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温泉に入ったのは何年ぶりだろう。
小学校6年生の頃、修学旅行に行った先で入ったのが最初で最後の記憶だ。家族旅行など、一度もしたことがなかったから。
温泉に入った記憶はあっても、広かったとか、気持よかったとか、そういった記憶が全く無い。
そこまで昔のことではないはずなのに、全く思い出せない。何故だろう。
この世界に来た時に置いてきたのかと一瞬考えてしまう。いや、違うだろう。不要な記憶として、いつの間にか消去されていたのだ。
修学旅行の記憶どころか、小学校のクラスメイトについての記憶も全く残っていない。中学校も同じで、高校でようやく記憶に残っている。
それでも、クラスメイトの半数も思い出せない。学校から離れて久しいからか、元から認識していなかったのか、どちらかだ。
まあ、そんなこと、この際どちらでもいいことだ。
「良いね、これ……」
意識せず、口から漏れる。「でしょう」と横から聞こえてくる。ナディアも久し振りの温泉を満喫しているようで、全身を脱力させ、頭だけを縁に載せている。
小さめの体育館ほどはあるフロアに、大小様々な湯船が置いてある。今浸かっているのはその中でも最大の湯船であり、壁の説明書きを読むに、源泉のようだ。様々な効能が書いてあるが、今は湯船に浸かれる幸福を噛みしめる。
その後二人が口を開いたのは、おおよそ10分程度が経過してからだった。
「リカさんは、これまで何をしてらしたんですか?」
「勉強、かなあ」
「勉強ですか?えっと……どういった学問を?」
そう問われ、悩んでしまう。
英語、数学、国語。そんなことを答えても、彼女には理解できないだろう。
それを何に使うのか、それの説明が、この世界、この環境では難しい。親に決められていた大学を受験する為、たったそれだけの為に、一日のほぼ全ての時間を勉強に費やしてきた。
学校でも、塾でも、家でも。ずっと机にかじりついて、合格する為の勉強をしていた。
していた、はずだ。
何故、どうして、私はそれをやめたのか。やめるに至ったのか。そこの記憶は、今はない。命を絶つほど思いつめたはずなのに、全く理由は分からない。
それが当然だと思っていたから、勉強することが苦ではなかったのだ。料理に味がないことも、親の手料理など食べたことがないことも、家族サービスに縁がなかったことも、お風呂がいつも冷たかったことも、全て、当然と思っていたのだから。
勉強することは嫌いではない。確実に自分の脳に書き込んだその情報は、今でも思い出せる。何の役に立つのか分からない生物の知識や、日本語で会話が成り立つこの世界で使うことのない外国語など、覚えたことは、忘れていない。
「将来仕事に就くための勉強、って言えば伝わるかな? 今思えば、何に使うのか分からないことばっかだけど」
「はぁ……その、“あれ”の使い方も、勉強したのですか?」
“あれ”、その言葉が示す対象は、考えるまでもなく明らかだった。
拳銃、タウルスジャッジ。PKMを見ていない彼女が言っているのは、間違いなくそれだ。
「それはまた別。勉強するのやめてから覚えたんだけど、その、実は、ちゃんと撃ったの初めてなんだよね」
PKMもそうだが、この世界に来てから試射を行ったのはアルフレドの作った火縄銃のみ。それもたった数発だ。
タウルスジャッジについては、ゲームで散々動作を見たから何をどうすれば良いのかは分かっていた。それでも、反動があそこまで骨に響くことも、手があそこまで大きく振れてしまうことも、室内で撃った時、あそこまで大音量を響かせることなど、何も知らなかった。
ぶっつけ本番。命を賭ける場で行うことでは断じて無い。いくら全ての状況を想定して動いていたとしても、あの時に銃弾が発射されなかったりしたら、その時はそこで終わりだった。
あちらの世界の銃は、いや、あちらの世界のゲーム内に存在した銃器は、この世界でも使える。それが分かったのも、第一射を撃ったその時だ。
「本当ですか!? それにしては、随分躊躇いがなかったようですが」
「……そんなふうに見えた?」
