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「……まぁ、こうなるか」
「多少は予想してましたけどね……」
弓を構えようとするロレンソを手で制し、オトカワと二人で落ち込む。
馬車の周りには銃を手にした男が11人。ロレンソ一人で切り抜けられるとも思えないし、馬車に隠れているナディアを思うと、撃たれることだけは避けたい。
幸い無警告で発砲してくることはないようだが、今まさにこちらには11の銃口が向けられている。
何故、どうしてこんなことに。
話は3時間前に遡る――
◇
「ファラに着いてからの行動は決まってんのか?」
「あー、そういえばどうしましょうね」
「嬢ちゃん、案外無計画タイプだよな……どうやってそれでHMHのリーダーやってんだよ……」
「私が一番向いてただけなので……」
「唯一計算ができたから王になったスパルタの王様みたいになってんぞそれ……」
フェムを出て13日目。ファラを前に最後の休憩をしているところ、オトカワとそんな話をする。
無計画と言われても、実際ファラに着いてからのことをあまり考えていなかったのだから仕方がない。私は情報が足りない状態で思考に没頭するようなタイプではないのだ。
敵の戦力、状況、その他諸々を考慮した上で最速で最善を選ぶことは得意だが、Eurocorpsの行動が分からない以上、考えられることはほとんどない。後手に回って行動するつもりだったのを無計画と言われればそれまでだが、私はこれでも大局を見ているつもりだ。
「実際、相手の反応待ちなところが大きいですし」
「それで対応出来るんだから指揮官の器はあるんだろうが、俺、そんな指揮官に従う勇気ねえよ……お前のチーム、凄かったんだな……」
「いやいやそれほどでも」
「褒めてはないからな!?」
身を乗り出して否定されてしまう。実は私もそう思っていたから、上手く返答ができずに黙り込む。
私のチームのメンバーは、私の指示を聞いてくれたのだ。どれだけ個人の戦績が落ちようが、最終的に勝つための捨て石になることを拒まなかったし、制限のある文字チャットを使い続けてくれた。
私の、全ては私の我儘だったのだ。勝つために死亡回数を重ねることも、自殺してまで情報をチームに回すことも、ボイスチャットを禁止したことも。
全ては我儘だ。反発なんてなかったし、きっと彼らは、私がチームリーダーでなかったとしても、同じ対応をしてくれたことだろう。
居心地の良いチームだった。
今はそのチームはない。
私と、ナディアと、ロレンソと、成り行きで着いてきたオトカワの、たった4人のチームで、私は戦うしかないのだ。
未知の敵、Eurocorpsと。
この世界にチームメンバーが居れば、一人でも居れば、また違ったのかもしれない。
けれど、彼らは居ない。私の知る彼らは居なく、ここに居るのは現地人が2人と、プレイヤーが2人だけ。戦力が足りないにも程があるが、これでやるしかないのだ。
国落とし、戦争終結。それらにどれだけの協力が得られるか分からない。これからのことなのだから、もっと戦力は増しているかもしれない。
それでもこの場、Eurocorpsとの邂逅において、使える駒は4人だけ。
絶望的だ。だが、戦争を終わらせるのに比べたら、どれだけ容易いことだろう。そう思えば、なんとかなるような気がしてくるのだ。目標を高くしすぎて、それに至るまでの道が低く見えているだけだとしても。
「で、どうすんだ? そろそろ出発するつもりだが」
「とりあえず、無闇に銃は撃たないこと、かな? ロレンソもね。撃たなきゃ死ぬ状況にならない限りは攻撃禁止、Eurocorpsがどれだけ居るかは分からないけど、戦力的に見たら間違いなく私たちより上なんだから、真正面からやり合って勝てる相手じゃない」
「ま、それもそうだな。決めるのはそんくらいか?」
「ですね。後はその時次第で」
「指揮官こんなんで日本ランキング2位になれるんだから、俺達の1位もあんまり凄くなかったんじゃないかと思えるよ……」
オトカワのその言葉が届いたのは、きっと私だけだろう。
保存食を残すわけにはいけないということで残り物で軽めの昼食兼作戦会議を終わらせ、たった4人のチームはファラへと向かう。
覚悟も何もしないままに。
◇
それで、冒頭に戻る。いや、ほとんど説明できなかったような気がするが、実際、ここに至るまでの道で特筆すべきことはなかったのだ。
