第9話 思い込み
「いやあ、やっぱり人って成長するんだね! 雪がここまで注意深くなっているとは夢にも思わなかったよ。喜ばしいことだね」
「私を馬鹿にするのか喜ぶのか、どちらか一つにしてもらっていいですか?」
帰宅の途中、いつもの道を歩いている雪は、肩の蛇とそんな会話をしていた。
「馬鹿にする? 僕が雪を? いやいや、そんな馬鹿なことはしないさ。本気で雪の成長を祝っているんだよ。ケーキなんか準備して、パーティーでも開きたい気分だね」
「そういうのを、馬鹿にしているって言うんですよ」
いつもよりほんの少しだけ不機嫌そうに雪が言った。
「それに、あなたが自分の正体を隠せていると思っていたことに、私は驚いています。声を変えようとか話し方を変えようとかは考えなかったんですか?」
「慣れないことをすると、すぐにぼろが出ちゃうからね。それに、5年も経てばさすがに忘れてるかなって思ったんだけど。そういえば雪は意外と記憶力がよかったんだった。『教科書を暗記すれば、テストなんか楽勝だ』とか言ってたね」
「そういえば、あなたと会ったあの日は、勉強会に参加していたんですよ」
あなたが思っているほど私の学力は高くないんです、と雪は言う。
「記憶力に頼りすぎていたせいで気付いていませんでしたが、私には応用力があまりないようなんです」
「そんなことないと思うけどなあ」
何がそんなことないのだろか。考えようとしたが、すぐにやめてしまった。
それにしてもさ、と蛇が話を変えるように言った。
「水香も言っていたけど、雪のその話し方、やっぱりおかしいよ」
「水香にも言いましたが、人と話すときはある程度の距離を保つ必要があると感じたんですよ」
「僕とか水香とかと話すときも?」
「水香はともかくとして、今私が一番慎重に接するべきはあなただと思うんですけどね」
「僕は『あなた』じゃなくて光希っていう名前があるんだけどな」
「あなたが光希だと、確証が得られたわけではありませんから」
「水香を信用していないの?」
「そういうわけではありません。ただ私の目では、あなたが真っ黒な蛇にしか見えないというだけですよ」
少しも引かない雪に、思わずというように蛇が笑った。
「本当に、そういう頑固なところは変わってないよね。話していてすごく楽しいよ」
「それはよかったです」
「雪が決めたことなら僕がどうこう言うこともないね。ただ、そういうことなら僕も『君』と呼ぶことにしよう。このままだと僕が一方的にアプローチしているみたいで、悲しくなっちゃうからね」
なんでも構いませんよ、と興味がなさそうに雪が言った。
「それで、今まで何も言わなかったのは、何か理由があったりするんですか?」
蛇が自分の正体について雪に何も伝えていなかったのには、何か理由があったのではないか。そんな風に思ったらしい。
「理由かあ・・・。そうだね、君には何も言わないほうが面白くなりそうだなって思ったからかな。それか―――」
意地悪く、少しの間を置いた。
「それか、君が余計なことを思い出さないようにするための、僕なりの優しさの結果かな」
雪の足が止まった。その目には、わずかながら怯えが含まれているようだった。
肩の蛇に目をやると、蛇の黒色が一瞬だけ強く、深くなったように雪は感じた。
「あなたが」
自分の声がいつもより低くなってしまっていることに、雪は驚いた。声がうわずらないようにと意識はしていたが、抑えすぎてしまったようだ。
「・・・あなたが私のことを恨んでいて、殺そうと考えているなら、もちろん私は嫌だなんて言うつもりはありません」
それが自分の望んでいることなのかもしれない。そんなことを考えながら雪がそう言うと、蛇はいつもの調子で笑っていた。
「おかしなことを言うね。急にどうしちゃったのさ。僕が君を恨む? 殺そうと考えているって? 君が何を勘違いしているのかはわからないけど、そんなことこれっぽっちも思っていないよ」
雪は黙って蛇の話を聞いていた。
「それに、君は僕に対して何か罪悪感を抱くようなことをしたの? 僕は君にそんなことされた覚えはないけどね」
覚えていないわけがない。なぜなら、それは雪が光希と最後に交わした会話なのだ。あれを会話だといっていいのか迷ってしまうような、一方的なものだったが。
「勘違いも何も、私はあなたに―――」
