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いつ眠ってしまっていたのだろう。
村のこと、国のこと、世界のこと、そして、これからのこと。
寝る前に考えていたことを思い出す。
私に、出来ること。
銃を持っているだけの、ただの人間でしかない私が、この世界に来た理由。
正直、適正なら他のプレイヤーの方が圧倒的に高かったはずだ。ファンタジー小説を嗜むわけでも、RPGをプレイしているわけでも、ミリタリー知識が豊富なわけでもない私より、適性の高い人間はどれだけでも居る。
突然違う世界に来てしまって、何をすればいいのか。何をしたいのか。そういうことが分かる人間を呼ぶべきなのに、どうして私なのだろう。
何せ、私はただの学生だ。いや、正確には「学生だった」か。
確かにゲームをプレイして、チームをトップチームと呼ばれるのに相応しいところまで上げることができた。それでも、自分の力など大したことはない。
あくまで動いているは他人で、私は指示を出すだけだ。
全く銃を撃たないわけではない。場合によっては率先して前に出ることもあったし、囮として敵を引き付け先に死ぬこともあった。足りない穴を埋めることができなければ、自分がその穴に収まる。そういうプレイを続けているうちに、それなりにスコアは伸びた。それでも、一人でその成績を出せたわけではない。
私の発言を信じ、動いてくれる皆が居たからだ。
しかし、この世界には誰もいない。もしかしたら他の場所に居るかもしれないが、世界の規模すら分からない状態で、他のプレイヤーに会うのはどれほどまでに難しいか、考えなくとも分かる。
そして、明らかに適正のない私がここに来ている以上、作為的な抽出ではないとも思える。あえて世界に馴染みづらい人間を選ぶのが得策な状況は、思いつかなかった。
だから、知る必要がある。何をすればいいのかを。
だから、考える必要がある。何を求められているのかを。
やりたいことなどない。親に決められたレールに沿って生きてきた私には、夢なんてなかったのだから。
だから、見つける必要がある。この世界で、何をしたいのかを、だ。
「とりあえず、昨日言ってた鍛冶屋に連れて行くけど……それでいいかい?」
朝食を取りながら、彼女はそう口にする。
鍛冶屋。銃を専門で作るほどの工場などがないのなら、板金技術のある鍛冶屋がそれを賄うのは当然だろう。
戦争には使われない、武器としては狩猟にしか使えない飛び道具。この世界の人間は、それをどう評価しているのだろう。
「よろしくお願いします。あと、本屋とか……図書館はありますか?」
この世界の文字は、日本語だ。言葉だけではなく書き文字も。
この家にある本を少しだけ読んでみたが、彼女の趣味であり職業でもある服飾関係に偏っており、あまり有益な情報は得られなかった。
それでも、書き文字が日本語というのはありがたいことだ。これでミミズが這うような文字を見せられても、簡単に覚えられる気はしない。
都合が良すぎる、そう感じたのは間違いないが、そもそも足が動かないはずの私が、自分の足で歩けているだけ充分に奇跡だ。最初にそれを体感している以上、多少の都合の良さは気にならない。
銃のように、作為的な何かを感じなければ、だが。
「本屋に、図書館ねえ……」
そう言うと、彼女は顎に手を当て少し考える。
一言で答えられない時点で、この村にはそれがないと、検討はつくのだが。
「本屋は毎月行商が来るから、そこから選んだり、希望の本を頼んで翌月に持ってきてもらったりだね。まあ辺境の田舎だから、このあたりじゃそんなもんよ。大きな町に行かないと、図書館はないんじゃないかねえ」
「一番近くの町は、どのくらい離れてるんですか?」
「馬で一日もかからない距離にあるが、ただあそこは――寄らないほうが良い」
そう言うと彼女は、口をつぐむ。自らの口から言いたくない理由は、明らかだ。
彼女が、元いた町なのだろう。
娘が流行病に罹った町。田舎の村に引っ越す原因となった町。確かにそこに、人を案内したくはない。
その気持ちは当然のことだ。
「この近くで、私一人で行っても生活できそうな町は……ありますか?」
「うーん、そうだねえ」
彼女はそう唸ると、棚から大きな地図を取り出す。
縮尺が分からないが、この村が端にあるというところから見ると、恐らくこの国全体の地図だ。
広い国土に疎らに村や町があり、中心につれて密度は上がっていく。そして極めつけはその中心。
この村から一番近くの町までの距離よりも、遥かに広い有人区画が存在する。
「ああ、この中心が王都だよ」
視線を察知したのか、そう教えてくれる。
王都。つまり、王族の住まう都。この国は王政ということか。
やはり、時代が分からない。電気があり、銃があり、下水システムが備わっているのに、剣や弓で戦い、王族が土地を支配する。あちらの世界でそのような組み合わせになったことは、歴史上一度もないだろう。
