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「……ねえ、どうしてじゃまをするの?」
歌うような愛らしい声。
聞いたことのない声、そのはずなのに何故だか懐かしい?
……懐かしい?そんなわけが無い。
とにかく、わたしは眠たいんです。寝かせてください。
「きいているの?」
しつこい。寝かせてくださいっていってるじゃないですか。
………というか、一体誰だったろうか。
いや、まて。知っている人なのか。本当に?
あれ、確かわたしは至の家?に軟禁されているわけで、だからたぶん至の家なわけで。
……至のお母様?………沙都子さん?
そのどちらとも違う声だ。
じゃあほかの使用人の方?
……あれ、なんて言ってたっけ、じゃまをする…?なんの。
そんなことをした覚えはない。言いがかりは辞めて欲しいけれど、もしなにか気付かぬうちにやらかしているとしたら大変だ。
ばっと目を開ける。
「……あああ、申し訳ございません!わたし寝ぼけてまして、わたしが、なにか!?」
「あら」
「………え?」
ぞわり。
不思議な感覚だった。何かは分からないけれど。心臓が浮くような気持ちの悪い感覚。
というか、なぜ外にいるのだろう。
見渡す限りの青空と足元でそよぐ青々と茂った草花に訳が分からなくなる。
浴衣姿で裸足のわたしは確かに至の家で眠りについた時の格好だけれど。
けれど、ここはどこ。知らない場所だ。そして何故青空。いったい今は何時なの?
ひとしきり混乱し終えて視線を動かすと数メートル先に佇む少女が目に入る。
背中で揺蕩う金の長い髪。
その色はさながら、奴のそれを彷彿とさせて、微かにげんなりしたが、不思議と嫌悪感は湧いてこなかった。
それはそうか、金髪と言うだけで嫌悪しっぱなしだったらわたしの人生は生き辛いにも程がある。
いや、けれどテレビとか通りすがる金髪は例外なくやつを思い浮かべてしまって無意識に嫌悪感を抱いてしまう。
例えばそれが大好きなクロエおばさまだとしても、多少なりともそうなのだ。
なのに、何故。
「どうして私の器をもっているくせにそんなに頭が悪そうなのかしら」
「…………はい?」
「貴方、誰の子孫なの?誰の血を継いだらそんなとぼけた子が生まれるの」
彼女が長い金髪をなびかせてすたすたとこちらに近付いてくる。
さりげなくなんか、貶された気がするんだけど気の所為だろうか……。うん、そういうことにしておこう。
黒い、漆黒の例えばわたしの瞳のようなお兄様の瞳の色のような長いローブ。
三角錐のように尖った、つばの広い帽子。
まるで、人間が思い浮かべる魔法使いらしい、いや作りこみすぎて不自然なほどのそれ。
「……ああ、分かった。貴方、リジョウの子孫でしょう。
そうに違いないわ。彼、本当にぼけーっとしたやつだったもの」
「………は、い?」
「リジョウ。桜ヶ丘、理丞」
いつの間にか目の前に迫っていた少女がピンク色の唇をゆっくりと動かしてそう口にする。
空の色と同じ蒼の瞳がわたしを離さない。
顎でも掴まれているのか、というくらい妙な力でわたしは動くことが出来なかった。
そのくせわたしは弾かれたように目を見開く。抗おうとすら思えない。けれどおかしい、おかしすぎる。
おかしい、変だ。彼女はわたしに触れていないのに。
桜ヶ丘。桜ヶ丘、と言った。
理丞という人物のことは知らない。
けれど、彼女は確かに桜ヶ丘、と………。
「当たり、そうでしょう」
ごくり、と息を呑む。
なに、これはいったい。一体この人は誰。
バクバクと心臓がうるさく脈動する。ありえなさ過ぎて、おかしすぎてどう考えても夢だと思う方が簡単だ。
自分の中で何となくこれが一体なんなのか、答えが出ているような気がして、けれど努めてそれを無視する。
分かりたくない、分かってはいけない、これ以上関わってはいけない。
これ、以上、知ってはいけない。
彼らの事情が真実だと、そう知ってしまえばわたしはどうしたって……。
……きっと、戻れなくなってしまう。
「答えなさい、器」
「…………………」
