第7話 嘘
翌日、つまり日曜日。雪と蛇は公園でウサギを待っていた。
相変わらず、伸び放題の草は風が吹くたびに音を立てて揺れている。その光景は、寂しさを可視化したもののように感じられた。
「どう思いますか?」
「どうって、何が?」
「ふざけてるんですか? 一つしかないでしょう」
「あの女の子のこと?」
「そうです」
「それならそうと、最初に言えばいいのに」
「言わなくてもわかるようなことは、省略しても問題ないと思うのですが」
蛇のペースに飲まれてはだめだ。雪は自分に言い聞かせる。
この蛇は、何でもない会話でも面白さを求めるようなところがある。それが、「夢中になれるものを見つける」という未練を解消したいがための行動なのかはわからないが、雪からすればいい迷惑である。
「言わないと分からないかもしれないじゃないか」
「本当にわからなかったんですか?」
「いや、わかったよ。今話すことといったら、一つしかないからね」
雪は頭を抱えそうになるのを抑えた。
「何事も曖昧なままにしておくと、よくないことが起こるかもしれないからね。覚えておくといいよ」
「あのお母さんもそんな感じでしたね」
ああ、そうだね、と蛇が言う。
ちゃんと話をしていれば死なずに済んだかもしれない、という女性の言葉を思い出していた。言葉には出していなかったが、自分が殺してしまった、と感じているように見えた。そのくらい後悔しているのだろう。
「あの家、必要以上に物が多い気がしなかった?」
「やっぱりそうなんですか?」
なんとなくそんな感じはしていたが、家にある物の量の平均など知らない雪は「こんなものなのか」程度に考えていた。だが、蛇もそう思ったということは、やはりそういうことらしい。
「絵とか植物とか、さすがにあれは多すぎるよね」
「短い時間に家族が二人もいなくなったんですから、寂しかったんじゃないですか?」
改めて昨日見た部屋を思い出してみると、大きく開いてしまった穴を無理やり埋めているように思えた。空になってしまったコップに、水も牛乳もジュースも、何もかもを注いでしまうのではないかと感じさせるような、そんな雰囲気があった。
「さあ、どうだろうね。僕にはわからないよ」
「彼女の気持ちを想像することくらいはできるでしょう」
「想像することしかできないんだ。他人が何を考えているかなんて、絶対にわからないよ」
絶対にね、と強調するように蛇が言った。
「やはり、そうなんですかね・・・」
そう言って、雪は考え込んでしまった。
しばらくの沈黙の後、雪が口を開いた。
「そういえば、あの子はチョコを捜すためにこの世に留まっているんですよね?」
「多分、そうだと思うよ」
「そのチョコはもういないのに、あの子の未練は解消できるんですか?」
「・・・さあ、どうなんだろう」
「どうなんだろうって・・・」
もしチョコがこの世にいないとなると、いよいよ状況は絶望的になってしまう。そんな理不尽なことがあっていいのか、と思った。そして、そんな理不尽なこともあるのだろうな、とも思った。
「でも、仮にチョコも未練を抱えてこの世に留まっているとしたら、まだ大丈夫なんじゃないかな?」
「人以外でもそうなることってあるんですか?」
「・・・さあ、どうなんだろう」
「どうなんだろうって・・・」
どこかで見たことのある流れだ、正夢か、と思ったがそんなことはない。数秒前の会話を繰り返しているだけだった。
「でもね、コミュニケーションが取れないだけで、動物にも感情とか思考とかは存在すると思うんだ。虫にも、植物にもね」
だから、人以外が幽霊になることはないとは言い切れないよね。そう言った。
それなら、と。雪には疑問に思うことがあった。
「もし人以外が死んであなたみたいにこの世に留まることになったら、どんな姿をしていると思いますか?」
「そりゃあ、生前の姿じゃないの?」
「でも、あなたは人間だったのに、今は蛇の姿をしているじゃないですか」
「・・・え? どういうこと?」
まったく想像もしていなかったことを言われた。そんな様子だった。
「君には、僕が蛇に見えるの?」
「どこから見てもそうでしょう。真っ黒だから模様とかはわからないですけど、シルエットだけ見れば蛇以外には見えないですよ」
「そうか・・・。視点に違和感があるとは思ったけど、そういうことだったんだ」
「気付いていなかったんですか?」