ファラに入り、まずは馬車を置いて宿を取ろうとしたところで、銃を持った男に囲まれただけのこと。
最初に思ったのは、「バレるの早くない?」だが、このくらい行動が早くないと交渉相手にもならないとも思える。合計で何人居るかもわからないチームだが、ロッキーが警戒するほどの集団なのだ。独自の情報網を持っていて当然。
「えーと、ご用件は」
男に向かって声を出す。この言葉は、英語か何かに翻訳されて彼らには聞こえているはずだ。
見覚えのある迷彩服に、揃いのベレー帽、銃は全員FA-MASで統一。この世界において、同じ銃を11丁揃える難易度を思うと、全員が持ち込んだと考えるのが妥当だろうか。
ただ、チームEurocorpsのプレイヤーが、全員アサルトライフル・FA-MASで武装しているなんて話は、聞いたことがない。
どんな大会でも優勝するほど力のある彼らは、実装されるほぼ全ての銃器を扱う権利を持っているに等しい。
EUにおける銃器の使用頻度ランキングは彼らが決めると言われるほど、このチームが使う銃器の割合が、そのままEUの割合となっていたのだ。
もしも皆がFA-MASを持っていたなら、使用頻度におけるFA-MASの割合はもっと多くなって当然だ。1000人居るうちの11人がFA-MASを持っているだけという話なら理解できるが、流石にそこまで大人数でこちらに来ているわけではないだろう。
「いきなり囲んですまないが、こちらにも準備があってな」
囲んでいる男のうち一人、他の男と比べても特徴があるわけでもない男が一歩前に出、そう言った。
軍人が皆同じ格好をしているのは、階級が分からないようにするためとチームのメンバーが話していたのを思い出した。ただ、彼が“それ”なのかは分からないが。
「……準備が必要な割には、待ち構える気満々な装備ですけど」
「この班は、常にこの装備をしているんだよ、驚かせたなら、本当に申し訳ない」
「……」
「ケニー・ボイヤン、サック・アリアン、アル・ツェヘドの3名を殺したのは、君達か」
「……ケニーさんはそうですが、後ろ2人は違いますよ」
一応否定しておく。“3名”という言葉に、少しだけ驚いた。もしかしたら、表情の変化を読まれたかもしれないほどに。
ケニーを殺したのは確かに私達だ。それでも、この町を出た馬車の乗員、サック・アリアン、アル・ツェヘドの両名を殺したのは、私ではない。どちらがどちらだったのかは分からないが、片方はロッキーが成り代わっていたのだ。彼は金の力を使ったようなことを言っていた気がするが、実際には成り代わった元の人物は死んでいた、ということだろう。
それに、成り代わられなかった男性を殺したのも、私達ではない。男を撃ったのは私でもロレンソでもオトカワでもなくロッキーなのだから、その罪を擦り付けられるのだけは避けなければならない。そう思い、即座に否定をした。
私の発言に、少しは表情の変化があるのを期待したが、男は相変わらず無表情だった。まったく、やりづらいったらありゃしない。
「そうか。情報に齟齬があるようだな」
「……」
「君達に、合わせたい人が居る。着いてきてくれるか?」
銃を持った11人に囲まれ、拒否することなど可能なのだろうか。いや、別に拒否するつもりもないが、ふとそう考えてしまう。ただの脅迫なのでは、と。
目的が合致している以上、同意の上での話し合いの場だ。先ほどから震えが止まらないオトカワは脅迫としか感じていないかもしれないし、目線だけで周囲を把握しているロレンソはきっとどうやってこの場を切り抜けるかを考えているだろうが、私からしてみると願ってもいないこと。
話が、したかったのだから。
「構いません。皆で行った方が良いですか?」
「代表一人だけでも構わないが、別に全員で来るなら止めることはない」
「じゃ、私だけ。ロレンソ、宿探してそこで待ってて。後で合流ね」
「はい」
ロレンソはそう即答。それでも彼は、矢をつがえたまま地に向けた弓を片付けようとする様子はない。
これはきっと、Eurocorpsの男達が居なくなるまでそうなのだ。私が話をしようが、自身に降りかかる危険度は変わっていない。ロレンソのその思考は間違っていないし、そうなることも予想はしていた。だから、私が言葉を続ける。
「すみません、この人達下がらせて貰っても良いですか?」
「……ああ、そうだな。解散!」
前に出ている男のその言葉を聞いた10人は、瞬く間に姿を消す。一瞬の出来事であり、意識をしていた私でも、彼らがどこに消えたか分からないほどだった。
