15
白樺三雲は途方に暮れていた。
桜ヶ丘家の荘厳な純和風の門前でウロウロとしながらたまに発狂しそうな苛立ちをどうにか飲み込んで。
いつの間にか出てきた使用人は6人に増えた。
増えはしたが、傍目に見ても不機嫌そうな白樺家の次期当主に二の足を踏み近づくことが躊躇われる。
別に何をする訳でもない、七枝の次世代を担う予定の彼はただ、門の前をうろついているだけなのだ。
守衛は4度、話しかけたがその全てを無視されている。
無視、というのはまた少し違うか……白樺三雲はなにやらぶつぶつ呟きながら、恐らく聞こえていない。
日は大分傾き初夏とはいえど辺りはオレンジ色に染まっている。
夕刻ともなればどうしたって、誰か本家の人間が帰ってくるはずであるが、悲しいかな偶然にも今この屋敷には主人をはじめ、本家家族、家令、執事、判断を下せそうなものがいなかった。
途方に暮れるのは使用人も同じである。
早く誰か帰ってきてくれ、と彼らは願っていた。
そして、出来れば桜ヶ丘時期当主、桜ヶ丘理人以外の人が良いと……。
「おや?もしかして、もしかしなくても……三雲、どうしたんだ。うちに何か用かな?」
素早く振り向くと満面の笑みで、しかし獲物を前にしたような獰猛な黒の瞳がこちらを訝しんでいた。
にやりと裂けるように開いた口の隙間から鋭利な八重歯が覗く。
端正な顔立ちに怪しく浮かんだ笑みに戦慄する。
メディアで見かける彼はもっと、こう…優男の仮面にその凶暴さを上手く隠しているはずだ。
それを隠す気がないのか、これでも取り繕っているつもりなのか、どちらにしてもタチが悪い…。
丸見えの、さながら肉食獣のようなそれに、鈍い悲鳴が漏れなかったのは僥倖だった。
背中に嫌な汗が垂れる。
誰かがやってくるだろうとは思っていたがこの人は最悪のパターンだ。
気がつくと、先程までこちらを伺っていた桜ヶ丘家の使用人達が軒並み退散している。
つまり、この人がいれば事足りると、そういう事だ。
「……理人さん、お久しぶりです」
「そうだね、三雲、それで?何の用、かな」
分かっているくせにこの人はいつもこうだ。
この人の視界に入った時点で見透かされて、なんでも、もう分かっているくせに。
実を言うと何度かこの屋敷を訪れたことはあった。目的はもちろん婚約者……と思っていた人に会うためで、しかし、その度にやってくるのはこの人。
「何の用かな?三雲」
からはじまり、2時間ほどくどくどと痛いイヤミを言われて追い返されるのが常である。
………意地が悪い。
額からたらりと汗が垂れたが気にしている余裕が無い。
この人は本当の強者だ。
「貴方の妹君に……謝罪に」
謝罪という言葉を言葉にするのをプライドが邪魔して躊躇わせた。
しかし、一度口にしてしまえば、それは意外にも、不思議とすんなりと受け入れられそうだ。
そんな自分に自分で、驚いていた。
桜ヶ丘理人はわざとらしく驚いた表情を作り乾いた笑いを作り出す。
この人のこういうところがとてつもなく苦手だ。
こちらに意思は見せないくせにこちらの意図を全て握られている、その状況も。
「ふぅん、なんの謝罪?9年前のこと?それともずっと、婚約者面していたこと?」
「どちらもです」
「それなら学園で話せばいいだろ、今日も理子は登校したし、今もまだ学園から帰ってきていないよ」
……くそ、という言葉をどうにか呑み込んだけれど、その代わりにぐっとくぐもった呻き声が漏れた。
とことん、傷を抉るような問をするこの人は溺愛する妹へ自分が仕出かした罪を許す気は無いのだろう。
それは仕方の無いことだと思う。
そして同時に、何故こうも傷をえぐるような衝撃、と自分が感じたのかが不思議だった。
「……学園で何度か会話をしようと試みましたが避けられているみたいなので」
