1
その日は晴天だった。
祝い事に相応しい正しく、ハレの日。
その日、優しいレモンイエローに淡い桜の花びらが舞い踊る可憐な着物に身を包んだ少女とライトグレーのスーツに身を包んだ少年が会合した。
金髪にグレイがかった瞳を持つ少年と黒髪黒目の少女は実に対象的であった。
齢7歳になったばかりの2人の隣にかけた両親は微笑ましくなんてことはない、世間話に花を咲かせる。
少女はこれが自分の婚約のための顔合わせであることを知っていた。
つまり向かいに座る少し不機嫌そうな金髪の少年は未来の旦那様となる訳だ。
彼の母親が同じ色の髪と瞳を持っているから母親に似たのだろうけれど、少女は金髪の男の子を見るのが初めてだった。
顔つきもまるでおとぎ話の王子様のように綺麗で繊細で美しい。
こんな人が自分の夫となるのかと少女の胸はときめいていた。
こんな綺麗な人と一緒になるのだと────。
「は?婚約者って、コレ?無理。ぜっったいいやだ。なんで俺がこんなブスと結婚しなきゃなんないんだ。絶ッ対にムリ!これだけは無理!無理ーーー!!」
少女は何を言われたのか分からなかった。
そして両親は固まり、向かいに座る彼の両親は顔を真っ青にしていた。
「……ぶ、ブス?………むり?」
唖然としたまま、震える唇でなんとか声を絞り出すと不機嫌そうな顔が更に苛立ったように鋭くなる。
外ではあの晴天が一変、黒い雲が料亭の上空を覆い、ぽつりぽつりと雨が降り出す。
綺麗な彼の周りで青白い電気のような線がぱちぱちと音を立てて爆ぜていた。
「お前の事だよ!お・ま・え!え、鏡見たことねえの?よくその顔でこんなとこ来れたよな、このブスっ」
ザァァァァ
突然の大雨に鳥達の声が響く。
対照的にシンとした室内で少女は気を失った。
これが少女──桜ヶ丘理子と金髪の少年白樺三雲の出会いである。
「うわ…またこの夢、何回目だよ…。
思い出したら腹たってきたわ。くそ三雲」
この夢にうなされて飛び起きるのは一体何回目だろうか。
汗ばんだネグリジェをぱたぱたと揺らして風を入れ、あっつ、と呟いた。
9年前、初めて出会った席でのあのでき事はまさしく青天の霹靂であった。
転機としか言い様がない。
プライドを粉々に破壊し、地獄の底まで突き落としたあの憎き白樺家の長男を恨む気持ちはそれはそれは大いにあるが、同時に感謝もしている。
何故なら、あの頃の自分は間違いなくブスだったのだ。
本当に三雲少年に言われた通りに。
裕福な家庭で才能にも恵まれていたからなのか、褒められることしかなかった。
常に“ご褒美”を与えられ褒めちぎられていた。
好きな食べ物はチョコレート。
その結果は着実に身体に顕現していたといえば分かるだろうか。
ぽっちゃり、じゃ収まりきらなそうなふくよかな体型と8歳ながら現れ始めたニキビ。
誰にも何も言われないので伸ばしっぱなしの髪と眉。
外で元気よく駆けずり回るせいでがさつそうに見える焼けた肌。
今考えれば酷い有様であった。
確かに初対面であれと結婚するのよ、と言われればキレるのもわかる。
やつは正しい。
けれど、自分では本当に全く、欠片も気が付かなかったのだ。
桜ヶ丘家の令嬢という確固たる地位を持つ自分にああだこうだとうるさく言う人間もいなかったし、自身、うるさい連中を黙らせる能力を持っていた。
そしてそれは魔法に興味を持ったことによってぐんぐんと高められていっていた。
大抵の人間は文句など言えまい。
何よりは身内だ。
両親も使用人もみんなが可愛い可愛いと猫っ可愛がわりした。された自覚がある。
確かに素直で人懐っこく、努力家のこどもはかわいかっただろう。……自分で言うのもどうかと思うけれど。
