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「ほとんどの人は、生きてるうちにどこかで妥協をします。目標に向かって進んでいてもそれが叶わぬと知ると諦め、手近なところで妥協する。 それが普通の人です。ですが、リカさんは違います。
目標を決めたなら、それに向かう道中、他人の犠牲や、自分の犠牲もいとわず、進むことができる人です。
他人の犠牲を踏み越えて進める人は居ます。ですがリカさんは、自分をも犠牲にできる。そんな人は、ほとんど居ません。
聞かせて下さい。リカさんは、何をしにここに来たんですか?」
何をしにと、ナディアは言う。まるで、別の世界から来たと言うことを、知っているかのように。
私は、何をしにここに来たのだろう。
あちらの世界ではできなかったこと。こちらの世界で私にしかできないこと。そう思考が進むと、結論はおのずと見えてくる。
自分を求める世界が、欲しかったのだ。
自分を必要としなかった世界を捨て、ネットゲームを始めた。それも長くは続かず、命を終わらせる前に、こちらの世界へやってきた。
あちらの世界の私は、今どうなっているのだろう。私の意志を持って生きているのか、それとも、死んで精神だけがこちらに来たのか。今となっては、それを知る手段はない。
この町にいる、アイザワという薬師に会えば分かるのだろうか。仮に私と同じであちらの世界からやってきた日本人なんだとしても、私より早くこちらの世界に来ている以上、私の現状を知るはずがないのだが。
それでも、予想を立てることはできる。
だが、それを知ってどうというのだろうか。
あちらの世界の私に未練があるかと言えば、ほとんどない。あのゲームのチームメイトが私無しでもやっていけるのかというところには興味があっても、彼らは彼らでトッププレイヤーだ。司令塔が変わっても、戦うことはできるだろう。
ならば、未練はあるのかと問われれば、ないと答えても構わないということになる。
この世界で私にしかできないことがあるのなら、命が尽きるのを待っていただけの、あちらの世界とは違うのだから。
「私にしかできないことをするために、かな」
そう口にする。
彼女の方は見ない。表情を見たら、思考が変わってしまいそうだから。
「私自身、どうしてここに来たのか分からない。けどこれは、チャンスなんだよね」
「チャンス、ですか?」
「うん。私にしかできないことをするチャンス。笑わないで聞いて欲しいんだけど――」
「笑いませんよ」
はっきりと、彼女は否定をした。
ならば、言っても良いだろう。夢物語のような、妄想としか言えないような、私の目標を。
「まずは、今の戦争を終わらせる」
驚いた表情で一拍。それでも彼女は笑わずに、問うてくる。
「……方法を聞いても、よろしいでしょうか?」
方法。まだ終わらせる戦争の規模すら分からない状態で、考えられることは少ない。
それでも、戦争を終わらせる方法というのは、どこの世界でも同じなはずだ。
二国間ならば片方を、多国間ならば過半数を、攻めて、落とせば良い。
古代の戦争ではないのだから、片方が全滅するまで戦う必要はないはずだ。戦争の指導者でも、政治的な指導者でも、両方でも、どれかを落とせば、戦争は終わる。
この国の兵隊は、何が原因で戦争が行われているのかも知らない。それでもはじめは、領土資源人員はたまた宗教等、何かしらの理由はあったはずだ。それを解消してしまえば、末端の兵士は知らなくとも、戦争は終わる。
言ってしまえば、この国が勝つ必要はないのだ。綺麗な形で負けることができれば、それでも構わない。その為に一部の人間が犠牲になっても、未来の犠牲に比べたら遥かに少ない。
負けることで終わらせることもできる。過去あちらの世界の日本がそうしたように、滅びる前に負ければ、そこから立て直すこともできる。
従属国になるだけかもしれない。奴隷などが生まれるかもしれない。戦争をしているより、国が不幸になるかもしれない。
世界平和、そんなことを語るつもりはない。現に戦争によりあの村は潤っている。不幸な出来事もあるが、戦争行為を完全な悪をみなすことはできない。
これは、私のエゴだ。
この国のことも何も知らない私が、それでも決めた目標。
後の治世は、後に考えればいい。優先すべきは、今ある犠牲を止めること。
その為の第一歩。英雄でもないただの一般人が、まず最初にすべきこと。戦争を終わらせるために、最初に成すべき行動。それは。
「まずは、この国を取る」
