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「ナディア」
「はい。話は聞かせてもらいました。情報を受け取る場所なら、私の銀行口座はどうでしょうか。どうせそのうち王都に行くんですし、今後居座る場所としても、王都は悪くないと思います。お爺様と言えど流石に王都に別荘のようなものはありませんので……いかがですか?」
「ええっと、銀行口座? そこでどうやって情報を?」
「その情報、直接対面して聞く必要はないのでしょう? ならば、封書の形で預ければ良いんです。銀行はそういう仕事もしているんですよ。まあ、そんなことをしている銀行は、王都くらいでしょうけど」
郵便屋、いや違うか。その業務に該当する仕事が、あちらの世界の基準では分からない。
現金だけではなく品物も預かる。貸金庫に近いだろうか。
金品を扱っている場所ならば、警備も厳重だ。他人に盗られたからと言って悪用するのは難しい情報かもしれないが、確かにそれなら対面しなくとも、サングラスの男の得た情報を受け取ることができる。
というか。
「ナディア、出てきて大丈夫だったの?」
「ええお陰様で。と言っても空腹で目が覚めたのでロレンソに着いてきてもらって夜店を見ていたら、リカさんが知らない男性と話してましたから。一応、話に混ざれるところまで待ってました。お邪魔でしたか?」
「ううん、そんなことないよ。情報の受け取り場所は、そこで良いですか? えっと……」
「ハントだよ。嬢ちゃんは、リカって言うのか、自己紹介が遅れちまったな」
「ハントさん、調べてもらった情報は、彼女の銀行口座に預ける形でお願いします。いつやめてもらっても構いませんが、その時は教えてください」
「ああ分かった。で、ナディアさん? あんたの口座を教えてもらいたいんだが」
ナディアは「はい」と返事すると、ハントから受け取った小さなメモに数字を記載していく。
口座番号のようなものだろう。かなりの桁数があるが、暗記しているのだろう。王都など、あまり行くことはないはずなのに。
彼女の几帳面さは、こういうところでも発揮されるということか。
ハントがメモを受け取った時、少し不思議そうな表情をしたように思えた。が、あまり気にすることではないだろう。
「よろしくお願いします」と彼に宝石を渡すと、ようやく受け取ってもらえた。
300万で一体どれだけの情報が集まるかは分からないが、まずは彼に任せてみることにしよう。このまま持ち逃げされようが、総額から見れば懐はそこまで痛まない。もし信用できる人間でないのなら、情報は自分で集めれば良いだけの話だ。
元々彼が対価として納得できないことで生まれた依頼だし、元はといえば自分で集めるつもりだった内容なのだから、そこまで期待するほどでもない。ロッキーの所在と依頼を知れただけで充分なのだ。
「達者でな」
「ええ、そちらも」
ハントは立ち上がると、夜店の方に歩いて行った。
去っていくハントを見ている人が居るなと思ったら、それは少し離れたところに立っていたロレンソだった。目で追えなくなったのか顔がこちらに向いたところ、ナディアが手を振る。
こっちにこいというモーションだろう。
ロレンソは珍しく一瞬躊躇ったように思えたが、少しするとこちらに歩いてくる。
そうして一言、彼は口にする。
「気を付けた方が良いですよ」
「ハントさんのことですか? 悪意は感じませんでしたけど……」
「いえ」
ロレンソはどう返せばいいのか少し戸惑うが、しばらくすると小さな声で言う。
「誰かが見てます。2人か3人か、もっと多いかも。お嬢狙いじゃなかったみたいなので気にしてなかったんですが、さっきの男が居なくなってはっきりわかりました」
「えっと、それはつまり……」
ナディアがチラリとこちらを見る。
そう、つまりそういうことだ。
「見られてたのは、リカさんですね」
そのロレンソの言葉を聞いた時に思ったことは「やっときたか」だ。
