プロローグ
ちょっと変わった日常はいつもこんな感じでやってくる。
──何か困ったことがあったら食堂裏のベンチに行ってみろ。
それはサークルの先輩から聞いたちょっとした噂話だった。
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「…食堂裏のベンチ、ってここ、だよなぁ」
俺は普段近寄ることのない食堂の裏に来ていた。
お世辞にも綺麗とは言い難いその場所は、枯れ葉や鳥の糞で汚れていて、出来れば長居はしたくない空気を醸し出している。
うえ、と声を出しながら、ポケットから先輩に渡されたメモを取り出す。
「銀縁フレームの眼鏡に長い前髪…」
書かれた言葉を一つ一つ読み上げて、ぐるりと辺りを見回した。
いくつかあるベンチの一つ、大きな銀杏の木の下にその人物ははたして居た。
白色のワイシャツに黒いズボン。瞳が長い前髪と顔に合わない大きな眼鏡で隠されている。
右手で分厚い文庫本を持ち、左手でページを捲っていた。
酷い猫背で、少しだらしない印象を受ける。
隣には綺麗な男が座っていた。美少年、と言えばいいだろうか、大学生にしては幼い顔立ちではあるが確実に美しい造作の男だ。
眼鏡の人物にたまに視線を走らせながら、彼も文庫本を手にしていた。内容は頭に入っていなさそうだったが。
「すみません」
眼鏡の人物に声を掛ける。反応がない。
むっとしていると、隣の男が苦笑した。美形は苦笑しても美形だ。羨ましい。
「ごめんね。コイツ、集中すると人の話耳に入らないみたいで。谷村に何か用?もし後でも良いなら伝えておくよ」
眼鏡の人物は谷村というらしい。そこで俺は相手の名前すら知らなかったことにやっと気付いた。
谷村を紹介してくれた先輩は名前を教えてくれなかったのだ。
俺は美少年の言葉に首を振った。
「いや、谷村さんに直接話を聞いてもらいたいんです」
「…ふぅん?」
「あ、俺は社会学部一年の末廣諒太って言います」
つい、あ、と言ってしまった。
あ、とかえー、とか言うのを止めたいと思っているのだが、なかなか止められない。
美少年はにっこり笑った。
「末廣くんか。俺は芹名智仁。医学部の二年だよ」
「芹名さん、っていうんですね。珍しい名字」
「そうかな?末廣くんは谷村に何の用?」
「噂を聞いて来たんです」
「うわさをきいてきた?」
芹名は知らない言葉でも言っているように俺の言葉を繰り返した。
たどたどしい口の動きと、あどけない表情が相まって、幼い顔が更に幼く見える。
「谷村さんの噂です」
「谷村に噂があるの?」
「知らないんですか?」
「うん。どんな噂?」
「"困ったことがあったら、食堂裏のベンチに行ってみろ。そこにいる名探偵が必ず解決してくれる"」
先輩に言われた言葉をそのまま言うと、芹名は瞳を大きく見開いた後、盛大に吹き出した。
けらけらと笑う彼にこちらが戸惑ってしまう。
「そりゃ…大した噂だね!名探偵か、凄いなぁ!」
「え、違うんですか!?」
「あっははは!うん、違わないんじゃないかな?」
芹名はまだ笑いが収まらないらしく、顔を覆ってひいひい言い始めた。
ここまで笑われるとどんな反応をすれば良いのか分からなくなる。俺が立ち往生していると、静かな声が響いた。
「…君は、うるさいな。もっと静かに出来ないのか」
強く、硬質な声。凛としたその音が空気を割いた。
谷村がこちらを見ていた。
長い前髪の隙間から癇の強そうな双眸が覗いていた。
病的に白い肌と黒が強い虹彩をもつ瞳とのコントラストが妙にこちらを落ち着かない気分にさせた。
「谷村さん」
「………誰だ、君」
それが谷村が俺に初めて掛けた言葉だった。
ゆるゆる書きます。
少しでも楽しんでくれる人がいたら嬉しいです。