私一人が奮闘して、終わらせられるものではない。
協力を仰ぐのでもない。終わらぬ戦争を終わらせるには、今の体制では絶対に不可能だ。
犠牲を最小限に抑えながら戦争を続けることで、経済を回しているような今の国では、絶対に戦争を終わらせることはできない。
「それは、一人ではできませんよね」
「うん、だから――」
「協力しますよ、リカさん」
「……え?」
予想外の言葉に、思わず彼女の方を向く。
先程までの真剣な表情とはうってかわって、とても楽しそうな、遠足前の小学生のような、そんな表情をしている。
ナディアは言ったのだ。協力する、と。
「リカさん、私、退屈してたんですよ」
表情を変えず、彼女は言葉を続ける。
子供のように水面をぱしゃぱしゃと叩き、手に掬い、零し、手を握り。これまでとうってかわって落ち着きのない行動。言い換えれば、彼女の素の行動かもしれない。
「あの村に、この国に、この世界に、退屈していたんです。村は兄が村長を継ぐでしょうから、私は大方どこかに嫁ぐことになって、子供を作って、老いて死んでいく。そんな人生は、考えるだけで嫌になります」
思春期特有の思考は、あちらの世界だけではない。国が違えど、世界は違えど、考えることは皆同じ。
ナディアもまだ若い。あちらの世界の基準ならば、高校生かそこらのはずだ。ならばこの感情は、一時の発作のようなものでしかない。
だが、私はどうなのだろうか。彼女と年齢も然程変わらない。死ぬ寸前で違う世界に来て、戦争を終わらせるなどと夢物語を語る私は、思春期の発作ではないと誰が言えるのだろうか。
「そんな時、村に盗賊が現れて、リカさんに助けられて。私が生きたあの退屈な村をただの踏み台かのように、リカさんは、先に進むと言いました。だから、着いてきたんです」
彼女の行動がやけに早かったのは、つまりそういうこと。祖父である村長が、冷静になる前に行動したかったのだ。
冷静になれば、必ず止められてしまう。恐らく、彼女の身内は彼女の退屈を見抜いていた。だからこそ、冷静に思考される前、私が今日にでも動くと言ったのを好機に、それに着いていくと言えたのだ。
護衛が一人で良いと言ったのも、彼女からしたら行幸だったのだろう。仲の良いロレンソ一人だけなら、連れ回すのに不都合はない。大人数で移動するなら誰かに止められた可能性もあるが、たった一人なら、彼女は自分の思ったように行動ができる。そういうことだ。
「私にはリカさんを守るほどの力はありません。一度は守られたわけですしね。ですが、リカさんが知らないことを知っています。あの村のこと、この町のこと、この国のこと。この世界のことを、私はリカさんに伝えることができます」
「けど……」
彼女の申し出は、ありがたいことだ。今は戦力より情報が必要、ならば、現地の協力者は多いに越したことはない。
情報に精通している者なら尚更だ。それでも、彼女の申し出を受けるには、いくつか障害がある。
「私は村長の孫ではありますが、今はただの一般人です。特にリカさんからしたら、私はこの国の若い女でしかありません。違いますか?」
違わない。村長の孫という肩書は資金面では有用かもしれないが、それは彼女自体の能力ではない。
彼女の能力を評価するとしたら、そこではない。この世界と私を繋ぐ架け橋として、彼女を選ぶこと。それは、間違ってはいないはずだ。
「私、あの村に居る理由が、ほとんどないんですよ。特に継ぐ家業もありませんでしたから、本を読んで知識を増やして、たまには皆のご機嫌を取って。村は大事ですが、それよりも、私自身が大事なんです」
彼女にとってはこれまでなかった、生きていく理由。
それは、私があちらの世界で感じたものと、同じではないだろうか。
「別に、死にたがってるわけではありません。けど、リカさんもそうですよね。私は、今この一瞬を精一杯生きたい。その為にリカさんを利用させてもらいたい、ただそれだけなんです。いかがですか?」
利用。満面の笑顔で、彼女はそう言ったのだ。
自分の欲望。今の世界を抜け出したいという思春期特有の思考を更に進め行動に移した彼女は、私を利用したいと言う。
単純で、純粋で、正直な欲。
あと5年もすれば、彼女は大人しく家庭を持ち、子を作り、生涯を終える選択をできたのだろう。
だが、私が来てしまった。他ならぬ自分の欲求を解消できる存在が、来てしまった。
私にも責任はあるだろう。しかし、それは成り行きで、私の意志とも彼女の意志とも関係なく、偶然“成って”しまっただけのこと。
