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「やーー、すごい天気」



あははーと緩く笑う至が机の上にお重を広げる。



「本当は外で食べようと思ってたんだけれど…」



そう言って、わたしになんだか意味深な視線を向ける。

なに?な、なんなんですか。



「………母と沙都子が張り切ってしまってね。こんなことになっちゃった」


ぽんぽんと広げられる重箱の中身は宝石かのように美しく盛り付けられた見事なものだった。


すいすいと連れ込まれた見たことも無い空き教室で警戒しながらドアの近くを離れないわたしを至はさして気にもせずにこやかに準備を続ける。


桧木沢の子息にこんな使用人のようなことをさせてもいいのだろうか。いや、いいわけがない。

どう考えてもわたしがするべきである。


いや、でも待て理子。待つのよ、この王子ヅラをした男は誘拐犯で、訳の分からないお家事情に巻き込んだ張本人で、もっといえば、わたしは今この男に拉致され軟禁中なのよ。



「あ、わたしがやります〜」っていってる場合じゃないし、和んでる場合じゃないでしょ。




「どうしたの、理子ちゃん。こっちおいで」



椅子に優雅に座り足を組んだ至がこてんと首を傾げる。


上機嫌に、悪意の見えない彼の仕草に悪いことをしている気分になる。

いやいや違う。悪いことをしているのはどう考えても桧木沢で、彼のこれはわたしを思いのままにするためのそれで……


「食べないの?」


超食べたいです。



よだれが垂れそう。とは口が裂けても言えない。

だってでも仕方が無いと思うのですよ。

恐ろしく美味しそうな凶器レベルでうつくしいお弁当を前に警戒し続けることのなんと難しいこと!

しかもわたしは空腹だ。


ぐううう。



シリアスムードをぶち消すように腹の虫がなく。

最悪だ。

もう埋めてくれ。

土でも食わせてくれわたしに。

桜ヶ丘として失格どころか女子として失格だし、人間としても失格かもしれない。


空気の読めないわが腹の虫と消え失せた理性を末代まで呪うことにする。


……いや、それ結局自分だな。



「ぶふっ」


なにか吹き出すような音にさっと顔を上げると至が口に手の甲を当てて顔をそむけていた。



「…もうね、なんていうか……君、嘘つけないタイプでしょ」


「いろいろとね、顔に書いてあるよ」



頬を染めながら眉を下げてくすくす笑う至に身体が強ばる。

またしても顔から血の気が無くなった気がする。……というか多分そうだ。



「お腹、すいてるんでしょ。

食べよう?僕のことは信用ならないだろうけど、母や沙都子が作ってくれた料理に罪はないでしょ」


ね?


少しだけ悲しそうに微笑んだ至のそれも計算なのか、それでもやはり心が痛む。

なんだか悪いことをしているような気分にさせるその悲しげな微笑みは、あれか。イケメンだから故のそれなのか、それともまさかそういう類の魔法なのだろうか。



「おいで」


もう一度そう言われて白旗を上げたのはわたしの腹だった。







う、っ、うまっ!!





朝は正直、桧木沢の当主やらご家族に囲まれて緊張しすぎて味がする所ではなかったけれど、なんだこれ、美味すぎる……!


けれどわたしは腐っても桜ヶ丘。

美味いなどと評すことはしない。


「美味しゅうございます」と震える声で言ったら至はなぜだかまた吹き出した。

「表情と言葉が一致しなさすぎる」とか言われた気がするけれど気の所為だと思う。

それよりなにより目の前の料理に集中しよう。

嫌なことはこの際忘れよう。うん、今だけ、今だけ。

考えても正直わけわからないし。

隣の至のことなんて今は忘れておこう。


黙々と食べるわたしを至が見つめている気配がする。なんだ、よく食べる女だとか思って引いているのだろうか。それならそれで別にいいけれど。

元デブなめんなよ。食べるの大好きです。





「すき」





「ブフォッォ!」



ゲホゲホっ!


「理子ちゃん!?」


うう、昆布巻きが!昆布巻きが!気管に!!


存在を消していた至の突然のつぶやきに驚きすぎてわたしは目を見張りながら咀嚼を忘れてうっかり喉にいろいろなものをつまらせてしまった。



隣でわたわたと至が焦っている。

震える手で渡される水筒と青ざめた顔は、それはわたしに利用価値があるから?



「ご、ごめんなさっ」


「いやいや!僕こそごめん!だ、大丈夫?」


おろおろとせっかくの王子様フェイスが崩れて慌てる至になんだか笑いが出そう。


尚も咳き込むわたしを前にどうしたらいいのか、震える腕が背中に添えられかけて、やはり躊躇われてを繰り返し、やがてそっと撫でるようにトントンと規則正しくリズムを刻む。



「ごめんね、僕、なに、いってんだろ」


「い、いえ、わたし、こそ、げほっ、すみません、お手数を…」


「いや、いや……良いんだ。君が謝ることは、なにも…」



もう一度わたしにお茶を勧めてくれた至はわたしが落ち着いた所を見届けてから目を伏せた。



「僕が怖い?」


「え?」



「訳が分からないよね」



自嘲するような声。見上げると、彼の目元はそのアッシュがかった前髪に隠れて見えない。



「僕はね、少し怖い。

君のそばにいると、いままで知らなかった感情やぐちゃぐちゃな何かが湧いてくる。

自分の気持ちというか自我、というかそういうのが欲しかったんだ。ずっとね。

知らなかったから、普通になりたかったんだと思う。

でも、感情って難しいね。単純じゃない。色々混ざりあって変化して……。

魔女に従って操られていれば楽だったんだなって今はそう思う」



やはり自嘲するように笑った至はとても人間らしかった。


今の、この彼は、多分本物なんだろう。

戸惑っている、こどものようなこの人はきっと本当の至なのだ。



「でも、僕はこの感情を知ることが出来て本当に良かったと思う。難しいけど…でも、嬉しい。幸せだよ。君がいてくれて、こうして、一緒に食事して。これはきっと僕の感情だよね」


はにかみながらこちらに視線を移す至。

そうだといい、そうだと思う。

本当に出会った頃とは大違いだ。もっと冷酷そうで他人に興味がなかったはずの彼はここにはいない。




何となく、この至は信用出来る気がする。

この至は大丈夫な気がする。



……やはり、これが彼の魔法なのだろうか?

ついつい笑顔を返すと、彼は目を丸くしてそれから笑みを深くした。



「……れが」



「なに?」



掠れた声で至が何かを呟いた。

言葉じりだけが耳を掠めて、わたしは首をかしげた。



「君が美味しそうにご飯を食べてる姿がいとしい。君が怖さを隠して安心させようとしてくれる笑顔がいとしい。」




「……は、い?」



「君を、三雲にやりたくない」




「ねえ、理子ちゃん、これも魔女の意識?それとも……」





これがすきってこと?








ぽかんと、もう既に何を言われたのか解析が追いつかないぽんこつの頭をひっさげて、言葉を返すことも出来なくなったわたしに至はそう言って微笑んだ。










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