11
ガラッ
勢いよくひいた椅子が存外に激しい音を立てた。
クラス中が萎縮する空気を感じとってか、とらずか白樺三雲が無言で立ち上がる。
白樺三雲は不機嫌だった。
まあまず、この妙に繊細な心の持ち主が上機嫌ということがそうそうないけれど。
彼は朝が強くない。
強くないにも関わらず、慣れない早起きをしてあの日のように2年2組の教室を張っていた。
そもそも遭遇すること自体が稀すぎる桜ヶ丘理子があの時間にはいた。
恐らくかなり早くに通学しているのだろう彼女に、なにもすることなんてないだろうに、一体何が楽しくて……と思わなくもないが、とにかく話をするために待っていたのだ。
それが、来なかった。
ギリギリまで待っていたというのに彼女は現れなくて、白樺三雲は鈍色のオーラを纏いながら退散する羽目になった。
そこで気がつく、婚約者のはずの桜ヶ丘理子と接触する術がない。
文明の利器たる携帯電話に彼女のアドレスも番号も登録されていない。
さらに言えば、彼女が携帯電話を持っているかすら知らない。
近頃、何もかもが上手くいかない。
というか自分のペースに持ち込めないことが非常に屈辱的でイライラする。
けれど、どうしてもあいつと話をする必要がある。
……どうしてもだ。
昼休み、立ち上がった白樺三雲はそのまますたすたと歩き教室のドアに手をかけた。
「どこ行くの、三雲」
途端に向けられた単調な声音に苛立ちが加速する。
「どこでもいいだろ」
「理子ちゃんなら今日休みだよ。体調が悪いみたい」
教室の気温が下がった。
と、感じたのは恐らく三雲以外の全員だっただろう。
至はこっそりとほくそ笑む。
「なんで、お前がそれを知ってる。
そんで、なんで、俺がお前に教えられなきゃなんないんだ」
予想通り、ズカズカという効果音が着きそうな乱暴な足取りで机の前に陣取った友は苛立ったように顔を近づけた。
至の何を考えているのか分からない鳶色が淡く細まったのを三雲は見逃さない。
どこか、面白がっている風なこの友人のこの態度が殊更苛立ちをくすぐる。
「言ったでしょ、三雲。
僕達は友達だからね、その程度のこと聞いてるんだ。
あと、なんで君が僕に教えられるのかって?君が知らないからでしょ?」
つり上がっていく三雲の眉と比例して緊張感が高まっていく。
学園の高等部でたった4人しかいない七枝の本家の人間が、どうしてわざわざこの4組に2人も集まっているんだ、ふざけるな、というのが恐らくはクラスの総意だろう。
そして、さらにいえば、どっかよそでやってくれ、だ。
「はいはい、三雲、まあ座りなよ。
別に僕はきみの敵ってわけじゃないんだから。
みんな、ごめんね、この暴君のことは気にせずお昼いって、ほらほら」
面倒くさそうに告げられた言葉にクラス中はまさに蜘蛛の子を散らすが如く、散った。
御三家の言葉に逆らうようなやつはまずいない。
それに、今回のことでいえば救いの一言である。
安寧を得たクラスメイト達が今頃、外でため息を吐き、ぶつぶつ文句のひとつでもこぼしている事だろう。
素早いその動きに至は感心し、我、関せずと言ったふうな三雲は隣の席にどかりとかける。
こういうところは妙に素直だ。
三雲のさながら王者のように偉そうな態度は、至と三雲が出会った頃から全く変わらない。
友人は良くも悪くも実力主義、目に見えるものしか信じない。故に盲目的。だからすれ違う。
目に見えるものしか信じない彼が魔法使いとして優秀だというのはなんだか矛盾していて笑えるが、そんなわけで、彼は魔法使いとして格の高い家の息子だろうが気なしないらしい。
だって、今はまだ桧木沢の実績は自分にないから。
そう、その通りだ。 理にかなっている。
ある意味、単純、野性的、おもしろい。
「なんで?いいじゃん、理子ちゃんに友達ができるの。何が問題?今までと何が違う?」
「別に……なにも」
「じゃあなんで、そんなイライラしてるの?」
三雲は不快そうに押し黙った。
何も気づいていない、何も分かっていない。
自分の感情が彼にはわからない。
もちろん彼女の気持ちも。
恐らくただ、なんとなく上手くいかないことに癇癪を起こしているだけだ。
どうしたいのかさえ。
なぜ、婚約者に彼女があてがわられたのか。
ただ家同士が懇意にしていて、たまたま同い年でたまたま、と思っている彼には。
確かに偶然ではあるだろう。しかしその本質を恐らく彼は、そしてきっと誰もまだ知らない。
「だから言ったじゃん、三雲。後悔することになるって」
彼のプライドが傷ついただろうか?
業火のような憤怒を灯すグレイの瞳に至は嗤う。
どうとでも、動いたらいい、騰けばいい。
興味も何もあったものではなかった。この世界のすべてがどうでもよかった。
けれど、たまたま、偶然見つけた、それはこの友人のおかげか。
見つけた、見つけられた。見つけることが出来たのは僥倖。
この盲目的な友人に感謝するべきだ。
だから教えてあげることにしよう。
「三雲、君ね理子ちゃんの事が好きなんだよ」
グレイの瞳が見開かれる。
ビー玉のようなそれにぞくぞくする。
「でね、今のままじゃ結婚できないよ君たちは」
「何言って……」
「理子ちゃんね、僕が貰うことにしたから」
この手足達はどう動くのだろうか。
楽しみだ。楽しみで仕方がない。
でも、けれど、だって、僕が見つけた時点でゲームオーバーだから。
────────
「へぐしゅんっ!」
「あらあら、もっと可愛いくしゃみ出来なかったの?理子ちゃん」
「で、できなかったでつ…」
豪快にぶちまけたくしゃみに実の母親は若干引いていた。
言っておくけれど、鼻水とか、ヨダレとか出てませんから。(飛沫は知らない)
ちーーんと鼻をかんでみるけれど、風邪ではなさそう。
お母様に「風邪?」と聞かれてううん、と答える。
兄がいなくてよかった。
仕事であの後さっさと出ていった兄に聞かれれば無理やり風邪だと診断されて要らぬ看病のフルコースだ。
兄はあれやこれや世話を焼くのが好きらしいから。
それにしても、今朝の兄はなんだか様子がおかしかった。
桧木沢至相手にさすがのあの兄も緊張したのだろうか?
逆に言えばお母様の気にしなさが異常だったけれど。
明日はようやく待望の土曜日。
家でゴロゴロしよう。
お菓子を食べ………いや、食べたら負けだ。
だめだ、リバウンド、だめ、絶対。
何して過ごそうかな、と思っていたところでふと気がつく。
そういえば、兄と出かける云々の話はいったいどうなったのだろう。
忘れているかな?忘れてたらいいな、面倒だし。




