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「あの、ちょっと伺いたいんですが」
「ん?何だい姉ちゃん。……なんだいそれ、見たことないけど、兵隊さんかい?いや、それにしては細すぎるか」
恰幅のいい体。左手には買い物籠を、右手には小さな樽を抱えている。そんな彼女からすると、確かに私は細すぎる方だろう。
彼女の言った“それ”とは、この銃のことだ。
銃の名前は“PKM”
PK、ペカーと呼ばれる銃の改良型で、一般的には分隊支援火器、または汎用機関銃に分類される、ソ連製の機関銃だ。
戦後に生まれた銃の為、大きな戦争に用いられたことはないが、この銃に使われる銃弾は、現在量産が続いている中では最古の銃弾であり、ゆうに設計から100年以上が経過されても尚、使われ続けている。
銃としての特徴は、ゲーム的性能で言えば「軽い汎用機関銃」でしかない。
他の汎用機関銃は全て10kgを超えて重量過多となり、移動速度にマイナス補正を受けてしまうが、この銃の重量はたった7,5kg。サブアームに拳銃を持っても、重量過多とならずに行動できるという特徴があった。
そう、ゲーム内では、だ。
「この銃、ご存知なんですか?」
そう問いかける。初めに聞きたかったこととは違うが、声を掛けて足を止めてくれた彼女は、そこまで急いでいる風には思えない。ならば、情報の収集が必要だ。
「いいや?知らないよ。なんだいそれ、銃なのかい。こんなところに住んでるが、あたしはそういうのに詳しくなくてね。で、何だい。用があって呼び止めたんだろう?」
恰幅のいい彼女はそう言うと、近くのベンチに座って荷物を置き、手招きをしてくる。
最初に話しかける相手を慎重に選んだ甲斐はあったということだ。隣に座り、質問を投げかける。
「正直に言います。私は、この国の人間じゃありません」
そう口に出した瞬間、彼女の眉がピクリと動くのが分かった。彼女が口を開く前に、言葉を続ける。
「もしかしたら、面倒事に巻き込むことになるかもしれません。聞いてくれますか?」
問うと、彼女は返事をすることなく周りを見渡し、こちらを意識している人が居ないのを確認し、立ち上がって言った。
「ここでその話はしない方が良いね。あたしの家で聞くよ。今は黙ってな」
「はい」とだけ返し、彼女について歩く。
彼女の反応から、状況を推測する。この国の人間ではない私が、武器を持ってこの村に入っていること。それは、少なくとも良い状況ではないということ。
そこから考えれば、“こんなところに住んでいる”という彼女の言葉の意味も分かってくる。
この村は、戦争に巻き込まれる位置にあるということだ。そして、敵国の可能性がある人間を、どこかへ連れて行く意味。
最悪、彼女が怪しまれる。現にこの姿を何人もの村人に目撃されているし、この外から見たこの村の規模なら、村人全員が顔見知りでも不思議ではない。
ならば逆に、私が拘束される可能性もある。兵隊の元に連れて行かれる可能性。
前者ならまだしも、後者はまずい。ここに来たばかりの私が、揉め事を起こすのは極力避けたいところだ。
5分ほど歩くと、小さな服屋の前で彼女は立ち止まる。どうやらここが彼女の家のようだ。
不審な目で見られることは幾度とあったが、声を掛けられるほどではない。余所者であるのは一目で分かるのだろうが、彼女の客人としてあえて声を掛けるほどではなかったということだろうか。
店内を通り、住居に通される。幸い中に兵隊が待ち構えていることもなく、家具や食器類から、彼女が一人で住んでいることが見て取れた。
「あの、ここまで通してもらって何なんですが……」
「訳ありってことくらい、目を見りゃ分かるよ」
そう彼女は即答する。あまりに物分かりが良すぎる。まるで、ノンプレイヤーキャラクターのように。
「私はステラ。あんた、あそこでずっと人を探してたようだが、なんであたしに声を掛けたんだい?」
