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「反象?」
「そう、反象」
ぱたん、と至が本を閉じる。
古めいた、けれど丁寧に扱われていただろう紙達が几帳面に装丁された書物。
分厚い、桧木沢の歴史が記された本から顔を上げてわたしは眉をひそめた。
聞いたことも無い魔法だった。
ーーーーーーーーーー
あの後、涙を収めて頷いた至と朝食をとり、わたしに与えられた部屋へ戻り作戦会議を開いた。
「魔女を救うといっても、どうするの」
「とにかく、まずは桧木沢について知らないといけないと思う」
そう言ったわたしに至ははにかみながら頷いた。
当主である至のお父様に書庫の閲覧許可を頂きに行くと彼は一も二もなく笑顔で頷いた。
「この家の人間が、理子ちゃんが桧木沢を知ろうとするのを邪魔する訳ないよ」
こっそりと顔を寄せて耳打ちした至とわたしを見てご当主様は「仲が良くてよかった」と、とても嬉しそうに笑った。
いや、そういうのじゃ…と言いかけたわたしを悟ってか至が「そうなんだ」と言葉を被せてどこか赤い顔で手を握ってきた。
なんだろう、やはり桧木沢には婚約者として仲良くしていると思わせていた方がいいということか。
更に笑顔を濃くしたご当主様に、この方も至のように今までその呪いのせいで辛い思いをしてきたのだろうと感慨深くなる。
彼ら的には器と魂が愛し愛されれば、呪いから開放されるということになっているのだ、そう思ってもらっている方が幸せなのかも。
そう、思い直して顔の赤い至にされるがままになることにした。
書庫は実に、圧巻の広さだった。
古いものから新しいもの。桧木沢の歴史だけでなく、そこには七枝についての様々な記録と、そして魔法使いについての書物がたくさん保存されているらしい。
以前、至を見つけたあの学園の旧書庫とどこか雰囲気が似ている気がしてわたしは妙に納得した。
もちろん、あそこのような圧倒的な廃墟感はないけれど、彼があそこにいた理由が。
2人で書物を漁りながら、至に魔女の意識をどれ程コントロール出来るのか尋ねてみた。
彼の答えはあまり、良いものではなかったがわたしの近くにいて必死に抗えば、どうにか。というものだった。
わたしが近くにいて魔女の力が及ばなくなる、支配が弱まるのは、恐らくわたしが魔女の器であるからだろう。
現身、とまで至が表現したようにわたしには魔女の力が眠っているのかもしれない。
だから、魔女に打ち勝てる。もう死んでしまい、桧木沢家の意識の中にしか住んでいない彼女に代わる、魔女、自身だからだ。
そして、多分魔女は桧木沢家の魂を支配する以外、意識を乗っ取る以外、魂のみの彼女には何も術がないのだろう。
だから、わたしの夢に出てきて釘を刺したのだ。
器であり、現身であり、自分自身の代わりである、恐らく桧木沢以外でただひとり干渉できる人間のわたしに。
とりあえず彼女がいうところの魔法が完成するまでは、彼女に為す術はない。
彼女の魔法とは、どんなものなのだろう。
魔法使いの始祖、怒りと憎悪に支配された彼女がやろうとしていることは。
…………そう言えば、桧木沢のあの不思議な魔法は一体何なのか。
わたしと白樺三雲を動けなくした“ 魔力の逆流”と、お兄様や麗華がいう“ 得体の知れない力”。
魔法が及ばない、使えない、通じない、力。
あれは、なんなのだろうか。
そう、訪ねたわたしに帰ってきた答えが“ 反象”だった。
「でも、魔法の種類は4つで、そんなもの聞いたことがないよ」
魔法はすべて4つに分類することが出来る。
あるものを無いものに不可能を可能に、この世の断りを歪める事象。
自然に由来し、自然の力を扱う気象。
体力、魔力、精神力を奪ったり与えたりする霊象。
人の心に作用する心象。
その4つだけ。
それ以外にはない。
わたしたちはそう思っていた。
学校でも親にもそう教わるし、事実世界にはそれしかない。
「この力はとくに知る必要が無いからね、だって魔女の呪いを受けた桧木沢本家にしか無い魔法なんだよ」
「桧木沢本家にしか……?」
「うん、桧木沢本家にしか……というか、魔女に呪われているからその呪われた魔法しか使うことが出来ない。
魔女の憎悪と怨念の魔法。すべてを否定する魔法。魔法を受け付けず魔法の恩恵を何一つ受けることが出来ない。
魔力の逆流はこれを応用したもので、その本人に流れる魔力を否定するとそうなるんだ」
あの時はごめんね?
