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寝坊した。



いや、しかし、遅刻はしていない。

普通に準備して朝食を食べても余裕で間に合う時間ではある。


ではあるけれど、いつも起きる時間より1時間も遅く起きてしまった。

これでは早めに通学することは不可能だ。

今日は金髪警戒レベルを最大に設定する必要があるな。



例の一件以来早寝早起き、ニキビ撲滅運動に勤しんでいるわたしとしては些か、ショックである。


やはり、昨日寝る時間が遅かったのがいけなかったのだろうか……。


今日の夜はいつもよりちょっと高いパックをしよう。


朝パック中に髪をブローしながら決意する。疲れた顔のわたしが鏡から覗き込んでいて、パックをしたままの不気味な白塗りでにへらと笑ったら、当然、気持ち悪い笑みがかえってきた。


なにが、きつかったって、それは兄のことも当然あるけれど、1番は麗華のあれだろう。


体力と情報と羞恥心を根こそぎ持っていかれた……。


兄はあれでも手加減してくれていたように思うし。





(理子ちゃんお友達が来てるわよ)


頭の中にお母様の呑気な声が響く。

いいな、わたしもこういう便利な魔法が良かったよ、気軽に使えるし、心象だし。


はぁ、とため息をついて化粧室を出た。


麗華のやつ、昨日あれだけしぼりとったにも関わらず、他に何が知りたいんだ……。

どんだけ強欲なのだあの守銭奴め。

本当にわたしは彼女の親友なのだろうか?なんか疑わしくなってきた……。

まあ、それでも、貴重な唯一のお友達であるのだけれど。




だらだらとリビングを覗いてみるが、麗華の姿はない。

いつもであればここにいるはずなのだけど。

となれば、これは珍しいことだけれどゲストルームで兄とゲームでもしてるのかもしれない。


麗華はあの兄にボードゲームを挑むキチガイである。

もちろん、勝算……というか、下心あっての事なわけで、お兄様は割と嫌がっている。

なにしろ勝手に聞こえてしまうとはいえ、ただで情報を奪われることを良しとしないのがあの守銭奴の性だ。



ゲストルームに向かうと扉の外に母の話し声が漏れていた。

あ、そういえばパックしっぱなしだった。

まあ、いいか、麗華だし。

ケアを怠ってテカテカTゾーンはお断りだし。



「麗華ー、ごめんだけどすごい疲れてるからお兄様の写真あげるからそれで許して……」



「あ、理子ちゃんおはよう」



わたしは目を疑った。

部屋着でパックをしたままで扉を開けて、固まった。



…………ん?