躊躇いがなかった、か。
確かにあの場で人を撃つのに躊躇ってはいなかった。家の前で男を撃ったのが三人目、家の中で撃った時は四人目だ。
体感としては家を出てから何時間もかかったように思えたが、そこまで広い村ではない。数分、数十分の出来事だ。人を殺してしまったことの罪悪感を感じる暇などなかった。
まあ、時間を置いて今考えても、彼らは死んで当然だと思っている。ならば、変わらないのだろう。
「なんと言いますか、楽しそうな、そんな表情に見えました」
「楽しそう? もしかして、私――」
「ええ、小さくですが、笑ってましたよ、リカさん。私、助けに来られたってことすら、理解できませんでしたからね」
「笑って……」
予想は、ついていた。
外敵が排除されても、ナディアとその兄が怯えていたこと。それ以前、私が家に入った時、そこから、彼女達の表情はほとんど変わらなかった。
つまり、彼女たちからしたら、あの場に乱入した私のことも、恐れる対象だったのだ。そんな人間が野盗を撃ち殺しても、喜べるはずはない。
見たこともない武器を使い、口元に笑みを浮かべたまま野盗を殺していく。そんなもの、恐れるに決まっている。
「怖がらせちゃったみたい、だね。ごめん」
「いえ、リカさんには、本当に感謝しています。あの時はきっと、誰が来ても同じ反応をしたでしょうし。リカさんが悪いわけではありませんよ」
「そっか」
「はい。なので、あの時の反応については、あまり気にしないでください。ってこれ、私が言うことじゃないですよね。私、助けて貰った側なのに」
「はは、そうかも。でも、無事でよかったよ」
あの時、二人がどうなっていようが、恐らく私はほとんど同じ行動をしたことだろう。
たとえ片方、いや、両方が死んでいたとしても、私の行動は変わらなかった。そんなことを、彼女に言えるはずもない。
無事でよかったと思うのは本心だ。それに偽りはない。ただ、無事でなくとも後悔はしなかったというだけの話。彼女が知人ではないとか、村長の孫ということは知らなかったとか、そういう問題ではない。
“行動を起こす”“最速で解決する”この二点に重点を置かれた私の行動においては、村人の生死が関係なかっただけのことだ。
「それにしても、凄いですね、リカさん。あんな大きな男相手に、怯むことなく立ち会うなんて。私だったら、武器持ってても嫌ですよ」
「あんなことは、もう起こらないで欲しいけどね……」
「ですね。まあ、あの村から離れたら、外から人が攻めてくることは滅多にないと思いますよ。どちらかというと、中の揉め事の方が多いと思います」
「中?」
「ええ、強盗やひったくり、スリとか、そういう類のトラブルのが多いと思います。そのへん、リカさんなら大丈夫そうですが……」
日本は安全な国ではあるが、それでもそういった犯罪の類は後を絶たなかった。そのあたり、都会でも変わらないのだろう。
むしろ、都会ほど中のトラブルは多くなる。人が多くなれば富裕層と貧困層に差は開き、一度開いた差は縮まることなく開き続ける。富裕層が居るから貧困層が生まれるのではなく、貧困層が居るから富裕層が生まれる、という考え方だ。損をする人が居なければ、得をする人など存在しない。
高層ビルやマンションが立ち並ぶエリアの近くには、数十年前からその土地に住む人や、移り住んできても馴染めなかった人が細々と暮らす区画がある。そういうところでは富裕層を狙った犯罪率は平均値を上回り、また、貧困層が被害者になる可能性も高くなる。当然といえば当然のことだ。
「あんまり使いたくないんだけどね、あの銃、弾の補充もきかないし……」
「あれ、やっぱり銃なんですか!?」
そう言うと彼女は勢い良く湯船から立ち上がる。タオルとかを巻いていないから、その、全裸で。
「声、落とそうね」と小さく言うと、「すみません」と呟き、彼女は首まで湯に戻る。
「えっと、リカさんの使っていたあの小さい武器も、銃なんですか?」
「そう。拳銃、一般的にはリボルバーって言われるタイプの銃で、名前はタウルスジャッジ」
「タウルス、ジャッジ……」
彼女は何度か反芻する。自分を救った銃としてなのか、恐れるべき武器としてなのか、それは分からない。
