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桜ヶ丘 理子と初めてであった日のことを僕は覚えていない。
いつ出会ったのか、どこですれ違ったのか、それすらよく覚えてはいない。
それまでの僕にとって人間というものはすべからく
魔女が探している器か、そうでないか、それだけだったからだ。
彼女は違った。ただそれだけ。
彼女を個別に認識したのは、いつの間にかよく一緒にいるようになった白樺家の跡取りと出会ってからだったと思う。
良い意味でも悪い意味でも唯我独尊、我が道を行く自我の塊のような男は見ていて面白かった。
魔女の激しい憎悪の念が、何故だろう彼といると少し和らぐ気がして心地よかったのもある。
魔女もどこか迷っていたのではないだろうか。
不思議な匂いを放つ彼の魂に。
友、とか友情とかそういうものがどんなものなのか僕には想像がつかないし、こんな呪われた身でそれを欲しがることすら叶わないけれど、白樺三雲がそれであればいいとうっすら思ったのだ。
桜ヶ丘 理子のことは存在は知っていた。
彼女は有名人だった。
深窓の令嬢、病弱で桜ヶ丘が守り慈しむお姫様。大人しく儚い優等生。そして、白樺三雲の婚約者。
あまり、他者と関わりを持とうとせず、公の場にも全く出てこない彼女と交流をもちたくてももてない人間がいつしか付けた名が桜姫。
なんて安直な、と白けたが彼女を実際に見てああ、と納得したのは何となく覚えている。
透き通るような白磁の肌に全てを見透かす漆黒の闇の瞳。同じ色の絹糸のような滑らかな長い髪と白磁に影を落とす長い睫毛。
桜色に薄く色づく目元と頬と、まるで桜の花びらのように淡い色を乗せた形のいい唇。
すっと、背筋を伸ばした立ち姿からすらりと伸びる細い手足は恐ろしく儚げである。
なるほど、桜姫か。
三雲はよく、遠目から彼女をじっと見つめていた。
その視線が交わりそうになると、彼女はあっという間に消えてしまうし、遭遇することは殆どといっていいほどなかったけれど。
それでも、三雲は彼女をすぐに見つけて、そして熱の篭った視線でそれを追っていた。
「桜ヶ丘はすげー恥ずかしがりだから、すぐ逃げるんだよ」
「俺の事好きすぎるから、直視できねえらしい」
「注目されるのも得意じゃねえから、俺が関わったら可哀想だろ」
「いいんだよ、どうせあと数年もすれば嫌でも毎日一緒にいることになる」
あんなにわかり易く熱の篭った視線を向けつつ、どうやら無意識らしい三雲にある日、話しかけないのか、と尋ねたことがあった。
彼は「本当に、しょうがねえよな」とはにかんでどこか上から目線にこう語ったけれど、好きすぎるのはどう見ても君の方なのではないかとそう思った。
この時感じた焼かれるような羨望の思いと憎しみを抑えるのに必死で、僕がそれを口にすることは無かったが。
魔女は何を思ったのだろう。三雲に殺したいほどの強い憎悪を覚えたのはこの時がはじめてだ。
それから暫くして三雲は「桜ヶ丘と話をしないと」と言った。
両親に彼女と話すよう言われた、と全身全霊をかけて詫びろ、と殴られかけたが意味がわからねえと悪態をついていた。
彼は傲慢な態度をとる王のようなやつであるけれど、そんな彼はどうやら両親には逆らえないらしい。聞くところによると特に母親は鉄拳制裁を下す恐ろしい存在らしかった。
この暴君が恐れる存在がいるなんてと思ったのと同時に何故か羨ましく思ったことに首を傾げた。
しかしすぐに思い至る。ああ、これも、魔女か、と。
三雲は彼女に数回コンタクトを測りその全てで失敗した。彼女の影すら掴めないそれに「いや、避けられてるんじゃ…」と言うと「本当にしょうがねえやつだ」と言った彼は面倒くさそうでしかしどこか嬉しそうだった。
よく分からない。
それからどうやら彼女は相当に朝が早いらしいとの噂を聞き、早朝彼女の教室で待ち伏せをすることにした。
だから近所なのに登校も下校もまったく姿を見ることがないのか、と三雲は零したが「やっぱり避けられてる」という僕のつぶやきに気づきはしなかった。
何故僕が巻き込まれるのかよく分からなかったけれど、「お前もこい」とかいう暴君のそばに居ると魔女の意識が大人しくなるから、悪くは無い。
まあ、彼はあんな態度を取りつつ結局のところ緊張してたんだろう。
面と向かって、彼女に対面したのはその時がはじめてだ。
言い様のない不思議な感覚とむくむくと湧き出る困惑の感情は魔女のもの。
刹那、魔女の意識が遠くに感じて心が落ち着いたのは、妙な幸福感は、多分僕のもの。
けれど、彼女が探している器なのかと言えば、多分そうではない。けれど近い。
不思議な、出会ったことの無い感覚だった。
桜姫の人物像はというと、噂や見た目から想像するそれとは激しく違っていたが、まあそんなことどうでもいい。
彼女は近かった。………近いってなんだ?
