39
お兄様と感動的な再会……というわけでもないか、を終えたわたしは至に連れられやはり桧木沢の車に乗せられた。
丁寧に隠された窓ガラスがこれから向かう場所を巧妙に隠している。
外の陽の射さない曇天も相まって夜のような不気味な雰囲気ではある。
お兄様はもう帰りついただろうか。
まあ、桜ヶ丘の屋敷は学園からそう遠くはないしきっと車で来たのだろうから大丈夫だろう。
少しはお兄様にわたしの心は読めただろうか。役に立てただろうか。
それともやはり、至に手を取られていたから難しいのかな………。
「君とお兄さんは本当に仲がいいね」
「…そうですね、仲はいいと思います。お兄様はわたしのことをすいてくれてますし、わたしもそうですから」
「ふふ、家とは全く違うな」
そう言えば至にもおにいさんが居るのだった。
綴さん。
柔和で優しそうな無害そうな人だった。
お兄様と同じく常に笑顔を浮かべている穏やかそうな人であるけれど、笑顔の種類はまるで違うように思えた。
浮かべているだけ。
作り笑いとかそういうのでもない。ただ浮かべているだけ。一見優しそうに見えて、とても機械じみていた。
至に昔家族の話を聞かれたことがある。大切なんだね、と。
それはそうだ。こんなわたしを愛してくれる無二の存在安らげる場所。そういうものだと思っていた。
彼は?彼はお兄さん、家族をどう思っているのだろう。
家族は彼をどう思っているのだろう。
彼の話によるならば桧木沢家の本家は皆、魔女の意識に苛まれている。彼の言葉を借りるとすれば呪われている。
では、家族愛が存在するのか?
ありとあらゆる欲を持つことが出来ず、ただ魔女の望みを叶えるためだけに生かされ血を継がされてきたと、そう言っていた。
「僕たちには持ちえない感情だ。どんなものか、それさえ想像がつかないよ」
わたしの視線に気がついたのかにこりと微笑んで至がそう言った。
家族の愛に飢えているとか、家庭環境をどうこうしたいとかではなく、想像すらつかないだなんて。
「……悲しい、ですね」
悲しい、そう、ひたすらに。
わたしは多分あの家族であるからいままで生きてこられている。助けられて救われている。そしてまたそんな家族だからこそ役に立ちたいと思う。
しがらみの多い立場の人間であればあるこそ、そういう存在が無くては立ってられないのではないだろうか。
ましてや、至は御三家である。
周囲の目も期待も、足を掬おうとする悪意も桁違いであるだろうに。
悲しい。
「どうして?最初から知らなければどうってことない」
平然と言いのける至から目をそらす。
そうかもしれない。
わたしが持っているから、だからそう思うだけで。
それはわたしのエゴというか気持ちの押しつけであるのかも。
でも、だからといって……。
「そう言えばお兄さん君に手出したら殺すって、言ってたね」
はは、と乾いた笑みを浮かべる。
それがどこか馬鹿にしたような笑みに思えてムッとする。
「いったいどうやって殺すっていうんだか。やれるものならぜひ、やって欲しいよ」
「お兄様は強いです」
「うん、魔法使いとしてはね。でも魔法使いとして力が強ければ強いほど、僕たちの敵ではない」
魔力の逆流。
あの感覚を覚えている。
確か至は力が強ければ強いほどキツイと言っていたが、確かにあれを喰らえば動くことすら呼吸をすることさえ苦しい。
あれがどういう仕組みでそうなっているのかは分からないけれど分からないけれど、でもお兄様なら……。
少しだけ見上げてこっそり至を睨みつけると、視線に気がついたのか鳶色をこちらに向けた。
「僕は君さえいればそれでいいよ」
「それは至が思っている訳では無いでしょう」
「いいや、これが自我というものだよ」
「……違う」
「これが愛だよ。君になにがわかるの?」
この至は、違う。
悦に入ったような笑みは美しいけれど、この至は違う。
多分、あの戸惑ったような自分の感情に振り回されてどうしていいのか分からないような、あれが本当の至だ。
この、わたしを捕まえようとするわたしだけを捕まえようとするこの瞳の至は違う。
これは、魔女。魔女が至の身体を使って話しているようなものだ。
彼はまだ自身を、あるいは魔女をコントロール出来ていない。
わたしの傍にいたとしても。
「違くないよ、理子ちゃん」
「違うよ」
「……ああ、そういえばお兄さんが言っていたね‘ あいしてる’と」
え、なんのこと?
