仁義の黒雷・その2
前回に引き続き、肩こり回になります。
武器の衝突音と人の怒号。
戦場音楽があちらこちらから聞こえてくる段階までになると、さすがに民衆も不安を隠せなくなっていた。
表を歩く軍服姿に慌てた様子はなく、事の次第を聞こうにも
「問題ありません。通知があるまで建物から出ないようにお願いします」
と、同じ言葉を繰り返されるだけで、なにひとつ状況がわからないままである。
だが、そんな態度に文句を言える住民はひとりもいない。
それはエスタリアでは軍隊の持つ権限が大きいからというのもあるが、それ以上に。
理由は人々もわからない。しかし。
それ以上に、いま、外を歩いている軍人たちを何故か信用することができなかったからだ。
◇◇◇
「まったく。初めから素直に従っていればよいものを。よし、物資を運び出せ。くれぐれも乱暴に扱うなよ? ストディウム制圧のため、そして新生エスタリアの繁栄のために使われる大切な物資になるのだからな」
「「ハッ!!」」
「アニキッ!! 大丈夫かよッ!? クソがぁ、てめぇら―――」
「よせ……ッ!! 俺なら大丈夫だからよ……ちっと腕を斬られた……だけじゃねぇか……」
人々の根拠のない予感……不信感は、すでに確信へと変わっていた。
騒ぎの説明や、言われていた通知の類いなどは一切成されないまま、軍人たちが各商店から物品を持ち出し始めたからだ。
説明を求めても案の定、まともな返答は得られない。
強く問い詰めるような行動に出た者への扱いは……いま、まさに目の前で実演されたばかりだ。
「なんなんだよ……なにが起こってるんだよ……この国に何が起こってるってんだよ……ッ!?」
◇◇◇
商店の棚からすっかり品物が運び出されたころ、ようやく軍人たちから説明がされる。
が、説明されたからといって、その内容はとても納得できるようなものではなかった。
軍事行動に使う物資。
そのひと言で全てを受け入れろというほうが無理であろう。
「たしかにそのような取り決めがあるのは存じております! しかし、そのときは事前に知らせていただけるという約束がございます! それも無しに―――」
「残念だが、それは旧国の法に基づく話であろう? これからの新しいエスタリアでは、そのようなまどろっこしい手順は踏まんことに決まっているのでな」
新しいエスタリア。
たったそれだけの言葉であるが、民衆が―――特に、幼いころに国家の恥事について聞かされていた年配者たちが事態を理解するには充分であった。
だが、理解したところで許容できるかは別の問題である。
軍人―――義勇軍を名乗る者たちは徴発した分の補填を後から……と言うが、とても信用できたものではない。
仮にそれが実行されたとしても、後からまた一方的に奪われるのでは、結局なにも変わらない。
そんな未来を誰もが想像し―――そしてついに、ひとりの商人が意を決して口にした。
お前たちは、盗賊となにも変わらない。
言ってやった。
怒り狂う軍人の顔が見える。
自分はこのまま首を切り落とされるだろう。
だが言ってやった。
目の前の勘違い野郎をこき下ろしてやった。
どのみち連中みたいなのが上に立つなら、自分たちに未来なんて無いも同然。
ハハッ、ざまぁみろ。
すでに終わりを覚悟していた商人であった。
しかし。
彼の耳に届くのは剣を振り下ろす音などではなく。
悲鳴?
誰の? 何故?
