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「……いや、聞いたことない、ですね」
「そうか、俺も。
俺でさえも知らなかったからな、当然か」
野分さんが器用に片方の口端をにィっと上げる。
それから方目をつぶるなんというか大仰なボディランゲージはこの人の癖のようなものらしい。
まるでドラマや映画の主人公のような空気を纏う堂々としたそれにうっかり目を取られたが、理人さんは一瞥をくれただけだった。
それから掌をひらっとこちらに向けて話を始めた。
「あのな、たまーーーーに、桧木沢の分家のどこかに呪われた子が産まれるらしい」
呪われた子………?
「そ、呪われた子」
「あ……」
口に出ていたらしい。
野分さんがウインクを寄越す。
おえ、と思ったのがバレたのか、理人さんがふっと笑った気配がする。
やめてくださいよ、余計なこと言わんでください…。
「呪われたって…そんな非現実的な、」
「魔法使いがそれを言うか?魔法を使えない人間からしたら俺らは充分、非現実的だよ。
何があったって、今更おかしくねえだろ。
ほれ、こんなやつもいるくらいだし」
「指さすな」
親指でぐいっと理人さんを指し示す野分さんのこぶしを理人さんが掴んで下げて………ひねりあげた。
容赦ねえ……。友達じゃねえのかよ……。
いててててて!と喚く野分さんをじとーーっと見詰める。
魔法使いの就職先のトップ。
エリートしか入れない華の魔法管理局に務める2人がこんなんだなんて。
国は大丈夫なのか。そう思わずにはいられない。
理人さんがぎらっとした目を向けてきたので、避けるように顔をそむけた。
ああもうこの人たち……厄介すぎかよ……!
絶対敵に回したくない。
「……で、その呪いってなんなんですか」
「あ、うん。呪いって言うのはあれだよ。意思がない人形のような子。
冷めきったガラスのような目をして、自我が無い。子供なのに泣くことも何かを欲することも無い。
けれど、よく分からない憎しみを口にする。そういう子」
「……でも、性格とか、あるんじゃ」
「そうだな、そういう子も居るだろうな。
ただ、呪われているという所以はそれだけではなくて……」
1度、野分さんが息を呑む。
真剣な表情に戻った野分さんは横目で理人さんに視線を流す。
理人さんはそれに目を合わせないまま、漆黒の瞳をこちらに向けて口を開いた。
桜ヶ丘と同じ、どこまでも闇が続くようなその常闇の瞳。
「そういう子は魔法を跳ね返す、らしい」
理人さんの言葉を聞いて、どこかぞわり、とする。
魔法を、跳ね返す?
それだけなら、事象の魔法使いに似たような種類の魔法を持つものが居ない訳では無い。
「ああ、ただその表現には語弊があるんだよ。
魔法が跳ね返す、それだけではない。
魔法がかからない。魔法を無効化して、魔法を使わせなくする」
「え」
そうだろ、野分?
理人さんの言葉に野分が頷く。
ちょっと、ちょ、……待って、くれ。
それって、それって、まるで。
「至……?」
桧木沢至。
桧木沢家の次男。
人嫌いで冷酷、他人に興味が無い。無関心で、無感動。
至と会ったころのことを思い出す。
あれは、いつだっただろうか。中等部に上がった頃?いや、上がる前、か。
虚ろで何もうつさない鳶色の瞳と全身に纏う拒絶の空気が異様だった。
こいつ、生きてて楽しいのか?と思うくらいに人間味がない妙な男だった。
仕方なく生きているような、いや、無理やり生かされているような。
その癖、人を拒絶しない。接してくる奴のことを無視はしないし、自分から繋がりを断ち切ろうとはしない。
矛盾にまみれた妙な男。
それが桧木沢だと知って、ああ、と納得はした。
御三家で名家、力ある桧木沢は他者との関わりを自由に選べない。何故なら桧木沢が‘ 善’と称されているからだ。
しがらみに雁字搦めで、多分こいつは自分を表に出せないんだろうな、と思っていた。
俺とは大違いだ。
やりたい事はやるしやりたくないことはやらない。
同じ七枝といえども、良くも悪くも伸び伸びと育った俺とは対象的な生き方だ。
面白いなと興味を持ったのは気まぐれだ。
友達がほかにいなかったから、とかそういう訳では決してない。親しくしようと思うやつがいなかっただけで。……作らなかっただけだ、本当だ。
「お前、生きてて楽しいの」