「私の知っている銃とは、随分違うようですが、特別製なんですか?」
「特別製といえば特別製だけど、たぶん、作れなくはない。まあ、銃だけ作れても弾がないんだけどね」
「弾ですか? えっと、丸い鉛の弾なら、武器屋とかに置いてありそうなものですが……?」
彼女の知識が遅れているのではない、むしろ、あの村ではアルフレド以外、金属薬莢の存在を知らない。この世界における銃は、銃口から火薬を流し込み弾を入れ、火を付けて発射する武器なのだ。彼女の勘違いも、当然のもの。
これに関しては、専門外の彼女に説明しても理解はしてもらえないだろう。
「えっと、弾が特別製でね、簡単には作れなくて……」
「それなら、仕方ないですね。どのくらい残ってるんですか?」
「50発くらいかな、ちゃんと数えてないけど」
「50ですか。充分多いように思えますが……たぶん、そういうことじゃないんですよね」
彼女の言うとおりだ。そういうことではない。
護身用として持つなら50発もあれば充分すぎるだろう。だがこの銃は、護身用の銃ではない。
いや、元々はそうだったのだろう。ハンター用の大型拳銃から派生したこの銃は、あまり精度がよろしくはない。軍用で使われることはなく、一般人やハンターが護身用として持つのが、あちらの世界での常だった。もっともインターネットの情報と、ゲーム上の説明でしか知らないのだが。
一部のチームメイトのように、気になった銃を撃ちに海外まで行くような真似はしたことがない。できなかったし、する気もなかっただけだが。
この世界に置ける私の拳銃、タウルスジャッジは、私の身を守る武器であり、私の目的を達成する為の武器でもある。たった50発の銃弾で終わるような戦争なら、私が来る前に終わっていることだろう。
「うん。できれば弾だけでも量産したいところだけど、ちょっと難しいかな」
「そうなんですね……となると、護衛を雇うのはいかがでしょうか?」
「護衛?」
彼女の言葉を、オウムのように返してしまう。
護衛。自分の身は自分で守るつもりで居たから、あまり考えていなかった存在だ。
確かに戦うこと、守ることの専門家なら、銃を持っているだけの女よりは間違いなく頼りになるだろう。ただ、問題がある。
「お金、要るよね、雇うにも……」
村長から謝礼は受け取ったが、貨幣価値を上手く理解していない私でも分かる。いくらなんでも、目標を達成するまでずっと雇っていられるほどの額ではない。短期間だけ雇うならば問題はないはずだが、そちらにお金を使ってしまうと、当面の活動費がなくなってしまう。
資金源がない現状、護衛に金を掛けるほどの余裕はないように思える。身を守るのが第一のはずだが、それを切り捨てて考えてしまうのは、悪い癖だろうか。
リスクを負ってでもリターンを求める、私の癖だ。
「ああ、そのことですか。でしたら心配要りませんよ」
「……え?」
「貰ってきましたから。相当沢山。あれっぽっちの謝礼じゃやっぱり足りないって、おじい様から頂いてたんですよ。おじい様が現金をあまり持たない主義でしたので、ほとんどが宝石とかそういう物になってますが、きっと全部売れば護衛の2,3人を5年程度は雇えるはずです。お別れするときには渡すつもりでしたが……」
彼女の言葉に、開いた口がふさがらない。
2,3人を、5年。頭のなかでめまぐるしく数字が動く。
サラリーマンの平均年収が、20~30で300万程度だっただろうか。掛けることの5年で1500万、それが3人で4500万。
……悪い冗談だ。そんなもの、突然村に来た女に渡していい額ではない。いくら孫の命を救われたからと言って、どう考えても多すぎる。
人件費があちらの世界の日本ほど高くなかったとしても、それでも、3人を5年間雇える額なら安いはずがない。
「いや、流石にそんなに貰うわけには」
「……? どうして断るんですか? 私なんて、村に兵を雇い入れる為にその数倍は預かって来てますからね」
「えっと……数倍?」
「数倍どころか、桁が違うくらいです。実質、この町の住人、それも専門家である兵を買うわけですから、当然です。それに比べてリカさんにお渡しするのはあくまで“雇う”費用。私が今預かってる全額と比較すると、リカさんにお渡しする分は、誤差程度です」
