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目が覚めると一番最初に鳶色の憂いを帯びた瞳が飛び込んできた。
「ひっ……!??」
「おはよう理子ちゃん、急に倒れちゃうからびっくりしたよ」
びっくりしたのはこっちだ。
寝起きにそんなキラキラフェイスを浴びせられるとかなんて言う罰ゲーム!?
夢かと思ったけど夢ではなかった。
なんで起きたら至が!と思ったけれど、そういえば2日前から桧木沢家に拉致されていたのたった。
「気分はどう?どこも痛くない?
医者が言うには疲れとストレスらしいんだけど……」
歯切れ悪くそういった至がごめんね、と言って手を握ってきた。
いつの間にかあの腹を圧迫する帯は無くなっているらしい、服も着物ではなくなっている。
「いえ……あの」
「ああ、服は沙都子が着替えさせたから大丈夫」
うん、そうか……。
いや、大丈夫じゃない。いろいろと大丈夫じゃない。
「……今って何時でしょう」
「ふふ、どうして敬語なの?
今は、19時前。
10時間くらい目が覚めないから本当に心配したよ」
19時!?
なんてことだ、寝すぎである。
確かにここにきてからあまりよく眠れない(それはそうだ誘拐されてきてグースカ寝れるほど図太くない)とはいえ、寝すぎである。
「あ、あの、その間…もしかして至……さまは」
「うん?だから、そういう他人行儀なのやめて欲しいんだけど…。
もちろん、傍に着いてたよ、ずっと」
だって心配だし。
そういって眉を下げて笑った至にわたしはもう全身の血という血の気が引いたのを感じた。
オーマイガッ………
さいっあくだ。
拉致されてきた家でぐーすか無防備に眠りこけた挙句寝顔を10時間もこの美麗な王子様顔の同級生に見られていたなんて……!
そもそも気絶した時は白目とか向いていなかっただろうか、寝ている時はいびきとかヨダレとか……絶対垂れてる。
全身の筋肉が弛緩する恐ろしくだらしない形相を惜しげも無く呈していたに違いない。
ああ、もう、乙女としてどうなのだろう。
お嫁に行けない、もうわたし女子失格、絶対。
というか、うら若き乙女の寝顔を何時間も見続けるって紳士としていったいどうなの?
ていうか人の寝顔を見続けて何が楽しいの。どんな忍耐力なの。恐るべき桧木沢家…。
「大丈夫、可愛かったから」
青ざめるわたしに気がついたのか花が咲くように微笑んだ至の頬はなぜかほんのりと朱が差していた。
………なんですと?
元デブスを捕まえて、なんですと?
そのお綺麗なお顔でそんなこと、嫌味ですか?上流階級らしく嫌味ですかな。
脂肪は落ちても顔貌の造形はそうそう変わらない。
あの両親と兄と、白樺家を見て過ごしたわたしはきちんと、ええ、きちんと、美醜というものを理解していますよ、桧木沢至さま!
気休めは辞めてください、とはさすがに言えないので、多分ほとんど魂が抜けたようなだらしのない顔で「アリガトウゴザイマス」ととりあえず返した。
「分かってないね、理子ちゃん。
君のそばにいると魔女の意識が酷く落ち着いて気にならないんだよ。
凄いね、さすが器。魔女の現身。
これが幸せってものなのかな、すごく居心地がいいんだ」
「……そ、そうですか」
どこか悦に入ったような色気のある顔でこちらを見てくる至に半身ほど体をずらした。
なんか、怖い。
というか、そういえばそんなこと言っていたな、でも、わたしはそんな大層なものでは無い。
絶対になにか勘違いだ。
わたしには桧木沢家の呪いを解く力なんてない。
「……父と母と兄と食事を……と思ったけれど今日はやめておこうね。
ここに運ばせよう」
俯いたわたしに、淡く微笑んで至は部屋を出ていった。
絶対におかしい。
なにか勘違いをしているに違いない。
というかなぜ、桧木沢はわたしを魔女の器、だなんて思ったのだろう。
そんなわけが無いのに。
話を聞くにものすごい力を持っていたらしい魔女。
話が本当であるならばすべての魔法使いのルーツにあたるオリジナルの魔法使い。
出来損ないのわたしが、そんなものの現身であるわけがないのだ。
「はやく誤解を解いて桜ヶ丘に戻らないと……」