男達はあちらの世界の人間のはずだ。それなのに、一瞬にして町中で見失うほどに町の景色に溶け込んだ。迷彩服など町中では目立つはずだし、その迷彩効果は町に溶け込むのに適さないはず。それなのに、10人の男は瞬く間に姿を消した。
そうして残ったのは私達の馬車と、話していた男が一人だけ。
ロレンソは通りを眺めている。彼には男たちが遠ざかる姿が見えたのだろう。そして、今も目で追っているのだ。
「ナディア、大丈夫だから」
馬車の扉を開け、恐る恐るこちらを見るナディアの姿があった。
彼女は「何かあったら座席に隠れておいて」とお願いしていたのを、守ってくれていたのだ。周囲から音が消えたのを見計らって、こうして姿を現す。
ただ、今はナディアを連れて行きたくはない。単純に危険というのもあるし、私と一緒に行動するよりは、ロレンソに守っておいてもらった方が、私が安心して動けるというのもある。
仮に交渉が決裂したところで、ロレンソならナディアを連れて町から逃げることくらいはできるはずだ。例え相手があちらの世界のトッププレイヤーだとしても、そう確信できる実力が彼にはあった。
正面から戦っても分が悪いと思ったから先程動くことはなかったが、こと逃げること、護衛に関して言えば、ロレンソの実力は銃を持ったプレイヤーを遥かに凌駕する。こちらの世界の“チート”を全力で使える彼ならば、非戦闘員であるナディアを任せても安心できる。そう思えるからこそ、他のことを考えず、私の戦いに挑めるのだ。
「じゃ、俺は嬢ちゃんに着いてくか」
「オトカワさん。……別に良いって言っても、来るんですよね」
オトカワは、一歩前に出てそう言った。フェムから持ってきた銃、ガリルを首から下げた男は、しかしその銃の扱いが得意ではない。
散弾銃を持たない散弾銃手である彼からしたら、お守り程度の代物だ。
「まぁな。どっちに居るのが安全か考えなかったわけでもねえが、プレイヤーと話すんなら、俺は居た方が良いと思った。ただそんだけだが、居ない方が良いか?」
「いえ……じゃあ、お願いします」
「おうよ」
片目を失い、それでもまだこの世界で生き続けるオトカワには、これからのことを知る権利がある。
彼には降りてもらっても構わない。まだ絶対に居なければいけない駒にもならない彼は、しかし、私の他に意見を言える、唯一の“異物”なのだ。
この世界の住人ではなく、Eurocorpsの人間でもなく、あちらの世界でゲームをプレイしていたトッププレイヤーの一人でもある彼には、その権利がある。
「じゃあナディア、良い報告を期待してて」
「はい。――お達者で」
馬車を置き、ロレンソを連れて宿屋に向かうナディアを見送り、振り返る。
先程から一言も話すことがなかった男。Eurocorpsの、まず間違いなく、あちらの世界から来た男。
今はまだ敵か味方か分からないこの男に、私とオトカワは着いていく。
◇
「こちらです」
男に案内されたのは酒場の二階。窓はなく、外階段もない。外見からは倉庫に見え、人の住んでいる気配はなかった建物だ。
二階に上がるには酒場を通り抜けないといけない。一階の酒場は、正面入り口と、搬入用の裏口があるだけ。攻め入られることを考えていない本拠地だなと思えたが、Eurocorpsが集まっていると知り、ここに向かうあちらの世界の人間など、ほとんど居ないことだろう。
そう考えれば、“攻められた時に逃げづらい”という欠点はなくなる。出入り口が極端に少ない建物なら、それはそのまま守りやすさにも繋がるからだ。
レンガ造りの建物は丈夫で、大口径の銃弾でも使わないと壁を貫通させることはできないだろう。そんなもので狙ったところで窓がない以上闇雲に撃つことしかできないし、中に踏み入ろうとすれば、階段一本守ればいいという強みが出てくる。
なるほど、考えられた拠点だ。
「そっち、武器庫か」
二階に上がってすぐ、オトカワがそう呟く。
後ろを振り返ると、オトカワの見る方、通路の突き当りに、一つの扉がある。特別な鍵がかかっているようにも見えず、扉自体の形は、通路にある他の扉と大差ないように思える。
「ええ……最も、あるのは弾ばかりですが」
「だろうな」
「どうして、それを?」
「いやな、俺だったらそこに置く、って考えただけだ。あと――ちょっと、臭うな」
「……そうですか」