「誤差、か……」
「誤差ですよ誤差。まあ、あの村が裕福というわけではなく、おじい様がお金持ちなだけなんですが。ですので、気にせず貰って下さいね」
何不自由なく暮らせる村ではあったが、そこまで裕福さを感じる場所はどこにもなかった。建物も、村の設備も、どれも古びており、家以外で新しく建てられた物は記憶にない。
そんな村で、どうやってそんな額を稼ぐことができるのだろう。それとも私が知らないだけで、村長とはとても儲かる仕事なのだろうか。
「どうやってそんなお金持ちに、って顔してますね、リカさん」
見透かされてしまった。照れるように頬を掻くと、「どうやって?」と返す。
「戦争って、儲かるんですよ。沢山の人が動くわけですからね。多い時なんて、村人の何十倍もの人が押し寄せるんですよ。食事に寝泊まり、武器の手入れや消耗品の補充など、色んな所でお金が動きます。そのお零れをずっとずっと前の世代からもらい続けてきた結果、今があります。ですので、リカさんにお渡しする謝礼や物品も、元を辿ればそこからです。納得頂けましたか?」
戦争はビジネスだと、どこかで聞いたことがある。
例えば銃火器に関しても、戦争中、技術の進化速度は著しい。それを作ることで金になる、それを作るための金が貰える、考えるための金が貰える。戦争の結果が自国の繁栄に繋がっているのだから、動く金額も、進化速度も常時の数倍、数十倍だ。
同じ戦争中に生まれた銃でも、戦争の始まりに生まれた銃と、戦争が終わる間際に生まれた銃、戦争中に間に合わず、戦後に生まれた銃は、明らかにレベルが違った。銃火器をゲーム内の性能でしか知らない私でも、様々なFPSに触れ、その銃が生まれた大まかな時代を知れば、理解できることだった。
戦争は、それだけ金が動くのだ。あちらの世界だけではなく、この世界でいつから起きているか分からない戦争でも、それは同じこと。
なるほど、それならば、何もないはずのあの村でも儲かる仕組みが理解できる。戦争によって儲けているのなら、大金も納得だ。
「頂くことにします……」
「ふふ、なんでまた敬語になってるんですか」
笑われてしまった。
初めて給料を貰う人の気持ちを、社会に出る前に体験してしまったら、誰しもがそうなるだろう。しかも、明らかに労働に見合わぬ大金を。
「まあ、どうせ私も数日は滞在してますからね。町に居る間はロレンソだけで充分だと思いますので、出る時にでも使って下さい。なんでしたら、私がこちらの兵と交渉する時、ついでに雇うのも良いと思いますし。人数は……そうですね、これからの予定次第、ってとこでしょうか?」
これからの予定。次の行動はその時に決める私にとって、おおまかな指針すら現状は定まっていない。目標があるだけで、それに至る道を考える最中だ。
それでも、どう見積もっても、現状では沢山の護衛が必要な自体にはならないと予想はできる。
そこまでの荒事を起こすつもりもなければ、巻き込まれることもないはずだ。
ならば1人も要らないのでは、とも思うが、そうなると、町の移動の度に新たな人材を雇うことになる。移動が続く可能性も考慮すると、それはあまり効率がいいとはいえない。
「一人居れば、かな?」
「そうですか、一人だけなら……身の回りの雑用も兼ねて使用人扱いで雇うか、移動時の護衛だけで雇うかですかね。町の兵を雇うんでしたら後者だと思いますが、一般の傭兵を雇うんでしたら前者でもありますね」
「ううん……そうだ、ロレンソは? それで言うと、どっち?」
「ロレンソは後者ですよ? 村では正式な兵ですから」
「その割には雑用振られてるように思えるけど……」
宿泊先のことも、そもそもこの町についてから馬車を預けたのも、荷物を預けたのも、全部ロレンソだ。私達は、待っているだけで特に何もしていない。
「昔からの付き合いですからね、村にはあまり若い人居ませんから、話し相手とか、遊び相手とか、小さい頃から付き合ってもらってるうちに、いつの間にかこんな感じです」
