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旧校舎の第2図書室。


もはや誰も読む者がいなさそうな過去の教科書やら古文の教材やら状態の悪い本が並ぶ暗く決して広く

ないそこは、図書室とは名ばかりで、資料室や書庫の名の方が相応しいだろう。

実際、プレートは煤けてほとんどが読めない。

しかも、地下。



こんな場所がこの学園にあったとは……。

今にもゾンビやら幽霊やらが湧いて出そうなそこに、目的の人物は確かにいた。


どうして麗華がこんな場所を知っているのか、どうして、麗華がここにこの人がこの時間に訪れることを知っているのか、あのおっとりとした(ように見える)親友が恐ろしくなり、底冷えした。



それに、条件通り、白樺三雲に遭遇しないどころか姿さえも見ていない。



オレンジ色のライトがぼぅっと辺りを照らすそこで、さながらこの場の主らしく桧木沢さまは書架に横たわり本から顔を上げ鳶色の瞳を見開いていた。



とても上品とは言い難いその体勢は、しかしながらなぜだか、妙に様になっていて独特の風格さえ漂わせていた。



「さくら、ひめ?」


「ご、ごきげんよう、桧木沢さま」


ぎくしゃくとぎこちなく礼をしたわたしからややあり、桧木沢さまが慌てたように書架から降りた。


なんでこんな所に…と呟く桧木沢さまから静かな非難の色が伺える。


それはそうだ。

プライベートもプライベート。

七枝として持て囃され注目されるかれがくつろげる数少ない場所で、貴重な時間だったろうことは、想像にかたくない。



「お邪魔して申し訳ございません、桧木沢さま。

安心してください。わたしは何も見ていませんし、二度とここには来ませんから」


「………」


桧木沢さまは何も言わなかった。

何を企んでいる?とでも言いたげな…というか、そう顔に書いてあるし、どう見ても懐疑的で友好的ではない瞳は私の存在を相当に疎んでいた。



「なぜ、貴方様の居場所がわかったのかは申し訳ないのですがお話出来かねます。今日はお願いがあって参りました」


「……お願い?」


ついに桧木沢さまはしっかりと眉根を寄せて嫌悪感丸出しの表情を作った。


アッシュブラウンの柔らかそうな髪が陰を作りその隙間で鳶色の瞳が鈍く光った。



「ええと、、はい、あの……。

今朝のわたしのとんでもない非礼、といいますか、……奇声と言いますか……。

出来ることならそれを内密にしていただきたく」


「ぶっ」


冷や汗をかきつつ思い切って言ったセリフはなんだか聞きなれないこんな場面で聞くべくもない音にさえぎられた。


ぶっ?


吹き出したような、音だった。もしくは噎せたような。いやいや、まさか、あの人嫌いで、冷淡と噂の桧木沢さまが、まさか。


恐る恐る冷たい色を讃えているだろう桧木沢さまの鳶色をうかがうと、予想外にも彼は薄い涙の膜を張って正しく、笑いを堪えていた。



「……くくっ、ごめん、あれは、確かに奇声だった…っ。うん」


くくっと堪える気があるのかないのか笑みを噛み締める桧木沢さまに改めてそう言われると、非常に恥ずかしいものがある。

あの時はそれどころじゃなく、咄嗟にでたものであったから仕方ないけれど、わたしも七枝の名家の娘。

それなりに猫は被っていて、本来ならば今朝のあれはひどく、らしくない、だろう。


「わ、わわ忘れてくださると…」


「ごめんっ、無理…」


確実に赤面しているだろうわたしが脂汗をかきかき必死で訴えたそれを彼は笑いを堪えながらばさりと否定した。


「けど、別に言いふらしたりしないよ。

君の邪魔も君のお兄さんの邪魔もしない」


「え?」


「今の桧木沢に桜ヶ丘を陥れる理由は特にないし、そもそも、そのつもりであれば、あんな些事を利用するより、こんなところにたった一人でやってきた君をどうこうする方がよっぽど確実だろ」