「思い込みの激しい人間には、いつか必ず良くないことが起こると、僕は思うんだ。その思い込みが原因でね」
雪の言葉を遮るように、蛇が言った。
「どんなことでも客観的に見るのって、すごく大事なんだ。覚えておくといいよ。でもまあ―――」
雪のほうを見ることもなく、続けた。
「君にはそれができないから、こんなことになっているんだろうけどね」
雪は何も言わなかった。それは、何も言う必要がないと感じたからでもあるし、何も言うことができなかったからでもある。
蛇の言うとおりだったのだ。
無言のままの雪を見て、蛇は苦笑いした。
「・・・こんな話をしていても面白くないね。今はもっと目の前の問題について話そうよ」
先ほどまでの影響もあってしばらく黙っていた雪だったが、何とか口を動かした。
「目の前の問題と言うと、彼に頼まれたことですか?」
「そうそう、それだよ。二人で探すのは大変そうだって思ったけど・・・」
嬉しそうに蛇が言った。
「一緒に探してくれそうな人も見つかったしね」
「・・・相談しろとは言ったけどね。まさかその日のうちに呼び出されるとは思わなかったよ」
呆れたように水香がそう言うのも無理はないだろう。
時刻は午後7時半。場所は大通りから離れた、虫の鳴き声しか聞こえないような場所だった。
「しかも夜にね」
蛇が付け足した。
「宝探しは人数が多いほうが、効率がいいと思ったのですが」
「私は、今から宝探しをするってのも初めて聞いたんだけど」
今から1時間前、水香のもとにかかってきた電話の内容は、場所、時間を指定して、「遅れないように来てください」というだけのものだったのだ。
あまりに短縮された指示に呆れつつも、しっかり5分前には指定の場所で待っていたあたりが、彼女らしいといえるだろう。
「宝探しというか・・・。まあ、物を探すのには間違いないんですけど」
「それはなんでもいいけど、何を探すの? 雪が何か落としたとか?」
「私のものじゃないです。ある人に頼まれてしまって・・・」
3日前、ウサギが生前に住んでいた家を後にした雪たちがあの二人の男女と別れた後。蛇がそいつを見つけたことが、水香が呼び出されることになったそもそもの原因だろう。
蛇が、「あ、あの人」と言って視線を向けた先にいたのは、どう見ても人ではなかった。
真っ黒な体を持つそれは、犬を捜していたウサギよりも二回りほど大きい。赤い二つの光の上には、丸みを帯びた三角形が確認できる。耳だろうか、と雪は考えた。後ろで左右に揺れるものを見て、察しがついたようだ。
「キツネ、ですか? 本物を見るのは初めてですね」
「あれを本物といっていいのかは、怪しいところだね」
「あの人がどうかしましたか?」
「そうそう。ウサギの女の子のことは人に聞いたって言ったと思うんだけど・・・」
蛇が事故に詳しい理由を訊いたとき、そんなことを言っていた気がする、と雪は思い出していた。
「その聞いた人って言うのが、彼なんだよ」
そんな会話をしていると、キツネがとことこと近づいてきた。
「いつだったかのあんたか。久しぶりだな」
キツネが発したその声は、少しだけ雪より若いと思われる少年のものだった。
「やあ、久しぶりだね」
「どうも、初めまして」
キツネは蛇から雪に視線を移してこう言った。
「あんたは俺のことが見えているのか?」
「ええ、見えますよ。暖かそうな体ですね」
雪の言葉に、キツネは首を傾げた。
「何を言っているのかわからないが・・・。まあいい。生きているやつがいるのは好都合じゃないか。なあ、あんた。あの時の話、忘れてないよな?」
最後の質問は蛇に対してのものだったらしい。さほど間を開けずに、「もちろんさ」と蛇が答えた。
「話って何ですか?」
「僕が事故の情報を教えてもらう代わりに、彼の頼みを聞くっていうことになっていたんだよ」
交換条件ってやつだね、と蛇は説明した。
「その頼みって何ですか?」
「それが、僕もまだ聞いていないんだよ。『またいつか話す』って言われてね」
「あんただけに頼んでも、あまり意味はないからな」
「生きている人の助けが必要ってことですか?」
「まあ、そうだな」
「それで、君の頼みって何なの?」
蛇がそう訊くと、少しだけ考えるような素振りを見せた後、キツネが言った。
「探してほしいものがあるんだ」
それは犬じゃないですよね? と思わず訊きそうになるのを、雪は抑える。