「………そう、それなら別にそれで。構わないわよ。私が勝手に話すから」
目の前の少女はうっそりと微笑んだ。
魅惑的な笑みだった。
「でも、まあ、私が死んで最後の最後にかけた魔法が完成するまで400年余り。人間の脆弱性といったら……。今まで一体何人の器が私の力に耐えられず壊れたことか……。私と会う前に壊れてしまうのだもの。まったく、意味が無いわ」
彼女はふぅーと長く息を吐いて目を閉じた。長い金色の睫毛が影を落とし。それから再びもちあがる。
「けれど、長かった日々も漸く終わりね。
貴方は器として生きていて、私と会った」
「……わたしが出会ったのは貴女ではなくて至です」
「いたる?ああ、この入れ物のことね。
誰でもいいし、どうでもいいことよ。これの兄でもよかったしこれの親でもよかった。その前の代でもその後の代でも、どれでもいい。
私が支配している魂ならばなんでもいいのよ」
まるで、都合のいいもののような所有物のような物言いだ。腹が立つ。
勝手なことを散々言っておいて。これは自分の願いを叶えようとしているのか。
先ほど言っていた器がどうこうの話もそうだ。
何人もの器が壊れたと言っていた。それはつまり、死んだということではないのか。
こいつ、人の命をなんだと思っているの。
「よくもそんな酷いことを……」
「酷い?それはそっちでしょう。弱いくせに私の力を欲して、奪って。
私は全てを捧げて戦ったのよ。長い間、傷付いて傷付けてこの手を真っ赤に染めてたくさんの人を殺したわ。
友だと思っていた、愛していたし愛されていると思っていた」
蒼い瞳がガラスのように何もうつさなくなる。
永遠と続くその静寂の中ではどこまでも先の風景がただ反射するだけで怒りも悲しみもなにも読み取れない。まるで心を無くしてしまったかのよう。
わたしは息を飲んだ。
「あなたに分かるの?あの痛みが、生きたまま引き裂かれて髪を毟られ肉を食われ目を抉られ臓腑を啜られるあの地獄が。
友だったもの達が、愛したもの達がただの獣になる恐怖が、あなたにわかるというの?」
気がつくと黒のローブの隙間から覗く青白い腕に首を掴まれていた。
「ぐ、」
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、
首が。息ができない。でもそれだけじゃない。
苦しい、痛い、悲しい、憎い、妬ましい、許さない、許せない、愛されたい……。
触れた場所から這うように流れ込む狂おしいほどの感情は、これは、きっと、彼女の……。
「だから、邪魔をしないで。この入れ物のことを余計に惑わせないで。貴方はこれを受け入れて私を愛せばいいの。これもそう、これの家族も私を愛しているもの。それから貴方の家族の愛も私が手に入れる。……そうね、それから、私の魔法が完成する時、器と魂が1つになって私が再び産まれた時、あの場にいた全ての人間の心もいずれ私が手にするの」
彼女があの、魅惑的な笑みを浮かべる。
私が再び産まれた時?つまり、それはもしかしてわたしと至が子供を授かるという意味なのだろうか。それとももっと別の何かが?
どっちにしろ、そんなものは愛ではない。
彼女が欲しがっているものはそれでは手に入らない。
「そ、そんな、の、ひど、、い、誰もっ、救えな…」
「救う?別にいいのよ。これは復讐なの。
籐が私に同情してからずっとずっと耐えてきた。藤のあの目、忘れたことは無いわ。哀れんだ私を、この、私を!………だから藤にしたの。彼、とても仲の良い婚約者がいたわ。意識を乗っ取ってからは見る見るうちに愛は枯れたけれど。
それに、酷いのはあなたのほうじゃない」
「げほ、げほっ、」
突然首から手が離されて突き飛ばされる。
どさりと草花に埋もれ、花弁が幾らか散ったのが霞んだ視界に映りこんだ。
「貴方、大切な人に痛みを押し付けて、それで生きてるでしょう。
まさか、こんな方法で器を保つ術があるなんてね。驚いたわ。
身の丈に合わない力を譲られて生きるの苦しみと、無条件に嫌悪され否定され続ける苦しみ。
そうやって人を犠牲にして、貴方は生きてるのよ」
「……待っ、」
世界は突然、暗転した。