にやりと怪しく口角をあげた桧木沢さまは穏やかなのにどこか獰猛で、知らず、ごくりと喉がなった。


それはそうだ。

確かにそんな事のためにわざわざ助けが来なさそうなところにひとりきりで来るなんて馬鹿だ。

なにかしてくださいとでも言っているようなアホな所業、ではあるが何かあればわたしの魔法で異変を知らせる、位は出来る。


そして、さらになにかあれば隙くらいなら作れるつもりでいた。

………旧校舎を燃やすことにはなるが……。


けれどそんな大事を起こせば今度は確実に桜ヶ丘の評判はガタ落ちだし、相手は桧木沢の魔法使い。

彼にわたしの浅はかな謀が通用するかどうかというはなしだ。



我ながら、馬鹿なことをした……。


「だからもう、こういう危険なことはしないこと。

僕じゃなければどうなっていたか、わからないよ。

足の引っ張り合い云々の前に君に下心を抱く輩だっている。

君は桜ヶ丘のものである以前にただの女の子なんだから」


「……はい」


ね?と微笑んだ桧木沢さまに呆然としながら、内心混乱のただ中に落ちていた。



この方は、本当に現実世界の男なのか……?


なんだ、この優しさ、気遣い、悪意も下心もない、無垢な笑顔!!


わたしの身近にいる男性といえば内弁慶、ならぬ内ヘタレの尻に敷かれている父と、変態、過保護、変態と三拍子揃ったウザ……不気味な兄、あと、あの残念な白樺三雲……。



七枝や、上流階級の連中といえば、殆どがアクの強い変なやつばかりだと思っていたけれど(人のことは言えない)、七枝の仲にこんな人が?


こんないい人を絵に書いたような善人がいると……?

いやいや、待て、待つのよ理子。

この方の前評判といえば、人嫌い、冷酷、である。

それに由来する何かがあってしかるべきである。

馬鹿ね、理子。

上流階級というものは等しくバカでかい猫をいくつも被っているものよ。

実際、私がそうであるように。



ふぅ、騙されるところだった、あぶない。

周りにろくな奴がい無さすぎて騙されそうだった。

こんなことなら、きちんと周りの方と交流を持って、社交の場にも出るべきだった。



きちんとそうしていれば、深窓の体の弱い令嬢とかいう面倒なキャラ付けもされなかったはずである。

ああ、あの日の白樺三雲の蔑むような目が恐ろしくて人前に出ることを嫌った自分が憎い。



たらりと顎から流れかけた汗を拭うと桧木沢さまは首を傾けた。

いつの間にやら嫌悪感を映していた瞳は好奇心にも似たようななにかで輝いている。


そんなにわたしの奇声が面白かったということか、そりゃ深窓の病弱設定の令嬢があんな奇声を発して野良犬の如き全速力で駆けていけばそんな顔にもなるか……。



くそう、白樺三雲……許すまじ…。




「君ってなんだか、僕が思っていたのと違うみたいだ。

というか、そんなに評判に過敏にならなくてもいいでしょう。

相手も決まっているんだし」



「え?相手?」



桧木沢さまがなにやら訳の分からないことを口走った。

繕うことも忘れてあほ面で首を傾けると同じように桧木沢さまの顔も右に傾く。


「え?君って三雲の婚約者でしょ?

白樺家のいったい何が不満なの?まあ、三雲は確かに………アレだけど、でもああ見えて悪いやつじゃ…」


「違います!!」


よく、卒倒しなかったなと拍手を送りたい。

わたしは恐らく顔面蒼白だろう顔で悲鳴のごとく叫んだ。

桧木沢さまは体を半分仰け反らせて顔を引き攣らせる。

その綺麗な顔面をそんなに歪ませてしまったことに罪悪感を抱かなくもないが、それほどまでに彼は罪深い事を言った!弁解の予知、なし!


「え、なにが…」


「白樺三雲とは婚約していません!する予定も永遠にありません!

