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日に日に薄れゆく魔女の意識。
自分の感情が分からなくて感情というものがよく分からなくて諦めたくなる。
諦めて魔女に譲ってしまえばとても楽だ。
彼女はするりと意識を乗っ取って、さらりと理子ちゃんに甘い言葉を囁く。
恭しく手を取って、この器を早く自分のものにしたいという凶悪な感情を押し込めて、愛しそうに名を呼び、微笑むのだ。
魔女に譲っていれば楽だ。
今までもずっとそうだった。
それで、もういい。そっちの方が楽だと今ならそう思う。
ぐだぐだと悩んで悩んで苦しむのはうんざりだ。
理子ちゃんの言動全てに振り回されてどきどきして疲れる。確かに幸福感も感じる、でもこういうのは面倒だと悟った。
家族の物凄いプレッシャーもうんざりだ。
失敗は許されない。絶対に、こんな機会いままでもこれからももう無いかもしれない。
お前だけが桧木沢を呪いから解き放つことが出来ると、そんなの知らない、やめろ、やめてくれ。どうして僕なのだ。分からない。分からないんだよ、自分じゃ。自分のことも、どうしたらいいのかも、理子ちゃんのことも!
ーーーーーそもそも、そうだった。僕は道具だ。
魔女の意識を入れておくだけの、ただの入れ物。
魔女に体を貸し、言葉を貸し、魂を捧げた呪われた人形。
ただの道具だ。
自我が欲しいと、欲を持ちたいと望んだけれど、そんなもの怖いだけだった。持ってしまえば恐ろしいものだった。訳が分からなくて、上手くいかなくて、どきどきと壊れそうな程に鳴る心臓は痛くて潰れてしまいそうだし。
魔女に任せておけばいい。
そう、そうだった。いつだって、いままでだってそうだったのだ。
魔女に、任せておけば…………………
「至」
やめて、やめて、理子ちゃん。
苦しいんだ。
魔女に支配されてい時よりも今の方が。
「至、」
幸福だけれど、幸福なだけ、辛いんだ。
失敗して、全てを失って、もう、この僅かな幸福感すら永遠に失ってただの道具でしかないあの時に戻るのが。
知ってしまったから。僕はもう知ってしまったから、だから、余計に辛いんだ。
「魔女を救おう」
「………どうして、そんな」
どうして、そんなことをする必要があるの。
そんなこと、魔女は求めて居ない。君と僕が共にいれば、惹かれ合えばた彼女が勝手に救われる。
魔女に任せておけばいい。彼女が勝手にする。
鍵が揃ったんだ、あとは呪いも彼女が勝手にどうにかする。
責任を負いたくない。自分で考えて行動して責任に潰されたくない。……僕のせいで、失敗はできないんだ。
「このままじゃきっと誰も救われないよ、魔女の思う壷だよ。魔女は復讐したがっている」
「いやだ……」
逆らいたくないんだ。どうなるか分からない。
本当の僕はこんなに臆病だったのか。こんな僕知りたくなかった。
もう、すべて意識の全てを魔女に預けたい。けれど、理子ちゃんの漆黒の闇の瞳がそれを許さない、許してくれない。
復讐?させておけばいいだろう。やりたいようにやらせればいい。
誰がどうなろうが知らない、知りたくない!
「至、諦めないで……」
理子ちゃんの手が上に伸びてくる。
あの車の中のように暖かい両手が僕の頬を優しく包む。
ああ、嫌だ。魔女ならうまくやるのに、僕は上手くできない。諦めさせてくれ、惑わせないでくれ。
もう感情がぐちゃぐちゃだ。醜い、僕が馬鹿にしていた、人間みたい。いやだ。
胸が痛い、鼓動がうるさくて、なにかが込み上げてくる。名前のわからないなにかだ。分かりたい、いや、分かりたくない。分からなくていい。
触らないで、醜い僕に触らないで。
嘘、もっと近くにいて欲しい、離れないで欲しい。ずっとそばにいて………。
いやだ、もう、ぐちゃぐちゃだ。
失態を晒したくないんだ。僕はもっと、冷静で、俯瞰していて……。
理子ちゃんがやんわりと微笑む。慰めるような優しい笑み。
やめて、やめてくれ、そんなふうに微笑まないで。
勘違いしてしまいそうだ。これ以上僕をかき乱さないで。
理子ちゃんが、まるで、理子ちゃんが僕を愛しているのではないかと、勘違いしてしまいそう。
綺麗な顔と美しい心を持った彼女は、けれど飾らない精神の持ち主で、嘘がつけない。
それらしく繕うことはできるけれど、すぐに出てくる内面はとても年相応で感情に溢れている。
お人好しで人を突き放せなくて騙されやすくって、底なしの愛を知っている。人を慈しむ心を知っている。
僕とは全然違う人種だ。
僕にないものを沢山持っている。
彼女に警戒され、恐れられ、距離を置かれると胸が引き裂かれるように辛かった。
彼女が魘されている時、苦しんでいる時、必死だった。苦しそうに涙を流す姿を見ていられなくて、どうにかしてあげたくて、彼女の痛みを僕が受け取れればいいのにと思った。こんなの僕らしくないけれど。