何かがあると予想はしていた。それがこの場なのか、今後なのか、そこまでは考えていなかったが、それでも、ある程度は予想していた。
日本人に興味があるのは私だけでも、ロッキーだけでもない、ということに。
「ロレンソ、距離とか分かる? あと、方角」
彼は腕で隠しながら、私だけに見えるように指を2本立てる。
彼の指は私の後ろと、右方向を指している。
「すみません、暗くて距離は分かりません」
いつにもまして小さな声で彼は言う。いや、声が小さいのではない。
ロレンソの表情を見ると、彼の口がほとんど動いていないことに気付く。いつもはこうではなかったはずだ。つまり、彼は口を動かさずに喋る理由がある。
そう、角度からして、彼も見られているのだ。先ほどからの躊躇いはそれだ。私が狙われているとはいえ、彼も標的と成る可能性がある。
「いや、充分。……ていうかロレンソ、なんで分かるの?」
「なんか、リカさんに向けた光が見えるような見えないような、そんな感じがします。目を凝らさないと見えないんですけど」
「……えっと、光って」
今座っている噴水の縁を照らしているのは、周辺にある街頭くらいのものだ。
あまり明るくはないし、私を水平に照らしていると言える光ではない。
なら、彼が見えている光とは何なのだろう。周辺を見渡しても、街頭以外に光があるのは屋台の方角だけであり、残りの三方は木々に覆われている。彼の指さしたのは屋台側ではなく、私には木々しか見えない方角。
「まさか近赤外線? いや、可視光線ではないと思うけど……」
遠赤外線と違い、近赤外線は実際に光線として存在している光だ。最も可視光線ではない為に色などを認識することはできないはずだが。
「すみません。ちょっと分からないです。ただ2つの光は全く動いてないので、固定されてるものかと。勘違いだったら、すみません」
「その光って、どうやって見える?小さい点で見えるのか、それとも……」
「丁度人を二人映せるくらいの円形です。なので、どっちを見てるか分からなかったんですが」
「ハントさんが居なくなっても光が動かないから、私を見てた、と」
「そういうことです」
少し考える。
重要なのは、敵意があるのか、ないのかだ。少なくとも一人以上、ロレンソが三人と言った理由は分からないが、こちらを見ているのが近赤外線ならば、あちらの世界の銃器を持った人間が最低でも二人は居ることになる。
いや、その数こそがフェイクの可能性もある。数を多く見せることで情報的優位に立つのは基本的な戦術だ。ただ、可視光線ではない近赤外線を知覚することができる人間が居なければ、このフェイクは役に立たない。
光が固定されているということは、手に持ったスコープではないはずだ。最悪、狙撃銃の可能性も考慮する。
ロレンソが見えているのが近赤外線ならば、それは私たちあちらの世界の人間の常識で考えると、可視光線ではない。見えてはいない光だ。
ならば、これをゲームとして考えよう。
近赤外線は、一部のマップで“罠”として用いられることがある。
プレイヤーが仕掛ける罠としても、マップにはじめから設置されてる罠としても、どちらでもだ。
その為近赤外線を見ることができるスコープというのはゲーム上に存在し、罠として仕掛けられることの多い一部のマップでは数人のプレイヤーがスコープを持ち込むのが基本だ。
銃に装着する暗視装置はほとんど全てが遠赤外線であり、スコープを用いても誰を狙っているかを確認することはできない。遠赤外線スコープは対象に近赤外線の不可視光線を当て、それを暗視装置で見ると言ったシステムではないのだ。
遠赤外線を用いた暗視装置は対象に光を当てることなく、対象から発せられる微弱な光を増幅して、視覚できるようにしているものであり、近赤外線とは全くの別物。
それでも、近赤外線を用いた装備品は存在する。旧式銃用の暗視装置であったり、罠であったり様々だが、全ての装備品をあちらの世界から持ってきたならば、そのような装備品を持ち込んだ人間が居ないとも限らない。