奴とは婚約の儀式も誓いも、口約束すら成立していません!」



思いのほか大声が出てしまった気がする。

けれど、気にする余裕がなかったのだ。仕方がない。

なぜ桧木沢さまがそんなおぞましい勘違いをしているのかは定かではないが、奴の友人である桧木沢さまがそう思っているということは……。


まさか、白樺三雲もそう思っているのか。

何故だ!そもそも破談にしたのはあいつだろう!


「そうなの?」


「はい!!」


わたしの勢いに押され気味の桧木沢さまは、ま、まじか、と気の抜けたように漏らした。



あの野郎……ほんとに、何を考えているんだ。

まさか言いふらしていたりしないよな……。

だれが婚約などしてたまるか!


「桧木沢さまの寛大なお心に感謝致します。

とにかく、白樺三雲とはなんにもありませんので!

では、わたしはこれで」


とにもかくにも、要は終わった。

そしてわたしはそれどころじゃなくなった。

まずは状況を把握しなくてはならない。


「あ、待って」


礼をして扉に手をかけたところで、慌てたような桧木沢さまの声が掛かる。


「桜姫、なんで敬語なの?同い年でしょ」


「それは……桧木沢さまは桜ヶ丘よりも格上で七枝の中でも…」


「ああ、そういうのいいから。昔の話だよ、そんなの」


「……はぁ」


昔、いまよりもさらに魔法使い争奪戦が激しかったころ。具体的にはわたしの祖父、あたりまでの時代。

階級社会、ひいては七枝の中でとくに、力の差は圧倒的で戦いは熾烈を極めた…らしい。

今ではそれも、随分と落ち着いてはいるけれど、名残は確実に残っている。


その中で桧木沢家といえば御三家に数えられる強家であった。

その時代であればこんな風に格下の私が話をすることすら烏滸がましい。


「素の君はとてもおもしろそうだ」


「え?」


ぼそぼそと、囁かれた言葉をわたしはあろう事か聞き損ねた。

桧木沢さまは笑顔でなんでもないよと言う。



「とにかく敬語はやめてほしいな。それから君の事を名前で呼んでもいいかな?」



「もちろん!」


願ってもいない申し出だった。


いつの間にか、なぜか呼ばれだした俗称は、正直恥ずかしさしかない。

猫を被っているとはいえ、本当はこんなにがさつな自分がそう呼ばれることは精神的に辛いものがあるし、何より似合わなすぎて鳥肌モノだ。


特に、本当の意味で高貴な方で見た目も間違いなく王子様ような桧木沢さまに呼ばれると羞恥心で死にたくなる。


「桧木沢さまのお好きにお呼びくださ」


「それも辞めて欲しいな。僕のことも名前で呼ぶこと。それと敬語」


「あ、すみません……。わかりまし……、わかった」



値踏みするような好奇心をありありと映す鳶色にじっとりと見つめられてわたしはだらだらと冷や汗をかいた。

いきなり、それはハードルが高すぎるというものだ。けれどわたしが桧木沢さまに反抗するわけにもいかないし、なんとか了承し、この面倒くさそうな気を遣う会話を早く終わらせたくて、早々に別れの口上を告げる。


さっさと立ち去りたい一心で。

とりあえずここさえ凌いでしまえば、どうせ関わる機会などない。

現に、わたしがこうして接触を図るまで会話をしたことすらなかったのだ。


扉を開けて、それからゆっくりと扉を閉めてふぅと一息ついた。


だから別に、敬語をやめてほしいとかいう至極難しい要求も別段考えることは無い。


あ、名前で呼べとか言っていたけれど、そういえば、桧木沢さまの下の名前は何だったっけ。

麗華がなんか言ってた気もするけど……。なんだったっけ。

早めに立ち去ってて良かった……。ボロが出てしまうところだった。本当に良かった…。名前を知らないのはいくらなんでも失礼がすぎる。


まあ、いいか、次に会う時までに誰かに、そう麗華辺りに聞いておけばいい。

……まあ、そもそも、次、があるのかどうかという話なのだし。


そうして旧校舎を出たわたしはしばらくして、何故かやってきていた兄と顔面蒼白の草間に捕まり、永延とお小言を貰うこととなった。




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