彼女が触れると心臓が爆発しそうな程に動悸がする。手に汗を握って、指先が震える。
彼女がその黒い瞳で僕を捉えると、逃げられなくなる。吸い込まれそうで、一層のこと吸い込まれてしまいたくなる。まっすぐに偽りのない真摯な瞳に。
彼女が微笑むと、心が軽くなる。
名前の知らない感情が湧き出て、何故か苦しくなって、どうしようもなくて、どうしたらいいのか分からなくて、辛くて、容易く魔女に意識を引渡したくなる。
失敗して、彼女の笑顔を失うのが怖いから…………。
「……え」
気がつくと理子ちゃんの頬に触れていたそれはゆっくりと僕の目の下に移動していた。
ぱたりぱたり、と落ちる透明な雫が薄暗い中でキラキラと光って理子ちゃんの頬に落ちる。
さっき、僕が理子ちゃんにしたように、勝手に溢れてくるそれを理子ちゃんは何度も拭った。
そこで、ようやく、僕は理子ちゃんに覆いかぶさるような姿勢のままだったことに気がつく。
こんなとこ、理人さんや三雲に見られでもしたら間違いなく殺されるだろう。
「至、貴方は素敵な人だね。綺麗な心を持っている、それが貴方。それがきっと至だよ。
間違えないで、魔女に貴方の心を渡さないで」
「……きみ、に、一体なにがわかるの、僕のっ、この、苦しみの……!」
自分が自分でないような、どれが自分なのか、どれも自分じゃないのか、こんな醜い情けないぐちゃぐちゃな奴が本当の自分なのか、信じられない、信じたくない。いやだ、幸福になりたい、責任を負いたくない、魔女に任せておきたい……諦めたい。
この激しい乖離のなにが。
もう、ぐちゃぐちゃだ。
未だ雫は止まらない。
理子ちゃんの頬や、浴衣が濡れていく。
ああ、理子ちゃんが濡れてしまう。汚してはいけないのに。止めなきゃ。止まならない。止め方が分からない。
「……分からないよ、わたしはきっととても恵まれているから」
理子ちゃんは悲しそうに笑う。
眉を下げて、笑う。もう僕から流れた雫で彼女はびしゃびしゃだ。そんなこと気にもとめずに、悲しく微笑む。
ああ、ごめんね、そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。君には笑っていて欲しい。もっと幸福そうに、どうしてだろう。
君の笑顔はすきだ。心があたたかくなる。はにかんだような愛しさに溢れた笑顔は。
「でも、至は至だから。
魔女と至が、全く違う人なのは、わかるから」
だから、彼女に自分を明け渡さないで、思い通りにさせないで、諦めないで。
もう一度理子ちゃんは笑った。
やはり悲しそうに。
はっと息を飲んだのが自分だったとは、気が付かなった。
僕、は、僕だから……?
僕は、僕で魔女とは違うから、だから、、。
諦めてはいけない、のか。ぐちゃぐちゃでも、受け入れてひとつひとつ向き合って理解して、そうして苦しみも辛さも、悲しさも喜びとも付き合って生きなきゃ行けないのか。
ーーーーああ、僕は、魔女に押し付けていたのだ。
失敗しても成功しても魔女のせい。そうしていれば楽だから。魔女を逃げ道にして、呪いのせいで、魔女のせいで、と言っていれば、楽だったから。
「魔女を救おう、至」
同じ言葉を繰り返す。彼女は1度言葉を切って、それから、花が咲くような、桜が咲くような控えめで、けれどあたたかく幸せそうに笑った。
愛を知るものの笑み、なにかを心から愛することができる笑み。
愛されることの喜びと少しの苦しさを知るものの笑み。
「至のことも、桧木沢家も救おう」
僕には無いもの。いいな、羨ましい。
僕は持っていないから。僕にはできないことだから。
羨ましい。魔女の激しい嫉妬の感情の片鱗を見た気がする。
ああ、こういうことか。魔女はこういうのが欲しいのか。わかる気がする。今なら。魔女のことが少しだけ。
僕はこの笑みを向けられる人が羨ましい。
心から、全霊をかけてこの愛を向けられる人が。
それは、理人さんかもしれない、彼女は理人さんと共にいる時本当に愛に溢れていて、また愛されていた。
あるいは、三雲かも。
彼は全霊を込めて彼女に嫌われているけれど、その嫌悪で彼女の感情の大半を支配している。
それすら、それすら、いまは羨ましい。
「……ありがとう」
既に少し救われた気がする。
彼女のこの笑顔を守りたい、彼女のこの笑顔を真に向けられる男になりたい。
そう思わせてくれて、ありがとう。
魔女に僕を明け渡さないでくれて、ありがとう。
僕に僕であることを諦めさせないでくれてありがとう。
……あの哀れな魔女を救おうとしてくれてありがとう。
僕を救おうとしてくれて、ありがとう。
僕は、君が、すきだ。
いつもありがとうございます!
鬱展開が続いて申し訳ないです……。
見捨てずお付き合いくださると嬉しいです!
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