いや、居るのだ。
旧式銃、もしくは近赤外線の投射装置を2つ置いて、別の場所から暗視装置で見ているのかもしれない。
完全に後手だ。銃だけに気を取られ、銃や弾以外の装備品を持ち込んだプレイヤーの存在を失念していた。
敵はまだこちらを撃つ気はない。敵意はなく、ただ見ているだけというならば、それはただの“興味”かもしれない。
だが、そうでなければ。
頃合いを見計らって撃つつもりなら。
その可能性があるのなら、考えすぎに越したことはない。
この場合の対応。最善。被害の想定。思考が、あまりに長くなりすぎた。
結果――
「いやあ君達、凄いねぇ」
能天気な声が聞こえる。
夜店の通りから歩いてきた、一人の男が発した声だ。
「ここは君たちに付いた方が得かもしれないな?」
男は言葉を続ける。
ナディアが口を開こうとしたが、私とロレンソが彼女の口を隠す。今何か喋られてはいけない、珍しく、ロレンソと意見が一致したようだ。
「女の子が二人と護衛の男一人。うん、パーティとしては悪くないねぇ」
歩いてくる男が手にした物には、見覚えがある。
「ただ、やっぱり男は要らないな」
軽薄そうな口調が、突然トーンを落とす。
男は手にした銃、ジェリコ941をロレンソに向ける。
ロレンソは動かない。勿論、知らずに動かないわけではない。彼にも最低限銃の知識は与えてあり、男が手にしたものが拳銃であり、引き金を引くだけで弾が出ると分かっている。それでも、動かないのだ。
無論。
“動けない”ではない。
男の発砲。一瞬だけ見えるマズルフラッシュ。
銃口が向いているのは縁に座る私でも、隣に座るナディアでもなく、その横で、立ったままのロレンソだ。
瞬間、私の腕は動く。ナディアを噴水に突き落とし、自分も背中からダイブ。
着水の瞬間、風切り音が聞こえる。ジェリコ941の発砲音ではなく、違う方角からの音。
見えたわけではない。それでも水しぶきの中、頭上スレスレを通った弾丸をはっきりと知覚した。横合いからの狙撃を回避できた確信と、「大したことない腕だな」という感想。
着水しても慌てない。慌てるナディアの頭を水に沈め、自分もできるだけ体を水平に。
噴水の、あまり綺麗ではない水を飲んでしまう。咽るが、構わない。
一瞬だけ見えたのは、銃声の瞬間、ロレンソが姿勢を屈めたところ。腰に隠していたナイフを手にし、前の男に向けて駆け出すまでだ。
そこから先は見えていない。だからこれは、ただの賭けだ。
ロレンソが、この世界の人間が、銃を持った複数人相手に勝てるのか、という賭け。賭けに負けたら、私達の命はない。
噴水に沈んでいた時間は数秒だったか、十秒だったか、数十秒だったか。
そろそろ息が持たないと思ったあたりで、肩を持ち上げられる。
そこに居たのは、前から歩いてきた男ではない。知らない男でもない。
ロレンソだった。
傷一つ負っていないように見える彼は、上半身が血にまみれていた。
水を吐きながら噴水から身を起こすと、先ほどとは違う、あるものが転がっていた。
縁にはジェリコ941。そして噴水の少し先には、首から血を流す男の姿。ジェリコ941を持っていた、あの男の亡骸だった。
なんで縁にジェリコが、と思ったが、それより前に聞くべきことがあった。
「えっと……終わった?」
「はい。二人は……大丈夫そうですね」
水から出されたナディアは盛大にむせてはいるが、命に別状はない。弾が当たったような痕跡もない。背中を軽くたたき、水を吐かせる。
「ナディア、沈めちゃってごめん。怪我とか、してない?」
「ごほっごほっ……水没が怪我なら十分怪我ですが、外傷は、ないです。ごほっ」
「ほんとにごめん……」
突然噴水に突き落とされ、反射的に水から出そうとした顔を水面に沈められたのだ。
普通の人間なら、怒り出してもおかしくはない。取り乱して当然だ。
「いえ、もう大丈夫です。……今度からは何か言って貰えると、その、覚悟ができるんですが。今の状況だと一番足手まといだったのは私なので、これ以上は言いません。なので、謝らないで下さい」