それきり会話は続かない。臭う? オトカワのその発言に、疑問を覚えたのは私だけだ。先導する男は納得したようでそれ以上追及しようとしないし、否定もしなかった。
臭いとは、火薬の臭いのことだろうか。
流石に火薬の臭いなら銃を撃てば私にも分かるが、今の状態では、一階から漂う、消毒液のようなアルコール臭の方が明らかに強い。オトカワは、この中で臭いを嗅ぎ分けることができた、というのか。
目が見えない人間は、嗅覚や聴覚が発達するとは聞いたことがある。ただし彼はまだ片目が残っているし、それを失った期間もそこまで長くはないはずだ。
まぁ、この話がこれ以上続かないのなら、考える必要はないのだろう。
「お客様をお連れしました」
男が扉の前で立ち止まり、二回ノックしてそう言った。
緊張は、少しだけ。チームリーダーともなれば知らない人と話すことなど少ない回数ではないし、対戦を挑む、挑まれるなどよくあることだ。だから、そのように振る舞えばいい。
私は、戦争をしに来たわけではないのだから。
扉が開く。手は無意識のうちに、腰の後ろにあるタウルスジャッジを確認した。
握らず、手を下ろす。平常心、平常心。
「ようこそ、お待ちしておりました」
金髪の男が一人。帽子を取り、頭を下げ、そう言った。
「あなたが、我々の待ち人であらんことを」
男は顔を上げながら続けた。
「私はフランス――いえ、Eurocorpsの現代表、オリヴィエ・ノヴェールと申します」
部屋に居るのは、先導してきた男の他には一人だけ。手を後ろで組んでいるが、背中で隠せないほどの銃は持っていない。
自己紹介をした男、オリヴィエ・ノヴェールに至っては、迷彩服ではなく礼服を着ており、銃を隠し持っているようにも思えない。私のように背中や腰の後ろに隠しているかもしれないが、何故か、彼は銃を持ってないと思えたのだ。
それは、これまで会った誰とも違う、異質な雰囲気を感じられた。
異世界人特有、いや、違う。相澤からもオトカワからも譲二からもロッキーからも、このような異質さは感じなかった。しかし、何故か覚えがある。誰から感じたものなのか、それが分からない。それでも私は、この雰囲気を知っている。
これは、何なのだろう。
「嬢ちゃんみてえだな」
後ろで、オトカワが呟いた。私にしか聞こえないような声で。
それで、合点がいった。
私だ。
私と、同じなのだ。
「君の名前を、教えてもらえないだろうか」
男は続ける。
この男、オリヴィエ・ノヴェールは、私と同じだ。
戦争を終わらせようとしている、という意味ではない。そう、それは、今まさに、“何かをしようとしている”人間という意味だ。
私と同じ、明確な目的がある人間。
その人間、特有の雰囲気。厳密に言えば、“目”、だろうか――を、していた。
「下條理科、日本人です。あちらでは――」
「silf、と名乗っていたね」
「……は?」
男、オリヴィエは、表情を変えずにそう言った。
聞き間違えなどではない。確かに彼は、名前を言った。
プレイヤーネーム、silf。それはゲーム内においてさして有名な名前ではない、どこにでもいる、ありふれた名前だ。
ただ、その名前はここでは違った意味を持つ。
先程まで平静を保とうとしていたはずなのに、男のたった一言で、心臓は早鐘を打つ。
駄目だ。駄目だ。ペースを相手に渡してはいけない。会話の主導権はこちらで握らなければならない。
「どこかでお会いしたことが、ありましたか」
「ああ――何度も、何度も」
「……私の記憶にはありませんが」
「そうか。……いや、そうだろうなと、思ってはいたが」
「……意味がわかりません」
意味がわからない。彼の言っている意味も、彼の口にしたプレイヤーネームも。
silf。それは、ゲーム内で、私が使っていた名前だ。ゲームに登録した日からこちらに来るまで、ずっと使ってきたその名前。
オリヴィエが知っている理由が、分からない。分からないのだ。
この世界において、私はその名前を名乗ったことなど一度としてない。異世界人の情報を集めているロッキーのように有名なプレイヤーならともかく、私はただのチームリーダーであり、プレイ自体に特徴があるわけでもない。エースにも程遠い、ただの汎用機関銃持ちでしかないのだ。
その名前を知っている理由。初めて会ったはずの男が、私の名前を知っている理由。
「君ならそうすると、思ったからだよ」
「……」
会話にならない。彼の知っている情報が、私には足らなすぎる。
どれだけ考えても分からない。オリヴィエという名前のプレイヤーには会ったことがあるかもしれないが、別段親しくしたつもりはない。