責任を取らないといけないと考えるほどではない。偶然であり、もしかしたら必然でもあり、それが分かるのは今ではない。
彼女の問いに、引き伸ばしは無駄だ。
答えないといけない。今、この場で。
「この世界の――」
町でもない。国でもない。この世界、私の知らない、この世界の。
「この世界の案内人として、ナディアを雇うよ。それで、どうかな?」
同行ではなく、雇用。
その言葉を使ったことに大した意味があるわけではない。私が上と言うなら、主人でも、部下でも、家来でも、何でも問題はなかった。
それでも、雇うという言葉を使う訳。
私が雇用主として一切の責任を負い、そして、労働者を守る立場にあるということ。そんな意図の発言でも、この世界の住人に伝わる概念ではないかもしれない。
だから、私の自己満足。それで充分だ。
私が彼女を雇う代わりに彼女を守る。自分だけに伝わる取り決め。覚悟と言っても、良いだろうか。
「ええ、それで結構です。よろしくお願いしますね?ふふ、それにしても、世界とは大きく出ましたね。この国ならともかく、世界と言われるとあまり知りませんが……失礼ですが、リカさんはどこの出身なのでしょうか?」
「日本国、東京都世田谷区――」
「ちょ、ちょっと待って下さい。ニ、ニホンコク? それ、どこですか?」
明らかな疑問符を浮かべる彼女を見て、小さく吹き出してしまう。
そう、彼女に伝わるはずもない。外国などではないのだ。
「こことは違う世界、地球にある日本って国から来たんだけど、信じられるかな、そんな話」
小さく笑みを浮かべてそう返すと、彼女は口を隠して考えこむ。考えているというより、訝しんでいる、が近いだろうか。
剣と魔法のファンタジーならともかく、魔法なんてものはないこの世界において、気軽に信じられることかといえば、間違いなくノー。
私でもそう思うからだ。それでもこれを彼女に伝えたのは、今後の理解の“ズレ”を今のうちに訂正しておく為。例え何年も経ち、この世界に私が馴染んだとしても、十数年生きてきたあちらの世界との差異を、忘れることなどできないだろう。
あらかじめ違うことを彼女に伝えておく。それは今後の情報収集において重要なことであり、そして、彼女の、ナディア自身の見極めにも繋がる。
この人間に付いて行って良いのか。そう、彼女に考えさせる言葉だ。
「にわかに信じがたいことですが、どれだけ考えても、リカさんがここで嘘をつく理由がないんですよね」
熟考から、ようやく口を開いた彼女は、そう言って言葉を続ける。
「こことは違う世界から来たと言うのが事実ならば、私の知らない銃、アイザワという名を聞いて表情が変わったこと、あの“やきとり屋台”の件、それら全ては、納得できます」
彼女は、既に気付いていた。私が他の人間と違うことを、所作、言動から。
それでも、それを決定づける何かがなかった。だが、それを今確信したのだ。
「つまり、本当なんですね」
そこまで言うと、表情が少しずつ和らぎ、そして、笑顔へと変わる。
「着いてきて、正解でした」
「そう? 危ない目にも合うと思うけど……」
「構いません。リスクを恐れていたら、村から出ることもできませんでしたから。でも、そうなんですね。ふふ」
納得できた彼女は楽しそうに笑う。自分の判断は間違ってなかったと、そういう笑顔だ。
まさか世界ごと違うなどと考えてはいなかったであろうが、それでも、彼女は致命的なズレに、最初から気付いていた。その理由が見つかったのだから、当然の喜びだ。
「では、ロレンソはどうしましょう?」
「どうって……どうするべき?」
たった一人の護衛として着いてきたロレンソは、ナディアと古い付き合いだ。そこらの傭兵を雇うよりかは、よっぽど信頼できるだろう。
それでも、それは私の独断で決めていいことではない。彼はまだ、村の衛兵でしかないのだから。
「ロレンソは、私が村の代表としてこの町に来たから、それの護衛として付いてこられただけでしかありませんので、これからも雇うと言うなら、正式な手続きが必要です。村の衛兵を辞めさせて傭兵として雇うか、私を村の代表として扱ったままその直衛に就くか、それとも彼には帰ってもらうか。この問題は、私をどうするかにも繋がりますね」
「うーん……」
どうするべきか。
ナディア自身を村から独立させて同じくロレンソも村の衛兵の役を解雇し、新たに傭兵として雇う選択。
ナディアを村長の孫として置いたまま連れ回し、ロレンソもその直衛として扱う選択。
ロレンソには村に帰ってもらい、別な傭兵を雇う選択。
