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柊 麗華について説明してみようと思う。
立てば芍薬座れば牡丹、微笑む姿は悪魔のよう。
そう言ったのは一体誰だったか。とっくに言い出した者は捕まって私刑に処されている筈であるが、幸いにして麗華はこの謳い文句が気に入っているらしい。
その証拠に言い出しっぺであるわたしは元気だ。
さらに言えば一体なぜ、人との交流をあまりもたないわたしが言ったことが広まってしまっているのか。
それは何を隠そう彼女自身が広めたからだ。
長いふわふわの栗色の髪に赤茶の垂れ目がちの丸い瞳。
長いまつ毛はくるりとそれを彩り
頬と小さな唇はうっすらと透けるような桃色。
愛らしさと少女らしさと可憐さをいっきに詰め込んだような見た目。
テディベアでも抱きしめていそうな愛らしさ。
七枝の中で一番格下、ぎりぎり七枝などと言われている家柄ではあるが、彼女はこの学園で一目置かれている。
……いや、一目も二目も置かれている。
彼女の恐ろしさは、家、うんぬんの話ではない。
「ああ、おもしろいことになっているわねえ。
わたし、だから理子ちゃんって好きよ。
なにか変化は起こるだろうとは当然思っていたのだけれど、まさか桧木沢至が動こうとは…さすがに想像してなかったわ。
ふふ、理子ちゃん、ありがとう。だいすきよ」
「ドウイタシマシテ」
お昼休み、がっくりと首を落とし膝に顔を埋めて抑揚なく返す。
わたしの顔が埋まっているせいで麗華には見えていないだろうけれどわたしの目は死んでいる。
麗華がその可憐さに似合わず金にがめつい守銭奴で、血も涙もない非情な情報通というのはこの学園では有名な話だ。
彼女がその確かな情報と引き換えに求めるのは大金、または、それに準ずる、彼女が等価と判断した情報である。
桧木沢さまの問題発言の後、文字通り固まったわたしを、おかしそうに笑うと耳元に唇を寄せた。
固まる所ではなく石化したわたしの耳元で彼は囁いたのだ。
「ごめんごめん、いやだなあ、フリだよ。勿論
ほら見て、僕らがこうして話しているだけで人は勝手に集まってきて、耳を潜めて考察し、真実を探ろうとするんだ」
はっと視線を外に向けるとクラスではクラスメイト達が興味津々といった様子でこちらを伺い、教室の外には人集りができている。
わたしの視線に気が付いた何名かが勢いよく視線を外したが、その目には貪欲な色がありありと浮かんでいる。
「ね?だからね、突然僕らが仲良くなれば彼らは勝手に真実を探し出すよ。
今まで無条件に君と三雲が婚約していると信じて疑わなかった奴らがね。
ゴシップを求めて、あるいは興味本位に、そして利用しようとして」
桧木沢さまの鳶色の瞳は愉快そうに輝いた。
その中に確かにあった軽蔑の色を見逃した訳では無いが、わたしは既に体半分彼の企みに乗りかけていた。
「そうなれば、名実ともにわたしはあの男と無関係になれるのね」
「うん、悪くないでしょ」
桧木沢さまの提案は確かに悪くなかった。
むしろ、全く悪くなかった。
どうやら婚約者だと認識されているらしいあいつとの縁が切れるのであれば、それは願ってもないことだ。
いくらわたしの落ち度をかぎ回られたところで、出てくるのは婚約者ではないという事実だけであるし、もし仮に二股をかけるような尻軽女というレッテルを貼られようとも、そもそも大勢がありもしない噂を払拭する事実に行き着くことだろう。
けれど、つまりそれはわたしと桧木沢さまの仲を疑われるという事だ。
彼と実際に結婚するのが桜ヶ丘にとって最善なのかは分からない、ただ桧木沢と仲良くすること自体は益はあっても害はない。…少なくとも桜ヶ丘にとっては。
しかし、桧木沢さまにとっては?彼になんのメリットがあるというのだ。
「むしろ、良いことしか無さすぎて……」
「怪しい?そうだね。それは勿論僕にだって利はあるから提案してるんだ。
君は僕を存分に利用すればいいし、僕は僕で君を利用させてもらうつもりだよ」
試すように瞳をギラつか……輝かせる桧木沢さまのご尊顔が事のほかすぐ側にあり、顔から火がでそうになる。
そうでなくとも、見世物になっているというのに……というかこの人、この至近距離で見てもシミ一つないしニキビもないしなんなんだ。
本当に人間だろうか。肌年齢2歳とかなんじゃないだろうか。
わたしなんて、超乾燥肌のせいで脂が出やすくってすぐニキビもできるしTゾーンはテカテカになるというのに。
くそ。腹が立……羨ましい……。
「分かった。でも、あの……つ、付き合うとかそういうのは………お友達ということにしていただけない、です、か?」
「ほら、また敬語。僕ってそんな怖いかな」
………やばい、この流れだと名前云々も言われかねない。
未だにわたしは桧木沢さまの名前を把握出来ていない。
クラス中ひそひそと話しているくせに、桧木沢様としかいっていないんだもの。
というか、その桜姫っていうのやめて!本当に、何の拷問?!