でないと、あの、ねちっこいお兄様が何をやらかすか分からない。
わたしのために桧木沢に乗り込んできたりしたら桜ヶ丘がどうなることか……。
お兄様や、お父様、お母様にものすごい迷惑をかけてしまう。
桜ヶ丘は了承していると言っていたけど、おそらくそれは御三家相手に‘了承せざるを得なかった’のだろう。
はやくわたしの無事を伝えて、この変な誤解を解いて、家に帰って謝って、そしてお説教を受けなければ。
もそもそとベッドから這い上がり、掌を握って開いて魔力を集中させてみる。
身体はなにも異常がない。
それから、魔力も。
あの奇妙な感覚はすっかりなくなっている。
「これなら……」
ぐっと、目を閉じて魔力を集中させる。
今のわたしに出来る魔法といえば、倒れるほどの魔力を全力で注ぎ込んで小さい嵐を作ることくらいだ。
もっと上手くコントロールして、勢いはなくていいから、倒れないくらいの、それができれば、混乱に乗じて逃げられるかもしれない。
そんな上手くいかないだろうけど、もし、逃げられなくても、お兄様ならわたしの意図をわかってくれる。
無事だから、気にしないで無茶しないで、というメッセージを受け取ってくれる。
今わたしがいるのが桧木沢の母屋なのか、離れなのか別荘なのか、それとも全然違う場所なのか分からないけれど嵐の中心を辿ればわたしの居場所を伝えられる。
「……ふ」
もっと繊細に、細く長く息を吐くように…魔力を集中させて………。
もっと、もっと、魔力を…。
「駄目だよ」
「っ!」
突然聞こえた声に嫌な汗が伝う。
声と同時に、瞬間に魔力が分散する感覚。
消されたのではない、消えていった。
はっとして顔を上げると至が翳った鳶色の瞳でこちらを見ていた。
食事の乗った盆を持ち、暗い瞳で無表情にこちらを見下ろしている。
足跡も、物音も一切しなかった。
襖を閉めてでていったはずなのに、それを開ける音すらまったく。
というか、運ばせようっていってたのに…。
「い、至」
「僕、理子ちゃんには優しくしたいんだ」
先程とは違う少し荒い仕草で盆を机に置くと足音を立ててこちらに近付いてくる。
その暗い瞳と、相反する貼り付けられたような笑みに言いしれない恐怖を感じて声すら出なかった。
「っ!」
突然、両手を握りこまれる。
ひんやりとした冷たい骨ばった両手で、壊れ物を扱うように包まれてわたしの肩はビクリとはねた。
「お願い、理子ちゃん。
どこにも行かないで、…君は、僕のものでしょう?」
その声は優しく諭すようなものだったのに、どこか、悲鳴のようだと思った。
ーーーーーーーーーーーー
「至、どういう事?桜ヶ丘の次期当主は彼女が白樺と婚約していると言っていたよ」
兄が優しげな笑みを崩さぬまま怒気を孕んだ声でそう言ったのが2日前。
理子ちゃんをこの屋敷に引き入れて、しばらくしてから機嫌よく桜ヶ丘に出向いた兄が、帰ってくる時はどこか苛立っていた。
両親が眦を釣り上げて僕を見てくるけれど、べつになんてことは無い。
「大丈夫、今のところ、婚約の事実はないよ。
おおかた、あの異常なお兄様の時間稼ぎの嘘でしょう。
彼女はそれはもう三雲を毛嫌いしているから。
そして、その無理を押し通してまで縁を結ぼうとするほど桜ヶ丘と白樺は彼女に冷たくない。分かるでしょう?」
ため息まじりにそう言った僕にそれでも兄は怒気を収めない。
「けれど、桜ヶ丘はウチと戦争をする気か、とまで言ったよ。桧木沢相手に。
その覚悟がどれほどのものなのか。彼は本気だ。
今はその事実がなくても、下手したらでっち上げられる」
「ええ、至さん、その前に何としても彼女を手に入れる必要があるわ。
白樺を嫌っているのなら好都合、だけれどそれもいつまで持つのか分からない」
そんなこと言われなくても、僕が1番分かっている。
彼女が三雲をあれ程嫌っているのには訳がある。
彼女自身気づいていないし、三雲も…まあ気づくわけがないのだけど、彼女は何故三雲のことをこんなに嫌っているのか疑問に思いだしている様子だった。
三雲と一緒に攫ったのはそれを確かめるためとそれから、まあ三雲と桜ヶ丘理人に対する嫌がらせだけど…とにかく状況はなんとも言えない。
そもそも、彼女が器であれば、魔女の現身のままであればすぐに気がつくことが出来たのだ。
