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面会が来なくなり、どれだけの月日が流れたろうか。
はじめは、毎週のように誰かが訪れていた。両親、妹、学校の友人達。
彼らは皆お見舞いと言って何かを置いていき、欲しい物を尋ねてきた。何かを求めれば大抵の物は持ってきて貰えたし、不自由はしていなかった。
いつだったろうか。
父親がノートパソコンをくれたあの日以来、何かを彼らに求めることはなくなった。
月日が流れるごとに彼らが病室に訪れることは少なくなり、そしていつしか、誰も来なくなった。友人だけではない、両親もだ。
不思議とは思ったが、すぐに理解した。彼らにとっては、それが口実だったのだ。
病室を訪ねに来る口実。
娘が欲しい物を与えること。不満を与えないこと。そして求めるものがないのなら、あえて与えるものなどない。
私は、彼らにとって、その程度の存在だったのだ。
自分の人生にこれ以上関与しないならば、必要ない。
それでも入院費は滞り無く払われているし、病院内で最上級の個室を使わせてもらっている。私が彼らに求めるものがあるとすれば、死ぬまでこの生活を続けさせてもらうことだけだ。
もう誰にも会わなくていい。顔色を伺って、目の前で担当医に毎回同じことを聞かれるのは懲り懲りだった。
「娘は、リカは、いつか治るんですか」
父親は、毎回のように聞いていた。しかし、担当医の答えは変わらない。
「残念ですが、二度と元の生活には戻れないかと」
それは、最早儀式のようなものだった。
娘の前で聞く必要などない。それでも、彼は自分の立場から、心配しているポーズを見せる必要があったのだ。
まるで、自分が悲劇のヒロインかのように振る舞う両親。
お前らには何の不幸も訪れていないというのに。
事故にあった娘を持つというだけで、両親はかすり傷一つ負っていない。
はじめに意識を取り戻した時、命が助かったのは、不幸中の幸いと言われた。しかし、誰に聞いてもその“事故”を教えては貰えなかった。
何故だろう。交通事故のようなものなら、はじめから言っても良いようなものなのに。
私の記憶には欠落がある。
病院のベッドで目が覚め、日付を確認した時、丸一年の記憶がないことに気付いた。
最後の記憶も曖昧だ。普段通り学校に行き、帰り、そして普段通りに寝ただけの記憶。それが私に残った最後の記憶で、そこから病室で目覚めるまでの丸一年が抜けていた。
何があったのだろう。それを調べようと考え、両親に求めたのがノートパソコンだ。
大きな事故ならニュースになっているだろうと考え調べたが、残念ながら過去1年遡っても該当する事故は見当たらなかった。
ならば、事故ではないのだろうか。そう考えて検索方法を変えると、ある匿名掲示板が目に留まる。
都内のエリート校に通う女子生徒が、自殺をしたことについて、僅かながら書かれていた。
書き込みは凡そ1年前、学校名も書かれていないし、生徒の名前もない。噂程度だったのか、その話が掲示板で続くことはなかった。
何故だろう。
その書き込み一つで、その女子生徒が自分なのだろうと思ったのは。
特定情報など何もない。都内にどれだけの学校があり、学生が居るというのか。それに、自殺など年間数万人も出ており、別段珍しくもない。学生が自殺するのも、そう少ない事例ではない。
それなのに、何故か自分と思った。
理由など、分からない。記憶の中の私が自殺をするような性格だったとは思えないし、自殺に至るまでの経緯は分からない。それでも、そうと考えれば納得だったのだ。
腫れ物のように扱う両親や友人達の態度。説明されない“事故”のこと。
自殺を試みたが奇跡的に命を取り留め、一年後に目が覚めたというなら、あのような態度は納得だ。
刺激を与えることはない。思い出せないなら、思い出さないままでいい。そのような態度だった。
ならば、彼らの望み通りに生きよう。
事故について尋ねるようなことはしない。自分が自殺しようとしたのかなんて尋ねない。そんなことは気付いていない、ただの入院患者として、死ぬまで生きよう。そう決めたのだ。
ある時、看護師が「音楽でも聞いたら」と、お古のイヤホンをくれた。