ナディアは咳が止まると、はっきりとそう口にした。
あの瞬間に動けなかった彼女でも、流石に理解はしたのだ。先程の銃撃と、最善の回避について。
銃撃を“見てから”避けられたロレンソは別かもしれないが、生憎私にも、ナディアにもそんな身体能力はない。
というか、瞬間を見てないとはいえ10mもないあの距離で撃たれた銃弾をロレンソは当然のように避けたことになるし、明らかに異常なのはそっちだ。
やはり、彼にも銃弾を避ける運動能力はあったのだ。それだけ動けるのに剣や槍が使えないというのはどういうことだろう。近接武器を扱うハードルは、銃弾を避けられる程度では駄目なのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。
「その……遠くから見てた2人?は、どうなったの?」
少なくとも、銃を撃ってきたのは前から歩いてきた男だけではない。
横合いから、確かに私が狙撃された。狙撃手の腕が悪かったのか回避が間に合ったからか分からなくとも、幸い被弾はしていないが。
「当たった……と思います。確認はしてないですが」
ロレンソはそう返すと、縁にあるジェリコを見る。
前から歩いてきた男が持っていたのなら、縁に落ちてるはずがないジェリコを、だ。
どうしてジェリコがここまで移動したのか。偶然飛んできたわけではないということ。
「……撃ったの?」
「はい。銃には当たったと思うんですが、人に当たったかは分かりません。少なくともさっきまでの光は見えなくなったので、大丈夫だとは思いますが」
「……初めてだよね?」
「……? それはそうですが」
濡れた手を少し払って、ジェリコを手に取る。
ジェリコ941、通称ベビーイーグル。デザートイーグルの小型版というわけではないが、正面から見ると似ているという理由でベビーイーグルとも呼ばれる銃だ。
異常に性能が良い銃というわけではない。自動拳銃としては口径が大きく装填数が多いというのはあるが、特徴としてはそのくらいだ。
自動拳銃の有効射程は一般的には長くとも50m程度と言われている。それ以上を狙えるものではないが、銃弾が消滅するわけでも、運動エネルギーが消滅するわけでもなく、銃弾自体は1km以上飛翔する。
飛距離に応じて位置エネルギーを消費してしまうので落下軌道を描くことになるが、それでも、専門の射手なら拳銃を用いて100m離れている的に命中させられるという。
ゲーム内には拳銃で長距離の撃ちあいをする命知らずなプレイヤーは居なかったが、似たようなプレイヤーは同じチームにも居た。
有効射程400mの狙撃銃で、1km離れた対象に当てられるプレイヤーが、居たのだ。
彼はゲーム内でも特殊な存在であり、一部の掲示板では「どんな銃を使っても一発目なら当てられる」とまで言われていた有名プレイヤーだが、ゲーム上の戦績は芳しくない。そう、一発目しか当てることができないからだ。
今はそんな話はどうでもいいか。
スコープなど使わず、700m先の動く標的を、銃弾より遅い弓と矢で当てることのできるロレンソ。
彼の身体能力は、人間を遥かに超えている、それは分かっていたことだ。だが、10m以内の短距離で撃たれた銃弾を回避し、そして、初めて触る拳銃で正確な射撃をして見せた。
これが、この世界の人間のスペックなのだ。
ビクリと、体が震える。全身びしょ濡れで肌寒いからと、そう考えたい。
「音からして、150mは離れてたと思います。一応、見てきますか?」
「いや――」
150メートル。拳銃で狙って当てられる距離では断じてない。
私では、狙撃銃を持っても当てることができない距離だ。それでも、ロレンソからしてみたら、ごくごく短距離なのだろう。
彼の目は、700m先を見ることができる。一度マズルフラッシュを見たならばそこから射手への距離を概算し、男から奪ったジェリコを一発撃てば弾丸の軌道を理解し、そして二発目で当てたのだ。
