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「理子ちゃん!」
視界が開ける。
息がしづらい。
全力疾走をした後のように肺が痛む。張り裂けそうで思わずぎゅっと握ると、上質そうな柔らかな布がぐしゃりと歪んだ。
じっとりとかいた汗。掌に握った汗。
急激に冷えたそれらが体温を奪っていく。
息が、しづらい。
「………ま、って…………」
どうにか萎んだ肺に空気を取り込むようはぁはぁ、と荒い息を吐きながら、口をついて出た言葉は思ったよりも大分、掠れている。
「……理子ちゃん」
ふいに、憔悴した声に気がつく。
焦点が合わない瞳をゆらゆらと彷徨わせてなんとかそれに視線を向けると鳶色の強ばった瞳と血の気の失せた端正な顔が飛び込んでくる。
しごく緩慢な動作で瞳を合わせたわたしに彼は安心したような、けれどどこか恐々とした、引きつった顔で口を開きかけて、やめた。
泣きそうな顔をしている。
どうしたのだろう。ひどい顔色だ。いつも余裕そうな、至らしくもない。
至の冷たい指先が近付く近づき過ぎてピントが合わなくなった。ぼやけたそれがそっと頬を撫でる。
「泣いてる…」
指先で雫を払った至を他人事のように見つめた。
王子様顔の彼は勿論今も大層な美形であるし、寝ているわたしに覆いかぶさるような体勢をとる彼の状況はにわかには信じ難いようなとんでもないものである。
いつものわたしなら飛び上がって動揺して、喚いているに違いない。
けれど、不思議とそんなふうに俯瞰したように凪いだ心は依然としてぶれることは無いらしい。
「大丈夫?酷く魘されてたよ」
弱々しく微笑んだ至をぼうっと見つめる。
魘されていた?
心配してくれたのだろうか。
というか、そもそも何故彼がここに居るのだろう。なにか用事があって尋ねてきたのか、それとも魘されていることに気づいて駆け寄ってきてくれたのか。
疑問が湧きはしたけれど、どれもどうでもいいことだ。
「ねえ、理子ちゃん……なにがあっ」
「救わなきゃ」
それは全くもって、自然と口からとび出た言葉だった。
漏れ出たと言ってもいい。
するりと、なんの躊躇いもなく。
「え?」
「至、今の貴方はどっち?」
鳶色を再び真っ直ぐに見つめる。
思いのほか近くにあったそれは目を丸くしてからゆらゆらと揺れて、少しだけ距離を取った。
困ったように、居心地悪そうにさまようそれにわたしは確信する。
「……どっちって」
あなたは至だ。
どういう条件で彼の意識が魔女を抑えて、あるいは逆に魔女が彼の意識を抑えて出てくるのか分からない。
けれど、それはいずれもきっとわたしの関わり方によるのだろう。
だって、わたしは魔女の器らしいのだから。
「至、わたしは魔女を救うよ」
「理子ちゃん、それって……」
至が思い切りその澄んだガラスのような鳶色を広げる。
驚愕に染った未だ青白い顔に笑いかけることはしない。
淡々と感情無く冷静に。
わたしは魔女を救わなければならない。
知ってしまった以上、彼女と関わってしまった以上、彼女がわたしを認識してしまった以上。
………わたしが真実だと信じてしまった以上。
そうしなければならない。
見て見ぬふりはできないし、きっと彼女はわたしを逃がさない。
今もまだ、あの細い指が首筋を圧迫する感覚が消えないのだ。気持ちの悪いべっとりとした憎悪と共に。
「それは、僕を、桧木沢を救ってくれるってこと?」
「……どうかな。魔女の望みは愛し愛されたいだなんて単純なものでは無いんだよ、きっと」
「どういう、こと」
「呪いがどうやって解けるか……わかる?」
わたしの言葉に至はぴたりと動きを止めた。
薄暗い空気の中に浮かぶ青白い端正な顔はまるで精巧なビスクドールのようだ。
「それは……」
「分からない?それにしては魔女の話を過信しすぎなんじゃない」
「いや、でも!愛し愛されたいと、それが唯一の望みで器と魂を1つにすれば、きっと……」
至の青白い顔が曇る。
翳った鳶色の瞳をじっと見つめてわたしは再び口を開く。
「どうやって?」
すかさず薄い唇が開きかけて、しかしすぐに閉ざされる。強く噛み締められたそれを無感動な視線で追い掛けた。「やっぱり」とは言わなかった。
魂と器が1つになるっていうのはどういう意味?魔女が再び産まれるっていうのは?
とても曖昧だ。
魔女はもっとその先に何かを見ているはず。
「あなた達は魔女に支配された思考でそうすればいい、そうすれば全て開放されると思い、思い込んで、語っていただけ。
彼女は道なんて示してくれていないのに、魔女の愛されたいという欲望は本物だけれど彼女はわたしと至が愛し合っただけでは満足できない」
彼女は愛し愛されたいとそう願っている。
それは間違いがない。
わたしのことも求めている。心の底から、何よりも。
それはわたしが彼女の切望を叶えるはじめのピースだからだ。
きっと、彼女がいうところの魔法はわたしという器がいないことには始まらないのだろう。
だから桧木沢の血を呪い、乗っ取って利用し、わたしを引き寄せて操ろうとしている。
至の身体を使って至の言葉で甘い言葉を囁くのはわたしを思い通りにしたいからだ。
「そんなこと、理子ちゃんにわかるわけが無い、僕たちは実際に魔女の意識を持っているのに……!」
「魔女に会ったの」
悲痛な叫びをあげる彼にそう告げると、はっと息を呑む音が聞こえた。
「魔女に会った。金の髪に蒼い瞳。とんがった帽子と黒のローブ。
藤………桧木沢、藤っていう人はきっと、桧木沢家の魔法使いの始祖でしょう」
「…………なんで、」
掠れた声で呟いたそれに答えはしなかった。
彼も答えはもう求めていなかった。
そっと視線をその震える鳶色から逸らして天井を見つめる。
「至、一緒に魔女を救おう」
彼の瞳はやはりゆらゆらと不安げに揺れていた。
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