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わたしは言葉を失った。



「よう、ブス久しぶりだな」



当番、というのは嘘ではない。

仕事は主に教室を綺麗にすることと日誌の準備をすること。


しかし、そこは名門岐城学園。

その辺の諸々はすでに専門のスタッフが用意済みだ。

わたしが出来るだけ早くから学園に行きたいのは割かし近くにある白樺家の長男と万が一にも学園で遭遇しないためだ。


なんの奇跡だか今だに1度もクラスの被らない奴が何組に在籍しているのか知りたくもないけれど、できるだけ教室に篭もっていれば会う機会もないし、はやく着いてしまえば廊下で鉢合わせもない。



……はずなのだ。


「なんだよ、感動して言葉も出ないのか。

相変わらず鈍いやつだな、おまえ」



固まるわたしの目の前になぜだか鎮座するそいつは紛うことなくわたしが数年間避け続けていた白樺三雲だった。


はははは、と呑気に笑う奴にいつの間にか手が動いたらしい。

腰まであがってきた腕をあわてて左手で押さえ込んだ。



早朝のため教室にはわたしと白樺三雲とその友人らしき男以外、誰もいない。

とはいえわたしは淑女だ。こいつをぶん殴る訳にはいかないし、そもそもなぜか同席している奴の友人は七枝とよばれる7つのひとつに名を連ねる桧木沢家の次男だ。

歴史有る名家、とくに御三家にすら数えられる桧木沢の人間にそんな姿を見せるわけにいかないのだ。



本当であればこんな胸くそ悪い金髪など無視して踵を返してしまいたいところだが、白樺三雲はともかく、桧木沢の次男にそんな無礼な真似はできない。


「ごきげんよう、桧木沢様………………し白樺様」


白樺の名を呼ぶ際にドスの効いた声にならないよう苦心した。どうにか、最低限の挨拶を済ませ、では、と華麗にターンしかけたところで腕を掴まれた。


「待て、桜ヶ丘。話がある」



ぞわぞわぞわと凄い勢いで悪寒がかけめぐり目玉をひん向きそうな形相をしているだろうわたしは奴の腕を凝視した。


長い指が確かにわたしの腕を掴んでいる…。


自覚した途端鳥肌がたちおそらく蕁麻疹が出た。

わかった、わたしは白樺三雲が嫌いなのではない。


白樺三雲アレルギーなのだ。



「ィギャァァァァァア!」


突然奇声を発したわたしに桧木沢家の次男が面食らっているのが視界に入った。


けれど気にする暇もなく腕を振り払い、教室から脱兎のごとく逃げ出した。

………逃げ出してしまった。

あんな可愛げのない奇声を発して……。



あぁ、ごめんなさいお父様、お母様、お兄様、伝統ある我が桜ヶ丘の名をわたしは汚してしまいました。

社交界で白樺と桧木沢が面白おかしく吹聴でもすれば桜ヶ丘の名は地に落ちる。

当代当主の娘は頭がおかしいとかなんとか……。

ただでさえ、白樺三雲にデブだのブスだの言われているだろうに…。




「……終わった…」



逃げ込んだ先の女子便所の洋式トイレに腰をかけ鍵をかけ、両手で顔を覆った。


約、9年ぶりにまじまじと顔を見た。

更に美しくなっていた。

顔は無駄なく整い、切れ長の瞳は吸い込まれそうなブルーグレー。

はちみつ色の髪はさらに濃い色になり朝日にかがやいていた。



そしてあの、小馬鹿にしたような余裕のある笑み………。


「うぁぁぁぁあ!」


思い出すだけで胃が焼けそうでわたしは思わず叫んでいた。拳で太ももを殴りどうにか感情を収めた。



……とりあえず心配していたやつを殴るという暴挙にはいたらなかった。

そこは、よくやった。よく我慢した自分、えらい。


しかし、しかしだ……。


名家として七枝に名を連ねる桜ヶ丘家としてはとんでもない醜聞をやらかしてしまった。


学園だということは、まだいい。

問題は桧木沢だ。

あの男がどんな人間なのかは分からない。

確か、桧木沢家の次男といえば前評判は、人嫌いで冷酷…。


もしかしたら言いふらされるのかもしれない。

けれど、例えばそうでなかったとして、奴に弱みを握られたことには変わりがない。



魔法使いを多く排出する七枝の中で最も熾烈なのは、その魔法使いの奪い合いだ。

魔力は遺伝によるものがその殆どで、つまりいい魔法使いを獲得すればするほどその家は力を強める。