そもそも、ゲームで知り合ったプレイヤーと、現実世界で会ったことなど一度もないのだ。現実世界の私の顔を知っている人間など、入院するまでの学生時代に知り合った人間しかいない。
その中に、この男は居なかった。外国人の知り合いなど、英語教師くらいのものだ。それに男は先程名乗るとき、フランスと言いかけた。フランス人ならば、英語話者ですらない。自動翻訳が働いているお陰で何語を喋っているかまでは分からないが、それでも、私の知人といえる唯一の外国人は、オーストラリア人英語教師だけだった。
この男のことは、私は知らない。
「勘違いされたかもしれないが、僕と君は初対面だよ」
「……」
なら、何故。その言葉を発する前に、男が言葉を続ける。
「あの日以来、毎週対戦が組まれるようになったんだよ。最初にやったような30対30のような大規模戦も、もっと少ない小規模戦もね。それまで日本人との交流はたまに挑まれる世界ランク戦しかなかったが、君達と出会って、交流して、撃ち合って。様々なことを知ることができた」
男は話す。
確かに、出会う可能性としては0ではないと、相澤と話している時点で考えてはいた。
だが、だが。だが!
それでも、まだ納得できるわけがない!
この男が、あちらの世界における“未来の私の”知り合いなどと、納得できるはずもないのだ。
「君は、僕のことを知らない、ということは、出会うより前の君なんだね」
出会う、前。
今の私は、この私は、あちらの世界で3年間、ファーストパーションシューティングゲーム、DesoLatioNをプレイし、こちらの世界へやってきた。
私が居なくなった後、私の作ったあのチームがどうなったか考えたことは、一度や二度ではない。毎日のように、あの時一緒に戦った彼らのことを、考えていたのだから。
その後。私が居なくなった後。あちらの世界には、当然“私”は居なくなったものだと、考えていた。考えて、いたけれど。
「君がログインしなくなるあの日まで、僕と君は話していたんだよ。3年間、毎週のようにね。だから驚いた。ケニーが死んだと知った時、情報屋のガキが動いた時、君がここに来たと知った時。ああ、ついに君が来たんだと、確信した時。その本人を前にして、こんなことを言っていいのかわからないが――」
オリヴィエは、一度口を閉ざす。そして、私の姿――足から頭までをゆっくりと目で追い、口を開く。
「本当に女の子が来るとは、思っていなかったよ」
あちらの世界には、私が居なくなった後も、“私”が存在していたのだ。
いつものようにゲームをし、いつものように眠る、一生病院から出られない体で、長く生きられない私が、あちらの世界には、まだ残っている。
ならば、こちらに来た私は、何なのだろう。足は動き、死にかけの体でもないこの私は、一体“何”なのだろう。
オリヴィエの言うことをそのまま信じるなら、私はあちらの世界であそこから3年間生き、そして、死んだのか。
死んでから転生したわけではない。私は死ぬ前に、こちらに来たのだ。
女の子、とオリヴィエは言った。後3年もあちらの世界に居たならば、私はとうに女の“子”と呼べる年齢ではなくなっているはずだが、外国人から見たら日本人は若く見える、と聞いたことがある。いや、現実世界で会ったことはなく、喋ったこともなく、あくまでディスプレイ越し、文字だけのやり取りならば、私のその時の年齢を把握することなどできないだろうが。
予想したか、それか私が言ったのか。自分の年齢、性別を。
気持ち悪い。最初に感じたのは、そんな感情。
自分の知らない自分のことを知っている人間と話す。それに相手は、私と既知なのだ。私は彼のことを知らない、それでも、彼は私のことを知っている。
それを気持ち悪いと言わずなんという。
「私が、下條理科が、silfだと分かったのは、何故ですか」
疑問。精一杯出した、聞けること。質問できること。ただしその回答は、聞くまでもなく予想はつく。
「何度も対戦して、何度も話して、人間性を理解したからだよ。――この回答だと、満足頂けないだろうか」
「ええ。……会ったことも話したこともない人間を、それだけで判別できるはずがありませんから」
「……そうだね。君は、どうして自分がここに来たのか、いいや町じゃない、世界のことだ――こちらの世界に来た理由、分かっているのかな」
「……わかりません」
「呼ばれたからだよ。世界に。そして――」