けれど違う。残念。彼女は違う。
彼女が去って、また少しだけ魔女の意識が戻ってくる。困惑、混乱、激しい怒り、憎悪。
べっとりと自分が塗り替えられるような気持ち悪さはもう慣れたものだ。
彼女も、違った。
しかし、それを改めるのはすぐ後。
同じ日、僕がよく、1人になるために訪れる寂れた使われていない図書室で。
彼女が1人でやってきた時。
確信はない。
けれど、彼女に近づけば近づくほど、魔女が遠くなる。意識が静かになる。
三雲がいた時にはここまでではなかった。
自我が、浮上してくる喜びと戸惑い。
何故?こんな感覚はじめてだ。
器。探している器。魔女の現身、彼女がそうなのではないだろうか。
彼女が手に入れば僕は普通の人間になれるのではないだろうか。
魔女の呪いから解放してくれる器、彼女が愛し愛されたいと願っている、ひとつになりたいと望んでいる半身は彼女なのではないだろうか。
僕の魂と彼女の器が、互いに心を寄せあってひとつになれば……。
けれど、確信が持てない。
何故だろう、なにかが違うと直感的に思う。
なにかが足りない。
何故?なにかとはなんだ。器な気がする。でも違う。
………何故。
それを確かめるために彼女の家に行った。
そうして確信した。
彼女は器だ。
彼女はその力の大部分を兄に流している。
桜ヶ丘 理人は稀代の天才魔法使い。弱体化した魔法使いの中で異常な程に強い力と魔法をもつ強者。
その理由が、分かった。
あの膨大な魔力を捌ける彼の技量には本当に驚くしかないけれど、実際にそれでこの兄妹は成り立っている。生存していて生活できているのだ。
そしてもう1つ、三雲を使って自分の力を制限している。三雲を使って自分が魔女の力にのまれないよう、魔力操術に長ける彼を利用して嫌悪という感情を媒体に無意識に心象の魔法を使い続けている。
そうして、力を放出させて、魔女の力を抑え込んで身を守っている。
三雲は、そんな彼女を無意識に支えているのだ。向けられる魔力さえも己で操り、無害なものにして、彼女を護っている。
だから、三雲のそばに居ると魔女の意識が和らぐのだ。器の片翼を担っているから。
どうやら、魔女は器の存在が近くなれば近くなるほど僕の魂の支配が緩むらしい。それが安心からなのか、はたまたもっと悪い感情なのかは分からないけれど。
三雲と理子ちゃんが一緒にいて理子ちゃんの器の感覚が薄まるのは、言わば三雲が魔女の力を制御する役割だから。
反対に、理人さんと理子ちゃんが一緒にいると器の存在感はほぼ完全体とも言っていいほどに濃くなった。
それは、理人さんが魔女の力の大部分を預かっているからだ。
理子ちゃんを手に入れたい、手に入れたい、どうしても、どうしようもなく。
喉から手が出るほどに欲しい、愛しい、誰にも渡さない、僕のそばにあるべきものなのだ、僕のものになってしかるべき、誰にも譲らない、誰にも触れてほしくない、三雲にも、理人さんにも、だ。
激しく渦巻くそれに、戸惑った。
僕の感情なのか、僕の感情ではないのか。
生まれてこの方こんなこと思ったことがない。
人間なんて等しく興味がなかった。
どうでもよかった。
魔女に感情の支配権を与えて諦めて、俯瞰して漂うように生きていればある意味、楽だった。
有り体にいって、諦めていた、諦め切っていた。
どうだってよかった、全てが。
分からない分からない分からない………。
今は、もう何が分からないのか、何を分かろうとしていたのか、それすら分からない。
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