ひどく弱々しく分かりにくい魔力に何度か目の端に映したことがあるというのに何度も見逃した。
彼女を見逃してしまっていたのは、ひとえに三雲と桜ヶ丘理人のせいだ。
それも桜ヶ丘理人本人に直接あって確認した。
そうして、僕はようやく彼女が器であると確証を得ることが出来たのだ。
彼女と三雲の縁が切れることは願ったり叶ったりなのだけれど、それも、逆行してしまえばまったく意味が無いどころか最悪だ。
彼女の心を捕まえてから、彼等の縁を切ってしまわないといけないと、分かっている。
魔女がそうするべきだと、そう言っている。
三雲はそのための、彼女を魔女に戻すための大切な贄であるのだから。
「かといって、無理強いは出来ないでしょう母上
。
彼女に嫌われてしまえばうちは終わりだ。
機会は永遠に喪われる。
最終的に僕と彼女が心中でもして器と魂を同じくしたところで、呪いが解ける保証なんてどこにもない」
魔女のたったひとつの願いは愛し愛され、二度と裏切られることなく静かに器と魂を救うこと。
その為だけに桧木沢は生かされていると言って遜色ない。
今までの桧木沢は、まずその魔女の器に出会うことすら叶わなかった。
たったの1度もその機会を与えられなかった。
出会えなかったのか、そもそも誕生すらしなかったのか。
呪いに精神を蝕まれながら、魔女を探すためだけに善人の振りをして人脈を広げ、多くの魔法使いを見て探して探して………それでも。
だから、彼女は魔女に呪われ続けている我が家が、苦しみから解き放たれる貴重な機会である。
絶対にヘマは出来ない。
「とにかく、至に任せよう。
助力は惜しまない。我々は白樺との婚約を如何にしても阻止しよう。
もし、最悪の場合でも、至が彼女の心を手に入れることができれば、桜ヶ丘も白樺も無理強いはしないだろう」
「はい、父上」
彼女がこの屋敷にいるだけで、魔女の魂が多少満足するのかなんなのか、呪いは随分和らぐ。
それを身をもって感じている彼等の必死さといったら……まあ、無理もない。
僕だってそう思う。
僕は神妙に頷いた。
……………というのに。
そんな話をしたのがたった2日前だと言うのに。
「はぁ……」
彼女の食事を運んで部屋を出て、侍女に頼もうかとも思ったけれど、どうせなら僕が食事の介助を、と思い直して自分で運んでいくと彼女は、なにやら魔力を練っていた。
魔法を使おうとしている様に慌てて口を開くと事の他厳しい声音になってしまった。
笑顔は恐怖で強ばるし、理子ちゃんはどう見ても怯えていた。
怖がらせるつもりはなかったのに。
彼女がここから出ていく、いなくなる恐怖でどうしていいのか分からなくなった。
魔女が半身が消えることを恐れているのか、救いの機会を喪うことに怯えているのか、それとも、僕自身が、怖がっているのか……。
彼女のおかげでなんとなく薄ぼんやり浮かんでき出した自分の意思…かもしれないものに戸惑うばかりだ。
彼女に食事を置いておくとだけ伝えて逃げるように客間から自室に戻ってきた。
「……いったいどうすれば」
どう、接したらいいのか分からない。
そばに居ると幸福感を感じてそれが心地いい。
けれど、それから先、どう彼女に接するべきなのか。
こんな無理に連れてきた状況だから、そもそも警戒されているし、今までは魔女の意識に従って操られるようにただ生きていればいいだけだったのに……。
自室の扉に背を預けずるずるとしゃがみこみ頭を抱える。
失敗は出来ない。
絶対に。
彼女を大切にしないといけないし、逃がせない。
でも、どうしたらいいのか分からない。
ーーーー人の心を、それも揺るぎない愛を望むなど、魔女も強欲がすぎるーーーーー
2日前、父上がため息混じりに本当に無意識そうにぼそりと言った言葉が蘇る。
あれも、きっと、理子ちゃんがここにいるから魔女の支配が緩まり言えた言葉であるだろうが、本当に、本当にそう思う。
だってそもそも、僕は、
「…人を好きになったことなんてないし………」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き乱して言った言葉は誰にも届かず闇に吸い込まれた。