思わず目を丸くして首を微かにかしげたわたしに、至も少しだけ驚いたような表情をつくった。
あの場でそんなこと言っていただろうか。
……全く持って覚えがないのだけれど。というか人前でなんて恥ずかしいことを……いやいや、本当にいつ?
「言っていたでしょ。最後に口の動きだけで。分からなかったの」
…………あ、あれかあああ……。
あ、あれ、大丈夫じゃなかったんかい。
なんて、なんて気色悪……恥ずかしいことを。
我が兄ながら恐ろしい……恐ろしいよ、恐ろしく恥ずかしいよお兄様!
本当、あの顔に産んでもらって感謝してよねお兄様。
ついつい真っ赤になった顔を片手で抑えて項垂れる。
うちの兄が、すみません。
「僕の感情もあれと同じってことでしょ」
「絶っっ対に、違います」
「違うって…」
「あれとはぜっっったいに、違います」
「そんなはずない、わかるんだ」
ばっと顔を上げる。
わかるんだ?何が、何がわかるって言うんだ。
お兄様の‘ あいしてる’と至の自我すらまともに掴んでおけない感情が同じだって?おこがましいにも程がある。
あの狂気的な愛と貴方のその朧気な認識すらしていない人に操られた意識を一緒にするなんて………。
突然顔を上げたわたしに一瞬面食らったような至はすぐに蕩けるような笑みを浮かべた。
く、くそう、この王子顔め……。
破壊力はんぱないのを分かってやってるのか、計算なのか、だとすれば相当にタチが悪いこの男!
怯みそうになるのをどうにか推して両手で顔を挟んだ。
「うぶっ」
両頬が潰れて幾らか間抜けな顔になる。
間抜けな声を出して目を丸くした至は先ほどよりも視界に入れやすい。
とはいえ、こんな顔でもイケメンはイケメンだなんて本当に神様は不公平である。……いるなんて、思ってないけどね!
挟み込んだ顔を鼻がつきそうな距離まで引っ張る。
座ってるとはいえ、身長が違うから、至は首をやるかもしれない。
「理子ちゃ、なにすっ」
けれど、そんなこと、知るか。
今のわたしには守るプライドも、体裁もない。あるのは勢いと、お兄様の存在の大きさだけだ。
何気に、お兄様のことを馬鹿にしたのも、許してないんだからね。
「いいですか!至。
お兄様のあの感情と自分のそれが同じだなんて、思い上がらないで!
見て、わたしを!真っ直ぐ。そして、さっきの言葉を言ってみて、蕩けるような笑顔で、愛をこめて、心から!」
わたしの顔は真っ赤だ。
肉でも焼けそうなほど赤く発熱しているに違いない
。
まん丸になった鳶色にわたしの怒れる漆黒の瞳が映る。
お兄様とお揃いのそれだ。
至は目を丸くしたまま首から一気に赤く染まり上げ。そして触れている頬は燃えているように熱くなった。
目元が潤んでいる。真っ赤だ。
「理子ちゃんっ、は、離してっー」
困ったように彷徨う瞳はわたしの目とはかち合わない。戸惑った表情。愛なんて語れるわけもない。
「いい?至。
これが、お兄様の愛情表現!お兄様の愛してるはこういう事!
この距離で恥ずかしげもなく蕩けるような笑みで愛を囁いて抱きしめることができるのが、お兄様の愛。
貴方のそれとはまるで違う」
「わ、わかった、理子ちゃん、だから……」
「貴方は別にそれを真似しなくていいし、あれが愛するってことだと間違っても思わないで!
わたしに近づかれてどう思った?引いたでしょ?
愛しいって、思った?違うでしょ。それが、貴方の気持ちだよ!
魔女の意識に飲まれないで、わたしのそばにいて自我を取り戻せるってそう言うなら、そうして!負けないで、自分の気持ちをちゃんと、探して」
至から手を離して赤くなった顔を覆う。
至は車内で後ずさった気配がする。ほら、そういうのじゃないもの、お兄様のは。
貴方は別にわたしと一緒にいたい離れたくないだなんて思ってないんでしょ。
今のあなたが感じていたのは魔女の感情だよ。
正直、愛が語れるほど恋愛経験はないけれど、兄の愛になら耐性がある。
あれと同列に自分を並べたことを後悔するがいい。
わたしはふぅと、ため息をついてはじめての勝った感覚にしばし酔いしれた。




