身体強化の効果が残っていなければ絶命していたかもしれない。
「ホークアイ君、サラステリース君。まことに申し訳ないがこの場を任せる。治療に専念せねば助からん」
「早めに戻って来てくれると助かるな。間違いなくアイツは普通じゃないみたいだし。俺だって死にたくはないんでね」
「うむ。善処しよう」
ネルガが氷のソリを構築しふたりを乗せ、外への避難を試みるが―――
「ダメですよ? まだ。まだ、わたし、満足してないの」
「……結界、ですかぁ。術式道具も儀礼道具も無しに。困りましたねぇ、アレ、少なくともクラスSマジシャンと同等の霊術が使えるみたいですねぇ。まぁ……感じるのは霊気ではなく妖気ですけど」
「ふむ。実に興味深いな。吹雪の断面に似たような気配を感じるのぅ。ホークアイ君、自慢の剣技で切り開いてくれんかね?」
「そいつはいいな。それが出来るくらいなら、俺もクラスAの昇級試験に挑んでみるか?」
知識と経験があるからこそ。
実力者だからこそ状況がどれほど悪いのかを把握してしまっていた。
少なくとも見た目は少女だったソレの下半身が変化する。
表現するならば、氷の塊。あるいは水晶のゴーレムだろうか?
大抵は頭が存在するであろう場所に少女の上半身が生えているような姿であり、境い目の部分は水晶に対して肉の根のようなものが侵蝕している。
「先に謝っておきますね。わたし、まだ、巧く操れるかわからないの。思ったよりもしぶとくて、意識を破壊するのに手間取ってしまって。だから」
放たれる妖気に明確な敵意が宿る。
「だから、あっという間に壊してしまうかもしれないけれど。ゴメンなさいね?」
「―――ちぃッ!?」
振り下ろされた拳は見た目に似合わぬ速度であり、ホークアイの身軽さをもってしても脅威であった。
距離を保ちながら戦えるサラステリースはまだいい。
しかし、瀕死のふたりを守るネルガはそうはいかない。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ね、お兄さんだってそうでしょう? わざわざ残飯なんか漁るよりも、新鮮で美味しそうな食材を料理したいもの」
「新鮮、ねッ! まぁな、一応まだ20代前半なもんでなッ!! ―――クソッ!!」
避けた腕に剣を叩き付けてみるものの、その手応えは並みのゴーレムなどとは比較にならないものであった。
「“貫く爆炎の槍”ッ!! ……せめて、焦げ目くらいは付いてくれますと、いくらかでも気が楽になるのですけどねぇ」
「あら、ゴメンなさい。でも何も感じないわけではないんです。ちょっと……くすぐったかった、ですよ?」
サラステリースが宿す術式の中でもそれなりに攻撃力の高いものであったのだが……掌で事も無げに防がれた。
「さぁ……せっかくですので少し、強くいきます。だから。だから、頑張って、生き残ってみてください。まだ、壊れないでください。お願いしますね?」
「ええ。任されたわ。期待してね? ―――黙らせなさい。“ジェーヴァ”!」
「ラムステラッ!? ―――うぉッ!?」
勢いよく突進してきたソレの拳を受け止めたのは、別行動をしていたはずの仲間であった。
エーテルウェポンの能力を開放したラムステラは、深紅の霊気が具現化した鎧を身に付けていた。
特に普段から盾を扱っていた右腕は巨大な鎧で覆われており、彼女の身の丈ほどもある水晶の拳を正面から弾いてみせた。
「助かったぜ。しかし、なんで?」
「デュランくんがね。見つけたの。むか~しむかしの人たちが残してくれた忠告を。間に合って……いるの、かしら? あのふたり」
「まだ死んでないからな。生きてるならセーフだろ」
「手加減はしていましたけど、まさか量産品で防がれるとは思いませんでした。うふふ。いいですね、楽しみがたくさんあるのは嬉しいです」
「量産品、ね。エーテルウェポンにはオリジナルが存在する……なんてウワサも聞いたことがあるけれど。楽しんでくれるなら私も嬉しいわ」
「ええ、とっても。まさかわたしの結界を通過できる人間がいるなんて。本当に驚き―――」
「あら、結界に穴を開けたのは私じゃないわよ?」
「……何を、―――ハッ!?」
「おっと、外しちまったか。図体のワリに素早いな」
軽く、上に放り投げるように半透明のナイフで遊ぶジンガー。
それが普通のナイフではないことは、強力で攻撃的な青い霊気が目視できることからすぐにわかった。
「ホークアイの斬撃を防ぐ敵か。さて、そうなると私の技も怪しいところだな? いやはやまったく、困ったものだ」
「……とても困っているように見えませんけどねぇ。キルシアさん、アナタ、いつのまにそんな武器を手に入れたんですかねぇ?」
「なに、デュランのヤツが少しばかり細工をしてくれたんでね。普通じゃない敵には普通じゃない方法で立ち向かう必要がある、ということだ」
キルシアの持つ剣もまた、ジンガーのナイフのように強力な霊気を宿していた。
エーテルウェポンのような……とまではいかないが、それに近いものを感じるほど強力な霊気が。
「ふぅ。正直、生きた心地がしなかったわい。それで―――デュラン君、ふたりの治療は可能かね?」
「不可能ではない。ただ、このまま寝かせていたほうが面倒が少なくて済みそうだな」
若き術師が指をパチンッと鳴らす。
バルドークとギルザが箱状の式陣に囲われ、苦痛に歪んでいた表情が穏やかなものに変化した。
「ほぉ! これは面白い! なかなかユニークな式陣の組み方をするのぅ!」
「円形や球体だとデッドスペースが多いからな。さて」
「あはッ♪ 嬉しいです、こんなにたくさんの人に来てもらえるなんて。それも、とてもとても……とてもステキな魔力の持ち主もいます。なんて素晴らしいのでしょう」
焦るような様子はない。
ただ、受け取ったプレゼントが望み通りであったときの子どものように。
「申し遅れました。わたし、ラービーナ・ニウィスといいます。皆さんにわかりやすいように言うなら……そうですね、幻想種の魔獣になるでしょうか。―――それでは、楽しい食事の時間にしましょうね?」
分割するよりまとめたほうがいいかと試しに。