人間技ではない。分かっていたことだが、目の前で見せられると、驚きよりも恐怖が勝る。
この世界の人間が、あちらの世界の銃で武装したらどうなるか。考えてしまうのだ。
「大丈夫。私が見てくるから、ロレンソはナディアと一緒に居てあげて。えっと、方角もう一度教えてもらえる?」
彼に指さされた方角へ、歩き出す。屋台の方から野次馬が集まりだしていたので、それから逃げたかったのもある。
きっとナディアなら上手いこと説明してくれるだろう。完全な丸投げだが、この場で誰よりも口が達者なのは、間違いなくナディアだから、適材適所というものだ。完全に巻き込まれた形となった彼女に、これ以上の負担をさせるのは忍びない気持ちもあるが。
ロレンソに言われていた方角に歩き出す。噴水の周りは木々が不規則に並び林のようになっていたが、それを抜けると民家が並ぶ通りがあった。
今どのくらい歩いたのか分からなくなってはいたが、すぐに目的の家を見つけることができた。
銃痕だ。数センチだけ開いた窓ガラスに2発の銃痕、よく見ると窓の内側に血痕がついており、部屋の電気は消されている。
ロレンソが撃ったのは、この家の中に居た人間で間違いないだろう。
幸いにも人が集まっている気配はない。この家の人間が使っていたのは消音性の銃だったのか、そのくらいの物音で人が集まるほどでもないのかは分からないが。
家の正面に回る。扉に耳を当ててみたが、物音はしない。
既に逃げた後でもないのなら、中には人が居るはずだ。生きているか死んでいるかは別として、私を撃って、ロレンソに撃たれた人が。
扉を貫通して撃たれないよう、壁に背を当て手だけで扉を開ける。鍵はかかっておらず、金具がギィイと軋む音を鳴らせるが、銃声などはない。
まだ扉の中は見ない。手の中のタウルスジャッジをしっかりと握り、両手で顔の横に構える。
しばらくすると、ある音を聞き取る。
呼吸音だ。かなり荒く、深い呼吸をしている。漏れ出る声からして、発声者は男だろう。
扉が開いたのに、中に居る男が動かない。考えられることは二つ。扉に銃口を向けて誰かが入ってくるのを待っているか、それとも、それが出来ないほどの被害を受けているか、だ。
「そこに居るのは、ハァ、誰かな」
十秒にも、一分にも、十分にも感じた時間が経過すると、中からそう声が聞こえる。
やっと絞り出した声、といったところか。ただ、それすらも罠の可能性はある。
「用心深いようだが、残念ながら俺に反撃手段はねェよ」
返事はしない。
「つーか、なんでも話すから、今すぐでも治療してもらいてェくらいだ」
窓の内側についていた血痕。状況から見るに、ロレンソが中に居る男に当てたのは間違いがない。
「いやもうこれ、治療しても間に合わないんじゃあねェかな。もう、痛みもなくなってきた気がする」
銃弾は、一体どこへ当たったのだろう。
「私を狙った、理由を」
「ん、女か。ってことは、日本人の方だな」
「理由を」
やはり、横合いから狙撃してきたのはこの男で間違いはないようだ。
ならば用心に越したことはない。壁に背を付け、扉越しに声をかける。外から見た人が居たら不審に思うだろうが、幸い周囲に人影はない。
「獲物は、交代で決めることになってんだよ。ハァ、で、譲治の狙ったのがアンタだ。アンタがここに来てるってことは、譲治は死んだか」
「ジェリコの持ち主なら死にました。私が日本人と、知って狙ったってことですね?」
「ああそうかい、いい気味だ。譲治の決める獲物はいつも胸糞悪くてな、誰も殺せず死んだなら、それでいい」
「答えてください」
男の息は、段々と荒くなっている。呼吸の回数も増え、声も少しずつ小さくなる。
もう、限界なのだ。ロレンソによる反撃は、よほど当たり所が悪かったと見える。
「すまんね、いやあ、これが最期の話と思うとね、つい、長引かせようとしちまう」
「聞きたいことが終われば、医者を呼んでも構いません。答えてください」
