17
「昨日の雪、理子ちゃんでしょう?」
興味津々、といった様子を隠そうともせず麗華はそう言った。
「は、……え?なんのこと、ぅ」
……しまった。
麗華に嘘をついては行けない。
麗華に真実をごまかしてはいけない。
そんなことすら、うっかり頭から抜け落ちていた。
咄嗟に出たはぐらかすような言葉はここが教室の中だからだ。
言った瞬間の吸い尽くされる疲労感に思わず痛む頭を抑えた。
なかなかどうして……いつになっても、親友相手だろうとも手加減のない魔法は、もう彼女の癖になっているからだ。
魔法使いは軽々と魔法の実情を語りはしない。
個人差の多いそれは時に弱点になり、足の引っ張り合いにおいてその内容を知られるということはあまり推奨されることではないから。
七枝ともなれば、注目度が高すぎてお兄様や麗華のように割と認知されてはいたりもするが、わたしの魔法は話が違う。
知られているのは精々、気象の魔法使い、ということくらいなはずなのだ。
なにしろ、わたしは何年もその力を使っていない。
教室中が耳をそばだてている気配がする。
「ごめん、理子ちゃん。ここにいる人間の口止めはしておくから」
「ありがとう」
麗華が自らこんなことを言い出すのは非常に稀だ。さすがにやばいと思ったのか、小声で言われたそれに安心した。
麗華のいう口止めは、本当に“口止め”だから。
正直、わたしの魔法が知れるのは構わない、知られたところでどうということは無い。
知られたくないのはその現状なのだ。
「それで、雪なんて、どうしたの。使えるようになったの?それともなにか、あった?」
心配半分、興味半分。
わたしの顔をのぞき込んだ麗華が小声でそう言った。
学園内のいくつかある温室のひとつ。
扉の前には見張りにつけた草間が仁王立ちしている。
彼女は魔法が使えない代わりに体術に秀でていて、気配に敏感だ。
わたしなんて赤子を捻り潰すどころか芋虫かなにかのように吹っ飛ばせるし。
頼れるお姉さんである。
護衛が護衛しているのだから中にわたしがいるのは一目瞭然であるが、それでも手を出そうとか何かしかやらかそうというのは、つまり桜ヶ丘を敵に回そうというただの馬鹿のすることだ。
「わたしが発動したわけじゃないんだけど、他の魔法使いとか……」
「でも、あれは理子ちゃんよ。あんな広範囲に雪の魔法だなんて気象にも事象にも理子ちゃん以外居ないもの」
……広範囲、麗華の情報収集能力は秀逸だ。
彼女がそういうのだから、恐らくそうなのだろう。
それでもわたしが嘘をついていないということは、と麗華は眉を顰めた。
「……じゃあ、また?」
「ううん、そんなはずない。だって今日はいい天気だし」
「うーん、そうよね…」
もし、またあの状態に戻っていたとして、恐らく今日の天気がいいというのはおかしい。
あの状態、を思い出して懐かしいような羨ましいような、恐ろしいような、悲しいような複雑な感情が蘇る。
あの頃は本当に魔法が好きだった。
魔法というものは魔法使いが魔力を消費して発現する現象のことで両親も麗華も、お兄様も…お兄様はどうなんだろう、よく分からないけれど、とにかくほとんどがそう。
けれど、わたしの魔法は少し違った。
最初は本当に少しのことだった。嫌なことがあったら太陽が隠れるくらいうっすら雲がかかるだとか。
いい事があったら台風がちょっと逸れるとか。
けれど、すぐに、あっという間にそれはエスカレートしていった。
わたしが笑えば空は晴天になり気が伏せれば、曇天に。
泣けば雨が降り、怒れば嵐が起きた。
魔法はどんどん、どんどん強力なものになり驚異的に暴走と呼べるほどになっていった。
両親は必死で隠そうとしてくれていたらしい。
けれど、感情はなくならない。
