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「ま、ままま待って、草間、待って待って、あれってあの、金髪って…」
やはり、というかなんというかわたしは麗華にまたもや取り憑かれたわけだけれど。
これまた、やはり、吸い尽くされて漸く帰宅すると我が桜ヶ丘家の門前に黒髪と金髪がいた。
黒髪は言わずもがな。
帰宅が遅くなったことを笑顔で咎める兄だろう。
それはいい、それはわたしが悪い。
連絡はしているが、それでも兄は心配性なのだ。
仕方が無い。
それはいいとして、問題は金髪の方だ。
すらりと伸びた背丈に淡い金髪。
あの偉そうな後ろ姿はどう見ても………。
「草間、戻ろう。あ、そうだ、裏から帰ろう!この道はだめ、お願い!」
「ですが、理子様。
ご覧下さい理人様が手を振っています」
「ひぃぃ!」
無常にも止まる車、開く扉、近付く……兄。
「お、おおおおおかえり、お兄様」
「ぅん?ただいまでしょ?おかえり理子。
今日もえらく遅かったね」
お兄様はわたしの腕をとり、さらりとエスコートをした。
車から降りたくなくて両足で踏ん張ってみたが、そのスマートな体のどこにそんな力があるのか、事も無げに引きずり出された。ひぃぃ…
ちょっと待ってお兄様、なんであの男がいるの、うちに!
わたしを降ろしてからいがいにもあっさり離れたお兄様が白樺三雲に近付く。
そうだ!お兄様!追っ払っちゃってください、ほんとマジでお願いします。
わたしの心の声に気がついたのか薄く笑ったのが分かった。
しかし、お兄様が白樺三雲を追い払う素振りはない。まったくない。なぜ?
草間にしがみつきながら隙間から白樺三雲の動向を探る。
なにやら軽くお兄様と会話をしているらしいあの男は、それを終えるとあろうことかこちらに近づいてくるではないか!
なんで!ちょ、お兄様!
「理子、三雲が話があるって。来客を無碍にしちゃあ桜ヶ丘の名がすたるでしょ」
どの口が言うかこのお兄様野郎!
汗がたらたらと流れ続ける。もう嫌すぎて指先も震えるし、上手く言葉も出せないし、多分顔面蒼白だし、金髪を視界に入れられない。
わたしが必死にどうにかお兄様を睨み付けたのを見てお兄様は悲しそうな顔を作った。
「お兄様は悲しいよ理子……。
そんなこというなら俺は先に家に入っとこうかな…。じゃあね、理子、ちゃんと来客を受けてお見送りして帰ってきなさい」
「え!嘘!お、お兄様!ごめんなさい」
お兄様野郎なんてもう言わ……思わないから!
というか言ってなくない?
お願いだから、側にいて!
わたしの半泣きのそれにどこか満足したように微笑んでお兄様は踵を返した。
それから、あろうことか、「行くよ草間」とまで言う。
「え、なんで、嘘でしょ、お兄様…草間は、草間は良いでしょ?」
草間にしがみつく腕を強くすると困ったように眉を下げた草間がやんわりとその腕を解く。
綺麗なお姉さんの草間はこう見えてばりばりの武闘派である。
力でかなう訳が無い。
「申し訳ございません、理子様。
ご武運を………」
ご武運なんて祈らなくていいから側にいて!!
悲しいかな、草間の主はお兄様で、お兄様の命令は絶対だ。
逆らえるわけもない。
心配そうにこちらをうかがいながら去っていく草間と、薄情なお兄様が門に消えるのを絶望しながら見送った。この、お兄様野郎……!