「―――とても見事な啖呵でしたよ。臆病者である私にはとてもマネできないような」
「―――へ?」
商人の、人々の前に現れたのは黒目黒髪の若き只人族。
おそらくは皆が人生で初めて見るであろう、白銀の鎧を身につけた盗賊トカゲ、それを騎馬とする軍人の姿。
「さて……おはようございます、反乱軍のみなさん。こんなに朝早くから略奪行為とは。いやはや、これほど真面目に賊軍として活動なさるとは。まったく、怠け者の自分にはとてもとてもマネできませんね」
反乱軍。賊軍。
それらの単語は義勇軍を自称するものたちの自尊心を逆撫でするには充分な効果を発揮したらしい。
煽られていきり立つ軍人たちを無視して、若き軍人はさらに言葉を続ける。
「賊軍だよ。エスタリアの軍装を身に纏いながら、エスタリアの民へ略奪を仕掛ける。それが賊軍でなければなんだというのか」
大勢に囲まれ睨まれているにも関わらず、ハッキリと言い放つその姿は、人々の心を大いに奮い起たせる。
たかがひとり、しかし自分たちを守護せんと威風堂々とした態度は、それはどれほど頼もしく見えることか!
賊軍扱いされたことで、ここにきてようやく義勇軍たちが自分たちが掲げる“大義”について語り始める。
領土問題。
行動とは裏腹に、増える国民とその生活を支えるための生産力という、至極真っ当な理由。
真っ当な理由だからこそ、若き軍人が問いかける。
なぜ、それを皆に伝えないのだと。
それは人々も同じ気持ちである。
国家の問題であると同時に、自分たちの生活に直結する問題でもあるのだから、初めからそう話して貰えたのなら……と。
しかし、そんな同情的な考えは義勇軍たちが続けた言葉で簡単に消え去った。
彼らは言う。
民衆の了解など不要なのだと。
軍隊は人々の支えがなければ成り立たないという青年の主張を遮り、武器を構え、彼らは声高らかに宣言した。
民衆は、家畜も同然なのだと。
そこまで言われて怒りを覚えない人間はいないだろう。
それまで青年と義勇軍のやり取りを聞いていただけだった人々の心に大きな怒りが生まれるが―――それはすぐに霧散した。
なぜなら。
「そうか。ならば仕方ないな」
青年が展開した式陣が放つ、恐ろしいまでの威圧感に完全に飲み込まれてしまったからだ。
民衆は戦闘について詳しいワケではないが、それでも“一般的な”術師が扱う霊術の式陣がどういう物かくらいは知っている。
平面の円形に、効果を示す魔導の文字や図形が並ぶ。
それが彼らの知る式陣なのだが……青年が展開している式陣はその形から大きく外れている。
両手を中心に広がる球体。
まるで青年を護るような帯状のもの。
四角い立体的な図形がいくつも浮かび、それらが鎖のように連なる文字で繋ぎ止められている。
そしてそれら全ての式陣は―――蠢いていた。
漆黒の魔導文字が、図形の表面を流れるように動いている。
規則的に、流れるような整った動きだというのに、それを見ている者たちには生物のように蠢いて見えたのだ。
戦いを知らぬ民衆ですら恐怖を覚えたその姿。
戦いを知る義勇軍の兵士たちはそれどころではない。
彼らは決して完全な無能ではない。
今日この日の行動の是非は別として、彼らとて軍務として日々の鍛練は欠かしていない。
大きな戦争こそ参加したことがない者ばかりだが、それでも盗賊やら魔獣やらの討伐で実戦経験もある。
だからこそ。
だからこそ、いま自分たちに向けられている敵意がどれほどのものか理解してしまう。
身の程知らずの3等武官と侮っていた相手。
しかしその正体は、まるで話に聞いた帝王種の魔獣の如き戦闘力を持つ相手だった。
義勇軍たちの表情は絶望で塗り潰されていた。
人々は考えた。青年の変貌の理由を。
そしてたどり着く。
青年は何度も口にしていた。
軍は民を護るためにあるのだと。
軍が民を蔑ろにしてはならないのだと。
そのような義心を秘めた青年に、義勇軍の……否、反乱軍の横暴を許すことなどできるだろうか?
無理に決まっている。
だからこそ、こうして自分たちを護るべく、単身反乱軍の前に立ち塞がったのだ!
