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説明回です。
理子をとなりにある彼女の自室まで送った。
げっそりとした顔の理子から鬱陶しい、そこからそこだろ、早く解放してくれ、変態、などという荒んだ声が聞こえてはくるが聞かないふりをする。
たしかにしつこかっただろうと思いはするが変態ってなに。
ちょっとそこわかんない。
なんといっても、妹はこの魔力封じの指輪が未だに効力を持つと信じて疑っていないようだから。
彼女の精神衛生上、付けっぱなしにしておくべきか……、いや、そうなると思いがけなく先程のような恐ろしい無意識攻撃を受ける可能性があるな。
それは、ちょっと、あれだな……。
というか、いつウォークインクローゼットに入ったんだこの子は。
人の部屋の、ウォークインクローゼットに入る用事なんかあるか?
残念ながらその辺は理子から探し出せなかった。
むしろ、なんか、なんというか……知るのが怖かった……。
理子が引きこもり出した頃、部屋の鍵を外させるべく自らの自室からも鍵を撤去したのは失敗だったかもしれない。
理子の部屋に好きに突入できるのは悪くないが、妹は全然、まったく俺の部屋に寄り付かないし、かと思えば余計なところは散策しているみたいだし……。
まあ、とにもかくにもあの“偶然拾ったコレクション”は保管場所を考える必要があるようだ。
(理人くんお父さんかえってきたわよー)
理子の部屋の前で耽っているところで頭の中に直接母さんの声が響いた。
呑気な声をぼんやりと聴きながらゆっくりと部屋から離れる。
ここで暫く佇んで恐らくお風呂に入りに行きたいだろうが、俺がいるせいで扉の前に張り付いているであろう理子をからかうのも楽しいけれど。
それよりも、早くしないと父さんは逃げるだろうし。
踵を返しやたらと豪奢な階段を降りているところで息を殺したような足音が聞こえて頬が緩んだ。
………まったく、俺の妹は可愛い。
魔法は万能ではない。全くもって、そうである。
俺のそれなど生活に支障が出るレベルであるし。
俺の魔法で聞くことが出来るのは、心の中で思っていること、無意識下で思っていること、考えていること、それだけ。
そうでないものは聞こえないし、さらにいえばそれらは大抵支離滅裂で、膨大な情報が点在しているだけ。
有益なことを引き出すには誘導して、そう仕向ける必要がある。
そもそも、魔法使いというのは魔力を利用できる者のことで、本来、魔法というのは魔力を消費して常人ではありえない魔の法を行使すること。
血に由来する一定の法しか扱うことは出来ない。
俺の場合はたまたま、視界に入ったものの心の声を聞き、記憶を改竄するというもので、母さんは一定距離の意思の一方的な伝達。
たかだかそれだけのことなのだ。
通常魔法は魔力を消費しなければ発動しないものであるし、使えばそれだけ魔力は枯渇するのだが、俺の場合は魔力がありすぎる。
心の声を聞くことに限ってはそれができず、消費しっぱなし。
“常に発動できる” のではなく、溢れ出る魔力を制御できずに “常に発動してしまっている”。
記憶の改竄はさすがに膨大な魔力を消費するが、しかしそれも、それをして発散させないことには魔力が暴走してしまう為、わざわざ定期的にそういう仕事を回してもらっている。
………まったくもって万能とは言い難い。
優秀だとか、天才だとか言われることもあるけれど、どちらかといえば、普通の魔法使いが普通にできることができないのだから、むしろある意味不出来だとさえいえる。
まあ、便利なことは否定しないが……。
1階に降りると母さんと会話をしていた父さんがあからさまにびくりとした。
さすが当代桜ヶ丘本家の当主。
にこやかに振り向く手前で素早く俺の魔法を阻害した。
常時、使いっぱなしのそれでは読めないほどに強固なその魔力の網は、しかしながら俺が本気を出せば容易く朽ちる。
父もそれは分かっていることだろうけれど。
「ただいま、理人」
「おかえり、父さん。話があるんだ。…………分かって、いるよね?」
うっと小さく唸った父さんは目を逸らしながらやんわりと魔法を構築する。
別に今更俺に使ったところで、とも思うが人と対する時の標準装備なのだろう。
恐らく無意識。
無意味ではあるがそれでもそれは強制的に、微かな安寧を俺にもたらした。
俺的には、父さんのこの魔法こそ最強だと思わなくもないのだが……。
まあ、しかし言った通り今更俺相手には、とくに意味のないことだ。
「もちろん、分かってるよね?理子のことだよ」
父さんは思い切り笑顔を引き攣らせた。
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「つ、疲れた………」
ここ、数年で1番疲れた。
もしかしなくても厄日というものだったのだろうか。
とにかく、精神的な疲労がものすごい。
湯船に浸かりながら太ももをマッサージする。
お父様もお母様もお兄様も細いのに、わたしは油断するとすぐに肉がつく。
すぐにまんまるになる。
どうして、わたしだけ……。兄なんか恐ろしく大食いなのに、絶対に太らない。
影で努力をしているのか、それとも魔力が強すぎて消費するカロリーが凄まじいのか。
……なんだそれ、羨ましい…!
やはり幼い頃に蓄積されにされた糖と脂の呪いだろうか。
…不摂生が、悔やまれる……。
特に太ももと二の腕は要注意である。しかも落ちにくい。
少し太ると兄が嬉嬉として触りに来るからすぐにわかるのだ。
なんなんだろうあの変態は、デブ専でブス専なのか。
本当に、よく分からない……。
「……ああ、学校、いきたくないな……」
いや、これは多分、なんだけど、多分明日至はまたどこかで接触してくる気がする。
だってあの提案ってつまりそういうことでしょ?そもそもわたし達が接触していないと始まらない話。
麗華も「明日も楽しくなりそう!うふふ」とか不吉なことを言っていたし、もう勘弁してください。
きっと、わたしとあの金髪が婚約していないことが知れるのなんてすぐだろうし、このイレギュラーな日々もすぐ終わる。
うん、そうに決まっている。
至は何かしら企んでいること山の如しであるけれど、わたしにずっと構っているほど暇ではないはず。
なんと言っても天下の桧木沢家であるし。
だから、もうすこし、もうすこしの辛抱……。
「明日は平凡で穏やかな一日になりますように……」
両手を合わせて天に祈った。
わたしは気象の魔法使い。天に祈ればなにかしら、なにかしらあるのではないか。
全力でうぉぉ、神様頼みます、あと白樺三雲ににきびが出来ますように、と祈った。
例え、やつのあのお綺麗な顔がにきび面になろうとも、確認したいとは露ほども思わないけど。
………いや、うん、わかってます。ないです。そんな魔法。はい。
そうでなくても、それこそ、神様はこんなしょうもない願いを聞くほど暇ではないだろう。
そして、結果、当然神様はそんなに暇ではなかった。