どれが正解か、今の私には分からない。後で後悔することになっても、この選択を取りやめることはできない。
ならば選ぶのは、リスクよりリターン。デメリットよりメリット。それが私の選択であり、後悔のない、私にとっての最善だ。
「あの村にはまだ用事があるんだよね」
「用事……そういえば、鍛冶屋に通っていたんですよね。それですか?」
「うん。家出同然にナディアを連れ回すと、村に戻った時が大変だから、一応村に在籍したままで居てもらえると助かるかな。ロレンソも同じで、村の衛兵のまま連れ出すことになるけど……それは、本人の了承要らないの?」
「要りません」
ナディアはそう即答。一応、ロレンソにも選択の権利はあるはずだが。
冗談などではなく、彼女は理解しているのだろう。ロレンソが断らないことを。だからここで答えたのだ。要りません、と。
「じゃあ、さっき言ってた傭兵は、要らないかな?」
「そうですね。あ、ですが、ロレンソは弓しか使えませんよ? 戦争に行かずに村で傭兵になったのは、剣も槍も使えないからですし」
「弓だけ? うーん……」
これに関しては、彼の弓の技術を見てから決めたほうが良いだろうか。
ナディアは外したことを見たことがないと言ったが、そもそも私は、弓の射撃というものを生まれてこの方見たことがない。どのくらい時間がかかって、どのくらいの速度で飛んで、どのくらい命中するものなのか。そもそもの前提を知らないのだから、彼を戦力としてカウントするには、まだ情報が足りない。
「後で、見せてもらえるかな? 弓。この町で撃てるところってある?」
「大会を見たのは町の外でしたし、中となると……そういえば射撃場がありましたが、あれ、たぶん銃専用ですね。大きな音が鳴ってたのを覚えてますし、弓を打てるほど広くもなかったはずですし」
「射撃場?」
「ええ、明日にでも案内しましょうか。確か、祖父の言っていた薬屋、アイザワさんの店の、すぐ近くだったはずですよ」
村には、射撃場と呼べるほどの施設はなかった。村の外、少し離れた所に、猟師が使っている場所があっただけだ。
射撃場というより的当てに近く、特に管理もされていない。あくまで猟師が自分でチェックする為に使っているだけだった。
この町の射撃場には、銃も置いてあるのだろうか。猟師の訓練用ではなく、兵士や、一般人の娯楽として射撃場が存在するならば、情報収集もできるかもしれない。
一度、行ってみても良いだろう。
「お願い。ところで明日、アイザワさんに会いに行く時だけど、私一人で会っても良いかな?」
「ええ、構いません。アイザワという方も、日本の方なんですよね」
「たぶんね。居てもらっても構わないけど、説明が難しくなると思うから……」
「気を使わなくても結構ですよ。私もその時に村の兵の件を相談しに行くので、一応、店の前までは案内します。それでよろしいでしょうか?」
ナディアを信用していないというわけではない。ただ、アイザワとの話は、お互いが探り探りになるであろうことが検討つく。
何せ、彼が友好的な人間とは限らないからだ。最悪、こちらが銃を所持していると分かるやいなや、それを奪う為の行動に出る可能性もある。
この町の流行病を終わらせた人間ではあるが、それはあくまで、この町の人間にとっては良い薬師であるというだけのこと。
薬師としてではない、日本人として会いに行った場合、彼がどういう行動に出るかは、全く分からない。
この世界に来て、初めての日本人との交流だからだ。焼き鳥屋の祖父とアイザワとで既に二人の日本人の存在を確認できてはいても、それだけで状況は分からない。
日本人は大量にこの世界に来ており、銃を奪い合ってるところまでは想像しておいても良いはずだ。
常に最悪のパターンを想像すること。突発事象に対応するには、それが最適な判断、そう私は学習してきたから。
何が起きるか分からない場所に、非戦闘員であるナディアを連れて行くのはあまりにも危険。彼女を連れていけないのは、それ故だ。
「ありがとう。ふぅ……そろそろ出るかな、のぼせちゃいそう」
「そうですね。ちょっと話し込んじゃいました。……ところでここの銭湯には名物の牛乳があるんですが、いかがですか?」
「飲む!」
風呂あがりの牛乳とはどこかで聞いた文化だが、それをもたらしたのも日本人なのだろうか。それは分からない。
彼女に勧められて飲んだ牛乳は格別に高級な牛乳というわけではなかったが、瓶ごとしっかりと冷やされたそれは、これまで飲んだどんな飲料よりも美味しく感じる牛乳だった。