つまり、顔や見た目の造形云々ではなく良い子であいらしかったのだ。
更に1番の戦犯は兄である。
4つ年上の兄、理人はそれはそれはわたしを溺愛していた。
口癖のように理子はかわいい、可愛すぎる、天使かよ、可愛すぎて不安などと口走りそのままでいい、そのままがいちばんかわいい、チョコか?お菓子か?お兄様がなんでもあげるよ、言ってごらん、とそれはそれは甘やかしたのである。
そんなこんなで漸く、もしかして自分の容姿は不細工なのではないか?と疑い始めたのは、気を失い魘されながら三日三晩が経過したあとだった。
兄や身内にその疑問を投げかけても埒があかなかった為、学園で1番の親友に問うてみた。
「え?理子ちゃんは豚じゃな…あ、ブスじゃないよー。まあ、私がこうなれって言われたら死ぬかもしれないけれど」
答えはこうだった。
笑いを堪えながらおっとりとそう言った親友……多分親友に漸く気がついたのだ。
ああ、やばいな、と。
それからは、地獄の日々が始まった。
間食を断ち、食事は野菜中心に。
毎朝の早朝ランニングに入浴後のヨガとマッサージ。日々の肌と髪のお手入れ。
はじめ、それはとんでもない苦痛だった。
なんてことはないにしろ、甘やかされてきた身体と精神にその意識高い系女子のような生活は辛かった。
いきなりにいろいろと始めたせいかストレスのせいか熱を度々出し、頭には十円ハゲが出現した。
両親は怒り半分でやめるように言ってきたし、兄に至っては部屋を同じにすると駄々をこね(どうにか拒否したが自室の鍵は排除された)、終いにはやめてくれと泣きついてきた。
デブ専なのか、ブス専なのか、変わる必要なんてない理子はかわいいとしきりに訴えかけてきたけれど、その全てをどうにか無視し、どうにか3年間それを続けた。
その結果体重は平均よりも少なくなり食生活の改善と運動、日々のお手入れのおかげで顔もあの頃よりは見えるようになったと思う。
まあ、だから今のわたしがあるのはこんなことを言うのは心底腹が立つけれどやつのおかげであるわけだ。
辛くても挫けなかったのはひとえにやつへの憎しみと怒りがあってのことなのだから。
あいつのあの日の見下したような馬鹿にしたような声音と表情を思い出し、誘惑に打ち勝ってきた。
その間白樺家のおばさまとおじさまは幾度となく我が家を訪れ謝罪をしてくれた。
別に2人は悪くないのに、わたしはおじさまとおばさまが大好きだ。
諸悪の根源、白樺三雲にはあれ以来会っていない。
同じ学園に通っているのだから見かけることはあるけれど、わたしは全力で、全身全霊をかけてやつを避けていた。
やつと顔を合わせようものなら、あの日の蔑んだような馬鹿にしたような顔を思い出し引っぱたいてしまうに違いない。
一応は名家、桜ヶ丘家のご令嬢として通っているのだ、そんな姿を学園で晒す訳にはいかないし、そんな事で人生を棒に振る気もない。
「はぁ」
あの夢を見たあとは決まってひどく憂鬱になる。
あの日、そしてあの日以前のわたしは黒歴史と言ってしまって彩色ないし、そもそもあいつがきっかけというのが気に食わない。
「おやおや、どうしたの。俺のかわいい理子。ため息なんてついて」
「おはようお兄様。なんでもない。ついでに言うとお兄様のものになった覚えもありません」
「ぐすん、 理子が冷たい…。反抗期なの?」
「お兄様、17歳になっていまだに兄にべったりというのはそちらの方が問題だと思う」
「えーー、そんな世界いやだなあ。俺に優しくない」
自室の扉を開けた途端に現れた兄にもう、驚くことはない。