至は苦笑してそう言い、わたしも苦笑した。
あれは、本当にきつかった………。
「だから至には魔法が使えないし、貴方に触れられると魔力すら練ることが出来ないんだ……」
「うん、そうだと思う」
成程。
お兄様やお父様ですら桧木沢に魔法を使えなかった理由、麗華が妙に至を毛嫌いする理由がそれだ。
至からは何も得ることが出来ないから。
強力な魔法を持つ彼らをもってしても、なにも、ひとまず魔法使いとしては何も出来ないからだ。
「多分、理子ちゃんも魔女として力を取り戻せば使えるようになるのかもしれないけど……」
力を取り戻せば……。
魔女は今まで何人も器の力に耐えきれなくて壊れた、と言った。
そして、わたしが大切な人を犠牲にして生きている、と。
器を保っている、と。
それは一体どういう事なのか。
わたしは何を犠牲にして生きているのか。
魔女のあの忌々しげな、蔑んだような顔が忘れられない。
「至、魔女はわたしがなにかを犠牲にして器を保っている、と言ったの」
鳶色が一瞬、ぐらりと揺らいだ。
彼も知っているのだ。彼はそもそも、わたしのことを器だと、最初に判断した人物だ。
彼が知らないはずもない。
魔女を救うと決めた以上、至を救うと決めた以上、知らないといけない事実で。
命を失うほどに強い魔女の力を押し付けている人物がいるとすれば、わたしはそれを取り返さなければならない。
わたしが得るべき苦しみを勝手に背負わせている人物から。
「至、知ってるでしょ」
「知ってるよ」
「教えてくれる?」
大切な人、1人は何となく予想もつく。
わたしにとって無二の存在。
異常な力を持つ魔法使い。
至はぐっと唇を引き結んだ。
迷うように瞳を伏せて、それからおずおずと口を開く。
「君が器に戻ってどうなるか、分からない」
「……でも、呪いを解くにはそうならなければいけないのでしょう」
至はそう言っていたし、魔女もそう言っていた。
恐らくそれは彼女の魔法の通過点、材料集めにしか過ぎなくて、魔女の力をすべて取り戻したかと言って、終わる話ではないだろうけれど。
どちらにせよ、どうであろうと、わたしはわたしが犠牲にしている人をそのままにしておくわけにいかない。
彼女は器と魂がひとつになって、再び魔女が産まれると言った。
わたしと至の子どもかとも思ったけれど、彼女は支配する魂ならどれでもいいとも言った。
つまり、至の両親であってもだ。
至のお父様はまだしも……想像したくはないが、お母様でもいいという事だ。
単に子どもということではないのだろう。
器と魂に何をさせるつもりなのだ、なにをどうしたら彼女は復活してしまうのか。
「そうだけど……、君が一体どうなってしまうのか。魔女の力は強力なもので、君がそれに耐えられるのかどうか」
壊れてしまったら………。
青ざめる至は魔女の意識から抗う、至の本心なのだろう。心が暖かくなる。
魔女であれば大喜びで復活のためにわたしを犠牲にするだろうが、彼は自らが呪いから開放されることより、わたしの身を案じてくれているのかもしれない。
「大丈夫だよ」
「どこに、そんな根拠があるの。死んでしまったら?」
「大丈夫、わたしが魔女の現身だというのなら」
「……だ、ダメだ!もっと、いろいろ調べてからの方が」
「魔女が何をしようとしているのか分からないの。わたしが彼女の力を得ることが出来るのなら、そうしないと。
彼女の力が無ければ、彼女に対抗できない」
こんな、気象すら満足に扱えないポンコツじゃどうあっても無理だ。
「理子ちゃん!分かって、よ、……君が、大切なんだ」
至が壊れ物に触れるように肩に触れる。
微かに震える指先と苦しげに寄せられた眉、ほのかに色づく頬に、動悸がする。
間違いない至の言葉。
美形はこういう顔をしてはいけないと思うんだ。こういう顔をしては悲痛そうに顔を近づけるなんて言語道断である。
凶器、これはもはや凶器だと思う。
緊張しているのがバレないよう暴れる心臓をどうにか落ち着けてやんわりと離れる。
至のどこか寂しげな顔に頭を殴られるかのような罪悪感を覚えたが必死でそれを無視した。
「だ、大丈夫、きちんと、魔女に利用されないように調べて準備して、それから力を取り戻すから。
だから、、でも、わたしが犠牲にしている人が誰なのか、知っとかなきゃ」
そもそも、どうしたら、力を取り戻せるのか分からない。
至は知っているのだろうか、知っているのだろうな。
けれど、ひとまず誰なのかは知っておかないと。
まあ、1人は予想がつくけれど。
長い間、わたしは大切な大好きなあの人を傷つけていたのだろうか。
胸が痛い。あんなに変態で鬱陶しい過保護すぎる彼だけれど、誰より愛してくれていて、わたしもそうだ。
「でも………本当にどうなるか、分からないんだよ。なにしろ、長い桧木沢の歴史の中で器に出会った前例は無いんだ」
「大丈夫、それなら尚更、わたしを魔女は失う訳にはいかないはず。それに至が戻し方を知っているならそれさえ言わなければいい話でしょ」
わたしが笑顔でそう語り、至はぎりっと歯噛みした。
辛そうな表情は魔女の魂と戦っているからなのか、それとも、それ以外なのか。窺い知ることは出来ない。
至は苦しそうにまた眉を寄せて目を閉じた。
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