言葉は、続けるまでもない。
分かっている。分かっている。分かっている。
「私、オリヴィエ・ノヴェールが、君を望んだ。いいや、厳密には君ではなく、“指導者”を、だ」
「……」
「偶然の一致かもしれない。僕が呼んだわけではないのかもしれない。それでも今ここに君が居ることを、僕は望んでいた。他の誰でもなく、君がここに居ることを。この回答で、どうだろうか」
神託。その言葉を思い出す。
この世界にある、異世界から人を呼ぶシステムのことだ。
それは、こちらの世界で60年以上も生き、それでも原理を理解することはかなわなかった占い師、マドルの言っていた言葉。
「君が我々のことを信じ、指導者として振る舞い、そして、我々の目標を成し得てくれたのなら、それは君が僕の呼んだ人物だった、ということだ。もしも一つでも叶わなければ、君は僕が呼んだ人物ではなく、偶然目的が一致した、偶然の知人ということになる」
オリヴィエ、いや、Eurocorpsには、自身のチームメンバーを集める力がある、とロッキーは結論づけていた。
それを自身のチームメンバー以外、もっと幅広く、知っているかもしれないプレイヤーをこちらの世界に呼ぶことができたなら。できるのならば。
彼は、私をこちらの世界に呼んだ張本人、ということに、なるのだろうか。
「あなた――いえ、Eurocorpsは、目的の人をこちらの世界に呼ぶことができるんですか?」
「いいや、そこまではできない。僕個人に呼ぶことができるのは、僕に賛同してくれるであろう、十年以上も付き合いのある彼らだけだ」
オリヴィエは手を前に出し、2人を指す。ここまで先導してきた男と、元から部屋に居た男。
それに外で会った10人の男、後は、ロッキーに撃たれた男も居る。少なくとも、13人。
13人をピンポイントで呼ぶことができるのなら、この世界における“神”とほぼ同じ力を、オリヴィエは有している、ということにならないだろうか。
「僕に出来ることは、十年以上も付き合いのあるプレイヤーの中から、狙った人物を呼び出すことだけ。それも何かしらの特殊技能を持っていて、北門ではなく僕についてきてくれて、僕についてくるということは君という知らない指揮官の下についてくれるというわけでもあり、そういう人材は、4桁居るチームメンバーの中でも数少ない。合計で、50人にも満たないよ」
50人。彼は、自身の力で、50人もの人間を、こちらの世界に呼び出した。召喚した。連れてきた。世界の解明に一番近いのは間違いなく、Eurocorpsの、オリヴィエ・ノヴェールだ。
北門という、知らないワードが出てきた。流れからして、彼に敵対している勢力だろうか。
それも、ゲームプレイヤーでだ。こちらの世界にあるEurocorpsに敵対している、銃を持った勢力。
「君たちのチームと対戦した記憶を持っていれば君に従ってくれるような人でも、その記憶がない時代から来た場合に従ってくれないような人材だと駄目だ。僕に従い、僕の従う君に従ってくれる人でないといけなかった」
彼は、個人を指定することができても、来る時代までを指定できるわけではない。
私がオリヴィエを知らないことからも明らかだ。プレイヤー個人を指定する方法と、時代を指定する方法は異なっているということか。
彼はそのうち、前者しか行えない。だからここに来た私はプレイヤー・オリヴィエを知らないし、彼は私のことを知っていた。
「だから今ここにいるメンバーは、君の指示に従うはずだ。なに、命をかけて闘うのはこれが初めてではないさ。僕らは全員軍属だ。守るべき家族の為に、守るべき隣人の為に、命を捨てる覚悟がある者だけだ。だから僕の、いや、僕らの力になって欲しい。僕らをどのように使ってくれても構わない。個人が、たとえ私が死ぬような作戦でも、我々は従おう。それが、君を指導者に選ぶということだ」
私がチームを指揮していたとき、個人のスコアは全く考えていなかった。どれだけスコアが下がろうが、それがチームの勝利の為ならば、ドブに捨てていいと思っていた。
確実に死ぬことが分かっている命令でも、あのチームの皆は聞いてくれた。ただし、それはゲームの中だからだ。
現実で、ここに生きている彼らを殺すことになる命令など、私に出せるのだろうか。流石に、買いかぶりすぎではないだろうか。
思考を続けていると、ある一点に辿り着いたところで、思考が急激に変化する。何故、私は、この男に従う前提で思考を進めていた?