「昔から、か……いつ頃から? 確かに若い人はあんまり居なかったけど、ロレンソがこの町の出身でも、ナディアはあの村の出身、だよね?」
どれだけ記憶を遡っても、昔なじみの顔など一人も浮かばなかった。
親や家庭教師、家政婦を除くと、交流が長いのは皆ゲーム内の人々だ。顔など誰も分からない。
「初めて会ったのは10年位前ですかね。おじい様に連れられて国中を回っていた時期があるんですが、この町の近くで、弓の大会があったんですよ」
「弓?」
「ええ、弓です。こう――」
彼女はそう言うと弓を引き絞る構えをする。弓を知らないという意味ではなかったが、まあ、良いだろう。
ナディアほど胸があると、弦が引っかかってしまいそうだなと、そんな感想が浮かぶ。
「遠くの物を狙って撃つって大会だったんですが、そこに、まだ10歳くらいのロレンソが居まして。大人達に混ざって打ってるのに、誰よりも綺麗なフォームで、誰よりも高得点を取ってたんですよ、彼。それを見た私が、「あの子欲しい!」って大声で言ってしまって」
「欲しいって……」
「ふふ、笑っちゃいますよね。その頃のロレンソは弓の才能がある一般人でしたから、勿論村に来てくれることもなかったんですが。その2年後には、家族と一緒に村に移住してきました。ただの偶然で、ロレンソは私のことなんて覚えてなかったようですが、私は覚えてましたから。交流は、それからですね。5年前には志願して正式に村の衛兵になりました」
「そっか、彼、弓が上手いんだね。そういえば最初から持ってたっけ」
あまり意識していなかったが、馬上に居る時にも、背に弓を背負っていたような気がする。
町に入ってからは預けているが、鍛冶屋に通っている時もほとんど見ることがない代物だったので、なんとなく記憶に残っていた。
「すっごい、すっごい上手いですよ、彼。私、未だに外したの見たことないですし」
嬉しそうにナディアが言った。
アルフレドの言っていた、300m先の標的に当てれるような技術を、ロレンソも持っているのだろうか。
この世界で現役の遠距離武器、弓というものを、この目で見ておかないといけない。機会があれば、彼に見せてもらうことにしよう。
「私ばっかり話してるのも何ですし、よろしければリカさんの話を聞いても良いですか?」
「昔話?うーん、特に何もなかったから……」
「そんなことは、ないと思います」
彼女の目は、真剣だった。
どうしてだろう。過去に何もなかったという私に、彼女は何かを見たのだろうか。
この世界には存在しない銃を持っていること。それを扱えること。その程度のことを聞きたいわけではないはずだ。
彼女は、何かを見ている。私に、私すら分からない、何かを。
「リカさん。あなたは、変わった人です」
「……そう?」
「ええ。上手く言葉にはできません。ですが、分かります。あなたのような人は、これまで見たことがないですから」
見たことがない。ナディアはそう言った。
あちらの世界の私はどうだっただろうか。勉強だけをし、何かで挫折をし、ネットゲームに嵌まっただけの私。私自身、自分をそう評価していた。
私にも知らない“私”は、病院で目覚めるまでの一年間の記憶だ。一年間昏睡状態だったわけではないのは、病室の様子を見れば分かったこと。
意識が、あったのだ。私が覚えてないだけで、丸一年間を過ごした私には、確かな意志と意識があった。
何故それを覚えていないのかは分からない。誰も教えてくれないし、調べても分からなかった。ただ、考えようとしていなかったというのはあるかもしれない。自殺しようとして失敗してこうなった、それだけだと、思い込んでいたから。
ナディアは、彼女は、私の知らない私を見ている。
それは不気味でもあり、不思議でもあり、興味もある。
「ナディアから見たら私って、どんな人なの?」
そう投げかける。彼女は恐らく、私より私を知っている。会って然程時間が経っていないというのに、だ。
私には分からないこと。私の本質。私の考え。私の行動。彼女は、何を見ているのだろう。
「そうですね」と呟き、彼女は少し黙る。胸の上に手を重ね、水面をじっと見て。
「きっと、何かを成し遂げる人、なんだと思います」
彼女は、言葉を続ける。