そこにいるはずの赤茶のふわふわ髪の美少女はいない。代わりにアッシュブラウンを適度に整えた綺麗な顔の男性がソファに座し、優美な所作でティーカップを机に置いた。



「あらあら、理子ちゃんったら、なんて格好で…」



「ひっ、……え?え、……え?!」




またしても血の気がなくなる。

いったい、いつまでわたしは、顔面蒼白な日々を過ごせばいいのか。

とりあえず、回らない頭で顔面からパックを引き剥がした。



多分、もとからそうなのだろうすこし眠たそうな瞳でにこやかに微笑みながら顔横で小さく手を振っていた至がさっと顔を背ける。


肩がかすかに小刻みに揺れていてわたしは絶望した。



ああ、誰かわたしを殴って気絶させてくれ。




母が桧木沢家の次男の訪問を無碍にできないことは分かる。

友達ですぅー、あらそうなの?上がって上がって〜とかいう会話がされていたであろうことも想像に固くない。

だからといって、お母様……伝えてくれるなら桧木沢至さんが、とかあるでしょう……。お友達っていわれたら、そりゃ……。


「だとしても、パックしたまま来客を受けるのは感心しないよ」



「はい、すみません……」



いつの間にかわたしの後ろにたっていた兄が、ナチュラルに心の声に参加してきた。

至極、当然である。

あの麗華であろうとも、気を抜きすぎていたことは確かだ。ごめんなさい。


お兄様の魔法って、こういう時便利だよね…いいな、わたしもどうせならこういう魔法がよかったなあ……。

いや、でもやっぱり、終始ひとの心の声が聞こえるのはキツイわ。



「理子はそのままでいいよ。理子の魔法は素敵だよ」


「褒めてる?」


「褒めてる褒めてる」



兄はわたしをするりと避けて至の前に出た。

変態という殻の上に、にこやかな優男風の仮面を被ったお兄様が颯爽と頭を下げる。

右手には灰銀のシンプルな指輪だけがかがやく。

魔力封じの指輪はなし。

臨戦態勢である。


…………ああ、なにもかも、なにもかも知られてしまうんだろうな……。

わたしの奇声とかわたしの奇声とか、わたしの奇声とか……。


「これはこれは、お初にお目にかかります。

桧木沢至様、妹がお世話になっているようで」


「やめてください。貴方のような偉大な魔法使いに頭を下げられるような人間ではありません。

どうぞ、家のことなどお気になさらず。

僕は貴方を尊敬しています。もっと気安く話して欲しいです」



余所行き装備の兄の笑顔が一瞬だけ歪んだ。……気がする。

対する至は少しだけ重たそうな瞼の下の鳶色を楽しそうに細めていた。


「……では、お言葉に甘えて。早速だけれど桧木沢至くん今日は何用で?」


「貴方の妹さんと一緒に登校しようかな、と思いまして」



至がちらりとわたしに目を向ける。

え?と目を丸くしたわたしに気がついたのだろう、彼は首を傾けて親しげにやんわりと笑う。



「妹と友達になってくれてありがとう。

せっかくだけれど、妹は実は今日体調が悪くてね、学園は休ませるつもりなんだ。」


ね、ほら見て?顔色が悪い。といって笑顔の兄が促す。

突然に漆黒と鳶色と、そしてお母様もこちらに視線を寄越して「あらあら、ほんとね」とのんびり宣った。


「……はい?」



なんだか途中参加させられた会話に訳が分からなくなっているところでお兄様の漆黒が圧力をかけてきた。“黙っていろ”という言葉がしっかり浮かんでいるその瞳に、ひいいと心で喚いて、その通りに押し黙った。


お兄様はどうしたのだろう。


対人、交渉で負けることはまずない彼であるというのに、なんだか何故だか、どこか、おかしい。


とりあえず兄の欺瞞に信憑性を持たせるためにゲホゲホと咳き込んでみたが、別に必要ではなかったらしい。

兄が笑顔で睨むという高等技術を披露してきた。


余計なことをしてごめんなさいと心で呟いたが反応はない。

けれど、きっと聞こえてはいるだろう。



「そうですか……それは残念です。

理子ちゃんお大事に、じゃあまた、月曜に。

また遊びに来てもいいかな?」


正直にいえば「いや、ちょっと無理」といいたいところだけれど、言えるわけもない。


返事をせずに曖昧に微笑んで誤魔化す。


というか、信じちゃうんだ。

わたし、顔色悪いのか、確かに顔面蒼白だったろうけど。

あ、それにそういえば、わたしには病弱設定もあるには、あるんだった。


「わざわざ来てもらったのにごめんね。学園まで送らせるよ」


「ありがとうございます。ですが、外に車を待たせておりますので、お気持ちだけ」


至はやはり優雅な立ち振る舞いでただしく礼をして去っていった。


わたしは「また学園で」の学園で、という部分を非常に強調して見送り、手を振った。

どうしてわざわざ、家に来たんだ。

どうせ登校となれば車になるのに。車二台で行くつもりだったのか、それともどちらかの車に乗っていくつもり?

それこそ10分やそこらでつくだろうに、なぜ。


心の底からやめてほしい、というか家を知っていたことにもびっくりである。

……あれかな、白樺家とわりと家が近いからかな。



なにはともあれ、嵐が去った。




どうやら今日のところは休校が確定したらしいわたしはぼんやりしながらちらりとお兄様を見て、2度見した。

目が、飛び出していたかもしれない。


それほどに驚いた。


お兄様は無表情に至の去ったあとを見つめていた。

常に優しい……かどうかは別として笑顔標準装備の兄の無表情は割と珍しいのだ。





「母さん、父さんは?」



「朝早く、仕事にいったわよ」


「そっか……。母さんは桧木沢のこと知ってる?

例えば何の魔法使いか、とか」


「んーとね、確か当主様は気象、奥様は事象だったかしら?

ご長男の綴さんは事象、至さんは気象、と聞いたことがあるわ」


「普通だね」


御三家に数えられる名家だと言う割には普通だ。

つい零れた言葉にお母様が「よくあるわよねえ」と同意する。


そもそも親が魔法使いだったとして、子供も魔法使いである保証はどこにもない。

魔法使いはそれ自体産まれにくい。

血筋を独占する上流階級ですら、魔法使いの数は多くない。

そしてその中で一番多いのが気象、次に事象、そし霊象、最後に心象である。

魔法使いはその性質のため、まず自分の魔法を明かさない。

自分が何の魔法使いに分類されるかも積極的にわざわざ語るものでは無い。


心象しか混血を許さず、心象しか生まれない(はずだった)桜ヶ丘はその中でしたら異端なのだろう。




「気象?……まさか、理子、桧木沢至は、あれはいったいなんだ?」




神妙な顔のお兄様の問いにわたしは答えることが出来なかった。








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