不機嫌そうな表情の金髪がゆったりとした足取りでこちらに向かって来る。
自然と歩が下がってアスファルトざりりと革靴の底がすり減る音がした。
「ごごきげんよう、し、白、樺様。」
来客の相手をしろ、とお兄様はこの金髪相手に、そういった。
追い返す訳には行かない。
とにかく、とにかく、最低限の挨拶をして、用件を聞いてさっさとお帰り願えば問題ないはずだ。
家になど絶対入れるものか断じて。
マナー違反かもしれないが、そもそも勝手に突然やってきたのはそちらだ。
「ああ…」
沈黙。
わたしの2メートル位先で足を止めたのはわたしが後ずさるからだろうか。真意はわかり兼ねるがいい判断だ、金髪。
それ以上近づこうものなら殴る算段だってあるんだからね、こちらには。
だらだらと流れ続ける冷や汗に、ああ、そういえば白樺三雲アレルギーなんだったと思い出した。
「桜ヶ丘、俺……」
「は、話っ、とはなんでしょうかっ」
文頭が裏返った。それはもう華麗に。
思いの外跳ね上がった声量に驚いたのか不機嫌そうな顔が一瞬驚きに歪む。
なんだろう……。
不機嫌というか、いつもの元気がない。偉そうな顎を上げ気味の態度もなりを潜めているし、なにより、自信に満ち満ちた、満ち満ち過ぎたあの表情ではない。
ぶ、不気味だ…。
「桜ヶ丘……話って言うのは、その」
バツが悪そうに顔がそらされる。
グレイの瞳が細まり白樺三雲は、突然その淡い金髪を猛烈に掻き乱した。
「え、え、」
なに、こわい。
あーーー!とか言いながら低い声で唸るとぐしゃぐしゃに乱れた金髪からこれまた、唐突に手を離してこちらに向き直る。
「な、ななななにっ!?」
それから真顔で歩を進めた。ぐんぐん近づくそれに半泣きになりながら後ずさるがもたもたしているうちに、冷たい大きな掌に捕まった。
「ひぃぃ!」
「今までごめん!」
「いやぁぁあ!」
白樺三雲がなにか言葉を発したのとわたしが鳥肌を量産して目の前の顔面を殴るのはほぼ同時だった。
それもグーで。
仕方が無いじゃないか、混乱していたのだもの。
「っ」
「え?」
………いや、仕方がなくない。
顔からサーーっと血液が落ちていくのが如実にわかる。
いや、サーーっ、どころではない、ボトボトくらいの勢いで。
さすがにやばい。大変なことをした。
七枝の、白樺家の、次期当主を、殴った。
それもグーで、だ。
いや、殴る算段だってあるとは言ったけど(言ってない)殴りたかったわけじゃないんだよ?
なんか、こう、反射的に、だって、パニックだったから。
というか、近づいてきて手なんか、握るから……。
いやいや、理由にならない、なんだろう桧木沢至といい、わたしの手は呪われていたりするのだろうか。
あれ、というか、この人いまなんて言ったっけ?
あれ?………確か………。
今、まで、ごめん………?謝った………………?白樺三雲が?…………いやいや、ははは、そんなまさか……。
というか、殴ってしまったけどわたしはこいつに消されるのだろうか、それとも社交界での社会的な死を意味するのだろうか。
ああ、どちらにしろ、もう終わったに違いない…。
「…………そこまで、俺が嫌いだったんだな……。
変な勘違いしてて、悪かった」
「はぃ?」
今度こそ、今度こそ、きちんとそれを聞いた。
白樺三雲は確かにそう言ってぺこりと頭を下げた。
下げたのか下げてないのか、よく見ないと分からないくらいに一瞬、ではあったが、それでも確かに。
それでも確かにあの、プライドでガチガチで重そうな頭を下げた。
「………じゃ、それだけ、だから」
白樺三雲はそう言ってすっかり日の落ちた道に消えていった。
わたしはそれをぽかんとしながら見送り、そして、しばらくぽかん、とし続けた。
心配した兄が迎えにこなかったら1時間くらいはそうしていたかもしれない。
それから、どこか、どこかでぼんやりわたしは思ったのだ。
…………どうしてここまで白樺三雲が嫌いなのだろう。
その日、初夏だというのに、なぜだか街に季節外れの粉雪が舞った。