そう話しかけたのは今思えば最低だろうが、あいつは特に気に止めた風でもなかった。
その虚ろな鳶色を遷移させて、まっすぐにこちらを見据えて。
「……君は楽しそうだね」
その回答は答えにはなっていなかったが至はそれきり口を開かなかった。
それからだ。至と会話をする回数が増えて一緒にいることも増えて、ともすれば友人とすら呼べるような仲になったのは。
至の世界中全て興味無いみたいなスタンスは大きくは変わらなかったけれど、徐々に機械くささは無くなって行ったと思う。
俺は多分、至を気に入っていた。友と呼べるようなものはあいつだけだ。
こんなことになってもそれは変わりはしない。あんな目にあって腹は立つし、桜ヶ丘関係であいつはやりすぎているとは思うけれど。
友だったから、あいつに魔法を使うことなんて、魔力を向けることなんて1度だってなかった。
俺の魔法は攻撃性が高いし、人より魔力が強いことも知っていたからな。
逆に至の魔法も1度も見たことがないが、まあ特に興味も無かったし。気象、だとは言っていたけれど。
魔法使いは安易にその力を語らない。
その特性上、弱みを見せることと同意だからだ。
特に御三家で桧木沢の至にも色々あるんだろう、例えば桜ヶ丘みたいに……と安易に考えていたわけだが。
そう言えば、おかしな話だ。
至に直接魔法を使おうとしたことは無くとも、日常生活でうっかり発動することだってある。
掌に雷を握るだとか、全身から放電しかけるとか空気中に稲妻を走らせてしまうとか、その程度ではあるけれど、至と共に居てそういうことはたったの1度もなかった。
そして、今日。
俺はあいつと話をして、あいつの目の前で、意識的に魔法を使おうとした。
理人さんに言われていたからだ。
至に、魔法を使ってみろ、と。
俺は拒否したが、理人さんは真剣な眼差しで大事にはならない、いいからやれ、とそう言った。
軽く掌にいつもの様に魔力を集中させて……それが、叶わなかった。
初めてのことだ。
いままでこんなことは無かった。操力と魔力量には自信があったのに。
話をしながら魔力を集中させるだけ集中させようとした。それもまた、叶わなかったのだけれど。
至には、魔法が使えない。
跳ね返ってくる、そういう表現よりは……そうだな………魔法を拒絶している?使えない、通じないのだ。
「わかっただろう、三雲。
桧木沢に呪いというものがあるのならば、桧木沢の本家はすべからく、そうだ」
桧木沢に魔法は使えない。
「この情報を吐いた者は」
「なんの為に俺がいったと思ってるんだよ、苦労したよほんとこの情報を得る為に散々嗅ぎ回った。
それだけじゃない、こいつとの繋がりがある奴をお前に会わせるように配置した。
歪が出来ないように、違和感を起こさないように。シナリオはお前に任せる。俺が入手出来たのはここまでだからあとは頼んだ」
「完璧だ、野分。………ありがとう」
「いや、懐かしい任務だった」
野分さんが首を竦めて大袈裟に息をつく。
つり目がちな瞳が悪戯っぽく嗤う。
野分さんからいろいろと読み取ったのだろう理人さんが穏やかにそう言うと、野分さんは藍色の髪をガシガシと、掻きむしった。
俺にはよくわからない話だけれど、このふたりの事情には興味が無い。というかあんまし関わりたくもない。
「加々利」
「はっ」
理人さんはそれに同じ笑みをかえして、それから指を鳴らした。
こういうところ、並の人間じゃ様にならないだろうし、呆れるほどに態とらしいがこの2人だと絵になるから嫌味だよな。
いつの間にかリビングに現れた加々利という男に驚いはしない。
桜ヶ丘の分家である彼の心象の力は幻覚を見せることだ。
いるように見せるのもいないように見せるのも、他者にどのように見せるかなんて彼にとっては容易いのだろう。
「ほら、三雲ぼーっとしてんな、行くぞ」
すたすたと歩き出した3人が背を向けたところで慌てて駆け出しかけて、やめる。
理人さんが、ん?と顎を上げた。
「行くって……」
「決まってんだろ、理子を助けるための下準備だよ」
「またの名を、うちの大将の得意技〜っともいう」
「言わない、うるせぇ」
理人さんの得意なこと。
ああ、そうか、尋問ーーーーー。なるほど……。
俺は生唾を飲み込んで、掌に雷を握るイメージを起こして後を追った。
うん、大丈夫。使える。
俺は、桜ヶ丘を取り戻す。