ずっと。それはつまりあの場所で、1時間ほど声を掛ける相手を選別していたのを知っていたということ。
別に隠れていたわけではない。むしろ、誰かから声を掛けられるのを期待していた節もある。
それでも熟考の上彼女、ステラを選んだ理由。それを、聞かれているのだ。
「あなたが、急いでなさそうに見えたからじゃ、いけませんか?」
この言葉は、嘘ではない。しかし、真実でもない。
「いけないね。急いでない人間なんて、どれだけでも居ただろう」
事実だ。この村は確かに規模は小さいが、寂れているほどではない。それなりに人も居たし、一目で兵隊と分かる人間は全く居なかった。
平和そのものだ。急いでいない人間など、何十人と居た。
「目、です」
「目?」
「私を見る目が、あなただけ違いました」
そちらが、真実。しかし、これを最初に言わなかったのには理由がある。
「そんなつもりはなかったが……あんたには、あたしがどういう目をしてるように見えたんだい?」
「哀れんでるように、見えました」
ほぼ全ての人間が、あそこで私を見た時に訝しんでいた。それもそのはずで、武器を持った人間が特に何をするでもなく人間観察をしていたら、誰でもそうするだろう。
それでも、彼女だけは違った。
彼女は三度目撃した。毎回目が合ったわけではない。三度目に声を掛けるまで、一度も目が合ってなどいない。
それでも、彼女が私を見た時、感じたのだ。
哀れみを。
可哀想と思う、瞳を。
その目は、数えきれないほど見てきた。下半身が全く動かなくなり、余命もそこまで長くはない、そんな女子高生を見る大人の瞳に、そっくりだったのだ。
何故だろう。はじめはその理由が分からなかった。
何せ、この場の私は、自分の足で立っている。自分の足で歩いている。見て分かる障害など、ないはずなのに。
警戒でも、不審でもない。哀れみの目を向けられる意味が、分からなかったからだ。
だから。
だから彼女に声を掛けた。
唯一私を哀れんだ、彼女に。
「それは、悪かった」
彼女の口から出た言葉は、謝罪。
心当たりが、あるということ。
「あたしの娘が生きてたら、あんたくらいの年齢だと思ったんだよ。そんな娘くらいの年の子が、武器持って突っ立ってる。何も分からない風な目をしてね」
「その、娘さんは……」
「もう死んだよ。5年前にね。流行病ってやつだ。病気になったのは7年前、旦那と息子を連れて療養でここに来たが、2年も持たなかったね。別に、あんたを可哀想と思ったわけじゃない、けれど、哀れんでるように見えたんなら、それは事実だろう。謝るよ」
「……いえ」
哀れみの目を向けられた理由は、これで明らかとなった。他の人のように不審そうな目を向けるわけではなく、亡き娘を、私に見ていたのだから。
「その、旦那さんと息子さんは、今どこに?」
彼女の買い物の量は、一人分にしては多く見えた。それでも、この家には彼女一人しか住んでいない。この問いの答えは、もう分かっているようなものだ。
「旦那は、娘が死んだその年に自分から兵士に志願して、すぐに死んだよ。娘の後を追っかけるようにね。息子は3年前、兵士になると言って村を出て行った。それっきり、便りの一つも寄越さない」
「それは……」
ご愁傷様ですの言葉は、すんでのところで飲み込まれる。彼女自身、哀れみなど求めていない。そのくらいは、理解しているつもりだ。
「あたしがここに住み続けてるのもね。息子がいつか帰ってこれるように、ここで待ってるだけなんだ」
彼女は遠くを見て、そう言った。
帰る場所。
それを守っているのだ。どこで何をして、生きているかもわからない息子を、ただひたすらに待ち続けて。
「その……旦那さんが死んだのは、戦争で、ですか?」
「……あんた何も知らないんだね?国境に近いこの村は、よく補給地として使われるんだよ。物資だけじゃなくて、兵士の補給にもね。人が足りない時は、村人が徴用されることもある。まあうちの旦那は志願して死にに行ったんだから、別に殺した敵を恨んじゃあいないがね」