病室は個室だし、それなりの防音性はあるのか、他の部屋の音が聞こえることはなかった。それでも、病院内で音を出すのに抵抗があり、パソコンは常にミュートにしていた。
イヤホンはありがたく頂戴し、流行の音楽をダウンロードして聞いてみた。しかし、あまり続かなかった。
そもそも私は、音楽を嗜むというのがこれまでなかったのだ。これまで生きてきて、そんな時間はなかったから。
様々なジャンルの音楽を聞いてもすぐに飽きてしまい、やはりこのイヤホンは返そうと思い、ふと看護師に聞いたのだ。「暇な時は何をしてるんですか」。
彼女は答えた。「ゲーム」と。
そういえば学生時代の記憶でも、数人のクラスメイトが集まって、スマホでゲームをしていたのを覚えている。それに手を出す時間はなかったから当時は興味も沸かなかったが、確かに、時間のある今なら悪くはない選択だ。
ただ、どのようなゲームがあるのか分からない。スマホを得るためだけに、もう来なくなった両親を呼ぶのは嫌だった。それを看護師に相談すると、彼女はパソコンでゲームをしていると言ったのだ。
インターネットを通して、他人と競い、争い、協力し、共にプレイするゲーム。そんなものは、知らなかった。
彼女のプレイしているRPGを教えてもらい少しプレイしてみたが、あまり馴染めなかった。
他人と馴染めなかったわけではない。レベル、ステータスを、スキルを上げ、徐々に強くなって強敵を倒すというシステム自体が、あまり得意ではなかったのだろう。
彼女はRPG以外はやっていないとのことで、自分で調べるしかなかった。幸い時間は沢山あり、様々なネットゲームに手を出した。
そうして出会ったのが、FPSというジャンル。
ファーストパーソン・シューティング。一人称視点で銃器を操り、敵を殺すだけのゲーム。
このジャンルは特殊で、どのようなタイトルでも、共通する点があった。それは、データ上のステータスではなく、リアルの自分が強くならないといけない点だ。
勿論、直接足を動かして銃を持って戦うわけではない。しかし、FPSにステータスというものはない。
それを操るのはプレイヤーである自分自身で、いくらプレイしても弱い人間が居れば、始めて数日でも強い人間が居る。
ゲーム内には様々な銃の種類があるが、どんな銃でも頭に一発当てれば敵は死ぬ。どんな距離でもだ。
銃の性能以上に、プレイヤーの操作技術が必要とされる。
そんなゲームジャンルだ。
幸い自分にはそれなりにFPSのセンスがあったようで、好みのタイトルを見つけるのに、それほど時間はかからなかった。
選んだタイトルは日本での知名度よりも海外での知名度の方が高く、プレイヤーのほとんどは外国人のタイトル。日本人は、1割か2割か、そんな程度しか居ない。
それでも母数が大きいだけで日本人のプレイヤー数は他のゲームに比べても多く、いつしか友人と呼べる者ができ、彼らとチームを組むことにもなった。
充実した、毎日だった。
彼らは、リアルの世界に居る私のことを何も知らない。何も聞かないし、何も語らない。
ネット上だけの関係だ。このゲームがなければ出会うこともなければ、このゲーム以外で出会うこともない関係。
それでも、彼らのことは好きだった。私に哀れみの目を向けてくることもなければ、顔色を伺うこともない。一人のゲームプレイヤーとして見てくれる彼らのことが、好きだった。
そう、充実した日々を過ごした。
いつしか体は重く、思うように動かなくなり、1日のうちほとんどの時間を寝て過ごすようになった時も、ああ、この人生ももうすぐ終わるのだなと、冷静に考えることができた。
けれど、最後に沢山の友人ができた。それで、悔いはなかったから。
次に目を閉じたら、もう二度と目が覚めないかもしれない。それでも、怖くはなかった。また目が覚めたら、彼らとゲームができるのだから。恐怖など、感じなかった。
毎日、消灯時間にパソコンの電源を落とすたび、彼らに、ありがとうと、心の中で言っていた。
私を生かしてくれてありがとう、と。
長い、長い夢を見よう。そうしてまた起きて、彼らとくだらないことを話し合い、沢山の戦場を渡り歩くのだ。それはとても、楽しいことだ。だから眠るのは、怖くない。
たとえ、二度と目が覚めないとしても。
気付いたら前作を書いてから1年以上経ってました。ラストまでのプロットが完成したので書き上げられてもないのに投稿。