……まあ、天下の御三家の人間を下の名で気軽に呼べる猛者などそういない。仕方がない……仕方が無いけど、すごくやばい。
あああ、なんでわたしは心象の魔法を継がなかったんだ。
「至」
脂汗がではじめた所でテカテカ要員たちはすたこらと毛穴の中へ帰って行った。
代わりに全身が粟立つ。
ぞぞぞと駆け巡るこの悪寒の原因はわたしにとっては唯一だ。
「三雲」
桧木沢さまが笑みをしまい込んだのが気配でわかった。
わたしがそうだとつい昨日まで思っていた、人嫌いで冷酷な桧木沢さま。
桧木沢至
白樺三雲は「いたる」と呼んだ。
桧木沢さまの名前は至。それがわかったのはいい。それに関してはとても安堵している。
そういえば、麗華もそう呼んでいた。
己の記憶力のなさが嘆かわしい。
しかしそれ以上の危機。
白樺三雲の存在にせっかく登った血の気は呆気なく退散して行った。
発狂して逃げ出さずに居られたのは、桧木沢さまがわたしの視界からあいつを消し去ってくれたから。
恐らく間抜けな顔で唖然と桧木沢さまの背を凝視するしかないわたしに桧木沢さまが振り向いて笑顔を見せてくれたから。
威圧するかのような声でいくらか話したあと白樺三雲が去る気配がした。
固唾を飲んでいた空間が、空間ごと安堵する。
あいつのああいう威圧的なところも本当に苦手だ。
何もかもを下に見たような、何もかもを嫌う様な。
「……叫ばなかったね、残念」
「…………いつも叫んでる訳じゃない」
「そう?少なくとも僕といる時はだいたいそうだよ」
少しだけ表情を崩した桧木沢さまがそう言って、片方の口の端をくいと持ち上げる。
コノヤロウ……と絶対に口にはできないことを心の中で思って精一杯笑顔をうかべた。
「………ありがとう、至」
「ん?いえいえ。じゃあね、理子ちゃん。
僕は暴君がいる教室に戻ることにするよ」
桧木沢さま……至は面倒くさそうにそう言って人波をかき分けていく。
……いや、ただしくはさながらモーゼの十戒のように人が勝手に避けていくのだが……。
そこを悠々と緩慢に進む彼はまさしく強者の風格を纏っていた。
突然「あ、」と言葉を発した至のすぐ側に座っていたクラスメイトが短く悲鳴をあげた。
うんうん、わかる、その気持ち、と妙な親近感が湧く。
昨日までわたしにとってもそんな存在だったはず。
それが、なにをどうしたら、こんなことになってしまうのか……。
「これから、よろしくね。理子ちゃん」
そう言い残して彼は扉の向こうに消えていった。
喧騒が漣のように連なり、わたしを見る目と囁き以外やがて日常に戻っていく。
「理子ちゃん」
「ひっ」
気が付いたら彼女はわたしの机の前にしゃがみ、わたしの机の上には彼女の両肘が鎮座しその上に愛くるしい少女の顔が乗っかっている。
軽くホラーである。
全く、気が付かなかった。
先程とは違う意味で親友のはずの彼女に戦慄する。
「何があったの?」
語尾にハートマークが着きそうな程の弾んだ声で上気した頬で、つやつやのピンク色の唇が紡いだ言葉に、クラスは再び沈黙した。
立てば芍薬座れば牡丹、微笑む姿は悪魔のよう……。
柊麗華………わたしのたった一人の親友………多分。
登場人物の名前がわかり辛いとのご意見をいただきましたので、現時点での登場人物をまとめてみようと思います。
ネタバレはありませんが、設定ではあります。
おぼえがき
桜ヶ丘 理子 16歳
気象の魔法使い
黒髪黒目
アホの子。単純、負けず嫌い。根に持つタイプ
三雲が嫌い、嫌いにも程がある
桜ヶ丘 理人 20歳
心象の魔法使い
黒髪黒目
理子のお兄ちゃん。現魔法使いのなかで割と最強クラス
過保護、変態、シスコンと三拍子揃ったイケメン
白樺 三雲 16歳
気象の魔法使い
金髪にグレイの瞳
理子の婚約者になるはずだった
自信家、リアリスト、実力主義。
無駄にプライドの高い勘違い男
桧木沢 至 16歳
??の魔法使い
アッシュブラウンに鳶色の瞳
人嫌い、冷酷と評判の悪い名家の次男
実際は関心がないだけ。面倒臭がり
興味があることには割とガンガン
柊 麗華 16歳
霊象の魔法使い
赤毛に赤茶の瞳
超美少女ロリっぽい。
金にがめつく容赦のない守銭奴
ネタをいっぱい運んでくる理子がだいすき