「間に合うといいがね。日本人と分かった理由、だったか? そんなのな」
ゴホッと男の咳き込む声。それとほぼ同時に、パリンと小さな音、続いて、物が倒れたような音。
「クソ、ケニーの奴、次は俺かよ」
「……今の音は?」
「こんなところで死んでらんねえ。アンタ、話は後だ。どこかに隠れた方が良い。死にたくないならな」
「今の音は!??」
先程の音。間違いなく、狙撃音だ。
誰が?恐らく、男が発した言葉に出てきた、『ケニー』という名前。
最初はロレンソかと思ったが、考えるまでもないが、それはありえない。追い打ちを掛けろなどと、ナディアが命じるはずがないからだ。
ロレンソが単独で行うのもありえない。狙撃された状態で、ナディアを放置するロレンソではない。
ならば、考えられるのは仲間割れ。それならば、部屋に居る男が狙撃手である『ケニー』を知っていて当然だ。
この状態で私やロレンソ、ナディアではなく、仲間である部屋の男を撃った理由は何か。
何か。それは、この男が何を喋ろうとしていたかに関係があるかもしれない。最後の質問は何だったか――
そう、私が日本人と分かった理由、だ。
思考を巡らせていると、扉が大きく開かれる。会話の為に少しだけ開いていた外開きの扉は、中から出てきた男の体当たりによって開かれた。
銃をそちらに向ける。ただし、男は手に何も持っていない。なんとか部屋から出てきた、といったところか。
男が倒れこむのとほぼ同時、もう一度パリンと音が鳴る。部屋の中の何かに当たった音。
「ドーパミンダバダバだぜ、痛くもなんともねえ」
両手の力で起き上がった男を見ると、すぐに異変に気付いた。
右目だ。
男は、右目がなかった。元からなかったわけではないだろう。目から耳にかけて裂けたような傷があり、そこから血が流れ続けている。
残った左目だけでこちらを見、そして、私の手にしたタウルスジャッジを見る。
「持ってるのは、ソレだけか」
「ええ。これでも、あなたの命を奪うことくらいはできますが」
そう返すと、男は小さく舌打ちする。私の言葉への舌打ちではない。恐らく、現状への怒りだ。
「仲間割れですか?」
「ンなとこだ。アンタ、さっきの男はどうした?」
“さっき”それは、ロレンソのことだろう。
彼なら拳銃で狙撃が行える。並外れた視力と、弾丸の軌道を目で追える尋常じゃない動体視力によって。
「彼なら広場に。ここに居るのは私だけです」
再び男は小さく舌打ち。唸りながら頭を掻き、黙り込む。
「ここからの距離は500mくらいで、3階建ての建物のどこかにケニーって奴が居る。俺は今から、そいつをぶっ殺したい」
結論が出たのか、隻眼となった男はこちらを見てそう言った。先程まで息も絶え絶えだったはずなのに、言葉に乱れは感じない。
それほどまでに、今の状況が腹立たしいのだろう。仲間に撃たれた、この状況が。
痛みさえ気にならなくなれば、然程重症ではないのかもしれない。耳まで裂けているところから見るに、ロレンソの撃った弾は目から入ったわけではなく、目をかするようにして耳まで抜けただけなのかもしれない。どちらにせよ、男の右目はもう光を映さないだろうが。
「方向は?」
「あっちだ、あン時の噴水から見て、背の方だな」
男の指差した方角を見る。正確な位置は分からないが、ロレンソが見えていた“赤い光”の、もう一方の方角だろう。
確かにロレンソは「光が見えなくなった」とは言ったが、「人に当てた」とまでは言っていない。
ケニーの居た方向にも撃ったがそれは当たらなかったか、当たったがこの男ほど傷が深くなかったか、そのどちらかか。
「ケニーのアジトの位置から考えて、部屋の中はマズい。とりあえずここに居る間は撃たれねェと思うが……」
「ケニーさんが位置を変えたら、終わりですね」
「そういうこったな。ああクソ、こっちからは見えねえのに、奴からは見えてんのか……」
うん?
そういえば、この男はどうして広場を狙撃できた?そして、ケニーもどうやってこの家を狙撃した?
