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「……い、おい………ろ、………ぉいっ」
押し殺した、しかしハリのある声が鈍痛を孕んだ重い頭に響く。
「……うっ」
「大丈夫か?」
霞む視界にぼんやりと表れる白。
白、白しろ、白白、白白白しろ。
目がくらむほどのそれに顔を顰めて辺りを探る。
やけに居心地のよい地面はどうやらベッド。真っ白いシーツに投げ出された脚は枷が付けられている。
「なに、これ」
思わず手を伸ばすとジャラっと重い音がなり、腕は思い通りに動かなかった。
どうやら腕も拘束されているらしい。
「あんまり動くな。力入んないだろ」
そう、そういえば、先程の声の主……そう、そうだった。
聞き覚えのある落ち着き払った声。
背中にたらりと垂れる冷や汗に気が付かないふりをして声のする方に顔を向ける。
どうやら、下から聞こえる声の主は白い床に蹲り、上半身を同じく白い壁に預けていた。
「…白樺…さま……?」
「……おう」
この嫌味なほど白い部屋に浮かぶように彼は鎮座していた。
セットも何も無い、顔にかかる金髪を払いのけようともしない白樺三雲の両手両足はやはり拘束されている。
「大丈夫か、桜ヶ丘」
「………えぇと、はい、多分…」
体が異様に重くて鈍痛と、力が上手く入らない以外は。
わたしの返事に白樺三雲は鼻を鳴らして顔をそむけた。
というか……
「白樺さま、どうされたんですか?その頬……」
綺麗な顔は髪が乱れているのはもちろん、左頬が赤く腫れている気がする。下手したらうっすら、血も滲んでいそうだ。
それに異常に衣服が乱れているし。
まさか、誰かに乱暴でも?と青ざめたところで白樺三雲はこちらを睨みつけてきた。
危うく、ひえっと悲鳴が上がるところだった。いや、出ていたと思う。
「その、…ああれだ………。さ、さすがに同じベッドはまずいだろうが!」
同じベッド……?
グレイの瞳を僅かに潤ませて彼が激昂した。
噛み付くような勢いに思わず体勢が下がる。
金髪の隙間からのぞく耳がほんのりと赤い。首を傾げたところで彼はそのグレイの目を見開いて眉間に皺を寄せたが、彼がなにか言葉を発する前にガチャリと無機質な音が響く。
どう考えたって何かが開いた音だった。
例えば、扉とか………。
わたしと白樺三雲が一斉に音の鳴る方へ顔を向けると、やはり、そこには白い壁と溶け込むように白い扉があって、開いた向こうに闇のような黒が広がっている。
そしてその黒からまるで産まれたように至は現れた。
「やぁ、理子ちゃん、三雲。ご気分はいかが?」
「至……っ、お前、何をした」
白の部屋とは対照的な黒のセットアップ。
シャツもタイも靴も黒。
少し眠たげな鳶色の目元は楽しそうに緩んでいる。
地を這うような唸り声をあげた白樺三雲に怯む様子もなく、至は扉を閉めていつもと変わらない笑みを浮かべてみせた。
「ふふ、何って………ただ君たちの魔力を逆流させただけだよ?
ああ、そっか、魔力の逆流は魔力が多い程、高い程きっついらしいね。……ごめんね?」
「魔力、を……逆流?」
「おい、至。ふざけるのも大概にしろよ」
「やだなぁ、三雲。いつ僕がふざけたって言うんだよ…………というか、君ベッドから降りたの?どうやって?………ああ、くく、まさか転げ落ちたの?
理子ちゃんと一緒に同じベッドで寝てたから?びっくりして?……ぷっ」
「……ちがう!降りたんだ!」
「へえーほっぺた擦りむいてねえ」
この異様な空間で、拘束されてすらいなければ恐らくいつも通りの2人のやり取りなのだろう。
こんな状況でなければ。
しかし、この状況の中にあって白樺三雲の瞳はやけに冷静で、逆に至には愉悦さえ見て取れた。
そもそも、ここは何処なのだろうか。
至がいて至がイニチアシブを握っていそうなところ見ると桧木沢家の一室なのだろうか?
そしてなぜわたしと白樺三雲はここに連れてこられて拘束されているのだろう。
いったい、何をされるのか、何が始まるのか、至は何を企んでいるのか……。
というか、至の口振りからするとわたしと白樺三雲は同じベッドで寝ていたということか。
うわぁ……鳥肌が……。
いや、多分白樺三雲に罪はないんだろうけど。ごめんなさい。
「つか、んなことは、どうでもいい。おい、至、お前なんのつもりだ」
「ん?ああ、拘束したことを怒ってるの?うん、それはごめん。
でも、君たちはたーーいせつな、器と生贄だからさ。
傷つける訳にはいかないんだ。それに君、ほら強いし。僕怪我するの嫌だから…」
「は?何言って…」
「至」
声にいくらか、堅が混じってしまったことは否めない。
声を出したわたしに視線が集まるのを感じる。
器?生贄?一体なんの話をしているの。
おもしろがって、はぐらかすその態度は、なんのため?
何を隠して、何をしようとしているの。
「至、ここから出して」
「無理だよ」
「至、これ、外して」
「……ダメだよ」
答えなんて分かり切っていたけれど、鳶色をまっすぐに見つめてそう言えば困ったように笑う。
やはりどこか楽しそうなその顔は、桧木沢家に言われてさせられているというわけではなさそうだ。
爛々と子供のように輝く鳶色の瞳に言いしれない恐怖を感じる。
楽しみで仕方ない、待ちきれない、そんな色がありありと浮かんでいる。
「君を見つけられてよかった、君は僕のものになり、そして僕は君のものになる」
「何を、言ってるの……」
白樺三雲が身動ぎするのが見える。
今にもこちらへ向かって飛び込んできそうな眼光で、しかし、枷はビクともせず額には汗が浮かんでいた。
先程からずっと魔法を使おうと魔力を注ごうとしているが全く上手くいかない。
身体も自由に動かなければ、どうやら魔力を自由に操る力も失っているらしい。
白樺三雲もわたしと同じ状況だとするのならば、打つ手は、恐らく、ない。
「……貴方はいったい、誰なの………?」
わたしの掠れた言葉に至の表情がずるりと抜け落ちた。
無。
何も映さない、作り物のような表情は、それはそれは美しかった。
場違いにも、そう思った。
そして、次第に至は時間をかけて人間味を取り戻した。表情を作り出し色を作って口を開いた。
「……そっか、そうだよね、君たちはなんにも知らないんだよね」
「ああ、そうだな、知りたくもないけどな」
白樺三雲のぶっきらぼうな声に至はゆっくりと振り向いた。
「ううん、君たちは知るべきだよ。始まりの魔女のことを」