その彼女の言葉で、状況が少しずつ飲み込めてくる。
この世界、この村の状況がだ。
国境、つまり国単位の戦争、言い方からするに、敵国とは地続きだ。
それに、素人が徴用される状況。明らかに戦争の規模と兵士の量が釣り合っていない。
徴用されてすぐに死ぬほどの規模ならば、この村の人間が私を見る目が不審だけではなく、警戒だった理由も分かる。兵士が来たのなら、また戦いが起きるのかと、それを意識したのだ。
1時間村を見ていたが、兵士がそう沢山居たとは思えない。偶然出払っているところだったのか、平時は滞在していないのか。
恐らく後者だ。前線はこの村より先にあり、ここは直接の戦場となることは少ない。補給地であり、中継地点だ。
それならば、村自体が平和に見えたのも当然。この村の人間は、直接的に戦争に関与しているわけではない。警戒はすれど、命を落とすほどではないということ。
考えなければならない。この世界で生きていく方法を。
「大体、分かりました。ありがとうございます」
「随分考えてたようだが……何がわかったんだい?」
「この世界のこと、です」
この言葉は、博打に近い。彼女が聞いて、どのような反応をするのか。それを知る為の博打。
「……世界?」
「ええ、世界です。信じなくても結構ですが、私、こことは違う世界から来たんですよ」
事実だ。目が覚めた時には見知らぬ草原に居て、偶然辿り着いた村に入り、彼女に声を掛けた。そして今だ。
到底信じられることではない。そのくらいは分かっている。いや、むしろ、信じられなくて構わない。
知りたいのは情報ではなく、反応だ。この世界の人間が、この言葉を聞いてどう思うか。
「……それは」
そう、彼女が口を開く。沈黙は30秒にも満たなかっただろう。それでも、1分にも、10分にも感じられた。
緊張は、汗を滲ませないだろうか。表情は、変わっていないだろうか。焦りが、声を震わさないだろうか。
正直なことを言うのは、慣れないことだ。あの日病室で起きて以来、嘘をつき続けていた私にとって、真の言葉は、嘘以上に難しい。真実を真実と伝える難しさに比べたら、嘘を貫く方が何倍も楽だ。
伝われと、その思いは、果たして。
「あたしには、よくわからないね」
「……それで、構いません」
「今のあたしにとっての世界は、この村だけだからね」
そうか。
娘を亡くし、夫を亡くし、帰らぬ息子を待つこの家。この家のある、この村が。
彼女にとっての世界なのだ。ここ以外は知らない。興味があっても、知ろうとはしない。彼女には、ここ以外には何もない。
息子も、もう過去の存在なのだろう。仮に生きているならば、会おうと思えば会えるはずだ。それでも、彼女は待つことを選んだ。
それを逃避とは言えない。そんな資格は、私にはない。
あちらの世界で生きることを諦めた、私の知らない私にとって。
「話を聞いて頂いて、ありがとうございます」
「いやあ、大体喋ってたのはあたしだよ。……ところで今から食事にするが、食べてくかい?他の世界のことなんて知らないが、どうせ行くところもないんだろう?」
そこまでお世話になるわけには、その言葉は、すんでのところで飲み込まれる。
彼女の言った言葉は、事実なのだから。
この家を出たところで、特に行くあてなどない。通貨を持っていなければ、食糧も、水すらない。あるのは銃と、弾と。
ここはご相伴に預かるのが、正解だろう。そして、目的を、行先を見つける。それまで厄介になることもないが、検討だけでも付けなければならない。
これから、どう生きるのかを。
「……頂きます」
「正直でよろしい。若い子は食べなきゃいかんよ。そんな細い体じゃあね」
そう言うと彼女は席を立ち、食事の準備を始める。何か手伝うべきかと思ったが、生憎料理の才能など持ち合わせてはいない。
料理など、したことも、見たこともないのだから。