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「三雲、君いったいなにをどうしたら、あんなに嫌われるんだよ」
2年4組。その教室で問われた理解し難い言葉に白樺三雲は思いっきり顔を顰めた。
「はァ?なにが?だれに?」
桧木沢至は哀れんだような顔をしてため息をついた。
アッシュブラウンの髪をさらりとといたこの友人の、残念なやつを見るかのような表情が真剣に分からない。
「桜姫だよ」
「あ?誰だよそいつ」
さくらひめ、その響きに全くもって聞き覚えがなかった。
いや、ちがう、その名はよく耳にする。
学園でも上流階級の煩わしい世界でも。
ちょくちょくその名は聞くし、なぜか話しかけてくるやつがその名を口にしたりもするが、興味が無いため適当に流していた。
そんなやつ知らないし、それは誰ですか?と聞くのも癪だ。
覚えがないのはその人物についてだ。
「君って本当に……、桜ヶ丘理子。こういえば分かるか?」
「は?桜ヶ丘?」
その人物については大いに覚えがあった。
なんと言ったって婚約者だ。
親同士も懇意にしている昔馴染みで婚約者。
つまり将来の妻になる女の名であるのだが、あいつが、桜姫?
似合わねえ…。
それを思って吹き出したが、その後、ふと思い起こす。
……そういえば、巷で聞く桜姫の話や自分に話しかけてくる男共は桜姫をなんといっていただろうか。
そして俺はなんと返していただろうか。
適当に人好きのする笑顔で流して追っ払っていたと思うが……それは、桜姫が桜ヶ丘理子と一致していない体の返答だ。
間違いなく。
………それにこの友人は、はじめなんと言っただろうか?
「おい、待て。至おまえ、俺が桜ヶ丘に嫌われてるってそう言ったか?」
「そうだよ。どこからどう見ても、そう」
途端に腹の底から笑いが溢れる。
昼休み中のまばらな教室に同席していた生徒は数人がびくりと肩を揺らした。
こんなに面白いことは無い。
そっか、そっかあ、そうだよなあ、あいつはとびきりシャイだからな。
そう見えるのか、こいつもまだまだだな。
ある種、同情さえ宿っていそうな瞳で友人を見つめると、怪訝そうなそしてやはり残念そうな瞳が返ってきた。
なんでそんな目をするんだ?
内心首をかしげつつ、この残念な友人の誤解を解いてやらんと、揚々と口を開く。
「俺が桜ヶ丘に嫌われてるって?あいつは俺に惚れてんだよ。あいつは本当にしょうがねえやつで、恥ずかしがりだから緊張して目すら合わせられないんだ。
会うとか、話すだなんてもってのほかで俺を前にするとあがっちまってダメなんだよ」
「……なにいってんの?」
帰ってきた友人の反応は想像していたそれとまるで違った。
まるで違いすぎて、状況が飲み込めなくて、目を丸くしたのはこちらだった。
なんだ、そうなの?そう言って目を丸くするのはあちらの方の予定だったのに。
「三雲、本当にあれを見てそう思っているなら、君は後悔することになるよ」
やけに真剣に諭されるように語る友人の鳶色の瞳が冗談を語っているようには見えなかったけれど、理解に苦しんだ。
後悔?あれを見て?
何を言っているんだ。
桜ヶ丘理子は昔からずっと変わらない。
昔からずっと、自分のことが好きだったはず。
あの日、初めてあった日、桜ヶ丘理子は間違いなく顔を真っ赤に染めて熱をあげて濡れた瞳で三雲に見蕩れていた。
間違いない。
それから恥ずかしそうに視線を逸らして幸せそうに微笑んで、その後、緊張のあまりだかなんだか、顔を青くして倒れた。
それほどまでに自分のことを好きでいるはず。
最初、努力を知らない体型と、自分を全く顧みることがなかっただろう外見に肝が覚めた。
―――この俺が、こんなブサイクと結婚する?冗談も大概にしろ。
顔の造形、云々の話ではない。
そもそも見合いに来るやつのそれなりの努力やら、少しも相手に好まれようとしていない心意気に腹が立った。
人は中身だとはよく言ったものだ。
馬鹿どもが。
人間は外見だ。
生まれてこのかた、それを痛感しない日はなかった。良くも悪くも、人間は100パーセントがまずは見た目だ。
当然だろう、まずはそこしか判断材料がないんだから。
そこから桜ヶ丘は変わった。
体型を整える努力をして、スキンケアにも身だしなみにも気を使っている事がよく伺える。
元は悪くないのだから(そもそもあの両親で悪いわけがない)みるみる美しくなる婚約者に大満足だった。
漆黒の闇色の艶やかな髪は儚げに背を揺蕩いて、同じ色の瞳は何もかもを見透かすように前を射抜く。
長い睫毛はくるりと上を向き丸い瞳を取り囲んでいた。
対照的に真っ白な肌は、初対面の時とは別人のように滑らかで陶器のように淡く輝く。
(あの頃は日に焼けたガサツなニキビの浮かぶ顔の下にこんなのがねむっているなんておもわなかった)
常に聖母のように穏やかな笑みが浮かぶ小さな唇は桜色で伏せ目がちな瞳を覆う瞼はうっすらと淡い桃色を透かせて妙に色っぽい。
まさか、ここまで化けるとは思わかなかったが……。
自分の隣に立つものとして、自分のために努力をする彼女は甲斐甲斐しく愛おしかった。
しかし、いつまで経っても恥ずかしがりの人見知りは治らないらしく姿を見つけたと思えばいつのまにか消えていて、目が合ったかと思えば一瞬で逸らされそして、やはり消えている。
あまりの避けように感嘆すらもれそうではあるが、いずれは毎日顔を合わせることになるのだ。
恥ずかしいなら、いま、無理をさせるのも可哀想である。
だから、好きにさせているのだ。
これは、自分の優しさだ、と思っていた。