それほどの覚悟と決意を宿す義心の武人に向けて、反乱軍たちは堂々と口にしてしまった。
民衆など、家畜も同然なのだと。
さきほどまでの怒りは消え、こうなってはむしろ同情さえ覚える。
反乱軍たちは触れてしまったのだ。
青年の内側に潜んでいた、恐るべき破壊と暴力の化身、その逆鱗に―――ッ!!
恐怖で身動きできない反乱軍たちの足下に、青年が展開しているものと同様の漆黒の式陣が現れる。
そして―――。
「―――貫け。魔導の黒」
黒雷、であった。
数多の漆黒のいかずち。
反乱軍の兵士たちをことごとく打ち砕き、そのまま天高く昇り消えていく。
ひとり残らず息絶えた―――と、誰もが思ったが。
「あれは……生きて、いる?」
「みたいだな……なんというか、逆にスゲェわ。あんなとんでもねぇ霊術なのに手加減できるもんなんだな」
◇◇◇
「それでは自分はこれで。まだ果たさねばならないことがあるのです。ほんの、個人的な些細な用事ですがね。では、生き残れましたら、またのちほど」
………。
「生き残れるかどうか心配するような些細な用事、ってなんなんスかねぇ?」
「さぁね。ただ、あれだけの……私らクラスAハンターですらまとめてブッ飛ばせるような、そんな桁違いの霊術が使える術師ですらヤバいと思うようなヤツがいるってことだろうさ」
「もしかして……あ~、もしかしなくても、ッスかね。レグルナルヴァの」
「様を付けときな。一応、まだ扱いは姫さまだろうからね。……軍の本部の方向、戦いの音がどんどん激しくなってる。それに、感じたことのない霊気も。間違いなくただの乱痴気騒ぎじゃないよ、これは」
「リーダー、反乱軍は全員縛り終わりましたよ。商人さんたちが倉庫を貸してくれるそうなので、まとめて放り込んでおきました」
「抵抗らしい抵抗はなかったぜ。身に付けていたものは武器から鎧兜から、果ては霊気のガードまで完ッ璧に破壊されてたからな。命には別状ないだろうが……ありゃリハビリは地獄だぜぇ? カッカッカ!」
「お疲れさん。さて……どうするかな、ホントにさ。一応聞くけれど、この霊気の感覚を知ってるってヤツぁ―――いない、か。だろうな。……なにが起きてるんだよ、軍の中で」
「こういうときは、考えても仕方ないよ。ワタシたちはワタシたちがやるべきこと、やろうよ? ほら、あの男の子からも頼まれたでしょ? 街の人たち、お願いって」
「だな。よし! 引き続き各地のハンターに知らせろ! 義勇軍を名乗る反乱軍どもを叩きのめせとなッ! これはエスタリア国防軍の人間からの正式な依頼だ! もしも民間人を見捨てて逃げるようなことをしてみろ、こんどは私たちが黒雷で貫かれるぞと伝えておけッ!!」
「「おぅッ!!」」
「……これも、あんたの依頼を遂行するために必要なんでね。悪く思わないでおくれよ? “フェイス・コード”のダンナ」
混乱した人々をまとめるには、わかりやすいシンボルが必要だ。
そして、さきほどの天まで届く黒雷はそれにうってつけだった。
少なくともこの中央都にいる人間は誰もが目撃しただろう。
だから伝える。
あれは民衆の、そしてハンターたちにとって味方なのだと。
その代償として、間違いなくフェイス・コードの名前は良くも悪くも有名になるだろうが……諦めてもらうしかない。
「なんだか騙して利用してる気分だが……まぁ、番号残しだもんな。国のためになるなら怒りはしないだろう」
噂話というものは、いつの時代も好き勝手に変化しながら広まるものである。
当然、それは今回に限り例外になることはなく。
中央都の市民から始まりエスタリア全土、そしてやがては他国に至るまで。
戦闘国家エスタリアが誇る最強の盾“黒き魔導のフェイス・コード”の名が知れ渡るのは時間の問題であった。