戦争に使われる武器は進化せず、国民の生活基盤だけが著しく成長している。偏った知識を持つ誰かが、偏った知識だけで技術の進歩を促しているような、そんな違和感。
「行くとしたら、ここかね」
彼女が指を指したのは、この村からはそれなりに離れている。
ここと王都の中間あたりだろうか。王都と比べると遥かに小さいが、他の町に比べると相当に広い。
しかし、問題がある。
「ここまで、どうやって行けば……」
思わず口から漏れる。隣町まで馬で1日なら、彼女の指した大きな町へは、馬でも1週間はかかるだろうか。
そもそも、当然のように距離の単位で使われる「馬で」という言葉も分からない。馬は一体時速何キロで進み、1日にどれだけの距離を走ることができるのだろうか。地図にはキロメートルの目盛りなどない。
「自分で馬乗っていくか、行商に荷物と一緒に運んでもらうか、かねえ」
「荷物と?」
「そうそう、自分で馬に乗れなかったり荷物が多かったりしたら、大きな馬車で来る行商に便乗することもあるんだよ。勿論有料だがね。行商も傭兵とかを連れてるから安全は保証されるが、目的地まで乗せて貰えるかは交渉次第だし、自分で馬に乗る数倍の時間がかかる。旅の道連れはできるから、一人旅よりは寂しくないだろうがね」
確かに、それは選択肢として充分に考えられる。人が居ればそれだけこの世界の情報を収集することができるし、戦争をしている中一人で旅をするよりかは圧倒的に安全だ。
しかし、運賃の問題もある。一体いくら請求されるのかは分からないが、その額を私に稼ぐことができるだろうか。
この世界では役に立たない勉強しかしていない私にとって、お金を稼ぐというのは考える以上に難しい。
知識が役に立たない。何のスキルがあるか問われても、役に立ちそうなスキルは特に持ち合わせていない。勉強漬けの生活から一変し、ゲーム漬けの生活になっただけなのだから。
「けど、お金がないですね……。この村で、私にできる仕事を紹介してくれそうなところは、ありますか?」
「兵士以外の余所者が来る土地じゃないから、この村に特に仕事はないんじゃないかねえ……まあ、肉体労働くらいならあるだろうが、女には紹介してもらえないと思うよ」
手詰まりだ。
昨日否定したばかりだったのに、早速、手持ちの武器を売って金にすることを考えてしまう。しかし、適正価格で売れるだろうか。
ただ、やはりそれ以外に思い当たらない。
「お金は……なんとかします」
「そうかい。まあ少しなら援助できるが……」
「今ここに泊まらせて貰ってるだけで、充分です。準備ができたら出ますので、それまでの間お願いします」
「ああ、分かったよ。片付けたら、鍛冶屋に向かおうか。けどそこからは、あたしも店番あるからね、一人で居て貰えるかい?」
彼女も、この村で生計を立てている一人だ。小さいが、それなりに立派な服屋だ。引っ越してきて一から店を作るのは、相当苦労したに違いない。
そこまで彼女に面倒をかけるわけにはいかない。寝床と食事だけで、充分だ。
「はい。村を見て回りたいとは思ってたので」
「まあ狭い村だけどね。あんたくらいの世間知らずなら、それなりに楽しめると思うよ」
世間知らず。その言葉が、突き刺さる。
この世界だけではない。私は、あちらの世界でも世間知らずだったのだ。自分で電車に乗ることもできない。バスにも乗れない。自転車には乗れるはずだが、普段は往復で送り迎えがあったから、数年間乗っていない。
勉強以外のことを、考えたこともない。必要とされたこともなければ、一人で外食することもなかった。
学校にも、友人はほとんど居なかった。どうしても進学のことを考えると、クラスメイトというのは大学の少ない枠を争う敵同士であり、その図式は1年生の頃から明らかだった。逆に言えば、志望が全く違う場合は仲良くなれるものだが、友人と遊んでいる時間など、私にはなかったから。
それが世間知らずでなくて、何なのだろう。
「村に何があるのかくらいなら、鍛冶屋に行くまでの道で教えるよ」
そう言うと彼女は朝食の片付けを始める。話し込んでしまい、食事が終わってもそのままだったのを、すっかり忘れていた。
再び手伝う間もなく片付けられる。私は座って、お茶を飲むだけ。このお茶は、麦茶だろうか。お茶の味を意識したのは、はじめてかもしれない。これまでは、色のついた水としか思っていなかったのだから。
迷彩服を脱ぎ、彼女に用意してもらった服に着替える。流石服屋というべきか仕立ては完璧で、これを全て手作りしているというのだから、驚きだ。
手縫いではなく、ミシンはあるようだ。どちらにせよ、針に触れたことすらない私にとって、ミシンの構造など分からない。世界が違っても同じものは作れるのか、という程度だ。無論、同じかどうかも分からないが。
「じゃあ、行くとするか。と言っても、5分もかからないがね」
そう言う彼女に着いて行く。勿論、銃を持って。