「アンタ」
自分の口からその言葉が出たことに一番驚いているのは、間違いなく自分自身だろう。
「自分の都合ばっか言って、私に役割押し付けて」
頭に来た、というのが正しいだろうか。
ゲーム内の私は、控えめに言っても言葉遣いが綺麗ではない。それが、今ここで出ていると、そう思えた。ゲーム内のあの口調は、私の中のどこから生まれた口調なのか、私は知らない。
「恥ずかしくないのかアンタは」
ああ、もう。駄目だ。
この男は、私に全てを押し付けようとしている。責任も、役割も、立場も。
腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ!
「何だ北門って。私はそんなもの知らない。そんな勢力と戦っているEurocorpsなんてどうでもいいし、とにかく私は戦争を終わらせたい。それだけ。あんたらの言うことなんて聞かずに、ここで銃を乱射してもいいんだ。断ってもいいんだ。それを何だアンタは。私が従う前提でぴーちくぱーちく話しやがって。何が指導者だ。何が軍属だ。大人が揃いも揃って女一人に頼ろうなんて、馬鹿馬鹿しい。死ぬ覚悟? そんなん知らないわ。死にたいなら勝手に死んでろ。私は死にたくはないし、他人に従うつもりもないし、義理もない。アンタが私を呼んだ? じゃあそれは間違いだよ。私はアンタになんか呼ばれてないし、誰にも呼ばれたつもりはない!」
正面、オリヴィエが驚きに目を丸くしているのが、見て取れる。オトカワは後ろに居るから知らない。元から部屋に居た男は、後ろ手で持っていたであろうベレッタ92を前に出しているが、こちらに向けることはない。まだベレッタは、下を向いている。“まだ”、下を向いている。
「アンタのその“全部知ってます”みたいな話しぶりは何だよ腹立つな。私は知らない。アンタと話したこともなければ、会ったこともない。親しくなんかない。アンタが私の人間性を理解? できてるわけねーだろふざけてんのか。私は大人しくアンタに従ってEurocorpsを指揮するつもりなんてないし、邪魔するなら今すぐ殺す」
ベレッタを持つ男が、こちらに銃口を向ける。それを見たオリヴィエは、慌てて男に手のひらを向けて制する。
銃弾は発射されない。チラリと後ろを振り返ると、ポカンと口を開けているオトカワと、銃を首から下げたまま呆けている、先導してきた男が居た。
「私は、アンタの言ってることを何も知らない。勝手に過大評価をするな。私に頼みたいことがあるなら、ちゃんと1から10まで説明しろ。こっちはそこまで思慮深くないんだよ」
ひとしきり言い切ると、落ち着いてくる。
まだ少し腹は立つが、口に出して言えてすっきりした。普段文字チャットでならこのくらいの口調のはずだが、現実でこんな喋り方をしたのは初めてだ。
心臓の鼓動を強く感じるが、少しずつ、少しずつ鼓動は小さくなっていく。
落ち着こう。こんなテンションのままでは、話し合いもままならない。撃たれなかっただけ幸いだ。
「……その、すまなかった」
オリヴィエはゆっくりと頭を下げる。
彼の見込み違いだったのか、逸った気持ちを抑えきれなかったのか、それとも別の感情が浮かんでいるのだろうか。
表情から読み取れるものもあるかもしれないが、彼は顔を上げない。先程までの私なら「面を上げろ」とでも言ったかもしれないが、今はほぼほぼ平静だ。そんなことを口走ることもない。
彼が頭を上げたのは、2分ほど経過してからだった。
無言の中、全員が一歩も動かない。私も気の利いた言葉をかけられなかったので、彼が立ち直るのを待っていたのだが。