いつからそこにいたのだ、とか、なぜため息をついていたことが分かるのか、とかそういうことを兄相手に考えても無駄である。
後ろから多い被るようにひっついてきた兄をそのままに、気にすることなく廊下を歩く。
重いと言えば重いのだけれど彼は聞く耳を持たないマイペースなので好きにさせておくのが吉だ。
「ねえねえ、また痩せたんじゃないの?あんなにがんばる事ないよー、理子はそのままで十分可愛いのにー」
「お兄様のそれはブサイクな犬を可愛がるのと同じよ」
「えーー、そんなことないのにー」
兄はぶつぶつといいながら、階段の前でようやく離れてくれた。
どうやら階段を一緒にころげおちる気はないようで安心した。
無駄に装飾の多い螺旋階段を早足で降りる。
なぜ、我が家はこんなに装飾過多なのだろう。
外見はいかにも、な古風で和風な屋敷なのに装飾はやけに繊細で異国風なものばかりだ。
どう考えてもお母様の趣味であるが少女趣味っぽすぎてどうかと思う。
わたしの部屋もひらひらふりふりのアンティークに溢れているし。
わたしの私服もお母様の趣味でゴリ押しされているし…。
幼い頃に着物しか着れなかったストレスが噴出しているとしか思えない。
ということはわたしは大人になったら和風で落ち着いたテイストのものを好むようになるのだろうか。
「お早う、理子」
「おはよう理子ちゃん。まあ、もう着替えてしまったの?
可愛いお部屋着の理子ちゃんも見たいのに…」
「おはようございます。お父様、お母様。
今日はあまり、時間が無いの、当番なの」
「また当番なのかい?昨日もだっただろう?…まさか、虐められてたりするの?俺の可愛い理子を虐めるなんてどこのどいつだよ」
「お兄様、当番は週替わりなのよ。あとお兄様のものになった覚えはありません」
後ろからついてきた兄を適当にあしらいながら席に着く。
同じ学園の卒業生なのだから知っているくせに兄は直ぐにそうやってことを大きくしようとするから面倒くさいのだ。
その後も何やかんやと言ってくる兄を交わしつつさっさと食事を済ませた。
「あ、理子…あのな、し」
「父さん、理子は急いでいるっていってたでしょ。理子、早く行かないと遅刻してしまうよ。」
お父様が、なんだかもごもごと、それでいて意を決したように口を開いたがお兄様はそれを笑顔で黙らせた。
何を言いかけたのだろうか。
気にならないこともないが、言いにくそうにしているということは十中八九面倒くさい厄介事に違いない。
それにお兄様はゴーイングマイウェイではあるけれど、確かに大抵はわたしの味方である。
その、お兄様が遮るということはこれはもうとてつもない面倒事だ。
うん、聞かなかったことにしよう。
珍しく早く学校にいけと、促してくれた兄に素直に乗ることにした。
わたしはご馳走様でした、と手を合わせ。
メイドの草間にカバンを預かり、靴を履き玄関を出た。
「理子様、本日はお早いのですね」
「そうなの、なんだかお兄様が隠し事をしているみたい」
「はあ、それは厄介そうですね」
「そうでしょ?けれど面倒くさいからあえてこちらからはつつきたくないわ」
草間はわたしの言葉に呆れ半分に相槌を打った。
メイド兼護衛の彼女とはかれこれ12年の仲になる。
主従というよりは、姉のように勝手に感じてしまっている。
そもそもたかだか名家の娘ごときに護衛が必要かどうかという話ではあるが、魔法使いの多い上流階級では割とすぐそばに命の危険があるものなのだ。
「けれど、まあ……気は抜かない方がいいですね」
草間は車に乗り込む前にぽつりとそう言った。
そして、わたしはその言葉を殆ど聞き流してしまっていた。