歳を追うごとに苛烈になるその力にわたしは、もっと色々なことがしてみたい、次は何が起こるのかとどこかワクワクしていた。
親の心子知らずとは、まさにこの事だろう。
いろいろな天気の外に出て駆けずり回るのが好きだったわたしの魔法は一族にあっという間に知れた。
わたしが傷つかないように、その頃もう手をつけられない程の効力を持つようになった魔法が暴走してしまわないように、両親と兄はどれだけ気を使い、どれだけ裏で根回しをしたことだろう。
母の不貞の子だと言われていることなんて知らなかった。一族がわたしを追い出そうとしていることも、本家の家督について議論がされていたことも、知らずにただ、無邪気という傘に隠れて。
程なくして白樺家との見合いが開かれた。
7歳の頃だ。
桜ヶ丘では対処の仕様がなくて、というか気象の魔法がわかる人がいなさすぎて、優秀な気象が多い白樺に頼るという策だったのだと、今ならわかる。
白樺三雲に会って、晴天を大嵐にしたわたしが三日三晩魘され寝込む間中、それは続いたらしい。
そして、目が覚めて嵐は夢のように消えた。
わたしの強大な魔法を道連れにして。
7歳のあの日以来わたしの魔法は感情に呼応しなくなった。
何故か、それ以来二度と、魔法は暴走しなくなった。
魔法が無くなったのかといえば、どうやらそうではない。
半端じゃないほど、寝込むくらいの魔力を消費して嫌なこと辛いことを強烈に思いながら魔法を発動すれば少しだけ小さな嵐を呼ぶことは出来た。
けれど、息を吸うかのように魔法と共にあったあの時とはまるで違う。
あの頃に戻りたいとは思わない。でもあんなに家族を苦しめたあの自分を無かったことにしたいとも思えないのだ。
「昨日、なにかあったの?」
なにか、……なにか、そう、あった。
大有だ。あったじゃないか、ありえないことが。
そういえばそうだった。
「白樺三雲が謝りに来た」
わたしの言葉に麗華は丸い目を飛び出るくらい丸くして、小さく喉を鳴らした。
驚いているのか興奮しているのか、どちらかは分からないけれど高速で瞬きをする。
長い赤茶の睫毛がバサバサと合わさり風でも起きそうなほどだ。
「…ほんとに?」
「…………ほんとに…」
この霊象の魔法使い相手に嘘なんかつけないことくらい、分かっているだろうに麗華はそう言って、うぐっと淑女にあるまじきカエルの潰れたような息を漏らした。
何事かと顔を仰ぎみればどうやら笑いを堪えているらしい。
潤んだ赤茶の瞳のごとく顔が赤くなっていた。
「…あ、あのっ、、残念な、俺様男っ、が?」
「うん」
「ぶふっ」
ついに吹き出した麗華は盛大に笑った。
ぶふっ、はないでしょ、ぶふっは。
仮にも七枝の一員ともあろうご令嬢が。
笑い声もいつものうふふ、とかいう淑やかなものではとてもなかった。
盗賊かなにかかと思うほど下劣なそれにわたしは、割としっかり引いた。
わたしは君のその見た目とのギャップが本当に恐ろしいよ……。
というか笑い事ではない。
正直、あれは夢なのではなかろうかと今も少し思ってたりする。
「それは、雪くらい降るわね!」
「降るか!」
ひとしきり笑い切った麗華は目尻に涙を貯めながらそう言った。本当に見た目は可憐なのに残念でならない。
というか降ってたまるか。こちとら散々な目にあったというのにこれは本当に親友なのだろうか。
じろりと麗華を睨んでみるが彼女はさして気にしていないご様子。
それよりも、あの俺様、唯我独尊、KY男は頭を下げるという知能があったのねえ、とさすがのわたしも言わないような暴言を吐いている。
この人まじで怖い。
この可愛らしい悪魔が、果たして本当にわたしの親友なのかどうかは置いておくとして、とりあえず敵に回してはいけないと再認識した。