そうだ、光だ。ロレンソが見えていた、不可視光線の近赤外線。
「赤外線のスコープと照射装置、あるんですか?」
「ああ、あるにはあるが……さっき、俺の右目と一緒に吹き飛んじまったよ」
「銃と一緒に持ってきたんですか?」
「違う。ケニーが持ってきたモンだ。俺も譲治も初めて見た型だったからな、たぶん、この世界での自作品だよ」
「……は?」
「ケニーが作ったのか、作った奴から買ったか盗ったかは分かんねェがな。あんな型、ゲーム内には存在しねえ。そもそも、あれが赤外線スコープなのかすら、分からないからな」
男の言うことは、最もだ。近赤外線のスコープだと私が判断できたのも、ロレンソにはその光が“見えて”いたから。遠赤外線なら不可視光線を当てる必要などないし、ならば近赤外線だと思っただけの話。
つまり、私が判断できたのは、その光が見えたロレンソが居たからだ。この男にはそれが見えないし、その光が見える人間にも会ったことがなく、ゲーム内で見た形でもないとなると、それが赤外線スコープなのかすら分からなくて当然だ。
残っていれば、何かの役にも立ったかもしれない。ただ、残っていれば私もナディアも撃たれていたが。
「ケニーを殺したら、残骸でもなんでも持ってけ」
そのスコープに興味があることに気付いたのか、男はそう呟く。
目まで抜けてるとなると機能するとも思えないが、詳しい人が見れば構造くらいは分かるかもしれない。一応、頷いておく。
「さっきの男が、アンタを心配して戻ってくる可能性は?」
「長時間戻らなかったらともかく、今は0、ですかね」
「チッ……俺の銃はたぶん生きてるが、スコープがねえと、見えるモンも見えねェ」
男は部屋の中を見て言った。
ロレンソの撃った弾はスコープを粉砕し男の眼をかすっただけで、銃に被害はなかったということか。
「広場まで戻ってロレンソに銃を渡せば、たぶん当てれるんですが」
自分で提案しておきながら、すぐに不可能だと知る。ここから広場までの道は、どう動いても隠れる場所などない。
「今この場所が死角なだけで、高所を取られてる以上はここからどう動いても撃たれるぞ。ケニーは狙撃の腕がそこまであるわけじゃあねェが、銃が銃だ」
「部屋にある銃と、ケニーさんの銃は?」
「部屋に転がってる俺の銃はガリルで、ケニーの持ってるのはM110。プレイヤーなら、分かるな?」
M110。それは、有名なアサルトライフルであるM16を参考に作られた狙撃銃だ。
ゲーム内では圧倒的なシェアを誇り、手に入りやすい・M16系統なので整備が安い・セミオートなのに精度が高いと三拍子揃った優秀な狙撃銃とされ、中級者から上級者までが好んで使う狙撃銃として有名な物だった。
この場合の問題は、セミオートであるということ。
数多くの狙撃銃に採用されているボルトアクションなら次弾装填の度にボルトコッキングが必要になり、その際どうしても銃口がブレ、連続して同じ対象への狙撃をするには向かない。しかし、セミオートならスコープを覗いたままもう一度引き金を引くだけで発射できる。
死角のほとんどない街中を抜けるには、セミオート相手は明らかに分が悪すぎる。
とはいえ――
「ガリルで500m先は、辛いですね」
「正直、スコープがあってもな。別に狙撃用にセッティングしてあるわけでもねぇし……」
男は部屋の中をチラリと確認して言う。
アサルトライフルであるガリルには狙撃銃としてのバリエーションも存在するが、男の言うように、専用弾用のセッティングがしてあるわけでもない。ならば有効射程は精々400m。仮にスコープがあって晴天でも、狙撃銃と撃ち合うのは不可能だろう。
そもそも、私は別に狙撃銃が扱えるわけではない。ゲーム時代、精度の高い狙撃銃を使っても当てられたのは100mそこらで、そこから先は的中には程遠い命中率になってしまう。
ゲーム内の弾道は、軍が狙撃のシミュレーターとして使うという噂まであるほど正確な物で、チームの狙撃手曰く、地球の自転以外は全てを再現してあるという。最も、地球の自転を計算に入れる狙撃など、1km以上は離れてないと必要ないらしいが。
