頭の痛い事情・雪国編
「旦那様、ネルガ様が面会を求めております」
相変わらず良いタイミングで来るジジイだな。
ちょうどペンを置いて休憩しようと思っていたところだ。
「ではお茶もご用意させていただきましょう。いやはや、焼き菓子を多目に作っておいて正解でした」
ヤツはだいたい酒でも菓子でも良いものが手に入るとしれっとやって来るから困る。
我が屋敷に盗み聞きの式陣でも組んでいるのではないか?
「そんなもんあったら先ずは帝都の魔導院に持ち込んでおるわい。“音”属性の式陣図形はロスト・マテリアルのひとつだとお主も知っておるだろうに」
もちろん知っている。
これでも区長のイスに座る前は術師として学んでいたからな。
ルジャナ帝国だけではない。
世界中の国々で、大勢のマジシャンたちが血眼になって探し求めている。
今のところ、偶然発掘される術式道具、あるいは儀礼道具を利用するしかないからな。
まぁいい。
それで?
「かくしかまるちょう」
しろくろほるもん。
……ふぅむ。
たしかに可能性は考えていたが、本当に精霊が関わっていたとはな。
「大規模な、それこそワシら年寄りですら知らぬ規模の氷剣吹雪だったからのぅ。それでもデュラン君に言われるまで竜脈を探らなかったのは怠慢であったなぁ」
失敗したというわりに、ネルガはずいぶん楽しそうだ。
よほどそのデュランという術師を気に入っているらしい。
少なくとも住民やハンターたちには概ね受け入れられているらしいからな。
悪人ではないのだろう。
最初にフィンブルム王国と、国と個人で敵対しているという報告を受けたときはさすがに驚いたが。
まぁ、ルジャナはもとよりフィンブルムと敵対関係にあるし、今のところこのプロミネーズ東区にとって利益となる存在だからな。
とくに温水エビが食べられることを発見してくれたのは素晴らしい。
淡泊な味わいでありながら満足感をもたらしてくれる、あれほど非常に素晴らしい食材を見逃していたとはな。
温水エビをフライにして、それにきざんだピクルスを混ぜたマヨネーズ。これがまた実によく合うのだ。
「世界を巡っていたと話すだけあって、食の分野にも広い視野を持っておるな。たんに食い意地が……んん、食事が好きなだけかもしれんが。先ほども、雑貨屋から白トウガラシが無くなっているからと腐れ沼に出掛けていったぞ?」
それは朗報だな。
ついでに栽培方法でも研究してくれれば助かるのだが。
まぁデュランとやらは術師であって農民ではない。
区長の立場を利用して頼むような真似は筋違いというものだろう。
おっと。
話が逸れてしまったな。
「さて、実物があったほうがお前さんも納得できるだろう。精霊が消滅するときに残した魔導水晶じゃ。デュラン君は精霊結晶と呼んでいたがな」
……これは、たしかに。
突拍子もない話だろうとも、これを見せられたのでは納得するしかないだろう。
明らかに、桁違いに異質。
これひとつでどれだけの魔力や霊気を賄えるだろうか?
都市……いや、東方プロミネーズ領の全てを何年維持できるか、というレベルだ。
それほどの魔力を宿しながらも威圧感がないのは、元の守護精霊とやらが我々人間を好意的に評価してくれていたからだろう。
「うむ。仮に人間と敵対関係にある精霊がいたとすれば……あまり考えたくないのぉ~。ラービーナ・ニウィスなる魔獣との戦いは本気で死を覚悟したからな……」
それも問題だな。
幻想種の魔獣。
神話や伝承の類いとしか思っていなかったが……。
「不甲斐ないの承知で断言させてもらうがな。デュラン君がいなければ勝ち目はなかった。そして、彼奴が遊びを捨てたならワシらは死んでいた。強い弱いではなく、アレは存在の定義がそもそも狂っておる」
この好奇心の塊が苦虫を噛んだような顔を見せるのは珍しい。
そんなにも規格外なのかという疑問もあるが……。
そうか、その幻想種の魔導水晶は持ち出すのも躊躇うほどだと?
このジジイがオレに遠慮するくらいだ、相当だろうな。
しかし―――
「うむ……本人に確かめたワケではないがな、おそらくは。おそらくは、デュラン君は過去にも似たような経験をしておるのじゃろうなぁ」
曰く、戦い方が初見のソレではなかったらしい。
予め決めていた手順に従いつつ、戦いながら修正を加えているような動き方であった、と。
オレはすっかり事務仕事ばかりだが、このジジイは未だに現役でフィールドワークやってるからな。
コイツがそう判断するならそうなのだろう。
そして……手慣れるほどに経験があるということは、だ。
「うむ。他にも同じような事例が……な。精霊の存在は決して過去のモノなどではなく、幻想種の魔獣も決して架空のモノではない……と。まぁそういうことになるのぉ~。かっかっか!」
笑いごとじゃないんだがなぁ。
「……なら少し真面目に話すか? お前さんも知っての通り、ルジャナ帝国には遺跡ダンジョンが多数存在する。おかげで他国に比べてエーテルウェポンの発掘量も多いがな。しかし、どの遺跡ダンジョンも全ての探索が終わったワケではない」
つまりは今後、探索が進んだ先に幻想種が待ち構えている可能性を考えねばならない。
人間をエサとする連中だ、どのような狡猾なワナを仕掛けてくるか未知数だ。
聞けば少女に化けて若いハンターふたりが危うく死にかけたらしいからな。
「若手だから、では済まんよ。間違いなくな。多くの者たちはこんな与太話と真面目に取り合わんだろうからのぉ。事態の深刻さに気がつくまでどれだけの犠牲者が出るものか想像もつかん」
頭の痛い問題だな。
体験しなければ信用ならない。
それについて文句を言えるほどオレも頭が柔軟ではないが。
「この街のハンターについては安心してもいいぞ。危うく体験させられるところだったからな。いやぁ、あのときの皆の慌てぶりには楽しませてもらったわい! かっかっか!」
封印から漏れた妖気だけで?
むむむ……少し興味も出てきたが……。
まて。わかってる。
そんなバカな真似はしたりせんよ。
だからその真剣な顔を止めてくれ。キサマに真面目な顔をされると本気で心配になる。
事の重大さに気づかぬほど平和ボケしていない。
まぁ、マーブル・ミスティックの話を聞かされたのではな。
少なくとも、ルジャナ帝国内の魔導院ではまだまだ研究段階の式陣展開方。
稀にダンジョンから発見される資料を元に、ずいぶん苦労して再現しようと試みていたハズなんだが。
「自分の足で世界を歩くからこそ、だ。デスクワークだけではたどり着けないのも、まぁ仕方ないことなのだろうな! かっかっか! ……あるいは」
その程度のことができなければ生き残れないような状況を何度も経験しているか。
なんにせよ、地方区長のオレが判断できる問題ではない。
できれば帝都の連中に、せめて中央区のプロミネーズ閣下に押し付けたいところだな。
まったく、頭の痛いことだ。
……まぁ。
さらに頭痛が酷くなるのは数日後、帝都の魔導院の連中が幻想種の魔導水晶を奪っていったという報せが届いてからだが。