「鏡にも水面にも、僕の姿は映らないからね。・・・ん? それじゃああの女の子は・・・。ああ、そうだ。ウサギの形をしていたね。気付かなかった」
自分の姿がわからないというのは、面白いものだ。雪は思った。
変化しているのは自分自身なのに、それを確かめる術がないのだ。
「いやあ、よかった。君が言わなかったら、ずっと気付かないままだったよ」
「知らなくても問題はないんじゃないですか?」
「自分のことなのに知らないことがあるって、嫌じゃない?」
それもそうですね、と言った雪は、新たな疑問が浮かんでいた。
「どうして人の姿じゃないんですかね?」
少し考えた後、蛇が口を開いた。
「死んだ後も人でいることに、どこかで嫌がっているんじゃないかな。未練を抱えてこの世に留まっているような存在だからね」
「あなたはどうなんですか? もう人間は嫌だ、とか思ったりします?」
「素晴らしい質問だよ。実は僕、生まれ変わったらなりたいものがあるんだけど、聞きたい?」
「いえ、大丈夫です」
面白くないなあ、と不満そうに言った蛇は無視することにしたらしい。
それにしても、と雪は考える。この公園に来たのは、こんな雑談をするためではないのだ。
「遅いですね・・・。昨日はもっと早かったと思うのですが」
昨日、ウサギがこの公園に来たのは、9時30分ごろだった。現在は、すでに10時を過ぎている。
「もしかしたら、もうここには来ないのかもね」
蛇がそんなことを言った。
「どうしてですか?」
「昨日の様子を見た感じだと、僕たちに一緒に捜させることに抵抗があるみたいだったからね」
「私たちに迷惑がかかっていると思っているみたいでしたからね」
「いや、それもあると思うんだけどね・・・」
蛇が何かを考えるように、言葉を切った。
「ほかにも何か理由があるんですか?」
「たぶん、なんだけど。自分の未練は自分でどうにかしたいんじゃないかな。僕が今まで会ってきた死者も、そういう傾向があった気がするんだ」
「へえ、そうなんですか」
「それに、君の言葉を受けて、もっと離れた場所を捜しに行くだろうからね。そうなったら、僕たちに迷惑がかかるかもしれないっていうのが強くなるだろうしね」
もうウサギに会えないかもしれないとなると少し寂しい気もするが、彼女自身が決めたことなのだから自分が出しゃばることはないだろう、と雪は思った。
「ああ、それと。あなたに一つ聞きたいことがあるんですが」
思い出したように言った。
「私、生前のあなたに会ったことがありますよね?」
少しの沈黙の後、いつもと変わらない様子で蛇が言った。
「さあ、どうかな? 少なくとも、僕は生きているときに君に会った覚えはないよ」
蛇が嘘をついているということは、雪にもわかった。
結局、正午になってもウサギが姿を見せることはなかったため、雪は帰宅することにした。
公園から自宅へ向かう途中、前から誰かが歩いてくるのが見えた。距離が近くなると、昨日チョコを捜しているときに話を聞いた二人であることが分かった。二人も雪に気付いたらしく、足を止めた。
「昨日はありがとうございました」
「いやいや、そんな大したことはしてないよ」
「チョコは見つかった?」
「実はあの後、飼い主の女の子のご家族に話を聞いたんですけど・・・」
雪はその先の言葉を続けるべきか迷ったようだったが、こう言った。
「少し前にチョコは見つかったそうです。衰弱していたようですが、今はもう元気になったと言っていましたよ」
二人はその顔に驚きの表情を浮かべた後、心の底から安堵したように笑った。
「よかった・・・。無事だったんだね」
「きっとあの子も、天国で安心しているでしょうね」
そうですね、とだけ答えた。
「どうしてあんな嘘ついたの?」
二人と別れた後で、蛇が尋ねた。
「私が言わなかったら、あの二人はこれからもずっとチョコを捜し続けるんですよ? 絶対に見つからないのに」
「そうじゃなくて、本当のことを言ってもよかったんじゃない?」
雪はちらりと蛇を見て、すぐに視線を外した。
「『人生には、知らないほうがいいこともある』と。あなたが言ってましたね」
それを聞いた蛇は、少しだけきょとんとしていたが、
「その通りだよ!」
楽しそうにそう言った。
そのあとに、小さく「そんなこと言ったかなあ・・・」と呟いたのを、雪は聞き逃さない。