「まあ、そうだろうな」
……じゃあ聞くな。という言葉が喉元まで出かかったが寸での所で呑み砕いた。
それから、しかしこれもどうせ彼には筒抜けな訳だから、意味が無いなと思い直す。
それなら言えばよかったか……いや、言ったところでこの人に勝てる見込みがないし面倒くさい。
ふぅと小さく息を吐きなるべく、感情を抑え込む。
何がいけないって、この人の前で感情的になることがいちばんいけない。
彼はそれを面白がっているふしもあるし、楽しませてやるのはさすがに癪だ。
「三雲も大人になったね」
にこりと微笑まれてぞわりと背が粟立った。
一見優しそうなこれも、またある意味、嫌味である。
自分で気がついた訳では無い、人に言われて漸く勘違いに気がついた自分への。
好かれていると思って生きてきた自分への。
彼の真意は分からないが彼の人柄から鑑みてそれは恐らく正しい。
その証拠に理人というこのとんでもない魔法使いは笑みを深くした。
「理子に謝りたいんだっけ?いいよ。どうぞ。」
拍子抜けするほど呆気ないセリフに耳を疑った。
有り得ない、そんなわけが無い。
この人ならばボコボコに殴った挙句記憶を消して、簀巻きの上さらし者くらい平気でしそうである。
つまり、こんな簡単にいくわけがない。
何か、企んでいること山の如し………。
「三雲の中で俺ってどんななんだよ。失礼だな」
「心象の、すごい魔法使いで、病的シスコン、ですかね」
もう読まれるなら、別に隠す事もない。
口の端を上げて言ったセリフに目前の魔法使いは眉を上げた。
「へえ……。そういうのは嫌いじゃない。
もともと白樺家との婚姻は理子にとって悪い話じゃないし、桜ヶ丘的にも悪くない。
かと言ってお前のようなアホに易易と理子をあげる気にもならないけどね。
まあ、いいよお前が自分でどうにかするなら、好きにしたらいいさ。
白樺家も理子が欲しいんでしょう?
別段、応援もしないけど。
……ああ、兄として可愛い妹が傷つくような未来なら全力でお前を潰すけどね。」
にこり。
優男の仮面を被り直したらしい彼が人好きのする笑みをうかべてそう言った。
脅しのようなそれ、だとしても、どう考えても裏がある。
裏はあるだろうけれど、それをこの人と探り合うほど自身を過大評価した愚か者にはなりたくない。
…………今は、この人の掌で踊るしかない。
返事をする代わりに、苦心してどうにか小さく頭を下げた。
婚姻とか結婚とか、正直したいのかと言えば分からない。
考えたことも無い。
政略結婚するんだろう、としか思っていなかった。
家のためにはそうすべきなのだろう。
白樺家としてはそうして欲しいに違いない。
じゃあ、何故俺は……?
なぜ、桜ヶ丘の屋敷にまで来たのだろう。
この面倒くさい人に絡まれるに決まっているのに、わざわざ。
桜ヶ丘に謝りたかった。
そう、ただ、謝りたかった。
謝るべきだと思って。
俺はあいつが俺のことを好きで照れているのだとばかり思っていた。
俺は婚約者で距離の近い、気安い関係だと思っていた。
けれど、それは俺の方だけだったらしい。
そう思うとなにか寂しいような気もする……。
寂しい?何故。
だから、とにかく、俺の態度は馴れ馴れしくて桜ヶ丘は嫌だったのだろうか。
昔言った言葉も、嫌だったのだろうか。
別に間違ったことを言ったつもりも毛頭ないけれど。
それならば俺は謝らないといけない。
気が付かず、桜ヶ丘を傷つけていたとしたら。
────三雲は理子ちゃんが好きなんだよ。
至の声が脳内を半鐘する。
好き?まさか、そんなんじゃない。
俺は、ただ、あいつに、謝りに……。
この場に経つまでに何度も何度も重ねた自問自答に無理やり決着をつけた俺を桜ヶ丘理人がどんな顔で見ていたかなんて気にする暇はもちろんなかった。