自分の狙撃の下手さは自覚しており、右目がなくなった男の方が正確な狙撃ができるのではないかと疑うほどだ。
「手詰まり、ですかね」
「キレて部屋出たは良いが、それっぽいな……どうする? 別にアンタだけなら普通に逃げれるかもしれねェが」
「それは――」
どうだろう。そもそも最初の標的は私のはずだ。私の顔を知らないはずもないし、この家の玄関が死角になっていようが、家の周りを回る私を見ていた可能性も0ではない。
その時に撃たれなかった以上、見られていなかった可能性もあるが、それは楽観的過ぎる。
その時は撃つ理由がなかったが、会話が成立してるとみると仲間の処分に入った、というところだろうか。
部屋の中より外の方が明るい以上、ずっと家の様子を見ていたのなら、玄関の扉が少しだけ開かれたところ気付いていた可能性はある。その後、私が部屋に入らなかったのが確認できたらば、会話が成立していると判断しても不思議ではない。
今のケニーからしたら、私も処分する対象なのだ。可能性とはいえ、それが0ではない以上、自分だけ逃げる選択肢は取りづらい。
「やめておきます。私の顔は知られてるわけですし、じゃあ、取る選択肢は一つですね」
「……まだなんかあるのか?」
「ええ、こうします」
ずっと握っていたタウルスジャッジを、広場のある方角へ向ける。
人に当たらないよう、多少上目に角度を取り、一発。そして、もう一発。
炸裂音。オートマチックと比べて構造に隙間の多いリボルバーは、外で撃つとよく響く。
久し振りの射撃は、ジィンと腕に衝撃を残す。そういえば、最初の村で撃って以来だったと思い出すのは、三発目を撃った後だった。
轟音は、体だけでなく耳にも残る。室内で撃った時ほどでもないが、連続して3発も撃つと、耳鳴りがやまなくなるほどには大きな音だ。
やはり、耳栓やヘッドホンのような物があった方が良いかもしれない。
「で、何が起きるんだ?」
「助っ人呼び出し、ってとこですかね」
呆けた顔をする男に、そう返す。
広場までの距離は150m。三発も撃てば、ロレンソなら確実に気付く。そして、彼の性格ならそれを無視はしない。
まず間違いなく、ナディアに報告するはずだ。そしてそれを聞いたナディアは、必ずロレンソに命ずる。
「リカさんの様子を見てくるように」と。
「それって、さっきの男か?」
「ええ。彼なら銃弾を避けれます」
「あァ、譲治が殺られたのは、つまりそういうことか……」
最初に前から歩いてきた男、譲治が、ジェリコを使ってロレンソを撃ってから、この部屋の男が狙撃されるまで、一体どのくらいの時間が経ったのだろう。
溺れかけていた私には分からない。5秒だったかもしれないし、10秒、もしかしたら3秒以内だったかもしれない。
私からすると横合いからの狙撃は噴水への着水とほぼ同時、最初のジェリコによる銃撃から1秒も経ってないはずだ。
あの突然の着水で、息が10秒以上も持ったとは思えない。ならば本当に、この男からしたら一瞬の出来事で、広場の男、譲治が死んだことにも気づかないほど短い時間だったのだろう。
「で、さっきの男が来たらどうする? ケニーの家教えて、襲わせるか? 流石に合流したの見たら、奴は逃げ出すと思うが」
「別に、逃げられても良いんです」
「オイ何だそれ、俺はケニーを殺したいって――」
「それに関しては、大丈夫です」
「全然意味が分からねェ……」
この男は、銃弾を避けられるこの世界の人間について、私より知っているはずだ。
先程それを伝えた時、特に驚いてはいないようだったし、私より長くこの世界に居るなら、知っていて当然のことと思える。
それでも、男の知識はそこまでだ。
自分自身が150m離れた距離から拳銃で撃たれるまでを、彼は見ていないのだから。
そう、それを見ていたのなら。
拳銃を構えたロレンソを見ていたのなら、そこで死んでいた男、譲治に気付かないはずはない。そもそも、ロレンソが手にしていた銃は、譲治の持っていたジェリコなのだから。
町に銃声を響かせてから、一分もしない頃だ。
「状況を」
ジェリコを手にしたロレンソが現れたのは。