物理的にも、そして地位的にも……。

その中にあって桜ヶ丘の評判が落とされるのはまずいし、わたしが頭のおかしいやつの烙印を押されるのも非常にまずい。


名家というものは往々にして複雑で繊細で汚くてめんどくさいのだ。



「あああ、やってしまった……」



これがもとより、兄の婚姻が上手くいかないかもしれない、もしくは桧木沢と争うことがあれば勝てないかもしれない。

わたしは家に有利な婚姻を結ぶことができないかもしれない。



そもそもあいつは何故あそこにいたんだ。どう考えてもクラスが同じなわけがない。昨日まで違ったのだから。


そういえば、やつは「話がある」といっていなかっただろうか?

話?9年間もあってなかった、別に仲がいい訳でもないあいつが話?

いやいや、嫌がらせか罵倒のどちらかに間違いない。



「……理子様?」


「草間?」


トイレの扉が控えめにノックされて草間の声がする。

わたしは顔を上げて便座から降りた。

なぜ、ここにいることが分かったのだろうか。そもそも草間は学園内の使用人や護衛が待機する部屋にいるはずである。

なにか用事でもあって探していたのか。



とにもかくにもわたしが今すべきことは決まった。



「理子様、どうされたのです?悲鳴が……」


なるほど、そういうことか。

しかしあの無様な悲鳴をきいてよくわたしだと思ったものだ。

複雑な気持ちである。



「大丈夫よ、気にしないで」


「……ですが……」


言い淀む草間に大丈夫だから、と言って笑顔を見せた。

彼女は腑に落ちていなさそうではありながらも、一応は主であるわたしに従いひき下がってくれた。



廊下にはちらほらと人の姿が見えだしてきた。


すれ違う生徒に「ごきげんよう」と笑顔を振り撒きながら心配だからという草間を連れて魔の教室に向かう。

ちなみにクラスは2年2組。


余裕綽々で笑みを浮かべてはいるがその実心臓はばくばくだった。

またあいつがあの部屋にいたらどうしよう。

今度は人の目が大勢ある。次こそ終わりだ。一巻の終わりだ。


鳥肌が立ってきた腕をこっそりさすって、ゆっくり近づいてくる教室に視線を送る。


ざざっと見渡す限り、あの金髪は見当たらなかった。

その事実にほっと胸をなで下ろして、草間に控え室に戻るよう指示した。


彼女は心配そうにやはりわたしを窺ってきたけれどへらりと笑って大丈夫大丈夫〜と流す。


あの金髪と会わなきゃ別になんてことないのだ。

あいつと関わらなければとくになんの問題もない。


草間は最後まで納得はしていなさそうだったけれどどうにか深く例をして去っていってくれた。



草間はわたしの侍女で護衛で姉のようなものだけれど、同時に監視者でもあるのだ。

一日のあれこれの全ては余すことなく記録され両親に報告される。


わたしの悲鳴騒ぎはもうどうにもならない事として、これからわたしがやろうとしていることを両親に知られる訳にはいかない。

なぜならそれは兄に筒抜けになるから。

兄が絡むと複雑なことが更に輪をかけて面倒になる。



「ごきげんよう、理子ちゃん。どうしたの?そんな映画の最初に呆気なくやられるモブの悪人みたいな顔をして」



「ごきげんよう麗華。

なんだその微妙にわかりにくい例えは。……いや、わかるけど」



うふふ、と可憐に笑った麗華に肩の力が抜けた。

柊麗華は七枝のひとつの柊家の末の娘で幼い頃からの親友(少なくとも私はそう思っている)だ。


おっとりしているようで中身は大変辛辣な彼女は情報通だ。

その為学園では割と恐れられていたりもする。


「ところで麗華、桧木沢家の次男とはどこに行ったら会える?

ただし、この時、白樺三雲に接触しないこととする」




麗華は珍しくただでさえ大きい瞳をまるくして驚いた。

わたしが白樺三雲の名を口に出したからか、はたまた質問の内容なのか。




「そうねぇ……なんか面白いことになってそうねぇ。教えてあげるから、私にも何があったか聞かせてね?」


ピンク色の唇がにっこりと歪み、わたしは小さくヒィっと声を上げた。


「桧木沢至は……」




そうして彼女はゆったりと口を開いた。

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